「こちらでございます。」
泥酔寸前の酔っ払いを両腕に抱え、滑るように進む女官の後に続いたクロムは案内された一室に通されて思わず、ほぅと感嘆の声を漏らした。
質実剛健を絵に描いたようなフェリア城の中で、一目で貴人に宛てられる為と分かる豪奢な部屋だった。
基本石造りである城壁には暖を取るための壁掛けが隙間無くかけられており、視覚からもその暖かさが伝わってくる。どうやら二間続きになっているらしいここは、居間のような形になっており中央にどっしりとしたテーブルとチェストが置かれていた。
無人であるにも関わらず、暖炉には火が灯されており部屋の中は程よく暖かい。そんな中エリダは迷う事無く続きの扉を開き、クロムを別室へと促した。
「おい。着いたぞ……って、聞こえてるか?」
御多分に漏れず、案内されたのは寝室であった。こちらも部屋そのものが暖められており、紗幕を引いたエリダに軽く目礼し腕の中の人物を寝台に横たえる。寝台の軋む僅かな筈の音が、やけに大きくクロムの耳朶を打った。
「うーーーーっ……」
本当に珍しい、と寝台に落ち着くなり胎児のように身体を丸めてしまったを見て、クロムはそんなことをふと思った。普段の様子からは全く考えられない(本人にとっても)醜態であろう。彼女の名誉を慮って自警団の仲間には敢えて会わせずに来たが、不謹慎にも少し面白くも思ってしまった。
(こいつでも、こんなことあるんだな……)
眉間に皺を寄せて不明瞭な意識を漂っているだろう、を見てつくづく不思議に思う。妙な縁で以て彼女と出会い今日に至るまで寝食を共にしてきたが、よくよく考えてみればまだ彼女と出会って一月も経っていないのだ。
長城でも言っていたが、その証拠にクロムもも互いに互いの事を殆ど知らない。に至って言えば、自身の事すら知らないのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが。
だが、互いに知らないことが全くと言っていい程――気にならないのだ。それは互いの事がどうでもいいから、と言う理由からでは無く。
互いの事を知らずとも、互いの事を理解している――理解しようとしているからこそ、そんな些細なことには全く気付きもしなかった訳で。
不思議だと思う。クロムはクロムで、はで在ればいい。何も語らずとも、傍らに居る彼女の一挙一動からそう感じるのだ。そしてそれは他ならぬ、クロム自身も同じで。
「クロム殿下。」
知らず火照ったの片頬に手を当てていたクロムが、名前を呼ばれてはっと我に返った。見れば何やら微笑ましいものを見るような表情の女官と視線がかち合う。
「枕元に水差しがございますので、様の意識がお戻りになられましたらその旨、お伝え願えませんでしょうか。私、リズ殿下やフレデリク様を別室にご案内せねばなりませんので。」
「あ、あぁ。す、すまん。心遣いを感謝する。」
「いいえ。フラヴィア様より、くれぐれも失礼の無い様にと仰せつかっております。クロム殿下もお部屋にご案内したいのですが……」
「いや、できればこいつの意識が戻るまでここに居させて貰えないだろうか。何もこんなになるまでと思わんことも無いが、お蔭で大分良い条件を提示して貰えたわけだしな……」
時折苦しそうに呻くに、苦笑を零せば女官も心得たように同意して。
「私も、あんなに楽しそうなフラヴィア様は久しぶりに拝見いたしましたわ。だからこその火酒だったのでしょうけれど……お気付きになられたらあの方には私からも少々苦言を呈させていただきますので。」
全く困った方です、と続ける彼女にどことなく自分の守役の面影が重なる。女官としか聞かされていなかったが、フラヴィア個人と近しい人物なのかもしれない。
「ああ、こっちも少し灸を据えてやらんと。完全に意地の張り合いになってたから、尚の事な。」
そう言いつつも、時折の頬を撫でるクロムの顔はこの上無く優しい。リズやフレデリクが見たら、確実に半刻は固まってしまいそうなそんな表情だった。
「国政に情や義などの入り込む余地等無いと仰っておりましたのにね。」
「全くだ。」
だが、クロムもエリダも口で言う程腹を立ててはいなかった。何故なら女の意地、我とやらを張り通す彼女らが立場や状況さえ抜かせばとても今日会ったばかりとは思えない友人のように見えたからである。王であるフラヴィアと軍師である、所属する国や立場の違う彼女達が友誼を結ぶことなど通常では考えられないだろう。通常、では。
国こそ違え王弟であるクロムにはフラヴィアの立場もよく理解できたし、の事は――最も長くその傍らに居た彼であったからこそ。長城で催された自身の生誕祝い(を口実にしての単なる宴)の晩に垣間見た、孤独を誰よりも厭いながら自身をその寒風の中に晒そうとする姿に、もどかしさと憤りを感じたのだ。
その彼女に、彼女を。繋ぎ止める為のものが増えるのは悪くないはずだ。――少々、クロム自身が面白くないことは否定しないが。
「ああ、申し訳ございません。少々話し込んでしまいましたわね。では、クロム殿下。恐れ入りますが、様のことはお任せしてもよろしいでしょうか?」
「いや、こっちこそ。仕事の邪魔をしてすまない。こいつのことは任せてくれ。」
「ありがとうございます。殿下のお部屋はこの部屋の正面にご準備させて頂きました。リズ王女殿下のお部屋は殿下の左隣に、フレデリク殿はこの部屋の右手になります。他の皆様方の部屋はこの階の一つ下に、ご準備させて頂きましたので。」
「そうか、手間を掛けさせた。」
「いいえ。これも我が主の御為でございます故。御案内は後程の方がよろしゅうございましょうか?」
「そうだな……任せてもいいだろうか。こいつがいつ、目を覚ますか分からんしな。」
うーうーと唸るに苦笑を零しながら、軽く手の甲を頬に添える。その仕草一つ一つに青年の想いが隠れもせずに見えたエリダは、その微笑ましい光景に首を縦に振った。
「畏まりましてございます。皆様の御身の世話をさせて頂きます者達に、そう伝えておきましょう。では、殿下。」
「ああ、後を頼む。」
優雅に一礼をし部屋を退出していくエリダに労いの言葉を渡しながら、クロムは一瞬たりともから視線を外さなかった。
その一挙一動、僅かな身動ぎさえ愛おしいと言わんばかりの眼差しを彼自身は自覚してはいなかったが、見る者が見ればそれは紛う事なき恋慕の情で。
無論そんな野暮な指摘をするでもないエリダは、初々しい青年の視線に苦笑いを零すのみで部屋を後にしたのだった。
白磁の誘惑 U