遭遇戦 U] U 

 
(もう寝ているか……?)
横になれば簡単に睡魔に襲われるらしいことから見ても、まだ彼女の身体は休息を欲しているのだろう。だとしたら意識は既に夢の中の筈――大人しくしていれば、の話だが。

(いや、どうも方便っぽかったしな……)
スミアをクロムごと、天幕から放り出す為の。
がそうした、そうしたかった理由に心当たりのある身としては彼女に苦情を申し立てることは非常に複雑なのだが。

(とにかく、スミアとの一件は片付いたと……)
伝えて、と考えたところでクロムは足を止める。彼女の寝起きしている天幕はもう目と鼻の先、そこの布扉からだろう漏れた光が影を伸ばした。

「……あいつ」
聞こえるのは小さな歌声と、これでもかと新鮮な空気。そして耳朶を打つ水音だ。

「……ったく」
察するにまだ休養が必要な元怪我人は、絶賛沐浴の最中らしい。リズやクロムが渋ったにも関わらず、だ。
恐らくカラムかヴェイクか――とにかく、あの後はやはり休みはせず誰かを取っ捕まえて水を運ばせたのだろう。流石に本人がえっちらおっちらと水を運んでいれば、誰かしら気付いた筈だ。
そこまでしてと思わなくもなかったが、は趣味と言うか水浴びに並々ならぬ執念と拘りを持つ。入る前を取り押さえたのならいざ知らず、まっ最中では最早止める術も無い。

小言は彼女が天幕から出てきてからゆっくり、それまでは大人しく入口の脇辺りで時間を潰すかと再び視線を正面に向け――クロムは硬直した。
光が漏れていたのは、二重になっている布扉が僅かに開いているからのようだ。らしくない、と僅かに眉を顰めたがヴェイク辺りが不用意なことを口にして逃げる際引っ掛けるか何かしたのだろう。
いや、そんなことよりも。

入口に背中を向け、沐浴を続けるはこちらの様子に全く気付いていない。続いている鼻歌がいい証拠だ。丸みを帯びた肩、普段は陽光から守られている白い背中――だが。

それを視界に捉えた瞬間、クロムの身体は動き出していた。走らなかっただけ、まだ理性は残っていたのだと思う。ただ単に他の誰かに見咎められたくない、その一念が制動をかけたのかもしれないが。

元々大した距離があったわけでは無い。あっと言う間に問題の天幕に到着し、一枚目の布扉を潜った。
ここまで来てしまえばとて気配に気付くだろう、目的を果たす前に騒ぎ出されては本末転倒だ。一枚目とは違い、二枚目の布扉は開け放つに留まり中へ侵入する。


「ク、クロムさんっ!?」
無論侵入された当人とてその気配には気付いていた。だが、流石に何の許しも迷いも無く入ってこられるとは思わなかったのだ。

無断侵入した当人の名を咎めるように叫び、咄嗟に正面から向き直る(・・・・・・・・)
そしてすぐ様裸身を隠すように蹲ると、侵入者を下方から睨み付けた。

「な……何を、貴方は……っ!?」
「分かっている。いいから、。後ろを向け」
「は?わ、分かってって……いえ、後ろって……」
「いいから」
「よくありませんっ!な、何を考えてるんですっ!?」
が叫ぶのも当然だ。いつぞやの事故とは訳が違う。クロムは、明確な意思を持ってこの場に侵入してきたのだ。あまりにも堂々とした様子だったので、一瞬呆けて悲鳴を上げるタイミングを逸してしまった。

「いいから、後ろを向け」
「い、いいわけ無いでしょう!?ひ、人を呼びますよっ!?」
「構わん。いや、お前の肌を曝すつもりは無いから静かにしろ」
「どこまでも身勝手な理由ですね!?いいから早く出て行っ……」
自分の要求を飲むつもりの無い(当たり前だ)に焦れたのだろう。舌打ちを一つしたクロムは、大股に歩み寄ると睨み付ける視線など全く頓着せずその肩を掴んだ。大仰に跳ねたそれを力ずくで抑え込んで、ぐいと身体を回す。

「ま……っ!」
制止の声など役に立たない。露になった背中に、クロムの眉間が今度こそくっきりと皺を刻んだ。

「お前、これ……!」
灯りに晒され浮かび上がったのは、右肩から左腰にかけて背中を横切る形で走った醜い傷跡だった。
つい先日までその背に無かった筈の傷跡――原因など考えるまでも無く。

