小さな自警団 V
「やっぱり連れてきて正解だったな。」
「は?」
唐突に変わった話の流れに、が素っ頓狂な声を上げる。クロムの言が誰のことを指すかなどは聞かずとも分かる。だが、その理由は分からなかった。はただ、目の前の光景に対して全く関係も責任も無い自分が思うところを述べただけであったのだから。
「いや。こっちの話だ。」
「はぁ……」
とはいえ、そこはかと無く嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
「あれ。お兄ちゃん。お姉ちゃん達、戻るみたい。」
「ん?ああ、そのようだな。」
が、次に紡がれたリズの言葉のおかげで、そんな予感は綺麗さっぱりの中から姿を消した。
クロムとリズの視線が向けられているのは、城へと進路を取っていた件の一行。の、先頭。
の記憶が間違いで無いなら、この国の王だと説明された―――
「俺達も戻る……どうした、。」
表情は読めない。だが、中途半端な恰好で何故か微動だにしない――凍り付いているかのように見えるのは、自分の気のせいだろうかとクロムは思う。
「……お、姉さん?」
果たして、ぎぎぃと軋むような音を立てて首を回したの表情は、心なしか蒼褪めていた。
「ああ。」
クロムにとっては、取り立てて騒ぐようなことではない。彼女は――姉、エメリナはクロムが生まれた時から、変わらず彼の姉であったから。だからこそ、当たり前のように頷いたのだったが。
「き……聞いてませんッ!!」
悲鳴にも似た切羽詰まったの声に、クロムは思わず一歩後ずさった。
「言ってなかったか?」
「言ってません!リズさんからお姉様がいらっしゃることは聞いてましたけど、それがこの国の国王陛下だなんてこと、これっぽっちも聞いてません!!」
「言ってなかったんだ、お兄ちゃん。」
「リズこそ、姉さんのことは言ってなんで言わなかったんだ。」
別に何のことはないのだろう。クロムとリズ、この兄妹にとっては。
顔を見合わせ互いに互いの説明不足をこの期に及んで確認しあう二人に、は文字通り頭を抱えた。
「だ、大体ですね!お姉さんが国王だと言うのなら、お二人は……!!」
「イーリス聖王国の王子様とお姫様。まぁ、そういうことです。」
あまりの驚きの為にそれ以上言葉を紡げないでいるを、フレデリクがフォローした。彼女の様子がもの珍しいのか、その声と表情にやや笑いが混じってはいたが。
「そ、そういうことですって……!?じゃあ、自警団と言うのは……」
「王族が自警団をやって悪いという法は、少なくともこのイーリスには無いからな。」
「法に無ければいいってものじゃないでしょう!」
こう間髪入れず詭弁でしかない反応がクロムから返ってくるということは、耳にタコの状態で周囲に言われているのだろう。
開き直ったその理由に同情しないわけではない。わけではないが……
「でもま、気にせず今まで通り普通に接してくれ。……と言ってもお前は誰にでも丁寧だけどな。」
「どうしてそう、難しいことを簡単に言ってくださるんですか貴方は……!」
今まで考えもしなかった事実と直面し不覚にも一時的に凍りついてしまっただったが、いつまでも驚いてはいられない。彼女の優秀な頭と耳はクロムが戻ると言っていたのを、忘れてもまた聞き逃してもいなかったからだ。
王弟、王妹――詳しくは聞いていないが、二人の護衛であるならばフレデリクとて一角の騎士に違いない――その彼らが戻る場所など決まっている。
「どうした、。」
「……いえ。」
そうは言いつつも、の頭の中ではどうやってこの状況から逃れるかの算段のためフル回転している。
今なら分かる。クロムが何故、自分を王都へ連れてきたかったのか。連れてきて正解だと言ったのか。
「……俺の目には、じりじりと距離を取っているように見えるんだが。」
「気のせいではありませんか?」
真っ赤な嘘である。周囲には人ごみ、それもこれだけの人の数だ。退路は山程ではないが、無いわけでも――
「。」
「何でしょう、クロムさん。」
にっこりと笑ったまま、正面を向いたまま後退するに、いっそ見事といえる深さの皺がクロムの眉間に穿たれた。
「聞いても無駄のような気がするが、一応聞いておくぞ。……どこに行く気だ。」
「いえ、ちょっとそこまで。」
うふふ、と笑顔を張り付けるに、クロムの機嫌が急降下した。見事なまでに予想通りの答えだったからだ。
「俺達も戻る、と言ったよな?」
「私も言いましたよね。王の安全は何にも勝る、と。」
どこに、と言わずとも、何故に、と問わずとも両者の意見は真っ向から対立する。
不穏な空にの流れる両者の間に挟まれたリズが、傍らのフレデリクを不安げに見上げた。
「お二人とも、いい加減になさって下さい。こんな街中で何を考えられているんです。」
リズの意を受けたフレデリクが二人の間に割って入るが、その空気は収まる気配を見せないでいる。
それだけ、互いに本気で譲れないからなのだが――
「王の――ひいては、この国の安泰を。そう言えば、納得していただけると思うのですが。」
「だからどうしてそこで姉さんや、イーリスに繋がる?」
「分かっていらっしゃることを、聞き返さないでくださいクロムさん!」
ああ、確かに分かっている。彼女は言ったのだ。身元の不確かな自分を簡単に信じるな、と。そして、重ねて王の安全――姉の身のことまで言及した。知らなかったとは言え、その彼女の言いたいことなど百も承知だ。だが。
「お前だってそうだろう、。俺は、お前を信じると。そう、言ったのを忘れたわけじゃないだろう。」
「貴方と言う人は……!!」
どうしてそう、自分を揺らがせるようなことばかりと奥歯を噛み締める。
忘れるはずがない。足元の不確かな、自分で自分を一番に信用できないこの状況で、何よりも嬉しかった言葉を忘れることなどできるはずが無いのに!
