小さな自警団 T

 
……懐かしい感じがする。

広くて、少しばかり武骨な暖かい背中。昔、まだ幼かった頃、森の中で道を見失った自分を迎えにきてくれたあの人ような。
もう一度だけでいい、けれどもう二度と逢うことの叶わない大切な人。

夢ならば覚めないで欲しいと頬を押し当てた。
……と、途端に周囲が騒がしくなり、微睡んでいた意識が浮上する。

(お願い、もう少しだけ……)
せめて名を思い出すまではと意識の奥に消える面影を追う。

背の高い影、もう少しで手が届く――
そう、思った瞬間だった。


「……う……」
ゆっくりと瞼を開ける。それと同時に記憶の底にあった懐かしい影が消えて行った。
?」
身動ぎしたのが伝わったのか、聞き覚えのある声に名を呼ばれた。

「……――?」
唇が戦慄く。名を呼ばなければ。
まだ、彼の名を覚えているうちに。

さん、大丈夫?」
ソプラノの声と共に、の視界を白い面が占めた。きょとん、と 目を見張り何度も瞬きを繰り返す。

「……リズ、さん?」
「よかった!さん、倒れたんだよ。覚えてる?」
言われて少しばかり記憶を辿っただったが、どうも前後の記憶がはっきりしない。だが、失ったわけではなさそうだった。
「倒れた……?正直、よく……」
「だと思った。なのに魔法防御(マジックシールド)なんて彼に掛けるんだもん。倒れるの当たり前だよ。」
さもありなん、と頷くリズに彼?と小さく尋ねる。

「あれ、覚えてない?あの、私を助けてくれたマルスって……」
マルス、と聞いたが弾かれるように身体を起こした。

「あの子は……!?」
「ぅおっ!?急に動くな、!」
聞き覚えのある声に驚いたが、声のした方――下を見た。
「ク、クロムさん!?」
現在、自分がどういった状況に置かれているのかを自覚したが慌て身を捩る。

「だから動くな、!落ちるだろうが!」
落ちる、との言通り現在はクロムの上――つまり、彼の背中におぶられていたのだ。
「な、な、何?何がどうなって一体こうなってるんです!?」
前後の記憶があやふやな身としては、断固説明を要求したい。それと同時に一刻も早くクロムの背から降りようともがくが、しっかりと固定された身体はびくともしなかった。
「倒れたのはリズから聞いただろう?放っておくわけにもいかんからな。」
「そこは放っておいてください!私は王都までは行かないって言ったじゃないですか!」
「そうだったか?」
の抗議にしらっと惚けてみせたクロムが、器用にも肩を竦めてみせる。
「〜〜!そうです!と、とにかく、降ろして下さい!」
「王都まではまだ少し距離があるからな。遠慮するな。」
「遠慮じゃありません!」
真っ赤になって降ろせと叫ぶに、リズやフレデリクは無論、時折すれ違う見知らぬ旅人達も生暖かい視線を送る。

「リズが言っていたが、魔法防御(マジックシールド)って言うのは普通の魔法と違うんだろ?」
「は?」
「自分の防御力を相手に委譲する、一種の荒業だって聞いたぞ。」
「ま、まぁ……」
「あの状態でそんな荒業やったら、倒れるに決まってるだろうが!」
おお。お兄ちゃん珍しく強気、とリズが呟きは思わず首を竦めた。

「……ご心配をおかけしました。」
「全くだ。頼むから無茶はしないでくれ。」
「ぜ、善処はしますが……それとこれとは別です!降ろして下さいってば!」
「だから遠慮するな。」
「遠慮じゃないって、何度言わせれば分かるんですか!」
堂々巡りの体だが、若干の分が悪い。明らかに余裕の無い彼女に比べて、クロムはそれを余分に滲ませている。はぁ、とため息を吐いたは別方向からのアプローチに切り替えるべく、とりあえず身動きを止めた。

「大体、こんなにのんびり歩いていていいんですか?昨夜の化物が王都に出没してないとも限らないんですよ?」
「あぁ、ご心配無く。道行く方々にお聞きしましたところ、異常は無いようでしたので。」
「……それは何よりです……」
だから、と続けようとした先を今度は別方向から阻まれる。そもそも自分の目で確かめなければ安心しないだろうフレデリクが、こうしている時点で心配は無いのだろうが。だがこれで手持ちの札数が減ってしまったのも事実。こうなれば実力行使も厭わないと、やや物騒なことを考え出したの耳朶を静かな声が打った。

