石造りの冷たい壁。
隙間を抜ける風を防ぐ用途の豪奢な手織り布は、実はその為だけにあるものでは無かった。
件の石壁にそれがいつ出来たのか――故意に又は偶然にできたものなのか。
それすら彼女は知らなかったが、きっと歴代のこの部屋の主達にとってもどうでもよいことだったのだろう。

大切なのはそこが彼女が、そして彼らが。他ならぬ彼ら自身で居る為に必要な――秘密の洞だという事実だけで。

肌寒くなった部屋を暖める為の暖炉の前、その炎の照り返しを受けながら彼女は一冊の古びた手記を手にしていた。
幾代、幾人もの手を経て摩り切れたそれは、最早手記と呼べる程の形さえ保っていない。だが受け継がれるべくして受け継がれてきた、先人達の遺産であった。

ボロボロになったページを、ほっそりとした指が慎重に捲っていく。当たりをつけていた場所に至ると、彼女はそれを卓の上に広げた。灯りを寄せ、記述されている箇所を照らす。

『……卑小なる人間よ、愚かなる我が同胞よ。今一度眠りにつこうとも、我は必ず甦る。その時、汝らの信じた絆とやらの儚さを知れ。姿形が変わろうと、我は我。この世に絶望と怨嗟がある限り、幾度たりとて甦えらん……!』
所々掠れた文章を指と目で追い、描かれた紋様に行き着く。ここも劣化を免れてはいなかったが、六対の目に蔦が絡みついたようなその特徴的な絵柄を彼女はごく最近目にしていた故欠けた箇所の想像は実に容易だった。

暫し、目を閉じ唇を噛み締める。握り込んだ拳が、脆くなった手記を巻き込んだが彼女にそれを気にする様子は無かった。

「……愚か、と貴女は言うでしょうね……」
いや、それどころか裏切りと言われても仕方が無い。これから自分が為そうとしている行為は。
決意を孕んだ色を讃えた双眸が開かれ、その脳裏にこの場にいない生まれて初めて得た友の顔を映し出す。

「……ごめんなさい。弱い私をどうか許して。」
一つ呟くと、彼女は躊躇い無く掌中の手記を暖炉の中へと放り込んだ。瞬く間に炎は古い羊皮紙に燃え移り、中に記された伝承ごと全てを飲み込んで行く。

誰に向けての謝罪なのか、それは彼女自身にも分からなかったけれど。
最後の一片が炭化するのを見届けて、彼女は漸く肩の力を抜いたのだった。



永きに渡って受け継がれてきた伝承の消失を。
今はまだ、そして永遠に。知る者はいないのであった。


愚者の独白、或いは