ジャスミン〜愛らしさ〜


きっと貴方は知らないだろう。
その小さな愛らしい花こそが、私の恋の始まりだったことを。


「あ!」
王宮の中庭を通りかかったリズは、そこから見えた人影に思わず声を上げた。

麗かな天気の下、中庭に設えられた東屋で先頃兄と結婚しリズの義姉となった、そして十数年来の親友であるマリアベルが談笑している。咄嗟にリズは今抱えている仕事の進捗具合を頭に巡らせ、少しくらいなら平気かと進路を変えた。
あちらもリズのことに気付いたのだろう、マリアベルが立ち上がり出迎えてくれた。

「お疲れ様ですわ、リズ!」
「ありがとーマリアベル!」
駆け寄った自分に掛けられた労いの言葉に笑顔を返して、リズはもう一人同じように立ち上がろうとしている人物を制した。

「あぁ、いいってばさん!動くの、大変でしょ?」
「確かに大変ですけど、こうも動かないと身体が鈍るんですよ。」
「確かに少しでも動こうものなら、クロム様が飛んで来て鬱陶しいくらいに騒ぎますものね。」
全く、と応じるマリアベルに夫や実兄のこととは言え苦笑を隠せない。

「それだけ心配してるってことで、今回ばかりは大目に見てあげて。調子、どう?」
「お陰様で順調ですよ、ありがとうございます。」
そう言って微笑むの腹部は、はち切れんばかりに膨らんでいる。どう見ても産み月が間近だった。

「そうは申し上げても、つい先程までこちらにいらしてちょっとでも動こうものなら、立つな動くな大変でしたのよ?あんまりにもうざくて、フレデリクさんに連行して頂くまでゆっくりお茶も飲めませんでしたわ。」
「お兄ちゃん……」
その場に居合わせずとも、光景が目に浮かぶ。
くすくす笑う妻も特に異存は無いのだろう、口にこそしないのは夫婦の情故か。

「少しは動かないと、かえって身体に悪いって女官長にも言われてたのにね。」
「女官長の言う少し、とクロムさんの少しでは深くて暗い大きな溝があるのは確かです。」
「馬鹿兄……まぁ、いいや。お兄ちゃんが馬鹿なのは、今に始まったことじゃないし。に、しても。いい匂い。これ、何?マリアベル?」
いいやで切り捨てる妹も妹である。それなりに妹を愛しているクロムがこの場にいたら、身重の妻に懐いていたことは間違いない。

「珍しい茶葉が手に入りましたの。リラックス効果があると言うことですので、さんに是非にと思いまして。」
「ありがとうございます、マリアベルさん。」
再び淹れ直そうと茶葉を取り出したマリアベルの手元を見れば、確かにこちらで良く見る色の葉では無い。それにこの香りは。

「ジャスミン?」
「えぇ。その通りですわ、リズ。」
「うわぁ……私、初めて見た!でも……紅茶じゃ、無いね。色が違う。」
「ヴァルム大陸から入ってきたものですわ。あちらの大陸の茶葉に、ジャスミンの花で香り付けをしたお茶だそうです。」
確かにマリアベルの言う通り、見慣れぬ薄緑の液体は明らかにこちらの大陸のものではない。も最初はもの珍しげにカップを傾けたり、匂いを嗅いでみたりと中々忙しない様子であった。

「本当にいい香り……ありがとうございます、マリアベルさん。わざわざ持ってきて頂いて……」
「まぁ、そんな水くさいこと仰らないでください。それで無くても、宮廷内の有象無象を相手取るにはストレスが溜まりますでしょう?」
彼女の言う有象無象に心当たりが有りすぎて、は苦笑せざるを得ない。身一つならどうとでもなろうが、確かにこの状態では剣を取るのも覚束無い。

「そうですね……でも、ま。産まれてしまえば、状況は多少変わりますよ。マリアベルさんの持ってきて下さった報告書のように。」
「本当に恥知らずな輩ですわ。産まれてくる赤ん坊の命や、イーリスの未来を己の益と秤にかけるなんて……!」
憤慨するマリアベルをまぁまぁと宥める。母親であるがと彼女を良く知らない者がこの場にいたら嫌味の一つでも言ったかもしれないが、この場にいるのは良くも悪くも彼女の人となりを知るリズとマリアベルである。穏やかに見える顔の下にどんな報復案が牙を研いでいるのか、正直予想がつかない。