「……そんなに来たくないのか?」
どこに、などと聞くまでもない。恐る恐るといった声の主は、歩みを止め視線だけをに向けてきた。

「……そう言うわけでないんですよ、クロムさん。」
僅かに見える表情に、もまた真剣なものへと表情を変える。その静かな声音に、クロムはならば何故と視線で問いかけてきた。

「……記憶が無いというのは、多分クロムさんが想像している以上に足元が覚束いて無い状態なんです。自分が何者なのか、何故あの場に居たのか全く分からない。だから、今も。正直、不安でしょうがない……」
無論それだけでは無い。あの、出会った時に見た『夢』
いや夢とは呼べぬほどに実感のあった、あの感触、あの慟哭――

何よりも、あの光景が頭にこびり付いて離れない。崩れゆく頼もしくも愛しい背中。いま、こうして服越しに伝わる温もりが自らと関わることで喪われるなど、想像だってしたくない。

「だから。」

知るために、そして何より喪わないために。

「私は私を探しに行きたい。もう二度と、逸れるわけにはいかないから。」



「だったら。」
背中のから視線は逸らさず、クロムも負けじと言葉を紡ぐ。確かに彼女の言う通り、記憶の無い不安は自分に想像できるようなものでは無いのだろう。確かな過去や記憶が自分にある以上、それは推し量るだけのものでしかないのだから。

「尚のこと王都へ来るべきだ。人の集まる場所にはそれだけ情報も集まる。手掛かりだって、皆無ってわけじゃないんだろ?」
「それは……」
そもそもこの程度のことを指摘されるまでもなく、自身分かっているだろう。だがそれを敢えて口に出さないのは、それ以上に秘匿している理由があるからだ。面白くはなかったが、クロムとしてはが意図して口を噤んでいる以上、下手に藪を突くつもりはなかった。
優秀な軍師を逃がしたくないとの打算もあるが、それ以上に彼女の隣は居心地が良い――ほんの数日しか行動を共にしていないのに、妙な安心感があるのだ。

――その感情に今はまだ、名前を付けることはできないけれど。

「そうだよ。王都この辺ではいっちばん大きな町だし、人もいっぱい居るし。マルスのことだって……」
「?リズさん?どうしてあの子が?」
「ん?あれ?だって、彼、さんのこと知ってるような感じだったよ?」
「私を……知って……?」
「リズ!!」
敢えて口にしなかったことをあっさりと口にした妹に、クロムの鋭い視線が突き刺さる。隠すつもりは無かったが、それでも時期を見て告げるべきだと考えていたというのに。

「!!?」
「お、降ろしてくださいクロムさん!手掛かりが……!」
「わ!馬鹿!こら!暴れる……」
「落ち着いてくださいさん!!」
案の定わたわたと暴れ始めたに、慌ててフレデリクが駆け寄る。肩に置かれた大きな手には、と我に返りばつの悪そうな表情をした。

「す、すいません。つい……」
「いえ。焦られるのも分かります。ですが、今は体調を万全にすることと、クロム様の仰る通り情報を集めることが先決では無いでしょうか」
「そうだよ、さん。まだ本調子じゃないでしょ?」
「それは……」
確かにその通りだったが、こうしている間にも手掛かりが刻一刻と遠ざかってしまうようで.。正直、焦らないといえば嘘になる。

「やはり、知己なのか?その……あの、マルスと。」
「……分かりません。でも、あの子の方が私を知っている素振りだったのでしょう?」
「そんな感じだったなぁ、ってだけだけど……でも、何て言うのか……そう、仕草っていうのかな。それが、すっごく優しかったから。さんだって、魔法防御(マジックシールド)なんか掛けてたし……」
「正直なところ、前後の記憶が曖昧なんです。でも、だとしたら……」
殆ど本能的に動いていたのだろう、と胸の中だけで呟く。理由は分からない。でも、それは必要なことだったのだ。