「私が間者でないと言う保証がどこにあります!貴方や貴方の大切な人を傷つけないという、確かなものなど何も無いのに!」
「だが、間者では無いだろう!」
「でしたらいっそ、そうだと肯定しましょうか!?」
「お二人とも!!」
人目を憚らず剣呑な言い合いになったクロムとを、フレデリクが一喝した。は、と我に返ったクロムとが互いにばつの悪そうな表情をする。
「……とにかく。」
仕切り直しとばかりに声音を戻したクロムが、難しい表情をしているに再び告げる。
「王城に戻るぞ。隠してたつもりはないが、言わなかったことは謝る。お前に会わせたい言ったのは、もう察しがついているとは思うが俺の姉だ。」
「謝って欲しいわけじゃありません。クロムさんが悪いわけでは無いんですし。……ですが。」
「行けない、か?」
「……クロムさんやリズさんにとっては姉君であり、この国の王でもあられる。そんな場所に、私が足を運べると思われますか?」
質問に質問で返され、だが正直自分達の素性が知れれば彼女がそう言い出すだろうことは、クロムも頭のどこかで考えていたのだ。
だが。
「俺はお前を信じると言った。その言葉を撤回する気は微塵も無いぞ。」
迷いの無い言葉に、毅い眼差し。の最も苦手とする――そして最も惹かれて已まないクロムの貌だ。
「……城下に宿を取ります。クロムさん、それで納得していただけませんか。」
「俺は姉さんに会わせたい、と言ったんだ。」
「……どこかで妥協点を見つけなければ、結局物別れで終わりますよ?」
「あいにく、政治や駆け引きには疎くてな。」
肩を竦めるクロムに疎いで済むか、と思ったが敢えて言及はしない。疎いなら疎いで、有利なのはだからだ。流石に今回ばかりは――引くわけにはいかない。
「フレデリクさん。」
「は。」
「どこか、城下の宿を紹介してください。王家に仕える貴方なら、信のおける宿の一つや二つ、ご存じでしょう?」
この場合の信用とはクロムやフレデリクの信用である。クロムはエメリナとを引き合わせたいと言っているが、最も望んでいるのは自警団への協力のはず。ならば、最も忌避すべきなのはがこのまま逃亡することだろう。
「。」
「クロムさん、これが私の譲れる最大限です。このまま条件を呑んで下さるなら、期間の制限は設けさせて頂きますが自警団に協力しても構いません。」
「ほんとに!?」
成り行きを見守っていたリズが、の出した条件に目を輝かせる。姉と会わせたいと思っているのはリズも同じだったが、それは何も今でなくてもいいはずだ。兄の方を見れば、だが不満の残る渋面を隠そうともしていない。
「……聞くが、何故そうも拒む?」
「王の安全は何にも勝ると。優先すると言ったでしょう。……それに。」
言葉を切ったに、クロムが怪訝そうな表情をする。続けようとした言葉は胸の内に仕舞い込む。
知らなくていいはずのこと、知らない方がいいはずのことだと――僅かに痛んだ胸の奥底へと、芽吹いた淡い感情ごと己が深奥へと沈ませた。
「?」
「……この世の中に、取り返しのつかないことというのは結構あるものなんです。その『何か』が起こってしまった時、一番後悔するのはクロムさんなんです。……お願いですから、私をその原因にさせないで下さい。」
僅かな迷いを瞬時に噛み砕いたに、クロムは顔を顰めた。
恐らくの言っていることの方が正しいのだろう。王の安全を配慮するなら、身元の不確かな者を近付けるなど普通なら考えない。クロムとて、その相手が彼女でなければこうも食い下がりはしなかった。
「……そうしてお前は、俺との間に線を引くのか。」
正しいこと、普通のことをそのまま鵜呑みにすれば、との距離は今のまま――確実に引かれた線の、向こう側とこちら側のままでしかない。だが、クロムにとっては何に於いても、どうしても――
「それが――必要なものであるのなら。」
我慢ならなかったのだ。
