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緑間真太郎氏の極めて不可思議な一日 1 

 
「はぁ?おは朝占いが当たらなくなったぁ?」

何だそりゃ、と呟いたのは朝練を終えた秀徳高校三年宮地清司である。

「そうなんすよ、宮地先輩。いつぞやの赤風船事件ほどじゃねーんですけど……」
赤風船事件、記憶にも新しい別名秀徳高校男子バスケットボール部エース緑間真太郎受難事件である。

「……で、今日の緑間のあのザマか。」
「なるほどそれであの微妙な不幸具合なのか。」
男子バスケットボール部主将大坪に同部員たる木村が同じように、納得すればこれだけ狭い室内だ、聞こえていないはずの無い当事者――緑間真太郎が常の三割増しに不機嫌な表情で着替えている。
その傍らには本日のラッキーアイテムらしい金魚の入っていない、ガラス製の金魚鉢が。

「高尾、先に行くぞ。」
「え!?あ、ちょっ真ちゃん!?」
ブスリとしたまま金魚鉢を抱えて部室を出ていく緑間に、学ランを中途半端に着たままだった高尾が慌てて追って行く。ドアの前で一礼し、バタバタと去っていく一年坊主の後姿を見送った三年生一同は顔を見合せ、一斉に溜息を吐いたのだった。



「つーかさーほんと、真ちゃんそれ、何とかしねーとまずくね?」
「……うるさいのだよ、高尾。」
まずくね?、と言った彼らの前には粉々に砕け散ったかつてラッキーアイテムだったものが。普段と変わらぬ厳しい部活からの帰り道、突風によって煽られたチラシが緑間を直撃、焦った彼の手から金魚鉢が転げ落ち着ち――まるで、これからの先行きを暗示するかのように割れて砕けてしまったのだ。

「解せん……今日のかに座の運勢は三位、ガラスの金魚鉢がラッキーアイテム。抜かりは無いはずなのに……」
「でもさ、ホント木村先輩の言う通りなんつーか微妙な不幸具合だよなー赤風船事件みたく、最悪までは行き着かねーけど。」
行き着いたら逆に困る、とは言わなかった。大事な試合前、バスケ部のエース様がおは朝占いの不調により大乱丁では話にならない。最も彼の場合、ラッキーアイテムは最後の詰めであって全てが占い任せなのでは無い。だからこそ「微妙」で済んでいるのかもしれないが。

「占いが外れ始めたのって……大体、二週間くらい前からだっけか。物理の小テストがあったからよく覚えてっけど。」
「……確かにその頃くらいなのだよ。」
「つかさ、何で今まで驚異の的中率だったのがいきなり二週間前から外れ出したんだろ。変じゃね?」
「…………」
確かに、と思ったが口に出して同意するのは憚られた。癪だったので。
と、そこで緑間の思考に引っ掛かるものがあった。何が、と考え隣の高尾を見下ろす。見えたのは頭の天辺の旋毛、引っ掛かるものがそこにあるはずも無く――

「……まさか。」
「?真ちゃん?」
ぽつりと呟いたかと思えば、次の瞬間にはもう既に利き手に携帯が握られていた。(ちなみにガラケー。本人曰、メールと電話さえできれば問題無いとのことである)そして何事かを検索、眉間に皺を寄せたと思ったら次はメールを打ち出し始め。

「…………」
パタン、と閉じた動作に作業の終わりを知るも、何がどうなっているのかは全く見当がつかない。

「真ちゃーん?」
「うるさいぞ、高尾。帰るぞ。」
「ちょ、ちょっと待ってよ真ちゃん!」
首を傾げる高尾を置き去りに、今日も今日とて我が道を行くツンデレエース様であった。



「……んで?何で健全で多忙な男子高校生の俺らが貴重な部活の休みにヤローだけで住宅街のど真ん中で道に迷ってなきゃいけないわけ?」
「勝手について来たのはお前だろうが。」
頼んだ覚えは無い、と緑間が言えば頼まれては無いけどおもしろそーじゃんと高尾が返す。まぁ実際問題、色々馬鹿正直な緑間を一人にすると何を仕出かすか分からない危惧もあって自ら貴重な休みを棒に振ることに決めたのだが。
これはもう、自分の宿命だと思っている。少なくとも高校の間は。

「つか、真ちゃん。マジで何なの?おは朝占いが外れた原因を調べに来たんじゃないの?」
「そうだ。」
「それで、ここ?」
半信半疑――と言うよりは、信じられないと言った表情の高尾に眉を寄せる。
本音を言えば、緑間自身も高尾と同意見であった。それもそのはず、地図を片手にやって来たその場所は何の変鉄もない住宅街のど真ん中だったのだから。

