「……リズさん。」
「なーに?さん。」

それは南の町から王都に向けての野営の最中のこと。クロム達と別行動を取り、薪にと枯枝を拾い沢の水を汲んでいたリズは唐突に名を呼ばれ、振り向いた。

「実は……その、私。黙っていたことがありまして……」
「だ、黙ってたこと?そ、それってさんの秘密とか……?」
真剣なの声音と表情に、自然とリズの表情も硬くなる。

記憶が無いと言う、不思議な女性。風の精霊に愛された正体不明の彼女。その彼女の言う秘密とは――?

「その……今までは、クロムさん達が居らしたので言えなかったんですが……」
「う、うん。」

何だろう、とリズが固唾を飲む。兄やフレデリクには言えない、彼女の秘密。それは……
だが未だに話すことに抵抗があるのか、にしては珍しく模索をしながら言葉を紡ぐ。暫く辛抱強く待っていたリズの前で、漸く決心を固めたのか真剣な表情をしたがリズを捉えた。そして。

「私……ダメなんです。」
「へ?だ、ダメって何が?」
まさか、野営が?はたまたそれとも先ほど兄・クロムが打診した王都行きの件だろうか――?

「ダメなんです!あんな良質の温泉を目の前に指を咥えてるだけなんて!!」

「……は?」
思わずリズが聞き返したのも、無理は無い。冷静沈着、大胆巧妙、脱俗超凡なこの軍師が、今、何と言った?

「この国は水に恵まれているんですね。水脈があちらこちらに走ってる……しかも、この感触からすると……天然の温泉ですよ!」
「え、温泉!?」
驚いたことには驚いたが、今度はその言葉の内容に驚いてしまう。旅の空の下、女性である身にとっては食事や寝床にも難儀することが多いが、一番に挙げるとしたらそれは風呂だろう。

「……近いの?」
「……近いです。」
「……行きたいよね?」
「……行きたいです。」

顔を見合わせて、頷き合う。歳は違えど同じ女性。考えることなど同じなわけで――



「……遅いな。」
「左様ですね。」




とある軍師の温泉学(バルネロジー)


ホホーとどこかでフクロウが鳴いているのを聞きながら、クロムとフレデリクはぽつりと呟いたのだった。