ホワイトデー・アソート〜紫原敦の場合〜
世の中に、贈られて困るものは多々あれど。
「ち〜ん。ハッピーホワイトデー」
贈られて不思議に思うものは、割りと少ない。
遠き北の地、秋田であっても時間は平等に流れる。それ故バレンタインデーの一ヶ月後にはホワイトデーが来るのだが、その当日たる今日、目の前に山と積まれた食材は何だろう?
「アツシ……この食材の山は一体何だい?」
紫原と一緒に居た一年先輩の、氷室タツヤでさえそう思うのだからやはり自分の疑問は間違い無いのだろう。
は2m超えの同級生、兼彼氏を見上げ(彼女の身長は150cm前後。大変首の疲れる高低差である)とりあえず、と口を開いた。
「うん。ありがとう?」
「どういたしまして〜」
語尾が少しばかり疑問に満ちたものだったが、それくらいは見逃して欲しい。何しろ自分の目の前に積まれたのは食材――読んで字の如し、調理する前の小麦粉やら卵やら砂糖やら……早い話が製菓の材料が所狭しと並べられているのだ。
「だからーホワイトデーのプレゼントだよ〜室ちんだって、ちんから貰ってたじゃん。」
「うん、確かに貰ったし……僕も、にはお返ししたけどね?」
「あの。ありがとうございました、氷室先輩。頂いたアロマオイル、早速使わせていただきますね。」
「喜んで貰えて良かった。女の子に何を上げて良いのか、自信無かったんだけど。」
と、本人はそうのたまうが、バスケ部随一のイケメンはお返しのチョイス一つとってもソツが無い。義理であれば消えモノが贈る側にも贈られる側にとってもベストなのは承知していたが、料理の得意な女の子に食べ物系はNG。かと言って後々まで処分に困るようなものもNG、ならば消えモノで同年代の女の子が好みそうな化粧品の類は如何か、と考えたもののただ金をかければ良いと言うものではない最も難しい部類の贈呈品だ。
センスから好みから、恐ろしく多岐に渡るかつ抜け目の無い人物(恐らく本人以外は揃って頷くであろうが)でなければ選べまい。
「じゃ、なくて。」
可愛い後輩に向けていた笑顔を戻し、このトンデモプレゼントをしたもう一人の可愛い(?)後輩に疑問をぶつける。中味も去ることながら氷室が問題視したのはその量だ。いくら巨躯を誇る陽泉の中でも随一の体格だとは言え、これだけの量を揃えるには大変な労力を伴っただろうに。
「おお!?何じゃあこれは?」
「すげー量。何、また何か作るんか?」
「それだったらあのクッキーがいいアルな。アーモンドがザクザク入った食感が旨かったアルよ。」
どやどやと現れたのは、岡村、福井、劉だ。いや、ここはバスケ部の部室であるので例え引退していてもおかしくは無いのだが。
「そうですか?じゃあ、明日にでも、作って持ってきますね劉先輩。」
嬉しそうにほんわかと笑むに、思わず癒される……と福井がその頭を撫でてしまった。
元々が美少女と言って差し支えない低身長の少女に、こうやって何の衒いも無く微笑まれてしまうと無意識に頭を撫でてしまうのは男の性か。
「ダメダメちん〜これは俺が上げたやつだから、全部俺の〜」
と、その手をグローブのような手が容赦無く払う。無論、福井は痛ぇ!と飛び上がるはめになったが。
「アツシ……全部って……」
「、本当なんか?」
「うん、お兄ちゃん。敦君から貰ったのは本当。」
と、身長はおろか顔も全く似ていない兄妹が顔を見合わせる。
陽泉バスケットボール部では最早見慣れた光景ではあったが、見る度に遺伝子の不思議と言うか突然変異万歳と叫ばずにはいられない。
片や中年真っ青の親父顔の兄と、片や正統派美少女と呼んで差し支えない妹。正に美少女と野獣、その驚愕の事実を知った者はまず、硬直する。そしてそれが溶けるや否や、二人の顔を交互に見遣ってそれから盛大な悲鳴を上げるのだ。陽泉が秋田のやや郊外にあって良かったと、誰もが頷く程度には。
「つーか、紫原。何で、ホワイトデーに製菓材料なんだよ。普通、完成品上げんだろ。」
「えー?だって、ちんが作ってくれたお菓子の方がうまいし。」
「そうじゃなくて……それだったら、アツシが作ってあげるべきなんじゃないかい?」
「だって俺、お菓子なんか作れねーし。食べる専門。」
「岡村妹、付き合いを考えた方がいいアルよ。」
「どさくさに紛れてちんに変な事言わないでくれる?捻りつぶすよ?」
上級生’sから常識を諭されても何のその。巨漢の幼児は腕の中に閉じ込めたミニマムな彼女を守るように、低く威嚇する。その姿におっきい猫みたいだなぁ、とのほほんとした思考で頭を一杯にしていた当事者はてしてしとそれこそ子猫のような仕草で解放を促した。
「えと、つまり。お菓子の材料をくれたのは、思う存分作っていいよってことかな?」
「そゆこと〜ちん、頭いー」
「よ……お前よく分かるの、コイツの考えてることが。」
「うーん。何となく?」
へにょ、と首を傾げる妹の頭を、わしわしと兄のゴツイ手が撫でる。無論、それも焼きもちやきの彼氏の手によって叩き落とされてしまったが。
