小さな自警団 W


「お……お帰りなさいませ、クロム様。リズ様。フレデリク様。」
「ああ。」
城内にいる家臣や女官達は主家二人とその騎士、そして見かけない顔の女性とすれ違うたびにその足を止め若干震えた声で儀礼に則った挨拶を送る。声が震えているのは威厳、又は畏怖のせいではない。確かにクロム自身と最後尾を歩くはうかつに声を掛けられるような状態では無かったが、二人の間を歩くリズやフレデリクは先頭を歩くクロムを見た家臣や女官達と同じく笑いを噛み殺しているのだった。
何故なら。

「ぷ……くくっ、お、お兄ちゃん。ラ、ライブ、かけひょっか?」
「いい。リズ、笑うか喋るかどちらかにしろ。」
「ふ、ふわぁ〜〜い。」
素直に頷くも、リズから笑いが止まる気配は無い。それを察してクロムの機嫌は更に悪くなり、更なる周囲の笑いを誘う――何とも言えぬ悪循環であった。あのフレデリクさえ時折肩を震わせ、その悪循環に拍車をかけている。
その原因、元凶はと言うと。

「謝りませんからね。」
最後尾のがポツリと呟き、堪らなくなったリズが大きく噴き出す。途端にクロムとから鋭い視線が送られたが、その肩の震えは止まる気配を見せないでいた。

「俺も謝らんぞ。」
「ぶ。ぐっ……」
笑いを噛み殺し損ねたらしい音が再び零れ、リズ様、と窘める声が続くもその声すら震えているというのだからとかく説得力に欠ける。何がそうリズやフレデリクを、はたまた躾の行き届いた女官達の笑いを誘っているのかと言うと。

「時と場所を考えろ。」
「そのセリフ、そっくりそのままお返しします。」
「ぶ、ぶふーーーっ!!」
たまらず噴出したリズを、今度は振り返ったクロムが睨み付けた。――何故か、その左頬を腫らしたまま。

「リズ様……」
諌めるフレデリクの声にも力が無い。その衝撃的かつ決定的瞬間を目撃してしまった一人としては、早く治療を受けるなりして欲しいのだが

城下町で民衆の好奇の視線を一身に集めながら行軍したクロム一行(ちなみに集めていたのは、先を歩いたクロムとの二人だけである。薄情なリズとフレデリクは二人の姿を見失わない、だが全くの他人の振りをできる距離を保っていた)は、無事王城へと帰還した。城門を潜り、跳ね橋を渡り場内に足を踏み入れた所で漸くクロムはを肩から降ろし、彼女は漸く地に足を付けられたのである。色々な意味で。
そして次の瞬間、何が起こったかのかと言うと。

「!?」
「謝りませんからね!」
すっぱーんと言う小気味良い音と、それに続いた威勢の良い声。幸か不幸かその瞬間を目撃したのはリズとフレデリクだけだったのだが、腫れ上がるとまではいかずとも確実に赤くなったクロムの左頬とそれを打ち抜いたの右手に数瞬、言葉を失ったのは紛うことなき事実だったわけで。

そして、冒頭へと至るわけである。

「口より先に手が出るか、普通!?」
「ですからそのセリフ、そっくりそのまま熨斗をつけてお返ししますと言いました!」
ひっぱたかれたクロムも、ひっぱたいたも人目を憚らず低レベルな口論を繰り返している。いつの間にか後ろに続く形となったリズとフレデリクは、とにかく笑いを堪えるのに精一杯だ。城の最奥部に向かっているので、件の姿を目にする人間は大分少なくなっているのが唯一の救いだったのだが。
玉座の間――謁見の間に続く大階段近くまで至り、クロムはぶっきらぼうに呟く。

「この階段を上がった先が謁見の間だ。」
「…………」
足を止めたクロムに倣い、も頭上を仰ぐ。毛足の長い緋色の絨毯が真っ直ぐに伸びる、壮麗な石造りの城。大の大人が五、六人は裕に通れそうな大階段が正面に続き、その終点には遠目にも豪奢な細工のされた大扉が見える。恐らくあの扉の先が謁見の間なのだろう。

「……最後にお聞きしますが、本当に私を連れて行かれるおつもりなんですね?」
「ここまで来たんだ。いい加減諦めろ。」
諦めるも何もと思ったが、確かにここまで来てしまった以上もう後戻りするのも難しいだろう。目立ちたくないと言ったのに、ここまでの道すがら不本意極まりないながらも耳目を集めてしまったことは記憶に新しい。無論、その元凶にはきちんと礼は返したが。

