幼子の憧憬

 
「アホですか。」
腰に両手を当てた格好で、彼女は開口一番そう尋ね、

「……すまん。」
臥せった寝台の上で、彼は首を竦めたのだった。



此処が何処かと問われれば、イーリス聖王国王城内、現王弟クロムの私室であると彼は答えただろう。そしてその部屋の主であるはずの自分は、主であるにも関わらず非常に肩身の狭い思いをしている、とも。

「いえいえ私は別に構いませんよ例え脱走されたどこかの誰かさんの代理で出席していた打ち合わせの最中に血相を変えた偉丈夫に人目も憚らず拉致されてもその拉致された理由がそのどこぞの誰かさんがこのくそ寒い時季に何を罷り間違ったのか悪友と二人して橋ごと川に転落して風邪を引いたから看病して欲しいと駄々を捏ねたからだとしても。」
「ワンブレスで言い切ったなお前……」
弱々しい抗議に対し、返ってきたのは短く乱暴な鼻哂だった。最もどちらに理があるかと問われれば、間違いなく彼女だと十人が十人答えるだろうが。

「全く……」
とは言え、病人に対して強くも出られないと思ったのも本音ではある。は一つ溜め息を落とすと、刺々しい気配を引っ込めて寝台の傍らに歩み寄った。

「……それで、具合は如何なんです?フレデリクさんの話に因りますと、今にも死にそうだとのことだったのですが。」
「……どうしてあいつはそう……いや、確かに熱もあるし怠いしくしゃみや鼻水は止まらんが、そんなに重症じゃないぞ。」
「私から見れば、十分重篤だと思うんですけど。……どれ。」
「!?」
ひょい、と身体を屈めたがクロムの前髪を軽く払い、露になった額に自らの額をくっ付けた。吐息が交じるまでに縮まった距離に、他意は無いと分かっていても息を飲む。

「……まだ、少し熱っぽいですね。」
自然と閉じていた瞼を開いたがそう呟けば、じっと見つめる視線と出会う。それにふ、と苦笑を零すと、それに顔もこんなに赤い、と耳元で囁く。

「……。」
分かってやっている恋人に多少の非難が混じった視線を送れば、心配させた罰ですよと返されて。

「真冬では無いとは言え、水温は心臓を止めるには十分な冷たさなんです。フレデリクさんから貴方が川に落ちたと聞かされた時、私、生きた心地がしなかったんですよ?」
「……すまん。」
言い訳も無い失態だったので素直に謝れば、無事で良かったと再び額が合わさった。今度は瞼は閉じられず、視線と吐息が交じり合う。

「ともかく、大事に至ら無くて良かったです。自警団の方はソールさんにお任せしておきましたし、宮廷内のことはリズさんとフレデリクさんに。クロムさんはとにかく身体を元に戻すことを第一に考えて下さいね。」
「……は。」
「はい?」
「お前は、どうするんだ?」
吐息が交じる距離にも関わらず、聞き損ねたが問い返せば視線を僅かに逸らしながらクロムが尋ねた。僅かに目を見張り、ふ、と表情を緩める。

「私はどこかの我が儘王子様の看病をしようと思っていますが?」
「…………」
我が儘は無いだろう、と思ったクロムだったが余計なことを言って彼女の機嫌を損ねるつもりは無いので大人しく視線を元に戻した。普段は公私混同を良しとしない彼女だが、表情と空気で今は甘やかしてくれるのだと分かる。

「とにかく、今はゆっくり休むのが第一です。……何か欲しいもの、ありますか?」
「……いや。ここに居てくれれば、それで、いい。」
ぽつりと零れた本音には僅かに目を見張ったが、次の瞬間にははい、と微笑んで触れるだけの口付けをクロムの額に落とした。身体を起こして、上掛けを直す。

「……子供扱いせんでくれ。」
「こんな時くらいしか子供扱いしてあげられませんから、たまにはいいんじゃありません?」
照れ隠しの憎まれ口も、彼女にかかればそれこそ子供の駄々程度の抗力でしかない。その証拠には聞かん坊を窘める母のような、優しい表情をしている。

「……寝るぞ。」
「はいはい。」
「……はいは一回。」
「はーい。」
面白くなくて身体ごと顔を逸らしたクロムの耳が、クスクスと零れる小さな笑い声を拾う。布団の中に潜り込もうと上掛けを引っ張った手が、自分のそれより小さなものに押し留められた。

「額、冷やしますから。」
いつの間に準備したのか視線だけを向ければ冷やした手布を持つの姿があった。大人しくその言葉に従い仰向けに体勢を変えれば、間髪入れず手布が額に添えられる。宥めるような心地の手櫛がクロムの紺青の髪を何度も漉き、眠りを誘う。

「……どこにも行きませんから、眠って下さい。」
その言葉を肯定するようには寝台脇の簡素な椅子を引き寄せ、そちらに腰を落ち着けた。掛布の下で動く気配を察したのか、クロムよりほんの少し冷たい手が添えられて。逃がさないとばかりに握り込めば、僅かに屈んだ姿勢のまま彼女も寝台に両肘を落ち着けさせる。

