新たなる歴史 V
それはさながら、地獄のような光景だった。
町を舐める炎、崩れた家々、倒れ伏す人の姿に、倒れ伏したものの名を叫ぶ悲痛な声―――
「くそっ!遅かったか………っ!!」
舞い散る火の粉から、呼吸を庇いながらクロムは悪態を吐いた。
町へ到る道の一つ、やや高台になった場所から一望できたのは、凡そ予想出来た、だが決してあってはならない光景だった。
閉ざす暇も無かったのか、開け放たれたままの門扉とその脇に倒れ伏す僅かに武装した男達。
「お兄ちゃん!」
「クロム様!!」
先行したクロムに、漸くリズとフレデリクが追い付く。フレデリクは既に乗騎しており、リズはその後ろに掴まっていた。
必然的にクロムと同じものを見ることになった二人が、呻き声を上げた。
「ひどい……」
「これは……」
物の焼ける匂いに混じって、吐き気を催す匂いも流れてくる。鉄錆びたあぶらの臭い――人の焼ける匂いだ。
「ぐ………ッ」
背後で呻くような声が聞こえた気がして、フレデリクは慌てて振り返った。見れば、涙目になったリズが必死にこみ上げる嘔吐感と戦っている。しまった、と後悔してももう遅い。
「申し訳ありません、リズ様。どうか風上へ……」
「へ、へいき。だいじょう……ぶ。私だって、自警団の一員なんだ、もん……これくらい……!」
慣れているとは言いたくないがフレデリクには従軍の経験もあり過去の戦争から比べればこの程度の臭気は、せいぜい眉を顰める程度でやり過ごせる。クロムは戦争の経験こそ無いが、それでも賊の討伐で似たような惨状を目の当たりにしたことはある。
だが、リズは。シスターであり、自警団に従軍したとしてもせいぜい後方支援のみだ。そんな彼女にとって、このような光景は毒にしかならないと何故思い至らなかったのであろうか。
「……リズ、無理ならここに残れ。フレデリク、」
有無を言わせない、静かな声。は、と声の主を見たフレデリクは、思わず息を飲む。
「……誰一人、生きて帰すな。自分達が仕出かしたことの報いを、その命で償わせろ!!」
怒れる蒼竜が、吠えた。
「奪い終わった家には火を放て! 町ごと消し炭にするんだ!!」
血臭と死臭をものともせず、むしろそれらに酔ったように粗野な男が周囲に叫ぶ。
「おかしら!もうほとんど残ってりゃしませんぜ!」
「そうか、そりゃイイ報せだ!小賢しくも傭兵なんか雇いやがった末路を、しっかりと見せてやれ!抵抗しようなんて気が二度と起きねぇ程度にな!!」
おかしら、と呼ばれた貧相な男が下卑た笑いを零せば、周囲に散っていた部下達も同じように笑いだす。各々が持った得物は手入れが悪いせいか所々が欠けたり錆びたりしており、だが存分に無辜の人々の命を吸ったのだろう。炎の照り返しを受け禍々しく、鈍い光を放っている。
「ッ!?」
それは単に僥倖だったのだろう。伊達に今日まで生き延びてこなかった男の勘が、その凶刃をすんでのところで避けさせた。
「……テメぇッ!!」
避けきれなかった部下の一人が笠懸に切り倒され、一拍置いて間合いを取る為に飛び退った闖入者の姿を捉える。簡素だが良い身なりをした――
「何モンだ!?傭兵の生き残り、ってわけじゃなさそうだが……!」
「貴様らに名乗る名など持ち合わせていない!蛮族共が……!!」
怒りに燃える闖入者に、男が顔を歪める。――狂気の笑みに。
「いきなりやってきて蛮族たぁ、いい度胸じゃねぇか若いの。だが、おイタは感心しねぇなぁ?おめぇが斬り殺した、そこのそいつ。このゲリパ様の大事なだぁいじな部下だったんだぜぇ?」
舌舐めずりをするような口調に、闖入者――クロムの怒りのボルテージが上がって行く。大事だのと部下だのと、単となる言葉の羅列と化した音が神経を恐ろしく逆撫でした。
「だったら何だと言うんだ!?貴様らが町々を襲う蛮族であることには変わりなかろう!!」
「まぁ確かになぁ。だがそんだけでかい口を叩く以上、それ相応に実力ってモンが必要だぜ若いの!」
言うや否や、腰にさしていた手斧――飛び道具だ――を、クロムに向かって投げつける。狙いは甘い、躱せる!
