小さな自警団 U
アカネイア大陸の南東に位置する国家がある
その昔、一人の人間が神竜ナーガの守護を得、邪竜ギムレーを打ち倒した。
のちに英雄と呼ばれた彼が祖となり興った国――それが、現在のイーリス聖王国である。
「ここが王都……」
うららかな陽光の射す中、行き交う人々の流れを目だけで追いながらがポツリと呟いた。
「うん。賑やかでしょ?」
嬉しそうに振り返ったリズに本当に、とが頷く。
王城へと至る道、城を起点とし四つに伸びる大通りの中で最も広く賑やかな通りでは、普段となんら変わらぬ平穏な日常が営まれていた。
「どうやら、大きな混乱はないようですね……」
道行く人々の穏やかな表情を見て漸く安堵したのか、フレデリクが周囲を見渡しながら呟いた。
「そのようだな。地震もここでは起きなかったようだし……」
「あれほどの規模が局地的に起こった、と言うのが逆に不気味ではありますけど。」
局地的に起こった――と言うよりは、誰かが起こしたと考えるのが正解なのかもしれない、とは胸中だけで呟いた。
現にその証拠を彼女もクロム達も目にしている。
「確かにな。その件も含めて今後検討していく必要があるか……」
「そうですね。ことと次第によっては、国家レベルの話になるかもしれません。」
ことと次第とは言ったが、自身はほぼ間違いなくそうなるだろうと読んでいる。クロム達の自警団がどの程度の規模で国に認識されているかは知らないが、多少なりとも伝手はあるはずだ。一歩間違えば暴徒ともなりかねない組織を野放しにする程、自国の安全意識が低いわけでも阿呆なわけでもないだろう。
見事に整備された城下や、そこを行きかう人々の表情を見ればその程度のことは自ずと知れるというものだ。
「……時に。」
「フードは取りませんよ。」
「……まだ何も言ってないだろうが。」
機先を制するにも程がある、と渋面を作ったクロムにはどこ吹く風で肩を竦めた。
「そうですか?では、どうぞ。」
「……いや、いい。」
まさにその言葉通りのことを口にしようとしていたクロムは、渋面そのままにため息を吐く。
「傍から見たら怪しいことこの上無いとは分かってるんですがね……」
とは言うものの、全くクロムの要望を受け入れる気の無いである。その出で立ちはと言うと、纏った外套のフードをすっぽりと被った、
表情はおろか、体格や性別まで判断させない姿なのだ。如何にその中身がうら若い女性であっても、否、だからこそ不釣り合いだとクロムは思うのだが。
「そう言う意味じゃない。だが、何だってまたそんな恰好を……」
「理由は自分でも分かりませんけど、身体が勝手に動いたんです。……何かしらの意味はあるんでしょう。きっと。」
王都に着くなり(流石にクロムには降ろしてもらった)彼女はまるで人目を避けるかのようにフードを頭から被った。考えての行動ではない、身体が覚えている――そんな感じの動きだった。
「クロム団長。」
「ああ。二人は本部へ先に戻ってくれ。」
まだ出会ってほんの数日だと言うのに、まるで何年も連れ添ったような二人のやり取りが気にならないと言えば嘘になる。しかしこんな大通りでいつまでも屯しているわけにもいかず、ソワレはヴィオールを伴い一足早く自警団本部に戻る手筈になっていた。
「はい。よし、行くぞヴィオール!」
「ふむ。早速夫婦水入らず……」
「ソ、ソワレさん!ソワレさん!流石に街中で殺人はまずいです!」
どうも一言多いのは、ヴィオールの悪い癖らしい。
笑い飛ばせるだけの余裕が相手にあれば話は別だが、今のソワレが相手では早晩流血の惨事になりかねない。
「……やっぱり、私も一緒に行くべきだったんじゃ……」
「ソワレもそこまで短慮じゃないさ。」
なんのかんのと言い合いながら人混みの中に消えて行ったソワレとヴィオールの後ろ姿を見送り、が心配そうに呟いた。相性は悪くないと思うのだが、傍で見ている方は正直言って心臓に悪い。
「それにお前には先に引き合わせたい人がいるって言ったろ?」
「……そうでしたね。」
故にはクロム達と共に遅れて自警団本部に行くことになっているのだ。協力するにしろしないにしろ、一度仲間に引き合わせたいと言うのがクロムの主張だった。
そして、それとは別に合わせたい人物がいると言うのでこれから赴く予定なのだが。
と、ざわり、と周囲の空気が変わった。
喧嘩か、とが辺りを見回せば、大通りを真っ直ぐ城に向かって進んでいる一団が視界に飛び込んできた。