。」
唐突に黙り込んだに、クロムがとにかく、と続ける。

「体を休めるためにも、一度どこかに立ち寄った方がいいだろう。ここまできたら、王都が一番近い。自警団の件……今すぐに返事をしろとは言わないから。」
「……はい。」
回答が保留になったままなのはクロムとしても不本意だが、それでも今はを王都まで連れて行くのが最優先だと自らを納得させた。それと同時に自身も今の状態と現状に折り合いを着けたのだろう。とうとう大人しく頷き、身体の力を若干だが抜いた。

「リズも言っていたが、まだ本調子じゃないんだろう?寝ててもいいぞ。」
「……この状態で意識して眠れるほど、神経ず太く無いんです……」
せめてフレデリクかソワレに相乗りさせてくれと思わなくもなかったが、ここまでクロムが自分を背負ってきたことを考えるとその主張が通るとも思えなかった。ただ正直なところ全身は怠く、未だ知覚の半分程度しか回復していなかったのは自覚していたので、そっとクロムの背に凭れ掛かった。負担をかけない気づかれない程度に、そっと。

「……何だ、リズ。」
「うぅ〜ん?べぇ〜つぅ〜にぃ〜?」
両目を三日月にした妹を一瞥し、クロムが憮然と尋ねた。背中越しに増した体温と柔らかさに、一瞬満足げな表情を零してしまったのを見咎められたのかもしれない。最もすぐさま素知らぬ顔で通してやったが。

「いかがかね、ソワレ。我々夫婦も……」
「誰と誰が夫婦だ!」
結局付いて来てしまったヴィオールと、うんざりした顔のソワレが続き一行は小高い丘に差し掛かった。

「この丘を越えれば王都ですね……」
王都へ通じる主街道であるからこそ、変事が無いと判じたのだがやはり自らの目で見なければ安心はできないのだろう。
いささか焦りの色の見えるフレデリクの様子に、が苦笑した。荷物になっている自覚はあったので、その不安を払拭すべきなのはきっと自分なのだろう。丁度いいかと外套の下に収めてあるものを手探りで探し、傍らのリズに手渡した。

「?なにこれ?」
「遠眼鏡、というものです。位置も高くなってますし、あそこからなら王都の様子が見えると思いますよ。フレデリクさん、リズさんと少し先行していただけませんか。」
「は?」
「何事も無いとは思うがな。」
と、こちらは純粋かつ鈍感に偵察をクロムが示唆した。の言葉の意味を捉えたリズが、少し頬を染めながらありがとうと受け取る。

「は。そういうことでしたら……」
リズに手を貸し、馬上に引き上げる。それでは、と軽く愛馬に拍車を入れたフレデリクと後ろのリズの姿が小さくなっていく。

、ナイス。」
「いやはや、我らが軍師殿が明るいのは戦術のみでは無いようだ。何とも頼もしい限り!」
「?」
ソワレとヴィオールの賞賛には恐れ入りますと苦笑を返し、分かっていない表情のクロムには、まあ、おいおいにと言葉を濁す。クロムがこの手の機微に疎いのは、まぁしょうがないと言えばしょうがないのだろう。


「あー!見えたー!」
名誉ある偵察の任を得たリズが、嬉しそうな声を上げた。
やや遅れて丘陵に差し掛かったクロムが上方を仰ぎ見れば、フレデリクの後ろに鎮座したリズが借りた遠眼鏡を片目に当てている姿がある。
「いかがですか、リズ様?」
「んー!大丈夫みたいー!」
答えるリズの言にフレデリクや、やや後方に居るクロムがほっと胸を撫で下ろした。

「街道にも異変はありませんでしたし、化物が出たのはあの場所のみのようですね。」
「ああ、そうだな。」
背中の荷物を何ともせずフレデリクに並んだクロムが相槌を打つ。ここまで来れば、王都は目と鼻の先である。
現段階で変事が無いのは幸いだが、今後もそうとは限らない。また今後の問題となってくるのは、あの異形だけでも無い。

「さて、ここまで来れば本当にあと一息だ。皆、行くぞ!」
胸に飛来する不安を払拭するかのように高らかに宣言し、クロム達は再び王都へと進路を取ったのだった。

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