ホワイトデー・アソート〜青峰大輝の場合〜


青峰大輝には幼馴染が二人いる。

一人は本当に生まれた頃からの付き合いで、何を罷り間違ったのか(断じて頼んではいないので)小中高と同じ学校、同じバスケチームの桃井さつき。

そしてもう一人は小学校に入学する前、並んで建つ青峰・桃井家の前にある高層マンションに越してきただ。

そして今。青峰はその彼女、の通う高校の前で。

「だから単に知り合い待ってるだけだって言ってるだろ!?」

その高校の守衛に、不審者と間違われていた。


「……何やってんの、大輝。」
「あぁ!?」

揉み合い寸前だった青峰は唐突に名前を呼ばれ、不機嫌なご面相のまま振り向いた。
全く関係の無い女生徒がヒッ!と短く悲鳴を上げる声が聞こえる。

、てめー遅ぇんだよ!どんだけ待ったと思ってやがる!?」
「そういうのは約束している人が言うことよ。第一、いつも時間を守らないあんたみたいなのに言う資格なんか微塵も無いってことまず自覚なさいな。――申し訳ありません、竹内さん。私の知り合いが、何か?」
「ああ、さん。その……本当かね、君の知り合いと言うのは。」
竹内、と言うのは青峰を押さえようとしている警備員の名前だ。彼女はこの学園でも知名度の高い方に入る。無論色々な意味でだが、警備員が彼女を知っていてもおかしくないし彼女が警備員の名前と顔を把握していてもおかしくは無い。

「はい。私の従兄です。実はこの後親族で集まる用事があって……迎えに来てくれたみたいなんですが。」
「従兄?いや、しかし君の……あぁ、そうか。亡くなられた、御父君の。」
「ええ。迎えに来てくれるとは聞いてましたが、学校に来てくれるとは思っていなかったので。申し訳ありません、先に連絡をしておくべきでした。」
「いやいや。君の知り合いなら、問題無いんだよ。すまなかったね。」
「こちらこそ、お手数をかけまして。」
頭を下げるに対し、最初から青峰を不審者と決めつけていた中年の男は言っていいぞと尊大な物言いをし、それまで掴んでいたその太い腕を手離した。無論元々不審者扱いされて頭にきていた青峰が、その物言いに黙っているはずも無く。
しかしざけんな!と叫ぼうとした途端、綺麗に鳩尾へ入った衝撃にその言葉ごと蹲ることになった。


「おっそろしいわ……おーい、兄ちゃん。生きとるかー?」
「ぐ……あっのブス、いつかぜってー犯す……!!」
「おーおーこっちも負けず劣らず物騒やなぁ。おーい、ー兄ちゃん確保したでー」
「あら、ありがとう忍足。相変わらず耳が早いわね。」
「そらもう、こない面白そうなこと。見逃すようなアホちゃうわ。」
「そう。そんな友人思いな貴方に、好奇心は猫をも殺すと言う先人の偉大な言葉を贈ってあげましょう。ところでちょっと大輝。あんたそのでかい図体でいつまで蹲ってんの、通行の邪魔でしょうが。」
「女って理不尽……」
呟いた忍足には目もくれず、は青峰の襟足を掴むとずかずかと校門の中へと足を進める。
初対面ながらその体格の良さに何かのスポーツ選手か、と当たりを付けていた忍足はその体格差をモノともせず力ずくで引き摺って行く同級生と自分の手を見比べ殺される前に逃げればいいか、などと悠長なことを考えてスキップしながらその後を追ったのであった。



「いてっいててっ!いてーって言ってんだろ!?このブス!!」
「痛いのは重畳、つまり神経がきちんと通ってるってことだもの。それから女の三大逆鱗に触れるってことは自ら死刑執行書にサインしてるも同然だから使うのやめなさいって何度言わせれば気が済むのよこのアホ峰。」
「アホ言うな!!」
後半部分をノンブレスで言い切った彼女に送れること数分。忍足が自分が所属する部活の扉を開けた際に飛び込んできた光景に、そっとそれを閉めようとしたのは無理のないことだと分かって欲しい。


「丁度良かった。忍足、そこの棚のコルプレ取って。」
「いってーーー!!いてぇっての!!」
「あーーー了解。」
が、しかし。この氷帝の魔女の異名を取る彼女相手にそんな企みなど通用するはずも無く。