はぁ、とため息を吐いたに、結構諦め悪いよねと他人事のようにリズが呟く。いや、実際他人事なのだが。
さて行きますか、とフレデリクが全員を階上に促した時、一行を――否、クロムを呼び止める声が響いた。


「お帰りなさいませ、クロム王子。」
呼び止めた声は低く、皺嗄れた男の声だった。その声に覚えのあったクロム、リズ、フレデリクは勿論、心当たりの無かったもその方向を振り返る。

「トーラス大神官……」
「ご無事で何よりです。姫殿下も。」
「あ、ありがとう……ございます。」
老獪な、と言うのがの受けた第一印象だった。質素な形をしているが纏った神官服の素地や、胸元を飾る意匠を見ればそれが相当高価なものだと分かる。クロムが大神官、と呼んだこともあって相当に高位の僧なのだろう。
頭髪はやや寂しくなっているもののまだまだ矍鑠とした様子、小柄な体躯と柔和に見える顔の作りに油断は禁じ得なかった。見えるとが判断したのは、ちらちらとこちらに寄越される視線の色と数とがその表情に一致していなかったせいでもある。

急に萎縮してフレデリクの陰に隠れてしまったリズの様子を見ても、あまり歓迎できる御仁でないだろうことは初対面のでさえ簡単に予測できた。

「ですが、あまり感心は致しませんな。こう王弟、王妹が揃って頻繁に城を開けるなど。しかもたかが山賊退治の為に。のう、そうは思われませんか、フレデリク殿?」
「は。申し訳ございません、私共の力不足故……」
「な!?それは……!!」
嫌味以外の何物でもない副官への苦言に、すかさずクロムが色めき立つ。けれどそんな気配を察した傍らのがこの程度の嫌味を軽く流せずにどうする、と視線で彼を押し留めた。

「特にクロム殿下。御身は国宝ファルシオンを継承された、大事なお体。本来であれば、エメリナ様をお助けすべく城に居を置かれるが正しいことのはず。ましてやエメリナ様ご自身に後継ぎが居られぬ以上、その血筋を残すのも御身に課せられた義務でございましょうに……」
顔を合わせる度に言われている小言だったが、クロムは何故か自分でもぎょっとする程反応してしまった。咄嗟に傍らのの様子を伺うが、特に変わった様子もなく佇んでいる。

「トーラス大神官殿。お客人の居る前で、そう言ったお話はいかがなものかと……」
「ふむ。確かに見ぬ顔ではありますが……」
自分でも拍子抜けするほど反応の無かったの様子に気を取られていたクロムが、二人のやり取りを聞いて我に返った。自分達にでさえこうなのだ。初対面の相手に何を言うつもりだと身構えるも、かの御仁に見えない角度で当のがそれを制しトーラスに向き直った。
そして、
「お初にお目もじ叶います。私、此度クロム王子殿下旗下の自警団に身を寄せることとなりました、と申します。今後お見知りおきいただけますと幸いです。」
一瞬耳を疑うほどの馬鹿丁寧な口上と、優雅な仕草でもってトーラスに向けて頭を下げたのだった。

「ほぅ。市井の出にしては礼儀を弁えていると見える。だがあまり感心はしませんな。たかが一市井の民草が、こうも気軽に王城に出入りするなど。」
「まことに仰られる通りでございます。ですが、此度イーリス周辺では蛮族による横行、それに加えて今まで見たことの無い異形の徒による災禍に見舞われております。大神官殿やそれに連なる神職の方々の祈りを以てしても終息せぬ有事に際し、聖王陛下におかれましてはその民草の不安と悲哀に胸を痛められ幾度となく御自らその不安を収めるべく城下に行幸を為されているとか。我らはその御心と庇護を受けたる民草の一人として、微力なれどこの有事を鎮めたいと願う者達でございます。どうか神竜ナーガの説かれる寛大なる御心におきまして、御前に侍ることをお赦しいただきとうございます。」
よく舌を噛まないな、などと変なことに感心しているクロムとは違い、フレデリクは丁寧な中にも慇懃無礼な語句がきっちり含まれているのにしっかりと気付いていた。意訳するなら、貴様ら無駄飯喰らいのおかげで王や自分に余計な手間をかけてるんだからがたがた言うなこの野郎、と言ったところだろうか。