「それにしても凄い量だね。、どれだけ作れるんだろう?」
「うーん。分かりませんけど……とりあえず、足の早いものから順次使っていきます。」
「ちん、シュークリーム〜シュークリームが食べたい〜」
「うん?ん、分かった。じゃあ、劉先輩のクッキーと一緒に作るね。」
「ええ〜これ、あげたの俺だし。だからそのクッキーも俺の〜」
「アツシ……」
食い意地が張ったどころでは済まない発言に、氷室が頭を抱える。いくら紫原の胃袋がブラックホールに近いとは言え、幾らなんでもこの量から作られた菓子類を全部一人で食べるのは行き過ぎだ。
「駄目だよ、敦君。勿論敦君の分も作るけど、幾らなんでも全部は食べすぎ。それに、」
「それに〜?」
「お菓子は皆で食べた方が美味しいよ。だから独り占めはだーめ。」
「ぶぅ。ちんのいけず。」
ぶぅってなんだぶぅって、とバスケ部総ツッコミが入るがこのきかん気我儘一年ボーズがそれだけで済ますことがまずありえない。ぶっちゃけ奇跡の類だ。
だからこそバスケ部でも無い彼女が度々召喚(拉致とも言う。荷物のように抱えられてあらゆる場所から連行される姿は、ここ一年ですっかり学校名物となった)されるのだが。岡村、又の名を対紫原敦
「とりあえずこの食材、このままにしとくのマズくねーか?監督に見つかったらことだぞ。」
「そうじゃの。今日はもう練習も無いし、手分けして寮まで持ってくか。」
「そう言えば紫原、これどうやって持ち込んだアルか?」
至極最もな劉の質問に、全員の視線が紫原に集中する。だが流石と言うか、至って彼はマイペース。ポテトチップスの袋を漁りながら口を開いた。
「ん〜?暇そうにしてる奴らに持たせた。」
「……もしかして部員使ったアルか。」
「うん。そうー」
使えるものは先輩でも使うが紫原敦の通常仕様である。どうりでやけに今日は人数が少なかった(そしてそのせいで監督の機嫌が非常に悪かった)筈だ。巻き込まれた部員達の未来を憐れんだ氷室が、こっそりに耳打ちする。
「、悪いんだけど。他の部員の分も作ってやってくれないかな。」
「はい、氷室先輩。あの……荒木監督の分も作りますから、できたら持って行ってもいいでしょうか。その、できれば練習が始まる前に……」
「うん、そうしてくれると助かるよ……」
主に部員達の命の為に。
言葉を濁した本音と何とも心配りのできる後輩に、氷室は正直涙が出そうだった。彼女が別の部のホープでさえ無かったら、手段を選ばず部に勧誘したい程度には。
「ダメダメそこまで〜いくら室ちんでも、ちん口説くの禁止〜」
「私、口説かれてないよ、敦君。それに氷室先輩には年上の綺麗な彼女さん、居るよ?」
「「「な に ぃ っ!?」」」
紫原の間違いを訂正しただけのつもりのだったが、それを耳聡く聞きつけたのは先行く万年彼女募集中の男子高校生達だ。100mは離れていたはずなのに、一体どーゆー耳してんだ。哀しきかな、男子高校生。
その彼らが初めて聞いた衝撃的事実に、めいめい抱えた荷物の重さなどものともせず後輩・並びに同輩に詰め寄った。
「どーゆーことじゃぁ氷室ォ!?とっ、とと年上ちゅーことはアレか三年か!?」
「てめぇいつの間に!?一体どこの誰だ!?名前年齢スリーサイズ、さあ吐けほら吐けとっとと吐け!!」
「だからバレンタインデーもホワイトデーも悉く断ってたアルか!?もったいないを通り越して、殺意すら沸いた数だったアルよ!?」
「Oh dear…backfired……」(しまった、ヤブヘビ……)
後輩への苦言がいつの間にかバスケ部一のイケメンへの追及に切り替わり、並んで歩く身長差カップルはその彼らに取り残されながらも仲良く並んでその後を追う。
「ちん、室ちんの彼女のこと知ってたんだ〜?それって金髪の外国人?」
「うぅん。黒髪の日本人のお姉さん。会ったこともあるよ。」
「ふ〜ん。じゃあ、今度室ちん達とダブルデートしよ。すっげー気になる。」
「私は良いけど、氷室先輩嫌がるんじゃないかなぁ。たまにしか会えないみたいだし。」
「ちんはいいの?」
普通、女の子は嫌がるものじゃないのだろうか。自分で言い出しておいて何だけど。
「ん?私は良いよ。だって、誰と居たって。私の一番は敦君だもん。」
「……ちんて、時々ましょーだよね……」
さらりと言ってのけた小さな小さな彼女に対し、それだけでも言えた自分を褒めて欲しい。にこにこと嬉しそうな彼女に絶対勝てないと思い知らされるのは、こんな時だ。
自分にとっての一番もだと、そう伝わればいいと思いながら彼女の抱える荷物を取り上げた。多分赤くなっている顔を上目遣いの視線から隠す意味もあったけど。
きっと子猫みたいに目を丸くして、それから綺麗に笑うんだろうなぁなどとそれが見られないことをちょっとだけ残念に思いながら。
じゃれ合いながら先を行く先輩達を、足並み揃えて追いかけたのだった。