「…………そう言えば」
フラヴィアが彼女を見つけたのは、客室を後にして程無くしてからだった。
彼女もフラヴィアを待っていた節があり、驚いた様子は無い。
廊下の壁に背を預け、俯いたまま言葉を紡ぐ。
「どうやって、中に入られたんです?フレデリクさんが扉を蹴破られるまで、密室だったはずなんですが」
合鍵を使ったという選択肢も無い。切羽詰まった状況で、開けて閉めての手順を律儀に倣ったとは考え難い。
「元々自室の露台に居たんだよ。そしたら、割り当てた筈の無い場所から居る筈の無い人物の悲鳴が聞こえるじゃないか」
「……つまり、露台伝いにこられたんですね」
厳密に言わずとも密室では無かったわけか、と納得する。風の精霊の力を借りる、と言う思考に至らなかったのは一重にがまだまだ未熟だからだろう。
「そーゆーことさね」
「……原因たる私が言うのもあれですが、あまり危険なことはなさらないで下さい。……確かに実権移譲が武闘大会で決まるにせよ、王が一人しか居なければ選びようが無いんですから」
「分かってるよ」
いくら武勇のお国柄とは言え、決して一枚岩では――最もフェリアの場合、わざと国を二分し、必ずと言っていいほど組織に生じる軋轢に方向性を持たせているのだろうが。そもそも一枚岩な組織など存在するはずもなく、それならばと逆手に取ったのが建国の祖の狙いだったのかもしれない。
「そんなことより」
「……お気遣いはありがたいのですが。どうか、何も仰らないで下さい。クロムさんの判断は正しいのですし、私自身もそう、考えていましたから」
「……結論が同じだからと言って、そこに至る道筋が同じだとは限らないだろう。あたしから言わせりゃ、あんたの気持ちを踏みにじったのと同じことをしたんだ。一発、ぶん殴らなかっただけ良しとしとくれよ」
耳目さえ――相手が相手でなければ、また自身に止められなければ、拳くらいお見舞いしてただろう。
「……いいんです。それが私達の正しい距離で、関係ですから。ただ、そうと簡単に割り切るには、私は、少々虚過ぎるので……」
向けられていた、無償の信頼や暖かさを。仕方無いと過去のものにするには、少々時間が短すぎる。いつか、どこか遠い空の下、何物にも代え難い大切な思い出だと一人振り返るには――温かいものを知りすぎてしまった。
「クロム王子には宣戦布告してきたが、あたしはあの話を引っ込めるつもりは無いよ。逃した魚がどれだけ大きかったのか、後悔させてやる」
「また物騒なことを……ですが、お気持ちは嬉しいです。身元の不確かな私にしてみれば、破格の待遇ですが……」
「この上、イーリスに義理立てするのかい?」
フラヴィアが眉でも顰めたのだろう。隠しもしない不機嫌な空気に、は口の端に自嘲の笑みを刷いた。
「まさか。元々、私が此処に居るのもイーリスという国の為では無く、友の為です。そして、僅かの間とは言え、私に居場所を与えてくれた彼の人の。……そうでは無くて、柄じゃ無いんですよ。宮仕えなんて」
イーリスとは気質が異なるとは言え、フェリアも王に仕えると言う点では大差無かろう。元来風来坊体質(根拠は無いが、恐らく間違いは無い)の自分が、果たして宮仕えなどできるだろうか。
「そうかい?あたしにはどこぞの国の王子より余程、貴族めいて見えたけどね」
「一瞬だけでしたらね。でも、長時間続けていたら絶体ボロが出てますよ」
謙遜故かはそう言うが、フラヴィア自身は決して彼女が自分で言うような身分卑しい者だとは思っていなかった。例え出自が市井だとしても、かなり高度な教育と礼儀作法を叩き込まれている。記憶が無いと言う事実を差し引いても、十分に宮廷で生き残って行けるだろう。
「ふん。そんなもん、習うより慣れろさ。問題無い、このあたしが保証するよ」
鼻を鳴らして言い切ったフラヴィアの耳が、クスリと小さく笑う声を拾った。見れば、が顔を僅かに歪めていて。
「……仕官の件は保留させて下さい。お受けするにしても、いくつか条件がありますから。それより先ずは、目の前の闘いと目に見えない戦いをどう制するかの方が大切ですしね」
その見ているこちらが切なくなるような微笑にあぁ本当に、とフラヴィアは唇を噛み締めた。やはり拳の一発や二発、お見舞いしてやるべきだった、と。
「――飲むよ!」
身体を小刻みに震わせていたフラヴィアは何を思ったのか開口一声、そう叫ぶとの肩をがっちり掴んだ。思わずは?と聞き返した彼女の疑問に答えることは無く、掴んだ肩ごとその身体を引き摺り始める。
「ちょ、ちょっちょっとフラヴィア様!?」
「エリダ!スピリットの三十年ものがあっただろ!風呂に居るから、適当なツマミと一緒に持ってきな!」
生憎とスピリットが何なのかは知らないが、フラヴィアの前後の言動でそれが酒精に属するものなのは伺い知れた。を引き摺るまま、歩みを止めない王の前にすらりとした身体つきの女官が音も無く姿を現す。
「如何なさいましたの?フラヴィア様。その銘柄は確か武闘大会後の祝杯用にと取り置かれていた御酒ではございませんでしたか?」
「いーんだよ!こんな時に飲まないでいつ飲むって言うのさ!」
引き摺るフラヴィアと引き摺られるを見、有能な侍女は何かを考える仕草をししかし即座に是と頷いた。侍女の鑑たる彼女にそれ以上の説明は不要、頷きと共に残された優雅な一礼がそうと物語っていた。
僅かに腫れているの目元を見て、何かを察したのかもしれない。
「………
「何馬鹿なこと言ってるんだいこの女は。ま、他ならぬあんたにそう思って貰えたなら女冥利に尽きるってもんだね」
呵々と笑うフラヴィアにつられるようにして、の顔にも漸く笑みらしきものが浮かぶ。
まだ何かを堪えるような色を含んではいただろうけれど、きっと大丈夫。明日にはまた笑えるようになっているから。
連れ立って歩く二人の姿は、仲の良い姉妹に見えなくもなかったと――後にとある女官の口より語られている。
策略時々信愛