「た、確かに。今は近年、稀にみる有事の際……我らの祈りだけで収まらぬ怪異なら、民草の一人一人が尽力するのが当然と言うもの。貴殿の申されることは、ナーガ神の御心に沿われることに相違なかろう。慢心せず、イーリスの為に励まれるがよかろう。」
「流石は高位の神職に座されるお方、御心が広うございますね。ご配慮に心からの感謝を致します。ですが、申し訳ございません。このままご高説を賜りたいところなのですが、生憎と国王陛下との謁見の刻限が迫っておりまして……」
「あぁ。左様であるか。くれぐれも失礼の無いように。」
「御前失礼致します。……さ、クロム様。」
「あ、あぁ。」
最後に優雅な一礼をし、呆けたクロムを促す。呼ばれたクロムだけでなく、リズやフレデリクも我に返ると目の前の大階段に足を掛けた。何しろ三人が三人とも、件の大神官と行き合ってこんな短時間で解放されたことが信じ難かったのだ。狐に摘ままれた感のまま階段を登りきり、大扉の前まで移動する。

去っていく姿を目を眇めて見送っていた老神官だったが、僅かに一瞥を残すとそのまま一度も振り返ることなくその場を後にしたのだった。


「お帰りなさいませ、クロム様。」
「あぁ。姉さ……いや、国王陛下は。」
「現在、謁見が長引いておられます。控えの間にて、少々お待ち下さい。」
「分かった。済まないな。」
クロムから労れた警備兵が恭しく頭を下げ、謁見の間に続く大扉を左右に開く。同色の絨毯が敷き詰められたやや短い廊下、その突き当たりには同じような大扉があり、左右には控えの間と呼ばれている小さな部屋があった。
クロムを先頭にリズ、フレデリク、と足を踏み入れ、が扉を静かに閉めた。と。

「凄い凄いすごーーーい!さん凄い!どうしたらあんなに上手く切り抜けられるの!?」
それまでの沈黙を取り戻す勢いでリズが飛び上がった。一瞬呆気に取られて目を丸くしただったが、すぐに苦笑を零し少女に向き直る。

「クロムさんやリズさんの様子から察するに、余り長く話をしたくない方のようでしたから。余計でしたか?」
「いや。そんなことは無い。むしろ助かったが……」
「今までクロム様とリズ様があの方に解放していただけるまでの、最短時間ではなかったでしょうか……」
珍しく歯切れの悪いクロムと驚嘆の表情を隠さないフレデリクに、は肩を竦めた。正直なところ言葉の端々からも、意気高な雰囲気はだだ漏れだったので特に懸念はしていなかったのだが。
「あの手の御仁には、先制して畳み掛けるのが一番ですよ。権威を振り翳す者は更に上の権威には滅法弱いのが常ですし。国王陛下には申し訳無いと思いますが、ご弟妹の為でもありますので大目に見てくださると助かります。」
虎の威を借るなんとやらだが、この場合問題は無いだろう。リズもうんうん、と頷きむしろもっとやって問題無いよと中々 に辛辣だ。

「あ……と、その、な。」
「?クロムさん?」
どうかしましたか、と尋ねるに、いや、と言葉を濁す。何やら言いたいことのある様子だが、流石に何を言いたいかまでは察せなかった。
「ま、何にせよ、早めに解放されたのは暁幸でした。お蔭で準備ができますから。」
「準備?」
「ええ。まさか、このままの格好で一国の王にお会いする訳にもいかないでしょう?」
「だが、俺達の姉さんだぞ?」
「……あのですねクロムさん。確かに姉君でもいらっしゃいますが、同時にこの国の王でもいらっしゃるんです。最低限の礼節があって然るべきでしょう。」
「ま、まぁ……そうかもしれんが。」
まったく、とため息を吐いたが、外套の下からごそごそと何かを取り出した。持ってて下さい、とクロムに押し付けたのは鏡。そして備え付けてあったテーブルに広げたのは、化粧道具一式だった。

「よっ……と。」
!?」
次いでおもむろに纏った外套に手をかけると、一気にそれを脱ぎ払ったのだった。まさか(外套だけとは言え)脱ぐとは思っていなかったクロムが真っ赤になる。最もすぐクロムの持った鏡を覗きこむように身体を二つに折ったは全く気付いていなかったが。
普段太陽にも人目にも晒されぬ肌は白くそれでいて決して不健康さを感じさせない抜けるような肌色は、室内がやや薄暗い中であるせいか妙に艶かしくクロムの目に映った。肩から背中にかけて大きく開いた地味な色の上衣に、同色の編み上げビスチェをその中に着込んでいる。 背中が大きく開いている意匠の上衣ではあるが、代わりに編み上げのビスチェがその大部分を隠していて。下は足の付け根程度までしか丈の無いショートパンツ、代わりに膝上迄あるロングブーツと更にガーターで止めた長もののストッキングを履いている。
ぶ厚い外套からは想像できないほど華奢な、だが屈んでいる故に強調されている胸元は思わず視線を釘付けにされてしまう程に豊かで…

