「エリダ。」
実に漢らしい笑みで会談を締め括ったフラヴィアが、最中の給仕をしてくれていた女官を呼んだ。
フラヴィアと同じ褐色の肌のしかし彼女とは別種の女の色香を纏う妙齢の女性であり、思わずクロムとフレデリクが息を飲み込む。
わざとらしいリズの空咳に慌てて我に返るが、時既に遅く。
「客人を部屋に案内しておくれ。他の面子もね。それと……クロム王子。世話係にはコイツをつけるから城内の施設を使いたい場合は彼女を通すようにしてくれるかい。基本、自由に使って貰って構わないんだが。」
「いえ。御配慮、痛み入ります。」
「色々と準備もあるだろうし……城外への出入りも自由にしてもらって構わない。が、閉門の時間は守るようにしとくれ。……と、こんなもんかね。」
指を折って数えるフラヴィアに、クロムも頷く。闘技会に際しての作戦準備等、限られた時間は有効に使わねばならない。
「じゃあ、私もここらで失礼させてもらうよ。申請選手の変更やなんか、書類仕事が残ってるんでね。」
「あぁ。色々とすまない。」
「気にしなさんな。私の利害も絡んでいることだし、こっちとして助力は惜しまないつもりだ。……それと、。」
「……はぁ。何、か。」
何処か歯切れの悪い――と言うか、反応の鈍いの声を聞いてぎょっとクロムがその顔を返り見た。大人しく椅子に座ったままの彼女は、顔色は平素のままだったが瞳だけが心持ちぼんやりしている。
「今度は無粋な話抜きでまともな酒を飲もうじゃないか。……楽しみにしてるよ。」
だがそんな彼女の反応にも特に思うことは無かったのが、フラヴィアはそのまま席を立つと来た時と同様に大股で部屋をさっさと出て行ってしまった。
「確信犯か、あの、うわばみ……っ!!」
呆気に取られて見送るクロム・リズ・フレデリクの耳を、普段の声の主からは考えられない乱暴な口調が打った。
何事、とその声の主を振り返れば椅子に座ったままの身体が大きく傾いだところで。
「!?」
椅子から転げ落ちて床に激突――する前に、慌てて席を蹴ったクロムがその身体を抱き留めた。どうした、と声を掛けながらローブを纏ったままの華奢な身体を腕に抱え、ふと鼻を突いた異臭に眉を顰める。
「……酒臭い?」
常日頃彼女が好んで纏う深緑の香りでは無い――言ってしまえば全く異なる、強い酒精の残り香。
そこまで考えて、クロムははっと残されたテーブルを見た。彼が最初、一口飲んだだけで思いっ切り咽た強い酒のボトルがざっと見積もっただけでも五〜六本は転がっているでは無いか。それをフラヴィアと二人だけで開けた事実に遅まきながら気付き、ではと腕の中の彼女に視線を落とす。
「あらあら。完全に酔っぱらっておられますわね。」
同じように覗き込んだ、エリダと言う名の女官のどこかのんびりした声にリズとフレデリクがぎょっとし、クロムはやはりかと溜息を吐く。
「仕方ありませんわ。御二人が御召しになられたのは、フェリアの火酒と呼ばれております――不凍液と大差無いシロモノでございますから。」
「は!?」
不凍液とはあれか。寒冷地で主に良く用いられる、身体が凍えるのを防ぐための氷点降下剤と言うアレか。それを六本――いや、途中でエリダが酒瓶を回収する手間を惜しんで放置する前に、二〜三本は空けていたような気が……
「お、おい!、大丈夫か!?」
大丈夫なわけが無い、と言おうにも言葉は言葉にならずあーとかうーとか言う呻き声ばかりが返る。
醜態と言って差し支えないその姿に、クロム以下開いた口が塞がらない。フレデリクなど、正直怒鳴り付けてもおかしくないような状況だったのだが。
「今頃フラヴィア様も同じような状態でございましょうから、痛み分けでございますわよ様。」
出された酒に手を付けないとあれば非礼当たる――とまでは言わないが。やはり、多少空気は悪くなっていただろう。無論、クロムとて唇を付けなかった訳では無いが一口含んであの様である。とは言え、何も二人して競うように酒瓶を(しかも不凍液と大差無い代物を)空けなくてもいいだろう、とは全く持っての正論で。
があちらのペースに合わせて杯を重ねたのも、一言で言えば単なる女の意地故である。時に男の矜持などより恐ろしく高く堅いそれは、貫き通してこそに意味がある。
無論そんなことなどまるっとお見通しな
「全く……動けなくなるまで、飲む奴があるか。」
「受……て立た……ら、女……すた……り……」
はぁ、とわざとらしく一つ溜息を吐き、クロムはを抱えたまま立ち上がった。右手の甲で目元を隠したままの彼女の口からうぇ、と小さな抗議の声が上がる。
「……部屋に案内してもらえるか。」
「はい。準備は整っておりますので、こちらへどうぞ。」
仰け反る白い喉から極力目を逸らし、クロムは案内役へと声を掛けた。まさか主君に部下を運ばせるわけには、と代わりを申し出たフレデリクを思った以上に力の入ってしまった目線で下がらせたのはご愛嬌。
「満更でも無い表情しちゃって、まぁ……」
やっと自覚が出てきたのかなーなどと無責任に呟くリズに、状況が飲み込めないフレデリクは首を傾げるばかりで。
それでも状況が一歩、(色々な意味で)前進したことには違いない。
翌日二日酔いに悩むことが確実だろうには悪いが、リズは漸く一息つくことができたのだった。
白磁の誘惑 T