「……分かった。」
ふう、とため息交じりに呟いたクロムに、フレデリクやリズが目を見張る。も内心驚いていないわけでは無かったが、それくらいの分別はあるのだろうと漸く胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます、クロムさん。……わがままを言って、すいません。」
いいや、と首を左右に振るクロムに苦笑を零し、次いでフレデリクに身体ごと向き直る。どうせ直ぐには合流できないはずだ、自警団の本部へ行くと言うよりもこちら方が確実だと踏んでいた。
「お手数をおかけしますが、宿に案内していただけますか?あと、できれば食事が美味しくて個別に浴室のある……って、きゃあっ!?」
「お兄ちゃん!?」
「クロム様!?」
悲鳴を上げたの身体が宙に浮き、否、浮いたと思ったら軽々と担ぎ上げられてしまった。誰にとは考えるまでもない。
「ク、クロムさん!?」
「フレデリク、リズ。城に戻るぞ。」
の身体を肩に荷物よろしく担ぎ上げたクロムが、呆然としているフレデリクとリズに帰還を指示する。あまりのことに驚くばかりのも、しばし抵抗を忘れてしまった。
「クロムさん!な、何を……!?」
「だから予定通り、城へ戻ると言ってるんだ。」
「わ、分かったって……」
「言ったな。お前の意志が固いのは十分に。だが俺は、俺の意思を変えるとは一言も言ってないぞ。」
前後逆に担ぎ上げられ、体を捻る形でクロムを覗き込んだがあまりの言い分に絶句する。言葉が足らないにも程がある、などと言う正論はしかし聞く耳持たないだろう。
「クロムさん!ちょっと、本当に……!!」
「……俺達と別行動を取ったら、ここから逃げ出すつもりだったんだろう?。」
「な……!」
図星を刺されて、ぎくりと身体を強張らせる。何故、という表情がフードの下から表れ、やっぱりな、とクロムがため息を吐いた。
「……それが一番安全で確かな方法だからな。一度足取りを失えば、俺達に足取りを追う術も時間も無い。お前は晴れて、自由と俺達の安全を確保できると言うわけだ。」
「…………」
「さん……」
企てを一から十まで見抜かれ、流石のリズにも恨みがましそうな視線を送られてしまった。視線を逸らしつつ、そこまでと呟く。
「そこまで分かっていらっしゃるなら、降ろしてもらえませんか。やっぱりどう考えても危険すぎるんです。」
「却下だな。お前は自分を危険だと言うが、それこそ好機はいくらでもあった。これまでの道中のことだってある。俺がお前を信頼するには十分過ぎるんだからな。」
「あのですね。今までとこれからとでは、状況が違うでしょう!!」
「変わらんさ。何もな。」
どうやら完全に聞く耳を持たないと決めたらしいクロムが、肩の上からの抗議などものともせずに歩き出した。無論逃げ出せないように、その腰をしっかりと掴んだまま。
はっきり言って目立つことこの上ない二人の後を、フレデリクとリズが一瞬顔を見合わせてから慌てて追いかけた。
ああなってしまえば、クロムがもう絶対に譲らないことを二人は経験上知っていたので。
一見しただけなら人攫いと見間違われたかもしれない。何しろ抱えられているのは年若く見目の良い女性。だが抱えているのもれっきとしたこの国の王子で、抱えられている当人は耳まで真っ赤になった表情を惜しげもなく周囲に晒している。注がれている視線は好奇やら生暖かいやらと種類には事欠かないが、早晩根も葉も無い――否、なくも、無い噂がイーリス中を席巻することだろう。
そんなとりとめの無いことを考えていたリズの耳に目立ちたくないだの何だとの抗議の声が前方から飛び込んできたが、その声がまず耳目を集めているのだとこの場合忠告すべきであろうか。
「ん。でもいっか。逃げようとした罰、ってことで。」
「左様でございますね、リズ様。」
なんだかんだと言って、結構似たもの同士の姫君と騎士であった。