「ゴホン!」
「!?」
わざとらしい大きな空咳に、クロムが弾かれたように我に返った。

「クロム様。」
「お兄ちゃん……」
フレデリクはおろか、いやむしろリズの視線の方が遥かに痛、否、冷たかった。クロムは咄嗟に視線を反らし、あらぬ方向を凝視する。
ちらりと横目だけ使って見れば、幸い当人は何も気付いていない模様――戦略的撤退に間違いは無さそうだった。

「?どうかしましたか?」
「い、いいいいや!な、何でもないから気にするな!」
「はぁ……」
は化粧をする手を止め、僅かに首を傾げた。目の前にあるのは何故か顔を赤くしたクロムと、そのクロムを冷ややかに見つめるリズとフレデリクが居て。何も無い訳でも無さそうだったが、は特にそれ以上は言及せず再び作業へと集中した。厚化粧より、薄化粧した美人に化ける方が遥かに難しいし面倒くさいのである。

「……そう言えば。」
「何だ?」
「先程の方はどういった方なんですか?」
「どういったって、どゆ意味?」
「大神官、と言うことは神職に就かれている方ですよね?それにしては、随分政に嘴を突っ込まれた発言だったものですから。」
あの短い会話でそこまで読み取ったにとフレデリクが感心して頷く。

「先代国王陛下の御代より、お仕えになっていらっしゃる方です。古参の方はもう片手に余る程にしかいらっしゃられませんので……」
「つまり長生きなのをいいことに、政治にまで口を出してこられる典型的な小者でいらっしゃるわけですね。」
「左様でございます。」
「お兄ちゃん、何か二人が黒いよ……」
「言うなリズ。世の中には気付かない方が幸せなこともあるんだ。」
エメリナに対し含むところの大有りな発言は、いかにフレデリクと言えども看過はできない。否、フレデリクだからこそと言うべきか。

「年長者の方々は基本、敬うようにしていますが、あの方は漏れなく例外で良いようですね。まぁ、小者な分扱い易くはあるでしょうけれど。」
「は、全く問題は無いかと。まぁその分だけ敵も多い方です。そのうちどなたかにさくっと某殺されてもおかしくありません。」
「そう言う物騒なことは、是非とも私のいない場所でお願いしますね。」
朗らかな笑顔のまま明らかな毒を吐くフレデリクに、クロムやリズは大いに引いたがなどはどこ吹く風だ。
時と場合と必要さえあれば、その指示を出すことに微塵の躊躇いも無い彼女からすればこの程度のことなど何でもないのだろう。

「ね、ね、さん。何でトーラス大神官が政治に口を出しているって分かったの?」
「ああ、簡単ですよ。クロムさんに後継ぎがどうのこうのと仰ってたでしょう?恐らく私が女だったから牽制をかけたつもりだったんでしょうけど……」
「は?」
リズの疑問に何でもないように答えたの前あたりから、素っ頓狂な声が上がった。

「『は?』ってどう言う意味ですか、クロムさん……」
誰がなどと考える必要もない。事と次第に依っちゃ血の雨が降るぞコラ、的な低いの声に臨時鏡台をしていたクロムが、慌てて首を左右に振る。

「あ、い、いや。そ、そーじゃなくてだな!?」
「ほー……では、どう言う意味でしょう?」
化粧をする手を止め、にっこりと笑顔を作る。最も笑っているのは顔だけで、目はちっとも笑っていなかったが。

「あ、いやその……あーだから、その。そ、そう言えば、お前女だったなって……」
咄嗟に出た苦しい言い訳――言葉通りの意味もあったし、それ以上の意味もあったのだが。無論たったそれだけの言葉だけでは、クロムの本意など微塵も欠片も伝わらないわけで。
ビシリと音を立てて固まる空気、は勿論だがリズも負けず劣らず冷たい目で兄を凝視していた。

さん、はいこれ。」
「よろしいんですか、リズさん。」
「うん、いいよ。壊れたら、お兄ちゃんに弁償してもらうから。」
そう言ったリズから手渡されたのは、ライブの魔杖。受け取ったは、ありがとうございますと利き手に杖を持ち替え軽く振ってみた。重さも手ごろ、本来の用途とはかけ離れているが後顧の憂いもない。では、いざ。

「ぅおぉぉぉっ!?」
その細腕からは信じられないほど鋭い、重い一撃がクロムに向けて繰り出された。繰り出したのは言わずもがなのであり、その得物はリズから借り受けたライブの魔杖である。

