砕かれた日常 X
木立の合間を抜け、クロムが走る。並走するに不調の兆しは見えない。否、
(見せない、と言った方が正しのか……)
表情は普段より固く、呼吸も若干だが荒かった。遠方で燃えている炎のお陰でそうとは伺わせないが、恐らく顔色も酷く悪いのだろう。
必要なことだ、とは頑として譲らなかったが、やはり今回の戦いだけでもどこかで待機させるべきなのではとクロムは思う。
自分や仲間の安全に事細かく配慮をする割には、自らに対して頓着が無い――そう思うのは、クロムの思い違いでは無いはずだ。
「クロムさん!抜けたところに、一匹!青銅の斧を持っています!」
「わかった!」
木立を南下すれば、直ぐに砦が見えてくる。先遣たるクロムとのとりあえず目的は、その砦とその周囲の安全の確保だ。
走りながらも
「……抜けるぞ!」
一人に多大な負担を掛けているのに歯噛みしながら、クロムは自身の感情を一時封じ目の前の敵へと意識を集中させる。
視界の先、燃え盛る炎を背負うのは異形の影――
「はぁぁっ!!」
裂帛の気合と共に出会い頭の戦士の形をした異形を、クロムは一刀の下に斬り伏せる。右舷方向から近づいて来ていた傭兵姿の異形は、の放ったサンダーによって塵へと還った。
「左舷方向に戦士が二体、やや遅れて傭兵が一体来ます!フレデリクさん、そいつの迎撃を!リズさん、砦の中へ!」
「お任せ下さい!」
「了解!」
やや遅れてやって来たフレデリクとリズに指示を飛ばし、迫る戦士姿の異形へと向き直る。敵同士の位置が近いため手間取れば同時に相手をしなければならないが、やりようによってはクロムとで二対一に持ち込める。
頷き合った二人が直近の敵へと狙いを定め――
「いた!クロム団長!!」
逆方向から響いた声に、は反射的に標的を変えようとした。が、クロムによってその腕を制される。
「ソワレか!?」
「はい!」
驚いた表情のに苦笑を零し、自警団の仲間だと簡潔に告げる。現れたのは栗毛の馬に乗った、女性騎士――ソシアルナイトだ。
「それに、もう一人……」
ソワレと名乗った騎士にやや遅れて、もう一つの影が明るみに出る。弓を手にした灰青色の髪の男――アーチャーのようだった。
「クロムさん、あちらの方は?」
「いや、あいつは知らんが……」
じゃあ誰だと顔を見合わせ、当事者であるソワレの到着を待つ。彼女に並走しているのなら、敵では無いのだろうが――
「団長、怪我は!?」
「いや大丈夫だ。それよりソワレ、そっちの男は……」
「あぁ、よくぞ聞いてくれた。相手が男ではあるが、特別に答えよう。私はさすらいの高貴な弓使い、その名も……」
「そんなことより!」
そんなこと、と彼の自己紹介をぶった切ったソワレが、徐々に近づいてくる異形に向けて厳しい目を向ける。
「あの化け物をどうにかするのが先だ!クロム団長、あいつは……」
ボクが、と言いかけたソワレにが待ったをかける。
「後ろにもう一体、続いています。得物は斧――私が体力を削ります。とどめをお願いしても?」
ソワレの得物を考慮しです、と簡単に名乗りながら提案をすれば、初めて見る顔に若干戸惑いながらも任せてくれ、とソワレは頷く。と、ここで意外――でもないところから異論が上がった。
「待ちたまえ。そういうことなら、ここはソワレの夫にしてさすらいの高貴な弓使いヴィオールの……」
「誰がなんだって!?」
またもやアーチャーの――ヴィオールと自ら名乗った彼の言葉はソワレによって強制的に中断された。馬上からの鋭い突っ込み。槍の刃先で無いだけ、まだマシなのだろう。
夫婦漫才に見えなくもない二人の掛け合いを横目に、は視線でクロムにいいのかと尋ねる。戦術を考え、組み立てるのはの役目だが、最終的な判断はクロムが下さねばならない。
「ヴィオール、と言ったな。ソワレの夫かどうかはともかくとして……」
「団長まで!」
