「野郎……っ!」
リズの叫びと共に飛び込んできた光景に、フラヴィアは勿論のこと西王もその傍らにいた青年や自警団の面々が席を蹴った。
クロム達目掛けて飛来する矢の影を捉えたのは、ほぼ一瞬。何が起こったのかを理解する前に暗灰色のマントが彼らを庇うように広がったかと思うと、それを纏っていた小柄な影が立ち塞がったのだ。

さんっ……!」
この場で誰よりも風の精霊に愛されている娘が、この事態を座して見ている筈がない。リズの兄を見舞った災禍を危なげなく防いだ彼女は、二言三言彼らと言葉を交わすと参じたフレデリクにも何かを命じる。それと同時に闘技場内に居る自警団の面々が動き出し、が一つ頷くのが遠目にも見えた。

「!?」
手出しのできない場所に居る一同がクロムとマルスの安全を確認した途端、の姿が掻き消えた。どこに、と周囲を見渡すフラヴィアの問いにあっち!と対岸を指し示す声が上がる。

「いつの間に……!?」
その声に従った彼らの視界が捉えたのは、が暗殺者の頭上から落下して行く瞬間だった。狙い違わず踵落としを炸裂させたは、昏倒した暗殺者を躊躇うことなく踏ん縛り始める。
遠目で確かなことは言えないが、ご丁寧に猿轡まで噛ませ一切の抵抗を封じてしまったようだった。

そしてここで漸く何が起こったのかを、聴衆が理解した。途端に走る動揺と猜疑に、フラヴィアも西王もまずいと顔を顰める。賊の正体が何にせよ、この状況で最も疑わしいのは西フェリア陣営だろう。
フラヴィアも西王自身もそんなフェリアの利にならな無いことなど、陽が西から昇ってもするはずがない。
だがそこまでの事情を知らぬ聴衆にそんな理屈は通用しないし、加えてこの闘いは東西両国民が入り雑じった状態で観戦しているのだ。何かの些細な不審や弾みが、暴動へと発展しかねない。
押さえねば、と反射的にフラヴィアが息を吸い込んだ次の瞬間。

「――静まれ!」
凛とした若い娘の声が辺りに響き、聴衆の意識を攫う。
声の主は未だ暗殺者を足蹴にしたままのだ。何らかの手段を講じているのだろう、対岸に居るフラヴィア達の耳にもその声ははっきりと届く。

朗々とした声によって言葉が紡がれて行くにつれ、観衆の間に広がっていた負の感情が払拭されていくのをフラヴィアは肌で感じた。
それだけでは無い。によって紡がれる言葉、その一つ一つに込められた意志の強さと絶対的な自負にそうと分かっている自分でさえ気持ちの昂ぶりが禁じ得ないのだ。

一戦終えたばかりの興奮冷めやらぬ美しく若い娘、その口から讃えられる祖国の栄――無知でありながら無辜では無い観衆の感情を思うさまに操るなど、にとっては赤子の手を捻るより簡単なことだろう。

「……おいおい。軍師って触れ込みじゃなかったか?煽動者(アジテーター)がいるなんて聞いてねぇぞ」
振り上げられた声と拳に場内の熱気が最高潮に達し、絶叫に近い声がそこかしこから上がっている。それに負けじと西王がぼやき、うるさいねと応じつつもフラヴィアも内心全くの同感だった。

「……こいつは考えてたより、よっぽど大物だったらしいね。返す返す女にしとくのが惜しいくらいだよ」
女だからと言って大成しないとは言わないが、力がものを言うこんな時代。男女の性差から生まれるハンデは免れられないだろう。そんな時こそ出自がものを言うのだが、にはそれが無い。最も考えように因っては、無いことが最大の武器ともなり得るので悲観するばかりでは無いのだが。

「ますます気に入った。こりゃ、何が何でもウチに来てもらわなきゃね」
フラヴィアの独り言にぎょっとさせられたのは、リズを筆頭としたイーリス勢である。実はフラヴィアはその人材収集癖に於いても一家言あると実に有名なのだ。

クロムが拾ってきた身元不明の人物とは言え、もう既にがこの自警団に――ひいてはイーリスに――とって、得難い人物であることは周知の事実。後から来たフェリアなんぞに掠め取られてしまっては堪らない。

「……お言葉ですが、フラヴィア様。さ……は当自警団の軍師ですので」
「だが、イーリスの生まれでも何でもない流浪の身なんだろ?本人からそう聞いてるよ」
あんの馬鹿!と全員が全員、揃って胸中で悪態を吐く。

「良い人材はより良い環境に居てこそ、その才能を十二分に発揮できるってもんだ。そうは思わないかい?」
「……それは、仮に彼女がイーリス人であっても勧誘の対象になると言うことでしょうか。」
「そういう事さね。幸か不幸かあいつは独身だ。となれば半永久的にフェリア(うち)に居て貰う手段が無いわけでも無いしねぇ。」
にやりと笑うフラヴィアの言いたいことを悟ったリズが、思いっきり顔を顰める。他でも無い、昨夜の愚兄による愚行に即座に思い当った故である。

「若くて美人、おまけに強いと三拍子揃ってるんだ。まず男の方で放っておかないさ。ああ、安心おし。もちろん、あたしの目に適ったヤツしか紹介しない。フェリアにもいい男は五万といるからねぇ。ま、最終的に決めるのは自身だが何もイーリスに拘るこたぁ無いってのは、言わせてもらうさ。……ん?」
全く以っての正論に、リズがぐぬぬと唇を噛み締めた。それだったらイーリスとて条件は同じだと言いたいが、昨夜の兄の愚行を知られているだけ分が悪い。そんなリズを尻目に呵呵と笑っていたフラヴィアが、不意に口を噤んだ。
何事かと彼女の方を見遣れば、人ならざる小さなもの達がフラヴィアの耳元に何かを囁いているところで。

「……ご指名が入ったみたいなんで、あたしは先に行かせてもらう。後、頼んだよ」
誰の、とは言わずもがなだろう。たった一言でリズ達の身柄を西王に押しつけたフラヴィアは、にやりと笑みを一つ零すと思い切りよく床を蹴った。並の男など遥かに凌ぐ長身痩躯が綺麗な半円を描いて、闘技場へと下りて行く。咄嗟に自国の王の暴挙を止めようとした衛士達がその名を一斉に叫ぶが、当の本人は全く意に介さず既に闘技場の人となっていた。

「その挑戦、受けて立ってやろうじゃないの……っ!!」
拳を握りしめて凶暴に唸ったリズに、当然のことながら声を掛けられる猛者は存在しなかったのである。


 道化舞台のその裏で