触らぬに祟りなし、とは誰の言であったか。きっと恐らく宍戸辺りだろう。力無く恭順の意を示す忍足も相当だったが、あの氷帝の貧乏籤も負けず劣らずこの服を着た理不尽に振り回されていたように記憶しているので。

「全く、掴まれてたところが痣になってるじゃない……」
「俺が悪ぃのかよそれ。」
「あんたが言葉を惜しまず話していれば、こんなことにはならなかったと言っているのよ。ただでさえガタイが良くて目つきが悪い悪人面なんだから、せめて自身の身の潔白を証明するくらいの語彙能力は持ち合わせなさいよね。」
「……おーい、ー兄ちゃんへこんでるでー?」
「事実は直視すべきでしょ。」
一を言えば十が返る、元々この幼馴染に青峰が勝てた試は無いのだ。力尽きたとばかりに座らせられた趣味の悪いソファの上でぐったりする青峰を同性の誼で忍足がフォローする。最もそれすら切って捨てられてしまったが。

「……これでよし。大輝、他に痛む場所は?」
「あ?心がいてーよ。」
「そう、じゃ問題無いわね。」
腕の痣を冷やして応急処置をしたが、スプレーを持ったまま立ち上がる。勝手知ったるとばかりに元の位置に戻す彼女の背中に、傍観に徹していた忍足がで?と声を掛けた。

「で?って?」
「いや、そのまんまやけど。ほんま従兄なん?その兄ちゃん?」
「全く信じていない表情で、何でわざわざ訪ねるのかしらね。あんたは。」
「いやそれやったら、選択肢一つしか無いやん。そうなったら色々おもろ……いや、大変やなぁと。」
「本音が駄々漏れてるわよ。」
溜息交じりに呟くも、実は自身大したことだとは思っていない。

「幼馴染よ。従兄はあんたも知っての通り、今の所一人ね。従姉妹は山ほどいるけど。」
「ほー幼馴染。ええの?」
「嘘も方便。景吾には後で連絡入れとくわ。」
今し方が無断使用した備品を持つ部活の部長でもあり、本物の従兄である跡部景吾の名を出せばさよか、とチームメイトである忍足も頷くしかないわけで。

「おい。」
「何よ。そう言えば、あんた何しに来たの。最近はサボらず部活に出るようになったって、さつきが言ってたのに。」
「今日はその部活自体が休みなんだよ。つか、さつきといつ会ったんだ。」
「世の中にはメールと言う非常に便利な道具があるのよ青峰大輝君。それからそこで目を三日月にしてニヤニヤしてる、キモエセ丸眼鏡(おしたりゆうし)。さつきは同じ幼馴染で、あんたが期待してるようなややこしい関係じゃありません。あの子には現在猛アタック中の超おっとこまえな彼氏(予定)がいますので。」
「男前……ってテツがか?」
「あら、男前じゃない黒子君。私が惚れ惚れするくらいには。」
「……ほんま男前やなぁ……」
ハートが痛い、とわざとらしく壁に懐く男を一瞥しそれでとは続ける。

「……話があんだよ。」
「そう。それなら家で待ってればよかったのに。」
「家!?」
「あーもう、横から一々茶々入れないでよ忍足。話が進まないじゃない。私の家の真向かいが、大輝とさつきの家なのよ。捕まえるのに家に戻ってからでも遅くないって言ってるの。」
「なんやつまらん……」
「何を期待してるんだか。」
だが、話が遅々として進まないと思ったことに変わりは無いのだろう。は置いていた鞄を取り上げると、未だソファにふんぞり返っている幼馴染の肩に手を置いた。

「とりあえず帰りましょう。ついでに夕飯食べてけば?」
「肉。」
「はいはい。帰りにスーパー寄ってね。」
「米とか重いモンは持たねーぞ。」
「あんたそれ以外に自分が何かの役に立つと思ってんの?」
「…………」
青峰と忍足は同時に思う。女は大抵理不尽な生き物だが、こいつはそれに輪を掛けて理不尽だと。

忍足はすごすごと巨体を起こす青峰とやらに同情の視線を投げかけて、だがまぁ思っているより仲は悪くも無いのだろうと邪推する。特に明日以降、面白いことになっていそうだとも。