「おは朝占いに占いを提供している占い師が変わったのが、約二週間前。当たらなくなったのも、二週間前。――これが、何を意味するのか如何に馬鹿なお前でも分かるだろう。」
「あー分かる。確かに分かる。分かるけど、真ちゃんひどくね!?」
「事実は直視しろ。この前の中間、赤点を幾つ取った。」
「取ってねっつの!……ギリは三つばかしあったけど……」
反論の後半は、消え入る程の声音だった。が、人事を尽くすことを信条としている男からすれば、このチームメイトのテスト結果ははっきり言ってどーでも良いのだろう。事実、今も地図と電柱の番地を照合するのに余念が無い。

「真ちゃーん。つかさ、それ誰からの情報?信憑性、あんの?」
何しろ場所が場所である。先程から買い物帰りと覚しき主婦や、これから遊びに行くのだろう子供らといった何の変鉄も無い光景が広がっているのだ。誰がどう考えても、凄腕占い師が店を構えるような場所には思えない。

「桃井だ。」
「桃井ってーと。桐皇のマネだっけ。真ちゃんと同中で、おっぱいのおっきい。」
「下種が。」
眼鏡のズレを直しながら断ずれば、一際激しく抗議の声が上がる。無論それらは綺麗にスルーされ、この辺りのはずだが……と一人言で締め括られた。

「男の趣味と料理の腕はいただけんが、こう言った類の情報精度は他者の追々を許さん。あいつは選手でこそなかったが、ある意味俺達と同種の人間だ。」
帝光中男子バスケットボール部、中学三連覇を果たした怪物達。彼女もそのチームを、勝利に貢献した紛う事なき怪物の一人だ。

「ふ〜ん。見かけは可愛いのに、わかんねーモンだね。つかさ、男の趣味ってナニ?」
「そのままの意味だ。……と。こっちか?」
電柱の標識から当たりをつけて、緑間が角を右に曲がる。それに続いた高尾は、そろそろこの不案内な道行きに、危機感が募ってきた。

「真ちゃん。真ちゃん。そろそろ誰かに道聞いた方がよくね?なんかどんどん占い師さん、なイメージから遠ざかっている気がすんだけど。」
「……だが、まだ俺は人事を尽くしては……」
「いやいや。じゅーぶん尽くしたでしょ?おは朝占い師が交代したこと突き止めて、元チームメイトに店聞いて、家で地図印刷してきてさ。うん。」
だからお願い道聞いて、と続ける高尾にそれもそうかと緑間も頷く。目的はあくまで元おは朝占い師に復帰してもらうことである。こんな所で道に迷っている暇など無い。

「仕方ない。ここはお前の意見を採用してやるのだよ。と言っても人影が……」
無い、と言おうとした緑間の視界に一つの影が飛び込んできた。
何の変鉄も無い住宅街の一角、その門扉の所に人影が立っていた。ちょうどいい、と地図を片手に近付けば高尾も後から着いてくる。コンパスの差から少々小走りきなった高尾が追い付く頃にはもう既に緑間がすみません、と声をかけていた。

「すみません、この辺りに……」
「いらっしゃい。緑間真太郎君、高尾和成君。」
よく当たると評判の占い師が、と聞こうとした緑間の言葉を遮って彼女が正確に二人の名前を呼んだ。呼ばれた二人は思わず耳を疑い、まじまじと目の前の女性を見てしまう。

「あ、あの……」
「あら?違った?」
いや違わない。違わないから、驚いているのだ。

「背の高い方が緑間君で、ちょっと猫目の君が高尾君よね?」
「そ、そうですが……」
「で、おは朝占いの件で占い師に用がある。」
「え?真ちゃん、電話したの?」
「するわけ無いだろう。桃井でもそこまでは突き止められなかったらしいからな。電話も勿論、名前すら分からなかったそうだ。」
「住所突き止めただけでも、十分有能よぉ。えーと、桃井……さつきさん、かな?に褒めてたって言っておいてあげてね。」
にっこりと笑う姿は、極々普通の女性だ。恐らく緑間達よりは上であろう年だが、シンプルなシャツに黒いベスト。下はアイボリーのスラックス――顔立ちもこれと言って可も無く不可も無く。整ってはいるが、目を引くようなものでも惹き付けられるような空気も無い。

「あ、分かった!お姉さん、占い師のアシスタントさんか何かっしょ?」
何故か焦ったように言葉を紡ぐ高尾に対し、彼女はふふっと笑うだけで答えることは無い。さて、と一つ声を落とすと再び緑間と高尾を手招いた。

「立ち話も何でしょう。散らかってるけど、どうぞ。」
言って踵を返す背中に招かれている二人が顔を見合わせる。その緑間と高尾の胸中は一緒だ。

「どーすんの、真ちゃん?」
「……ここまで来て引き下がるつもりは無い。高尾、お前は帰ってもいいぞ。」
「じょーだん!ウチのエース様に何かありました、なんつったら監督と先輩に殺されるっての。」
「……勝手にしろ。」
眼鏡を指で押し上げる独特の癖を見せ、先に行った女性の後に続く。

「ほーんと素直じゃねーなー」
相棒たる高尾は知っている。あれは照れ隠しの癖だ。先程自分が緑間に告げた理由が建前であることは棚上げにしながら、高尾も彼の後に続いたのだった。

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