小さな自警団 X
「ご苦労様でした、クロム。リズ、フレデリクも。」
女官の誤解を解き(最も瞬く間に広がったゴシップはそう簡単に消えることはなかったのだが)、謁見の間に通されたクロム達を迎え入れたのは、聖王エメリナの文字通り女神の如き微笑みと労いの言葉だった。
謁見の間最奥の玉座、一段も二段も高い場に座しながら彼女は誰にでも同じ目線で語りかける。特に跪く必要の無いクロムとリズがいるおかげで、フレデリクもも立ったままの状態であった。
(これが聖王……)
不躾にならない程度に正面の女性を注視し、またその周囲にも意識を飛ばす。高い天井ホールに設えられた玻璃から陽の光が取り入れられ、建物の中だとは思えないほどに明るい。謁見の間として使われているだけあって、掲げられた国旗や調度品は一見しただけでも高価なものだと分かったが、その部屋の主はそうと思えぬほど質素な装いをしている。どちらかと言えば華美を好む女性ではない、と言うの第一印象は間違いなさそうだった。
「それで……如何でしたか。国内の様子は。」
「正直、善くないというのが本音だな。辺境に行けば行くほど賊が蔓延っているし……今回、南の町でも被害が出ていた。各地の領主も直轄地の防備を固めるのが精一杯という所が多いそうだ。」
「そうですか……その、今回被害が出たというのは?」
「南の……小さな町だ。そこを荒らしていた山賊はその場で掃討したが……」
所詮はいたちごっこか、と言う言葉をしかしクロムは飲み込んだ。ここで愚痴を吐いても姉に心配を掛けるだけで、事態が収束するわけでは無い。
「ペレジアから何か返答は?」
「…………」
首を左右に振るエメリナに、そうかとクロムもため息を吐く。国境を越えて周辺の村々を襲っているのは、ペレジアの息のかかった者達であるのはまず間違いないと言うのがイーリスにおける意見の一致であった。
それを隣国側に申し入れても、やれ濡れ衣だ言いがかりだと白を切られる一方、ならば生け捕りにして背後関係を吐かせても当の山賊は知らぬ存ぜぬの一点張り。証人としてペレジアに引き渡したこともあったが、詮議の為に投獄後自ら命を絶ったと口を封じられたことさえあった。兵将クラスならともかく、山賊の末端までもが声を揃え判を押したようにペレジア王家とは関わりの無いことだと答える。
処刑が恐ろしくないわけでは無いのだろうが、彼らが口を閉ざすだけの理由がこちら側にあった――あるのだと、分かり過ぎる程度には分かっている為打てる手が尽きているというのが現状であった。
「……申し訳ありません、王子。我々天馬騎士団が動けていれば……」
と、エメリナの背後に佇んでいた女性騎士が一歩前に進み出て頭を垂れた。水色の髪を一纏めにした、細身の女性――左の目の下の泣き黒子がひどく印象に残る。
「フィレイン。いや、気にするな。今の騎士団の数では王都の警備で手一杯なのは分かっている。だからこそ、俺は自警団を組織したんだしな。」
天馬騎士、と聞いたが表情を変えないまでもなるほどと心中で頷く。翼を持った純白の天馬を駆る騎士達は、その特性上女性のみで構成される。竜ほどではないものの、その絶対数が少ない天馬が主力と言うのはこの国の軍事力が如何に低いのかを雄弁に物語ってしまうだろう。せいぜい使えても女王の身辺警護――それも、少数精鋭の親衛隊のようなものでなければ機能しないはずだ。
漸くクロムが王子と言う身分でありながら自警団を組織、また指揮している理由が納得できたは、ふと自分にその当のクロムの視線が注がれていることに気付いた。
「?」
返す視線で何だと問いかければ、慌ててクロムが視線を外す。腑に落ちないその態度に後で聞き出すかと胸中にだけ留め置いて、次いで耳に飛び込んできたとんでもない言葉に思わず顔を引き攣らせた。
「大丈夫だよ、フィレイン。これからはさんが居てくれるもん!」
勝手に太鼓判を押さないでくれとリズに抗議したかったが、流石にこの場でそれはできなかった。リズの上げた声に当のフィレインはおろか、正面のエメリナそして警備として佇んでいた騎士や女官、加えて侍従官と――早い話がこの部屋の中にいる全員の視線がに集中したせいである。