クロムにまでソワレの突っ込みが入りそうだったが、それはが間に入って何とか往なした。もうそろそろ敵の第一波がやってくる。
「協力してくれるのか?」
「無論だ。未来の妻の為に、惜しむものなど吾輩は何一つ持た――」
「ソ、ソワレさん!ソワレさん!!お願いですから今は止めてください!ぶつけるのならあの化物に!!」
口の減らないヴィオールに顔を真っ赤にしたソワレが今度は刃先を向けようとするが、今度も何とかが押し留める。
ある意味空気を読まない男の登場で、余計な労力を割いているような気がするのは勘違いでは無い筈だ。
「!フレデリクさん、そちらにもう一体、アーチャーが行きます!気を付けて!」
は、としたが、自らの言葉を風に乗せる。クロムが厳しい顔をしたが、続くの大丈夫ですとの言に頷いた。
「敵がきます!全員走れますか?」
「ああ!」
「任せてくれたまえ。」
「勿論!」
それぞれが得物を構え、それを一瞥したもサンダーを構え直す。もう誰の耳にも聞こえる程にまで近付いた木立を踏み倒す音に、弾かれるようにして走り出す。
「行くぞ!」
クロムを先頭に、ヴィオール、、ソワレと続く。程なくして遭遇したのは戦士タイプの化物、クロムが斬りかかる前にその後方から射かけられたヴィオールの矢がその眉間を貫いた。怯んだ化物をその脇をすり抜けたソワレの槍が貫き、止めを刺す。
(強い!)
合流した二人の実力を計りかねていたは、息のあった連係に瞬時に戦術を組み直した。
「ヴィオールさん、ソワレさん、第二波もお任せします!クロムさん、私達はその先、最後の一体の迎撃に!」
「頼んだぞ!」
既に目視できる距離にある二体目の戦士タイプをヴィオールとソワレに任せ、クロムとはその脇を駆け抜けた。黙って通すような相手では無いが、クロムに向けて振り上げられた腕をヴィオールが射貫きその注意を引き付ける。
「二人で大丈夫か?」
「フレデリクさんが既にアーチャーを倒しています。今、リズさんに言伝てを頼みましたからお二人が直ぐに合流して下さいます。」
「そうか。後は俺達が残りを片付ければ終了か?」
「はい。少なくとも、ここ周辺には。……首魁でしょうか、他のより一回り大きい。得物、は、手斧……まず、私が前、に……」
飛び道具相手なら、同じく距離を取りながら攻撃できるの出番だろう。走りながらの会話で、の息が所々で切れる。 この程度でと訝しんだクロムが視線を向ければ、その額に浮かんだ汗を見咎めた。
「いや、俺が行く。初撃は俺が防ぐから、詠唱破棄無しのサンダーを叩き込んでやれ。」
「ち、ちょっ!」
が単独で突っ込むなと叫ぶより早く、クロムが渋面のまま距離を空けた。不調を押して戦いに挑んでいるでは無く、それを忘れていた自らへの嫌悪が強い。
「クロム、さん!」
呼んでも足を止める気配は無い。は仕方なしに魔法の詠唱に入り、いつ何時であっても迎撃可能な状態に入った。
「……抜けるぞ!」
森の切れ目を目視したクロムが叫び、も前方に集中する。
「うぉぉっ!」
飛び出したのは、敵のほぼ真横。不意討ちに近い場所から、クロムが先制の一撃を叩き込む。
『がぁぁッ!』
他の化物より一回りは大きい、と剣から伝わる手応えにクロムが眉をしかめる。断ち切るまでには至らなかった体勢を元に戻し、追撃をかけるべく間合いを取り直す。
「サンダー!!」
と、闇夜を裂く雷撃の方が一呼吸分早く化物を急襲した。目標は叩き込まれた一撃の痕、外を灼くのでは無く内側を破壊するための精密な一撃がクロムの背後から放たれた。
「これで、とどめだ!」
内臓があるかどうかは別として、やはり内部への攻撃には耐性が低いのだろう。大きく仰け反り、生まれた隙をクロムは見逃さない。よろめいた身体に畳み掛けるように、剣を突き立てた。
うぉぉぉんっ……
断末魔の叫びと共に、全身が黒い塵となる。僅かなりともその存在を残さぬ末路に、クロムとは漸く息をついた。