言葉が無くとも、こうしてはクロムの望むことを察してしまう。それに甘えたままではまずいと知りつつも、幼い頃決して十分とは言えずに与えられなかったものを無条件に差し出されてしまって堪えられる者がこの世に果たしてどれ程いるであろうか。
漸く物心がついた頃に母を失い、乳母は無論愛情を注いでクロムを育ててくれたがやはりそれは幼子だった自分が望んだようなものでは無く。特殊な環境下であることはその当時から十分理解していたつもりだったが――やはり別問題だったのだろう。結果から言うのであれば。
加えて程無くして父も失い、けれど十歳も満たずに即位した姉に求められるはずも無い。むしろ姉の盾になり鉾になることを自らに課した幼き日。子供ながらに自らに禁じてから、求めることすら忘れていた。

――そう、に出会うまでは。

叩き上げの腕と頭脳、誇りのみを纏った彼女は彗星の如くクロムの前に現れ、その脆い虚勢を軽々と打ち砕いてしまった。
そして丸裸にされてしまったクロムが、クロムとして居られる場所を与えてくれたのだ。

後ろで守られるでも、前で庇うわけでも、見下ろすでも見上げるでもない。この世界でただ一人、たった一人。
クロムの隣に立ってクロムと同じ場所で生きる――求めて止まない存在を、半身を。自身で求めていながら成り得る可能性を――なって欲しいと願った存在にいざ出会ってしまったら戸惑いを覚えてしまって。
クロムにとって基本女性は守るもので、あくまで理想と自身に言い聞かせていたからなどとは言い訳にしかならないのだが。(自警団の仲間であるソワレやミリエルも無論女性だが、彼女らは既に仲間と言うカテゴリーに入っており団長たる自分が守らなければならないものには違い無いので明確に意識したことが無かった。念のため、彼女達の名誉の為に明言しておく。)
結果、拗れに拗れ、だが最近漸く――目を見て言えるようになってきた。ただ、素直に愛していると。



「……どうかしましたか?」
一向に目を閉じる気配を見せない病人に、訝しげな声がかかる。何でもない、とすぐに首を振ったがどうやら彼女はそうは思わなかったらしい。握った左手はそのままに、はクロムの頬に手を添えた。

「大丈夫ですよ。リズさんの外交センスには目を見張るものががありますし、フレデリクさんも良く補佐してくださってますから。自警団の方も、ソールさんを主体にミリエルさんがヴェイクさんの観察――じゃなかった、看病の傍ら目を配って下さってますか――って、本当にどうしたんです。」
「…………」
何やらじと目で見上げてくるクロムに、は今度こそ怪訝な表情を返す。見当外れもいい彼女のフォローに全快したら、件の人物(リズ除く)らには相応の礼をしなければな、などと物騒なことを考えるはた迷惑な普通の青年。
は知らないだろう――クロム自身さえ知らなかった、狭量で嫉妬深い、彼自身の姿を。

だが、きっと彼女は言ってくれるのだ。そんな彼ですら、愛おしいと。自惚れでは無い、確信と打算に満ちた現実だ。

「……いや。」
何でもない、とクロムは言葉を濁すが、彼は今の自分がどんな表情(かお)をしているのか分かっていないのだろうとは眉を顰めた。
言いたいことが喉まで出掛かっているのに、意地や遠慮でそれに蓋をしている。そんな、表情。
恋人と呼ぶ間柄になって時間は浅いが、傍らに居た時間はそれなりに長い。加えて軍師と言う特殊な役柄である以上、表情など読むのなどお手の物。ましてやそれがクロムであれば良くも悪くも殊更だ。

仕方の無い人だ、と小さな苦笑を零したは身体を伸ばして軽い口付けを一つ、クロムの目の下に落とした。
軽く目を見開く気配が伝わったが、頓着せず次々に口付けを落とす。
右目の下、左頬、蟀谷、右耳、顎先に。啄むような短い口付けであっても彼の機嫌を直すのは十分だった。
甘噛みにも似た最後の感触が肌から離れ、柔らかな身体の纏う深い森の馨りが鼻腔を擽る。端から見ればがクロムを襲っているとも誤解を招きかねない体勢で、暫し互いの視線を絡め合って。

紅唇から僅かに見える、赤い舌が次に触れようと臨む場所を雄弁に語る。

「……風邪、感染るぞ?」
「大丈夫ですよ。自慢じゃありませんが、私、頭が良いので。」
今もスラムの自室で撃沈しているだろう正真正銘のナントカのことを思うと、いまいち信憑性に欠けるようにも思えたが。

「……それも、そうだな。」

大体それを欲しているのは、誰でも無いクロム自身。拒む気も否定するつもりなど元より無く。


自制が効かないのは、身を灼く熱のせいにして。


幼い頃から焦がれてきた温もりに、身を委ねたのだった。



 5000hit 山口 みかん様より 
    クロム×マイユニのいちゃいちゃ話(糖度高め)で

 
 >>とうど、を変換すると真っ先に凍土と出るマイパソコンにちょっと涙が出ました。すいません、大変遅くなりました・・・!そしても一つ、すいません。これが限界です・・・!3ヶ月は確実に保たないことが予想されますので、その前に本編で糖度を発揮できるように頑張ります。流行りのラブソングをエンドレスで流しながら書き上げましたが、どうしてその中に中島み○きのわ○れうたが入るのだよ、自分・・・
書き甲斐(精神的に)のあるリクエストでした。ありがとうございました!

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