「元来、人とはそう言った生き物で国とはそう言った有象無象の集まりですよ。愚かしくも愛しい彼らを上手く利用してこその為政者です。大丈夫、私はともかく私の夫と子供を種馬と駒扱いして下さった方々には、それ相応の代償を支払って頂きますから。」
あくまでにこやかに、穏やかに報復宣言をする自国の王妃をマリアベルは尊敬の念を持って見つめる。
この女傑相手に喧嘩を売ろうとしている輩に多少の同情は感じないでもなかったが、概ね当然だと言うのが彼女の言い分である。

「頼もしい限りですわ、王妃殿下。ね、リズ。……リズ?」
「え?あ、ああ。うん、そうだね。」
急に声をかけられて驚いたのか、慌てて頷くリズにマリアベルは怪訝そうに声を潜めた。

「リズ、どうかなさいまして?」
「ううん!何でもないよ、マリアベル。ごめんね、ぼーっとしちゃって。」
「それはよろしいのですけど……お仕事が大変なんですの?」
「ん。んーまぁ、大変じゃないわけないんだけど。ちょっと、思い出しちゃっただけ。」
「思い出す?」
何を?と視線で尋ねてくる親友に、少しばかり苦笑を零してさてどこまで話したものかと思案する。まぁここに居るのは同性の身内ばかりだから、支障は無いのだが。

「……あのね。昔ね。ジャスミンの花を貰ったことがあるんだ。」
芳しい香りを立たせるお茶の容器を撫でながら、思い出を辿る。

「十歳くらいの時だったかなぁ、偶然女官の陰口を聞いちゃって。庭の隅で泣いてたんだよね、私。」
泣いた、の所でマリアベルからゆらりと怒気が立ち上ったが、その手を宥めるようにが軽く叩く。

「その時、励まして貰ったのと一緒に、ジャスミンの花を手渡されて。……物凄く、嬉しかったなぁ。それをね、思い出しちゃったの。」
照れくさそうに締め括ったリズに、まぁとマリアベルが表情を輝かせる。幼子と言って過言では無い年齢だが、病とも称されるそれが訪れるのに時も場所も年齢も関係ない。
現に今、彼女は白い頬を薔薇色に染めてはにかんでいるでは無いか。

「あの朴念仁も中々隅に置けませんわね……少々、年齢に問題があるようにも思えますけど。」
「マママママリアベル!?」
わたくしのリズに、とテーブルの下で拳を握り締めたのはここだけの秘密だ。

「皆まで言わずとも分かりますわ。それがリズの初恋だったんでしょう?」
「なななななんで……」
「顔に書いてありましたよ、リズさん。」
さんまで〜!」
柔らかく笑むの言葉に、真っ赤にした顔を伏せる。
確かに二人の言う通り、あの日からリズはずっと淡い思いを胸に抱いている。
彼の人の視線が他ならぬ実姉に向けられていることに気付き、一人涙をこぼした日からずっと。


「――だから大丈夫ですよ、リズさん。貴女が今、一番懸念されていることが現実になっても。」
え、とマリアベルがを見れば、彼女は未だ微笑んだまま。がばりと身体を起こしたリズの顔とを交互に見遣る。

「心配して下さってるんでしょう?この子のことを。」
「リズ?」
確かには初産で、そもそも結婚そのものに少ないとは言えない反発があったのだ。リズが心配するのも当然、だが今の話の流れからするに心配の意味が異なっているように聞こえた。
マリアベルがリズをじっと見れば、彼女は敵わないなぁと苦笑混じりに呟いて二人に向き直る。

「もし……もしだよ?もし、その子に聖痕が出なかったら……さん、どうする?」
親友の言葉にはっとしたマリアベルが彼女に視線を送るが、リズの視線はに向けられたままだ。
リズの消えぬ劣等感となっているそれは、確かに起こらぬ保証などどこにも無い。

