新たなる歴史 Z
若干息を切らせたが、フレデリクに続いてその場に到着したとき、眼前には予想通りの光景が広がっていた。
町の中心部、教会の前に集められたのはいくつかの遺骸。
筵や布が掛けられていてその姿を晒してはいなかったものの、この町を襲撃したならず者たちの骸もここに置かれている。
件の悲鳴はその中の一つ、比較的小さな骸に取りすがっている若い女の上げたものらしかった。
「……クロムさん。」
「あぁ。」
その光景に食い入るように見入っていたクロムの隣に並び、その横顔を見上げる。その視線の先には、小さな遺骸が。
「……件の?」
「多分、な。」
そのサイズから言って子供であることには間違いない。クロムが激昂する原因となった幼子も、確かあの位だったかと頭の中で一人ごちる。となれば、取りすがって号泣しているのは母親か、と考えるのが妥当だった。
「いやっ!!どうして……どうして!?」
半狂乱になりながら、何度も何度も子供を揺する。まるでそうすれば、時間が少しでも戻るかのように。
「…………」
リズが噛み殺し損ねた嗚咽の音を性能の良いの耳が拾い、だから早くここを出るべきだったのだと胸中で呟く。フレデリクはああ言っていたが、この町で一晩の宿を借りれば良くも悪くも影響を及ぼし過ぎるであろうことは明白だったのだ。
「俺がもう少し早く……」
「クロムさん。」
クロムが自然と握りしめた手には自らの手を重ねると、はっと気付いた彼に首を横に振ってみせた。
「……できなかったことを直視するなとは言いませんが、お願いですから全て自分が悪いような言い方はしないで下さい。出来なかったことばかりに目を向けて、出来たことを認められない――そんな悲しいこと言わないで下さい。」
「……あぁ。」
自らを責めることは簡単だ。だが責めることに慣れて、自らが自らを赦せなくなるような負の連鎖には陥って欲しくない。
特に――クロムのような、愚かとも思えるくらいに真っ直ぐな気性の持ち主には。
の静かな声に、身体中を駆け巡っていた慙愧の炎が鎮まってゆく。重ねられた手ごと腕が自然に持ち上がり、自らの唇を押し当て――クロムは目を、閉じた。
「………っ」
他意が無いとわかっていても、クロムの行動は正直心臓に悪い。いや、ここで狼狽したら負けだとは視線をあらぬ方向に向け――眉を顰めた。
「あんた達さえ……あんた達さえ来なかったら!!!」
子供に取り縋っていた若い女の悲しみが怒りへと感情のベクトルを変えたのだろう。鬼気迫る表情、幽鬼のような風体が筵の被せられている別の遺体ににじり寄る。その手にはいつの間にか細長い木の枝が握られていた。
「返してーーーーっ!!!」
渾身の力で以て木の枝を振り下ろす。振り下ろした――はず、だった。
「止めなさい。」
細い女の腕は、同じように細い別の女の腕によって止められていた。いつの間に、と思うも既にクロムの隣にの姿は無く。
「離して!」
「離しませんよ。止めなさい、と言っているんです。」
の腕を振りほどこうと女は身を捩るが、同じくらいの腕なのに自らを掴んだ腕はびくともしない。涙で汚れた顔を向ければ、表情を消した若い女の顔があった。
「どうしてよ!?こいつらは、この子を……私の子を!!この子……この子が!一体何したって言うの!!」
叫ぶ女の夫と覚しき男も子供の遺骸の傍に佇んでいるが、こちらはただ静かに物言わぬ我が子に視線を落としているだけだった。
「言い分は分かりますが、それでも死者に鞭打つような真似は止めなさいと言っているんです。連中のしたことは決して許されるものではありません。ですが、その罪はもう自らの命で贖ったんです。彼らの行いと同等に、今貴女のしようとしていることもまた、許されるものではないんです。」
「何よ!!何が分かるって言うの!?連中と同じ!?こんな
叩きつけるような叫びに、の顔から更に表情が消えて行く。――だから早く町を出るなり、部屋に籠るなりしたかったのに。
「この連中が
「な……なんですって!?」
何が分かると言うのだ、自分の、母親の!子供を喪った母親の気持ちの、何が!!
ひやひやしながら成行きを見守っていた、町人やクロム達も流石にその発言にはぎょっとさせられた。確かにの言には筋が通っている。通ってはいるが――
「私が――私が連中と同じ?い、いいえ、それ以下?あ、あんた何を言って……」
「そのままの意味です。いいから手を離しなさい。」
未だ凶器は手に握られたままだ。このままにしておけば、目を離した隙に愚行に及ぶだろう。
「ふ……ふざけないでっ!!何で私……私が!!こんな連中と……!!そもそも何よ!!あんた達がもっと早く……!!」
ぱぁんっ!