「じゃあ、お先するわね忍足。景吾には部室無断使用の件は言っておくから心配しなくても大丈夫よ。それと今日の事が必要以上に事実を逸脱して伝わっていたら、ひなにあることあること特にあんたの中学時代の女関係重点的に吹き込んであげるから楽しみにしておいてね。」
後よろしく、とさっさと部室を出て行く女の捨て爆弾発言に忍足が硬直する。その後姿に続く青峰は、先程の忍足同様非常に同情的な表情だった。

「……ほんま、女って理不尽……っ!!」
体よく事態の収拾ならびに噂の流布防止を押し付けられた忍足は、この時ほど自身の無用な好奇心を恨めしく思ったことは無かったと後に語っている。


(……こいつも変わんねぇよなぁ……)
隣に並ぶ、幾分背の低い幼馴染の横顔を凝視しながら青峰はふとそんなことを思った。
青峰自身、バスケットのプレイヤーとして恵まれた体格をしていると自負はしている。そんな彼より低いものの、女子にしては長身の部類に入る彼女。加えてもう一人の幼馴染のように肉付きが良いとは言えず、だがほっそりとしながらしなやかな――華奢な身体付きをしている。

「何?」
「あ?」
「だから何。さっきから人の顔じろじろ見て。」
「……うっせ。ガキの頃から変わんねぇなって思っただけだ。」
「あんたの頭の中身と一緒にしないでくれる?」
ああ言えばこう言う。可愛げの無いところも同じだ、とつくづく言いたかったが憎まれ口を利いたが最後十倍になって返ってくることは火を見るより明かなので賢明にも口を噤んだ。

「って言うか、本当に何なのよ。忍足が居たからああは言ったけど、何かあったんでしょ?あんたがわざわざ出向くなんて、最初目の錯覚かと思ったわ。」
「……おかしいかよ。」
「おかしいって言うか、それだけ切羽詰まった様子も見られないし。気にはなるわね。」
「家着いてから話すんじゃなかったのか?」
「別にそれでもいいけど。家着く頃には、さつきも来そうな気がしてるから。話を聞くなら今の内がいいかと思っただけ。……さつきには聞かれたくないんでしょ?」
「…………」
聡いところも変わらない、と思った青峰はわしわしと大きな手で頭を掻く。そもそも普通から逸脱している(青峰から見て)この幼馴染に、口で勝てたことも無いが隠し事をできた試もないのだ。


「……何で、お前は何も言わなかったのか。聞いたことなかったからな。」
「何だそんなこと。」
気になった、との言葉をしかしはあっさり片付けてしまう。
何に対して、とか一から十までを説明しなくてもいいのは確かに楽だが、いささかムカッと来たのも確かである。
あの冬の日、再びバスケットに対しての――勝利に対しての渇望を、与えてくれた屈辱の日が来るまでの青峰なりの葛藤を他ならぬ彼女が一番傍で見ていたはずなのに。

「別に何も言わなかったわけじゃないわよ。さつきから、あんたが練習に来なくなったって聞いてから、一度聞いたことはあるでしょ。」
「……あったっけか。」
「あったわよ。覚えときなさいよね、それくらい。頭は使わないとどんどん悪くなってくのよ。」
「一言余計だっつーの。で?」
「で?」
「分かってんのに聞くなよ。何て言ったんだ、お前。」
「『バスケ、辞めるの?』」
「……それだけか?」
「それだけよ。」
記憶を辿れば、確かにそんなことを聞かれたような記憶はある。そう言えばあの日は電話でわざわざ居所を聞かれ、怪訝に思いながらも場所を答えるとそこに居ろと彼女には珍しく厳命された覚えもあった。

「……何て答えたんだ、俺。」
「呆れた。自分の言ったことも覚えてないわけ?」
「うっせーな。何て答えたんだよ、俺は。」
「……今、まだプレイヤーでいることが何よりの答えだと思うけど?」
「そーかよ。」
こうやってストレートに答えないことも、子供の頃から相変わらずだ。元来あまり気の長い方では無い青峰だが、不思議なことに彼女に限っては苛立つこともなく普通に会話と関係を続けられている。何故だろう、と曰くのあまり良くない頭で考え始めたのはいつだったか。