その集団の先頭に居たのは年の頃なら二十代半ばの、ほっそりとした女性であった。物々しい姿の騎士達に守られながら、けれど彼女自身には全く威圧感を感じさせられない。代わりに神秘的とも言える厳かな空気をその身に纏い、周囲に微笑みを向けているのだった。
「あの方は?」
ただ者でないのは聞かずとも分かる。民衆の拝むような反応といい、高位の巫女か何かかと考えただったのだが。
「あの方は、ここイーリス聖王国の国王。聖王エメリナ様であらせられます。」
「……はい?」
誇らしげにフレデリクが答え、予想だにしていなかった答えに思わず尋ね返してしまった。
「聖王……国王?」
「はい。国王陛下でいらっしゃいます。」
「………」
どうやら幻聴でも聞き間違いでも無いらしい。しかし目の前を歩く一団と、その正体を合致させるまでにはしばし時間が必要だった。
「…………」
事実を咀嚼し意味を余すところ無く飲み込んだが、暫くしてから万感の思いを込めたため息を零す。
実際その程度には考えられない事実だったのだ――少なくともにとっては。
「……何か言いたそうな表情だな。」
目深にフードを被った状態で表情が分かるはずも無く、しかしの胸中など考えるまでも無かったのだろう。クロムの続く言葉を正確に理解し、だがは首を左右に振っただけだった。
「そうですか?だとしたら、どこかで面布を買わないと。」
「馬鹿。分かってて言うな。表情なんて見なくても、分かることなんて山程あるだろうが。」
クロムの言う通りである。意を表すのは、何も表情や言葉に限ったことでは無い。分かった上での物言いに、十分含むところがあるのが察せられる。
「……私はこの国の住人ではありませんから。言わぬが花、というやつですよ。」
知ったことかと言うのが本音半分、残り半分は彼女の庇護下に無い自分にはその権も義務も無いという純然たる事実故だった。
「ですが、黙したままの花はいずれ枯れてしまうやもしれません。時に地に根を下ろし、生き永らえることも必要ではありませんか?」
自国の王のこととあっては、フレデリクも黙ってはいられないのだろう。珍しく食い下がる相手の様子に、やや面食らいながらもはため息交じりに呟いた。
「……王の安全と言うものは、何事に於いても優先される。ただ、そう思っただけです。」
聞く人が聞けば何を当たり前な、と一笑に付したかもしれない。だが、そのたった一言に詰め込まれた諫言に、フレデリクは若干怯んでしまった。
「聖王は、この国の平和の象徴なのです。」
言い訳にもならない、と一蹴されるのは目に見えていたがそれでも言わずにはいられない。彼が剣を捧げたかの貴婦人が、この国と民のことを第一に考えた故の行動なのだから。
「古の時代、世界を破滅させんとした邪竜を神竜の力によって倒した英雄……その初代聖王様のお姿を、民はエメリナ様に重ねているのでしょう。」
果たして厚手の外套にその身を隠した女軍師の答えは、軽く鼻晒するという実に素っ気の無いものだった。
「その程度の理由なら、神殿に詣でて偶像でも拝んでいればいいんです。」
「それだけじゃない。今はペレジアとの関係も緊張していて、皆不安だからな……ああやって表に出ることで、民の心を鎮めているんだ。」
「この国の民は、己の不安と王の安全を秤に掛けますか。そもそもそういったものを払拭するのが、神職にある者の務めでしょう。」
でなければ、神職などただの無駄飯喰らいだとは言う。神などという居るか居ないか分からないものの権威を守るために、どれほどの負担が国庫に掛かっているのかを知っているのか、とも。神職に恨みでもあるのか、やけに拘る姿にクロムとフレデリクが揃って首を傾げる。
「やっぱりさんも、危険だと思う?」
「危険以外の何物でもありません。王ご自身とて、自覚が無いとは思いませんが……」
王の決断だとしても、否、決断だからこそ譲れぬことがある。そしてまた、それを諌めるのが周囲の務めだろう。
だよね、とため息を吐くリズには申し訳ないが、我を貫き通す王とその王を諌めることのできない者ばかりではこの国の行く末など既に決まったも同然である。沈む船にしがみ付く理由はには無い。クロムやリズには悪いが、早晩に決断を迫られる可能性もありそうだった。
「人心を鎮めることが不要だとは言いません。ですが、それでも。王の安全は、そのどれにも勝ると――少なくとも、私はそう思いますよ。」
そう呟くの視線の先には、たった一人の女性に縋る数多くの人間がいる。
彼らの姿がその漆黒の瞳にはどう映っているのか――いつか聞いてみたいと。
そんなとりとめのないことを、何故か思ったクロムだった。