小気味良い殴打音がその先の言葉を遮る。
何の事は無い。が女を掴んでいるのとは逆の手で、その頬を思い切り引っ叩いたのだ。
「な………」
唐突な衝撃に、周囲はおろか殴られた当の本人さえ驚愕に目を見開いている。
だが殴った方は先程までの無表情を一変させ、怒りの表情を隠しもせずに女の襟首を掴み上げた。
「もっと早く来ればよかったですって?言いたい事は分かります。ですが、私は権利ばかりを主張して、自らの義務を怠るような愚か者に同情を掛けるほど優しくはないんです!」
「な……何よ!!あ、あんた達が……!!」
「確かに我々の到着が遅かったと言うのなら、それについては謝罪します。ですが、逆に伺います。我が子の命を惜しむなら!何に代えても喪いたくなかったと言うのなら!何故母親たる貴女がその手を離したんです!!」
フレデリクやが懸念していたのは、この一点だった。
守れたものも確かにある。だが、その反面、喪われたものも確かにあるのだ。その怒りの行きつく先が、ならず者連中ならまだ良いだろう。私刑でも何でも、被害者たる彼らの気の済むようにすればいい。だが、その矛先が助けに入ったクロムやリズに向けられでもしたら――?
総じて人とは弱い生き物だ。耐えきれない怒りや理不尽な結果に、自らでは無くまず周囲に当たる。それが同じ痛みを分かつ者同士ならまだ寛容に受け入れられかもしれないが、何の因果も無い者にとってはどうだろうか?
「あ………」
彼女の眼に映るのは、怒りの形相を顕にした見知らぬ女性では無い。彼女の背後、自分と同じように幼い子供を持つ母親達。そして、しっかりと握りしめられた手と、手。
「母親にとって子供を失うことがどんなに辛いことなのか、私などには想像も及びつかぬものでしょう。でもだからこそ!貴女はその手を離すべきではなかった!違いますか!?」
違わない。違わないのは、自分でも分かっている。そう思っても声にはならない。代わりに涙がとめどなく溢れてくるだけだ。
「…………ッ!!」
声も無く絶叫する若い母親に、非難の視線がちらほらに注がれるが胸倉を掴む手は緩めない。まだ彼女の心が折れていないからだ。
「……そして何より。死者に鞭打つその姿を、我が子の死出の餞にするつもりですか。」
「あ…………」
その言葉にカラン、と甲高い音を立てて枝が指から滑り落ちた。それを追うように母親の身体からも力が抜けて行き、漸くも胸倉を掴んでいた手を離す。引き留める力を失った若い母親は、ずるりと力無く蹲り身を震わせて噎び始めた。
激情が去ったのを見て取ったのだろう、町長の目配せを受けた数人の女性達が何事かを囁き彼女をこの場から連れ出した。
「……あの夫婦にとって、やっと授かった待望の我が子だったのです。その分だけ悲しみも強いのでしょう。」
「だからと言って、他人に当たっていいわけではないでしょう。夫は夫で呆けているだけですし。」
去っていく後姿を厳しい表情で見ていたは、突如としてかけられた声にも動じず冷静に返した。視線だけを僅かに動かせば、禿頭の町長が傍らまで歩み寄ってくる所だった。
「これは手厳しい。ですが感謝を。あのまま感情に従って動いていたとしても、死んだ我が子が戻ってくるわけではありませんからな。」
「……別に感謝される謂れはありませんよ。とは言え、流石小さいとは言え町を統括されるお方です。確かに明日には顔すら覚えていない相手に憎まれようが嫌われようが、私にとっては痛くも痒くもありませんしね。」
タヌキが、と心中で舌打ちしながらも言葉の中に含まれていた嫌味と意図をこちらも奇麗に打ち返す。腹芸の一つや二つできずに集団の長などできないとは言え、こうも己の意図を看破されるのは愉快なものでは無い。
「……損な役回りですのぉ。」
「そうですか?割と性分通りだと自負しているんですけど。」
苦笑する町長を軽く往なせば、更にその笑いを噛み殺す声が大きくなる。やれやれ、と肩を竦めるその姿に、は老獪な古狸の印象を強めないわけにはいかなかった。
「……時に。」
「あぁ、ご心配なさらず。私も彼らもこれで失礼させていただきますから。」
「本当か!?」
町長の言葉の先を遮ったに、いつの間にか傍らに来ていたクロムが喜色に満ちた声を上げた。
ちょっと待て、出て行くとは言ったが一緒に行くとは――
「重ね重ね申し訳ない。……ですが、町を救って頂いた皆様に何かあっては、流石に顔向けができませんのでな……」
「?」
不思議そうな顔をするとは対照的に、クロムと町長が頷き合う。一体何のことなのか、後でフレデリクあたりに聞いておくかと算段を付けた所で、当の重騎士らしき足音が傍らまでやってきた。
「クロム様、そろそろ……」
「ああ。、行くぞ。」
「え?あ、は……はい?」
虚を突かれたの腕を、だがクロムはしっかり掴んでずかずかと歩きだす。あの、いえ、ちょっと、クロムさん!?等と無駄な抵抗が風に乗って聞こえてくるが、その歩みは止まらない。更に途中で待ち構えていたリズが合流すれば布陣は完璧、怖いもの無しだ。
「どうか、皆さまに聖王様のご加護があらんことを。」
「ありがとうございます。」
町長の見送りの言葉を受け取ったフレデリクも、先を行くクロム達に合流すべく踵を返す。
目指すは王都―――クロム達は各々の胸に戦果とは別のものを僅かに残しつつ、その町を後にしたのだった。