「……ま、確かにね。思う所が無かったわけじゃないのよ。限られた時間、それも本当に僅かな時間だけしか自由に――それも、私から見ればその自由だって。大分制限されてると思う奴を間近で知ってたから、正直噴飯ものだと思わなかったわけでも無いし。」
だからせめて、その時間を思うように使えるだけのフォローをしてやろうと柄でも無い役職に就いているのだ。母娘共々異端と呼ばれた自分達を、良くも悪くも認めてくれた数少ない親族だったから。

「……おい。」
「なに?」
「ふんぱん、って何だ?」
フンコロガシの仲間か?と至極真面目な顔をして尋ねる青峰に、は深く深い溜息を吐いた。そういや、こいつアホだったと。

「……さつきに聞くか、辞書で調べなさい。そのうち本当のアホになるわよ。」
もう手遅れかもしれないけど、とは胸の中だけで呟いておく。

「……前々から思ってたんだけど、何ですぐさつきの名前が出てくんだよ。」
「動物の躾は飼い主の義務だからよ。」
若しくはの責任放棄とも言う。なるほど、と一瞬納得しかけた青峰が誰が動物だよ!と額に青筋を浮かべながら食って掛かった。

「……それにね。あんたにはあんたなりの悩みや葛藤があるって、分かってたから。だから何も言わなかったのよ。覚えてないかもしれないけど、その時言ったわ。言ってくれるさつきのことを嫌うんじゃないわよ、って。どちらかと言わず、言ってくれるさつきの方が私なんかより遥かに辛いし優しいんだからねとも言ったでしょ。」
「……何となく、それは覚えてる。」
「そう、それは重畳。忘れたなんて言ったら、しばらく出禁にしてるところよ。」
青峰が覚えていたのは――と言うより、思い出したのは。本当に彼女が、それ以降ぴたりと何も言わなくなったからだった。さつきや周囲のように練習に出ろと、喚きたてる訳でも無く。ただ、基礎トレーニングだけは疎かにするなとの一言くらいで。
色々悩んで、それが吹っ切れた今だからこそ分かる。

倦んで臥せていた青峰に静かに寄り添っていてくれたのは、他ならぬこの幼馴染だったのだと。

別にさつきが悪いわけでも無く、口煩いのには辟易していたがそれも自分のことを心配してくれていたからこそだ。勿論感謝だって、している。

だがあの時は――他ならぬがそうしてくれたように、多分自分はただ静かに傍に居て欲しかったのだ。
つまんねぇんだよ、と何気なく呟いた自分に。ただ、そう、じゃあ、いつかまた。楽しくなるといいわねと言って三杯目のお代わりを手渡してくれた彼女のように。

「……明日、暇か?」
「予定が無い、と言う意味では暇だわね。やることが無い、と言う意味では暇じゃないわ。」
「言葉遊びしてんじゃねーよ。明日、付き合え。」
「あんたの言葉の使い方が拙いだけでしょ。構わないけど、何処に?」
つたない、と言う意味は良く分からなかったが、とりあえず褒められている気はしなかった。釈然としないまま、ポケットの中に突っ込んでいたものを手渡す。

「……割引き券?」
「今日、ホワイトデーとかいうやつなんだろ。今年もウチの部のやつらの胃を救ったのはお前だしな。俺がよく行くバッシュ屋で貰った。新しいやつ買ってやるから、付き合え。」
何処に、と聞かずとも連れて行かれる場所が分かってしまうのはバスケ馬鹿な幼馴染を持つ悲しさ故か。
それとも若干驚いた面持で見上げれば、相変わらず凶悪なご面相がどことなく照れたように赤いのは気のせいか。

「大輝。」
「あん?あんだよ。用事、ねーんだろ。」
全くこいつは、と思いつつも自分はだからこそこの素直でないバスケ馬鹿を憎からず思ってしまうのだろう。

「じゃ、今夜は。体力付ける夕飯にしなきゃね。」
「肉にしろ肉。肉以外認めねーからな。」
「野菜のフルコースにしてやろうかしら……」
ぽつりと物騒な事を呟く幼馴染に対し、顔を顰めた青峰はおら、と片手を差し出す。
差し出されたは一瞬きょとんとし、それから少しだけ肩を竦めて微笑んで。



――明けて翌週。

某マンモス学園新聞部発刊の学園新聞の見出しを、仲良く腕を組んで歩く制服姿のガングロ色白カップルの写真が華々しく飾ったことだけを記しておく。