「情勢が情勢だし、その子に聖痕が無かったらきっとそれを理由に廃嫡や別の女性を娶れと叫ぶ輩も出てくると思う。そしたら……」
「どうもしませんよ、私は。」
どうする、と尋ねようとしたリズの声に何でも無いとばかりの答えが重なる。思わず耳を疑ってしまったリズとマリアベルが彼女を凝視すれば、気負うでもなくは続けた。

「痣の一つや二つで我が子を厭う親はいません。確かにそう言い出すお歴々はいるでしょうが、その場合はその口を永遠に塞げば良いだけのこと。――そうですね、もしこの子に聖痕が無かったら。私はこの子に、最大限の選ぶ自由を与えてあげることができる。それが男であれ女であれ、それ以上の幸福は無いと思います。」
「選ぶことのできる、幸福……」
「聖痕さえ無ければ、イーリス王家の者と気取られる可能性は低いでしょう。もちろん立ち居振舞いにも因りますが。血に縛られることなく、己の良心と信念のみに従って生きる。――選ぶことのできる生は、幸せだとは思えませんか?」
彼女のように、とは言わなかった。
砂塵の果てに散った友は、誰よりその血に縛られながら最後の最後で己の心に従った。自らの宿命に――血に縛られ死を選んだと、そう評する者もいるだろう。
だが、は。彼女が最期に遺した言葉を聞いた自分は。
例えその行動を認められずとも、その事実だけは。
(忘れないわ、エメリナ。)

「……さんはさ。」
「はい。」
「今、幸せ?」
問題山積のこの状況で。俯いたままなのは、多分一生消えることの無い弱さのせいなのだろうけど。

「はい。」
間髪入れず返ってきた、しかし全く揺らがぬ声に俯いていた顔を上げる。
微笑む姿は、何故か兄と共に戦場立つ彼女を思い出させた。
揺るぎ無く立ち、先陣を切り開くその凛々しい姿を。

「リズ。」
知らず握り締めていた手に、親友の手が触れた。はっと彼女を見やれば、何も言うなとばかりに頷く姿がそこにあって。

「―― 子の犯す最大の不義理は。」
静かなその声に、リズとマリアベルがに視線を向ける。

「親より先に逝くことです。でも、貴女は今、こうして笑って生きている。リズさん。貴女の亡くなったお母様に悔いることがあるとすれば――それは貴女をそう言った誹謗中傷から守れなかったことではないかと、思います。」
母である他ならぬ彼女にそう言われ、リズはあの日泣いていた理由を思い出した。
聖痕の無いことを嘲笑されたからでは無い――聖痕の無い王女を産んだ、亡母のことを悪しざまに言われて泣いていたのだ。

思い出したらまた涙が溢れてきて、ぐにゃりと視界が滲んだ。心配を掛けるつもりはなかったのに、誰にも話したことの無い不安を言い当てられて少し動揺したのかもしれない。

「…………」
触れていた親友の手を一瞬強く握り締め、嗚咽を堪えながらリズは立ち上がった。横たわるの傍らまで歩み寄り、大きく張り出した腹に頬を寄せる。
時折聞こえる、命の拍動。この子には自分のような思いをして欲しくないし、同じような境遇の親族が欲しいと言う後ろ暗い想いも、少しだけ――ある。ぽこり、と考えを見透かしたようなタイミングでまだ見ぬ赤子の抗議を肌越しに感じた。その元気の良さに苦笑すれば、も同じことを思ったのだろう。宥めるような手付きで、自らの腹を撫でる。

「……男の子かな。女の子かな。」
「どちらでも構いませんよ。元気で、無事に生まれてきてさえくれれば。」
「そだね………」
政の上では男女どちらでもと軽々しく言えない。王家の宿命ではあるが、が母であれば男女どちらでも――例え聖痕が無くとも。この子は大丈夫だろう。生まれる前から親馬鹿ぶりを露呈している、クロムもいることであるし。


!?どうし……リズ!?お前、何やって……」
と、場の空気を盛大にぶち壊す聞きなれた声が響いた。考えるまでも無くその声の主が分かったリズの涙が、あっさりと引っ込む。ついでに身を起こして、そちらをぎろりと睨め付けた。