「……のッ!!」
手斧を避け、体勢を立て直そうとしたクロムだったが、次の瞬間ゲリパの真の狙いに気付く――囲まれている。いつの間に!?
「なぁに、この町でたんまり稼がせて貰ったからなぁ。無欲な俺様としては、そのご大層な剣で手打ちにしてやるよ!ついでにそのちんけな命もいただいてなぁっ!!」
その言葉が合図だったのだろう、クロムを取り囲んでいた蛮族達が一斉に襲いかかってきた。数は4、流石に捌き切れない――!?
「……我らが敵を打ち倒すべし!サンダーッ!!」
裂帛の気合と共に放たれた、恐ろしくも美しい雷の凶器――森羅万象を司る、理魔法・サンダー。
「何やってるんですか、この大馬鹿ッ!!」
そして、罵声と共に飛び込んできた小さくも頼もしい――何故か全身木の葉塗れの行き倒れだった。
時は僅かに遡る。
駆け出して行った三人に置いて行かれる形になったは、真っ正直にその後を追うような真似はしなかった。
目的地である町までは街道こそ整備されているが、その周囲は原生林――と、呼ぶほどのものでは無いが、うっそうと木々が生い茂る、言わば天然の迷路だ。地元の者ならともかく、普通であれば絶対に足を踏み入れないような場所には敢えて分け入った。
目的は時間と距離の短縮である。
躊躇していた分クロム達から離れてしまった以上、何とかしてその差を埋めねば間に合わなくなるだろう。最悪、誰かの命が失われるかもしれない。
(可能性として、一番高いのはクロムよね……)
身体を低く、目を小枝で刺さないよう気をつけながらも、はまるで良く知った庭のように森の中を駆け抜ける。自分を導く『声』達があるものの、だがそれを聞くより早く身体が動く。動かしているのは思考ではない。
『、森を往くときはその声に耳を傾けろ。森は決してお前を傷つけない、だからお前も森を傷つけず、敬い、そして……』
耳の奥に残る、穏やかな声。、とは自分のことだろうか。思い出せない、でもとても大切だったと言えるそんな『声』。
森に入った瞬間、その深い匂いを胸一杯に吸い込んだ途端、僅かに甦って来た『私』のカケラ。
その先の言葉はなんだったのか、その言葉をくれたのは誰だったのか。知りたい。思い出したい。でも、今は。
(………抜けるッ!!)
まるで導かれるかのように木々の間を駆け抜け、差し込む光の中へ飛び込んで行く。果たして、狙い違わず町の中腹――町の位置から言えば、東側の外壁の真前に出ることができた。そして――
単独で突っ込んだクロムが敵に斬りかかる瞬間を、目の当たりにしたのだった。
「お前……!?」
いきなり死の顎から逃れたこと、そしてそれを為したのが見知らぬ人物ではなかったこと。
そのどちらにも驚かされ、クロムは思わず目を疑ってしまった。
あの場所に置いてきた、動かなかった彼女が何故?
「この大馬鹿ッ!!何呆けてるんですか!!一時撤退です!!」
膝を付いた状態のクロムを強引に起き上がらせ、素早く鋭い、まるで狼のような身のこなしでクロムを取り囲んでいた蛮族の一角――街の入口に近い側の一人の男の喉首――を逆手に持った青銅の剣で躊躇いなく切り裂いた。
「このアマッ!!」
そのあまりに速い身のこなしを見て慌てて他の者が武器を構えるが、そんなものを悠長に待っているでは無い。クロムの腕を掴み、とっととその包囲網を抜けるべく駆け出していた。
「追えぇッ逃がすなーーーッ!!」
追いかけてくる首領の叫び声を背後に、だが二人は構うことなく逃げおおせたのだった。