「……あちらも、決着がついたようです。」
「ソワレ達か?」
「はい。フレデリクさんもリズさんもご無事です。後は……」
目を細めていたが、ふと眉を寄せた。
「あの子……」
「?」
どうした、と尋ねようとした声に馬の駆ける音が重なる。
「クロム様!」
「さーん!」
背後を振り向けば、フレデリクとリズ、ソワレとヴィオールが互いに相乗りになってやって来るところだった。
「全員無事か?」
抜き身のファルシオンを鞘に収め、尋ねるクロムに各々が頷く。
「クロム様達もご無事でいらっしゃいますか?」
「あぁ。俺もも問題無い。」
それは良かった、とフレデリクが胸を撫で下ろす。
「でも、まだ火が消えてないね……」
「この辺に水場は無いのかい?」
「一里くらい行けば確かあったと思うけど……」
未だに延焼を続ける木々に、誰もが難しい顔をする。森が焼ければ、それだけ齎せられる弊害も大きくなる。早くに消し止めることに越したことはないのだが。
「……流石にそれでは間に合いませんね。」
今まで黙していたが静かに呟いた。
「。」
「あまり良くありませんが、今、雨を呼びました。大地の精霊も炎の精霊も、今は穏やかです。じき、延焼は止まりますよ。」
「、お前……!」
どうにか作った微かな笑顔を見せれば、クロムが血相を変えて詰め寄ってくる。
「あれほど無理をするなと……!」
「大丈夫ですよ、クロムさん。こんなの無理の内に入りません。」
嘘は言っていない。普通の状態であれば、雨雲を呼ぶことなど大したことでは無いのだ。頭の中がガンガンと音を立てている現状では、無理以外の何物でも無かったが。
「雨を呼ぶって?」
「風の精霊と水の精霊に頼んで、雨雲を呼んで貰ったんです。そんなに大降りにはなりませんが、じき降りだしますよ。」
ソワレの疑問にも平素と変わらぬ応えを返すだったが、クロムの目にはやせ我慢をしているようにしか映らない。
不調の素振りは欠片も見せないが、あの顔色から言って万全の体調であるはずが無いのだ。
「……これ以上は湧いてこないようですね。」
空気が変わった、とフレデリクが呟く。さすがは百戦錬磨の騎士、戦場の気配を詠むのはお手のものだ。
よかった、とリズが胸を撫で下ろし、クロムも渋面のままであったが同じように頷いた。
と、カサリ、という微かな葉擦れの音をの耳が拾う。
「どうやら……他の敵は、この方が片付けてくれたようですね。」
フレデリクの言葉に、全員の視線が集中する。
いつの間にか件の少年――恐らくではあるが――が、木立の間から姿を現していた。
「あ!無事だった!」
心配していた恩人の無事に、リズが笑顔を溢す。初めて見る顔にソワレやヴィオールはやや困惑顔だったが、リズがさっき助けてもらったのだと言えば成る程と頷いた。
「あ、あの。さっきは、ありがとう。」
危険などとは露にも思っていないのであろうリズが、少年の傍らに足を進めた。途端にフレデリクやクロムが眉間に皺を寄せるが、リズも少年も頓着した様子を見せないでいる。
「俺からも礼を言わせて貰う。妹が世話になった。」
剣を納めた状態でクロムも少年に近づき、リズと並ぶようにして立つ。若干妹を離したのは、垣間見た彼の腕のせいでもあった。
「俺はクロム。……あんたの名前を聞いてもいいか?」
クロムの方が、頭二つ分ほど背が高い。それに加えて、少年の体躯が恐ろしく華奢だ。その腰に佩いた剣といい、実力には不釣り合いなほどに。
名前を尋ねられた少年はクロムに答えるでもなく無言のまま立っている。少年の被った仮面が邪魔をして彼が何を見、また何を考えているのかを読み取ることはできなかった。
「……マルス。」
「え?」
重い沈黙の中、不意に細い声が上がる。
変声期を迎える前の細く高い声に、思わずクロムが問い返す。
「僕の名は、マルスだ。」