「うるさい、お兄ちゃん。せっかくさんに、お腹の音聞かせて貰ってたのに……」
「お前が聞いてどうするんだ!俺だってろくに触れさせて貰えんのだぞ!?」
「……クロム様。どこに耳目があるか分かりません故、聖王の威厳を損なうような言動は慎んで頂きたいのですが……」
腹から顔を上げたリズが半眼になって言えば、王の威厳もへったくれもないクロムに傍らのフレデリクがややげんなりと具申した。

「それはお兄ちゃんが四六時中引っ付いてるからじゃん。それでなくてもでかい図体で鬱陶しいのにさ。」
「うっと……実兄に対してそこまで言うか!?」
「実妹だから真実に蓋をせず心を鬼にして言ってあげてんの。感謝して欲しいくらいだよ、全く。」
兄妹の軽いスキンシップは、4:6で妹の方が優勢であった。さもありなん、義姉であるが出産による休養期間に入るまでは彼女の下で外交のいろはをマリアベルと共に学んでいたのだ。元々口の立つことも相まって、既にクロムが太刀打ちできるような相手では無くなってきている。

「まぁまぁ、リズさん。クロムさんも。何も生まれる前から、この子に兄妹仲が良いことを見せつけなくてもいいでしょう?」
やんわりと入った仲裁にはぁい、とリズが口を尖らせながらも頷き一歩分彼女から身を話した。途端に露わになった彼女の面を見て、フレデリクが驚いたように声を上げた。

「リズ様!?ど、どうかなさったのですか!?」
「へ?何、どうかって……」
慌てて駆け寄ってきたフレデリクが伸ばした指の先、明らかに泣いたと分かる跡が頬に残っていた。しまった、と思うも顔には出さず(ここら辺が勉強の成果だろう)照れたようにてへへと笑う。

さんの、お腹の音聞いてたら。何だか自然に涙が出てきちゃって……何だろう。凄いな、って思ったの。」
「そうでしたか……」
よかったと胸を撫で下ろすフレデリクの姿に、思う所があったのかそれまで沈黙を守ってきたマリアベルが口を開いた。

「第一、私やさんがリズを泣かせると思っていらっしゃいますの?どこぞの朴念仁様ではあるまいし。」
「いえ……そ、そのようなことは……」
過去の実例があるだけ、そう言われてしまうとフレデリクには分が悪い。無論分かっての嫌味である。親友の初恋が成就したこと自体は喜ばしいが、そこに至るまでの道のりを知るマリアベルからすれば嫌味の一つ二つ言わねば気が済まないのだ。
それはもじゅーっぶん分かっていることなので、彼女を軽く窘めるだけで済ませてしまうのが結託した女性の恐ろしさだろう。


「もー!クロムさん!フレデリクさん!!」
妹の嫌味もなんのその、身重の妻の傍らへ一目散に足を運んだ聖王代理やその守役の名を憤慨した幼い声が呼んだ。
今度は誰だと回廊の方を見れば、なにやら大荷物を抱えた小柄な姿が。

「リヒトさん!」
マリアベルが嬉しそうにその名を呼び、すぐさま駈け出して行く。淑女の嗜みなど、恋をする乙女の前では何の重きも持たないのである。

「どうなさいましたの、こんな大荷物……」
「もー聞いてよ、マリアベル!クロムさんが執務に飽きたって、ゴネにゴネて。見かねたフレデリクさんが休憩を言い出したら、一目散に部屋を飛び出して行くだろ。フレデリクさんが慌てて後を追ったけど、一切合財を置いて行っちゃうんだもん。僕が運ぶしかなかったんだ。」
最年少の少年の苦情を聞いた女性陣が各々の伴侶や恋人に視線を移せば、さっとばつの悪い様に逸らされる。盛大に漏れた溜息にも、完全に聞こえぬふりで通すつもりのようだった。

「全く……どちらが子供か分からないじゃないですか。」
「仕方ないだろう。早く会いたかったんだ。」
妻の諫言に対して夫は惚気で対応する。ここ数ヶ月イーリス宮廷内で見かけられる攻防戦である。この場合大抵後者に軍配が上がり、今回もその例に漏れず顔を真っ赤にさせたがもう!とクロムの胸を軽く叩くという形で勝敗が決してしまった。