「何故……っ!?」
唸るようなその声に、だから嫌だったんだとは重い息と共に言葉を吐き出した。だがこうもしっかり見られてしまっては、観念して喋るしかないだろう。

「……負った傷が深すぎたんです。リズさんに伺ったところ、傷そのものは肺近く迄達していたとか。それほどの深手でありながら命を永らえたのは、暁幸以外のなにものでもありません。とかく内臓の修復を優先したから、外傷そのものは後回しにせざるを得なかった、と。私もその判断に間違いは無いと思います。傷跡が残ったのは……まぁ、自己治癒と促進の時間差があったせいなんでしょうが」
「あったせいってお前な……!あいつは、リズは……!」
「クロムさん」
血を吐くような声に、静かな声が重なる。背後を振り返ったが首を左右に振った。

「死んでもおかしくない状況でした。命を拾えて、尚且つこの傷一つで済んだ――むしろ、安いくらい。決してリズさんの力不足が原因では無いんですよ」
「だと、しても……っ!」
「私が言わないでくれと頼んだんです。吹聴するようなことでもありませんし、こうやって貴方に責任を感じさせたくも無かった。口止めを頼んだのは私なんです、お願いですからリズさん達を責めないで下さい」
そう言って微笑んだの背中に泣きそうな表情を埋める。

「誰を……!いや、一番責めを負うべきなのは俺だろう!?何故……何で、こんな……!!」
抱き締めた身体は、覚えているよりも少し窶れたように感じた。
あれだけの大怪我だったのだ。生きているだけ拾い物だと言うのは、誇張でもなんでも無いのだろう。

「そう仰ると思ったから、言いたく無かったんですよ……この傷は貴方のせいじゃありません。私――私が。私の意志で負った傷です。たかが傷一つ、貴方の命には代えられ無い。だから、私には何一つ。後悔は無いんです」
身体を包み込んでいる腕が小刻みに震えているのを、肌越しに感じる。ああもう、本当に迂闊だった。

「だとしても――俺のせいで……!」
「ですから、クロムさんのせいじゃありませんってば。あの時はただ夢中で……でも、間違いなく私自身の意志で走ったんです。貴方を失いたく無かった、私の為に。例えそれが元で死んだとしても――私に、悔いはありません。貴方やリズさん達には申し訳無いんですが……命を拾った今でも、そう断言できます。だから、お願いですから。クロムさん、ご自分を責めないで下さい」
死、と言う決してありえない訳では無かった現実と辛抱強く重ねられる言葉に、クロムの身体が大きく跳ねた。

その震えを直に感じたにしても残酷な事を言っている、と言う自覚はある。
結果として背に傷が一つ残っただけ、無茶をした(流石に自覚はある)当人からしてみれば破格の安さだ。例え最悪の結果だったとしても、彼女に悔いの残るようなものでもないし――最も、残された方から見れば噴飯ものの身勝手な理由でしかなかっただろうが。

ただ、だからこそ。
小賢しい頭で思いつく適当な言葉で、今も自分を最も責めているであろうこの不器用で優しい人を。小手先で誤魔化すような真似はしたくなかった。


クロムが自身を責めると分かっていたから――言いたくも、知られたくもなかったのにと胸中で溜息を吐く。
気を抜いていたとしか、いやでもまさか沐浴している天幕に無断で押し入られるとは思っていなかったのだから不可抗力なのかもしれないが。
天幕内を支配する沈黙が耳に痛い。戸惑う風の精霊達を宥めながら、はとりあえず現状を打破すべく言葉を探した。

「あの。ですから。そろそろ……離して頂けないでしょうか。流石にちょっとこの格好は……」
そう言えば離れるだろう、と踏んだのだが何故か身体を抱く腕に力が益々籠る。え?え?と呟くの知覚が、背中に触れる二種類の温かさを捕らえた。

「あの、クロムさ……」
「何故」
擽る吐息がこそばゆい。


「あの時……どうして、笑った」
背中に押し付けられた唇が紡いだ問いかけは、あの時からクロムをずっと苛んでいた――そう、彼しか知り得ぬ残酷な事実だった。

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