ああ、月の光が美しい。
このまま、降り注ぐ光に溶けてしまえたなら。

きっと。いっそ。――楽、なのに。



「誕生祝い……ですか?」
イーリスとフェリア国境長城、の中庭。わざわざ設えた軍師の臨時の居室を、訪ねる者があった。

「はい。あの……駄目でしょうか……?」
胸の前で手を組んで、まるで縋るような眼差しを向けるのはクロム自警団の団員、見習い天馬騎士・スミアだった。

「いえ、駄目と言うか……」
ぶっちゃけ何で今、そんなことを言い出したという思いが強い。
クロム以下、彼の組織した自警団は今、目下イーリス国王より拝領した主命遂行の中途であるのだ。加えて現在地は隣国フェリアとの国境であり、その長城に客人的な身分で逗留しているのである。
「せっかくのお誕生日なのに、任務と重なってしまって……だから、私達だけでもお祝いして差し上げたいって思ったんです……」
怯えながら(失礼な)何とか言葉を言い終えたスミアに、怒りを通り越して呆れを隠せないであった。
彼女がクロムに好意を寄せていて、その華奢な身に不釣り合いな自警団の門戸を叩いた理由も奈辺にあるだろうことは容易に想像がつく。その気概を買わない訳では無いが、時と場合を考えて欲しいと思うのは自分だけだろうか。

「ね、ね。さん、駄目かな?勿論、そんな大袈裟にしないからさ?」
「リズさん、貴女まで……」
そのスミアの隣でぴょこぴょこ跳ねているのは、件の人物の実妹である。更にその隣には、が直々に護衛を命じたソワレが困ったような表情をしていた。
「イーリスに戻ってからでも遅くは無いのでは?その気持ちだけでも、クロムさんでしたら喜んで下さると思いますよ?」
「も、勿論、喜んで下さるとは思うんですけど……や、やっぱり細やかでも、お祝いはして差し上げたいんです。」
むしろ忘れている可能性のが高いような気がするのは、自分だけだろうか。良く言えば目先への集中力が恐ろしい程高く、悪く言えば近視的な視界の持ち主である。フェリアへの外交過程に頭が一杯で、自らの誕生日のことなど覚えているとは思えなかった。

「……フレデリクさんにはご相談されましたか?」
「ううん。何でかフレデリク、お兄ちゃんに張り付いててまだ話して無いの。できれば驚かせたいから、お兄ちゃんには秘密にしておきたいんだけど……」
「……そうですか。」
張り付けと命じた張本であるが、少しばかり居心地悪そうに身動ぎした。特に先程の天幕乱入事件もあったので、クロム共々がっつり釘は打たせて貰ったのだが。

「あ、あの、さん……やっぱり、だ、駄目でしょうか……」
今にも涙をこぼしそうなスミアの様子に、胸中で溜息を吐く。何が悲しくて、こう何もしていないのに怯えられなければならないのだろうか。確かに今までの彼女に対する仕打ちが厳しく無かったとは言わないが、それも全て理由があってのことだ。こうもあからさまに怯えられるような無体な真似はしていないし、理不尽な理由を伝えたことも無い。
些か気分の悪くなったは、その気分ごと大きな溜息を吐くとどうぞ、と答えたのだった。

「え!い、いいの!?」
、本気かい!?」
疑うくらいなら、最所から聞かなければいいのだ。眉間に皺が寄らないように顔の筋力を惜しみ無く発揮し、構いませんよと再び告げる。

「私は、としか申し上げられませんが。最終的な裁下はフレデリクさんに仰いで下さい。私はまだ片付けなければならないことが多くて、何もお手伝いできませんから。」
早い話がフレデリクへの丸投げである。ぼちぼちクロムに決裁して貰わねばならない書類が出ているし、溜め込むのは元々の性に合わない。如何にも書類仕事が不得手だろう軍主に、どれだけ迅速にそれをさせるかは自分の腕次第だろう。
とにかく枚数を少なく、小まめに目を通させて処理速度を稼ぐのが最も理に叶った方法だと、現状では考えている。

「それはいいんだけど、問題はフレデリクをどうやってお兄ちゃんから引き離すかだよね……」
「ソワレさん、これをクロムさんに渡して頂けませんか。フェリア側からぶんと……コホン。減ってはいない筈(・・・・・・・・)の武器道具一覧です。」
「渡すだけでいいのかい?」
「構いません。本来であれば、あるはずの無い書類ですから。目を通された後はそのまま良しなに、と。」
つまり証拠を残さず処理すればいいのかとソワレが視線で尋ねれば、沈黙を伴った首肯が返される。

「じゃあその間に、フレデリクを捕まえればいいよね!」
「そうですね!ふふっ、きっとクロム様驚かれますね……!」
手を叩かんばかりに喜ぶリズとスミアの横で、ある意味驚かされたが、微妙な表情で同意した。その微妙な表情の意味を余すところ無く読み取ったソワレも、肩を竦めて同意を表す。

「そうと決まれば、善は急げだね!行こ、スミア!」
「あ、は、はい!」
今にも駆け出しそうなリズに、頬を薔薇色に染めたスミアが続く。その後姿に視線を送っていたソワレが、もの言いたげに部屋の主を返り見た。
「…………」
が、やはり返ってくるのは投げやりな沈黙ばかりで。――ソワレとしては件の街道張りの雷が落ちることを少々期待していたのだが。
つまるところ、自分の知ったことかとは見切りをつけたのだろう。

「期待はするだけ、無駄かな?」
あの主馬鹿と言っても差し支え無い男が相手ではと言外に尋ねれば、ごくごく端的に恐らくと返ってくる。彼女から命じられたことを忘れたわけでは無かろうが、リズやスミアに籠絡される様がソワレにはありありと浮かぶ。に至っては、想像するまでも無いのだろう。

力不足でゴメン、とリズ達の後を追ったソワレの足音が完全に聞こえなくなる頃、は漸く羽ペンを動かす手を止めた。
どこか遠くを見透かすような表情と共に溜息を吐く。

「誕生日、か……」

その呟きは、誰の耳に届くこと無く宙に消えたのだった。

 長城にて T

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