「あっちは放っといて……リヒト、それなに?」
「あー……えーと。」
言葉を濁すリヒトがちらとフレデリクを見、その腕に抱えた荷物を差し出す。

「流石に渡すのは僕には無理です。」
「勿論です。ありがとうございます、リヒトさん。」
受け取ったのは白い大判の紙に包まれた、何か。
何だ何だとその包みの中身を知らない数名の視線がフレデリクに集中し、知っている数名がにやにやと笑みを零す。
だがその視線の一切は当の本人には全く届いておらず、包みを大事そうに抱え目を丸くしているリズの前に進み出た。

「リズ様。」
「え?は、はひ!?」
咄嗟に漏れたリズの返事に小さく噴き出す声があり、しかし傍らの妻の肘鉄により慌ててそれは飲み込まれた。最もフレデリクやリズには周囲の雑音など全く耳に届いておらず、互いにのみに注意が向けられていたのだが。

「……受け取って頂けますか?」
「あ……これって、ジャスミン、の花……?」
跪いたフレデリクの腕から渡された白く大きな包み。――中には、両手一杯に束ねられた小さな白い花があった。

リズが恋に落ちる切っ掛けになった花。あの日手渡されたのと同じ、だが比べものにならない位の存在感を持って手渡されたのだ。

「フレデリク……これ。」
「お好きな花だと聞いておりまして……先日、庭師に頼んでおいたのですが。本日、漸く私の手元へ参りましたので。」
「わ……私に?」
はい、と微笑ながら頷くフレデリクにリズの顔が一気に赤く染まった。視線を腕の中の花束とフレデリクの顔とに行ったり来たりさせ、だが漸く彼の言葉を理解したのだろう。零れんばかりの笑顔を讃え、花束を抱き締めた。

「ありがとう……!凄く嬉しい……!!」
「喜んでいただけて良かった。……やはり、リズ様にはこの花がお似合いになりますね。」
「え?」
フレデリクから告げられた言葉に驚いて目を見開けば、どこか悪戯っぽく微笑む顔と行き当たる。

「もうお忘れになってしまったかもしれませんが……十年程前になりますか、あの日も同じ言葉をお贈りさせて頂きました。」
「わ……忘れてないよ。だって……」
手渡された花と共に添えられたその言葉が、自分の恋の始まりだったのだから。
あの日手渡された、一輪の花。何も知らなかった当時、今は亡き姉に彼から貰ったのだとはにかんで告げれば、彼らしいと微笑んでいた。

流石に本人を目の前にしてそうとは言えず、ジャスミンの花束を抱き締め顔を埋めた。そんな愛らしい姿にフレデリクは何も言わず、ただ微笑んで見守るのみで。

初恋は実らぬと、誰が唱えたか定かでは無いが――その小さな白い花に託された姫君の恋は、さながら芳しく香り立つ花のように。

――もう間もなく開花の時期を迎えるようであった。


                                                                       
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<おまけ>

初々しいやり取りを披露する恋人達の傍らで――

親友の幸せと、相手の朴念仁に対する嫉妬に板挟みになっているマリアベルの両手が、呪いを掛ける魔女のようにうにょうにょと蠢いた。
恋人であるリヒトがそんな彼女を苦笑交じりに宥めているが――果たしてフレデリクの運命や如何に。



<さらにおまけ>

「複雑ですか、お兄様?」
「……いや。あいつなら、リズを任せられるからな……」
否定しながらも顔にしっかりと複雑と書いてある夫を見上げ苦笑したが、置かれたままのカップを手に取った。
少し離れた場所でリズが両腕に抱えているのと同じ花は、芳しい香りで気持ちを和らげてくれる。

クロムもその特徴的な香りに気付いたのだろう、少しばかり驚いた表情を覗かせ唇だけで花の名を尋ね、しかしクスクスと笑うばかりのはそれには答えず、カップを彼に勧めるだけに留まった。

愛する妻からのそんな悪戯めいた勧めに従いカップを受け取った夫は、何を思ったのか芳しい液体を一口含むとこちらを見上げたままの彼女へと顔を伏せた。



芳しき香花の花言葉――

                与えたクロムから与えられたへ「貴方は私のもの」
            与えられたから与えたクロムへ「私は貴方についていく」



                    ――少しばかり乾ついた唇が、表裏の意味を持つ花の香りによって潤されていったのだった。