「ちょ……ちょっと待て!?」
「待ちません!!」
持っていた鏡を取り落とし(ガードしなければ、絶対いい一撃がクロムの頭上を見舞っていた。ちなみに鏡は床に落ちる寸前、フレデリクの手に因り無事救助された)、真剣白刃取りならぬ真杖白棒取りによって襲いかかった攻撃を何とか防ぐ。そのまま鍔迫り合いならぬ棒迫り合いに縺れ込み、息が交わされる至近距離まで互いの顔が近付いた。

「待て待て!ちょっと落ち着け!」
「これが落ち着いていられますか!誰がなんですって!?」
「いや、だからそうじゃなくて……いや、そうなんだが、っていや待てちょっと待て!落ち着けって!!」
「信じらんない、お兄ちゃん。」
「……エメリナ様に合わせる顔が……」
命の危険に曝されている実兄と主家の危機を、だが薄情な二人はさもありなんと頷いて見守るだけだ。特にリズなど女性への許し難い暴言に、完全にお冠の状態である。

「いや、すまん!お前のことをそういう目で見たことがなかった……って待て待て待て!!お前軍師だろう!?」
「ええ軍師ですよ!ですから、口の減らない指揮官への制裁も私の仕事の一つです!!」
「そ、そう言う意味じゃ無くてな!?って、今軍師って……」
「だからなんです!?軍師だからって、女性に対しての暴言をサラッと流せるわけがないでしょう!」
「そうじゃ無く……お、お前本気だな!?」
「ええ、本気ですとも!」
無論剣も使えることは知っているが基本魔法を主軸に戦う人間の力じゃないと言うことを言いたかったのだが、如何せん頭に結構な量の血が上っているである。とかくクロムの言葉が足りないのも相まって、墓穴を掘りまくっているのを薄情なことに誰も指摘しなかった。
受け止めているクロムに対し、自身の体重も利用して負荷を掛けている。体勢が不利なのは無論クロムの方だ。ぎりぎりと押し込められ、体勢は崩れる一方。しかも視界には満面の笑っていない端正な笑顔と、体を屈めているせいでより強調されている胸の谷間が……

あ、と思うももう遅い。注意が逸れたのを敏感に感じ取ったに足を払われ(そこまでするか!?とはクロム談。響いた鈍い音にそのまま気絶しちゃえ、と冷たいことを思ったのはリズである)、完全に床に抑え込まれる。ライブの魔杖でクロムの身体を抑えたまま馬乗りになり、腰の周辺を完全にホールド。白兵戦でもその実力を発揮できることを、如何なく披露してくれたわけで。

「貴方も王族の端くれなら、少しは礼儀やデリカシーと言うものを覚えてください!」
「は、端くれって……おい、それって結構ひど……」
「何ですか!?」
「い、いや。だからな?俺は女性に対しては基本礼儀正しい……」
「お兄ちゃん、墓穴って言葉知ってる?」
「……益々、エメリナ様に合わせる顔が……」
「なるほど。よ〜〜〜〜っく分かりました。つまり、私はクロムさんにとって女性に見えないというわけですね!ええ、もう!よく分かりましたとも!!」
自分で言って油を注いでいるに、流石のクロムもこれはまずいと内心焦りだす。
確かに取り立てて意識はしていなかったが、それは簡単に担ぎ上げることのできる身体の軽さや服と背中越しに感じた柔らかく暖かい感触を務めて意識しないようにしていたからであって……

「いや、待てって!そうじゃなくてだな、問題は一見しただけじゃお前が女に見えないと言う……」
もう駄目だこの愚兄、と内心で呟いたリズがこれ見よがしにため息を吐く。教育方法を間違えたか、とフレデリクですら悔恨のあまり頭を抱えそうになった。
果たして当のはと言うと。

「ええ。ええ。どうせ私は女に見えませんよっ!!」
「待て待て早まるなちょっと落ち着け!リズ!フレデリク!!お前らも見てないでを止めろ!!」
じたばたともがくクロムにだがリズやフレデリクは黙して動かず、はどう止めをさしてやろうかと決して笑っていない笑顔のまま思考に明け暮れる。

いかん、このままでは本気で生命の危機だとクロムが真剣に弁解を考えだした(遅い)その時。


「クロム様。リズ様。エメリナ様のお支度が……」
控えめにノックされた扉の外から女官が室内へと顔を覗かせた。
押し倒されているクロムと押し倒しているを視界に入れ―――

パタン。と扉が静かに閉じられた。そしてぱたぱたと去っていく、軽い足音……

「「「「…………。」」」」

地獄のような沈黙が控えの間を支配する。
その後のイーリス王宮内において。暫くの間王子・クロムは女官達の密かな囁き合いに大いに悩まされることになるのだった。

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