ひぃっ、と正直悲鳴を上げたかったがそこはそれ。この程度で仮面が剥がれるようでは軍師失格であるとばかりに、ほんの苦笑を零すだけに留まった。クロムやリズが皆に紹介するためにその前を開け、気は進まなかったが意図は理解したが一歩前へと進み――
「聖王陛下に於かれましては、ご機嫌麗しく。ご拝謁の栄に賜りましたこと、恐悦至極に存じます。」
流れるような所作でその場に跪拝した。片膝を付き、利き手を胸の下へ。余った左手は付いた膝の前へ添え害意の無いことを示すその礼は、貴人に対して敬意を評す正式な礼であった。件の大神官の言うような市井の民草にできるとは思えない、まるで一節の絵画のように美しい所作だった。
「……ご丁寧な挨拶、痛み入ります。ですが、どうぞお楽に。顔をお上げくださいな。」
クロムやリズはこれ誰!?的な驚愕でを凝視し(後でフレデリクに説教一刻コースを頼んだ)、だがやはりエメリナも驚いたことには驚いたのだろう。しかしゆっくりと微笑むと、聞く者を安堵させる優しい声音で跪拝を解くように促した。
「ありがとうございます。ですが、私は一介の流浪の身。御身の御前にまかり出ましたことすら、身に余る光栄。どうぞ、過分な御心遣いはご容赦頂きたくお願い申し上げます。」
「聞けば弟達がとてもお世話になったとか。そのような方を一介の流浪と軽んずるは、私の良しとするところではありません。どうぞ、顔をお上げになって。」
「……では、お言葉に甘えまして。失礼致します。」
王たるその人の言を頑なに拒否するのにも角が立つ。は内心ため息を吐きながら跪拝を解き、しかし跪いた姿勢だけは変えずに正面を見据えた。正面で真っ直ぐ自分を見ている聖王・エメリナを。
「改めまして……お初に御目文字叶います。と申します……聖王陛下。」
その瞬間を何と表現すればいいのだろうか、とエメリナは後に語っている。
夜よりも昏い色の髪と瞳を持った、まだ若い――それこそ弟と同じか、若干年下であろうその女性。と名乗った彼女に見据えられた瞬間、エメリナは自身の裡で何かが大きく動くのを感じた。
動いたそれを宿命と呼び、運命だと嘆く者もあったかもしれない。
だが、自分は。
「――イーリス聖王国国王、エメリナです。」
新たな予兆を胸に、微笑むことを選んだのだった。
「道で行き倒れているところを拾ったんだが……」
「お兄ちゃん!」
馬鹿正直、且つ言わなくて良いことまで口にしたクロムを隣のリズが瞬時に諌める。大馬鹿、とは跪いた姿勢のまま零れたの胸中であった。無論、表情には億尾にも出さないが。
「あ。や、いや。その。それなのに、山賊退治に力を貸してくれてな。自警団にも入団してくれる、新しい仲間だ。」
「まぁ……それは弟達が本当にお世話になったのですね。ありがとう。」
「私の力など、ほんの些細なもの。クロム様やリズ様、フレデリク殿のお力添えがあってこその結果でございます。私めには陛下のそのお言葉だけで、十分。いいえ、それですら身に余る光栄でございます。」
本当にお前誰だ的な視線がクロムから突き刺さり、だがこれ以上余計なことは言うなと指向性を持たせてプレッシャーを返す。とにかくこの謁見を一秒でも早く終わらせることが、現在のにとっては急務なのだ。
「エメリナ様。それにつきまして、一つ言上させて頂きたいことが……」
「何でしょう、フレデリク?」
「は。恐れながら……殿は記憶喪失とのこと。賊の一味や他国の密偵であるという疑いが完全に解けたわけではありません。」
「「フレデリク!!」」
しつこいほどに食い下がる騎士を、クロムとリズが同時に咎めた。だが、当のの視線に因って瞬時に黙らされる。
当然の配慮だと何度言えば分かる、と視線に力を込めて不満で一杯なのであろう兄妹を牽制すれば、その意を得たフレデリクが更に言葉を続けた。
「クロム様のご裁可は下りましたものの、国の大事でもあります。エメリナ様、どうかご検討のほどを……」
フレデリクから言葉が発せられた途端、それまで向けられていた視線の色が好奇から警戒や胡乱なものへと変化していくのをは肌で感じていた。
予め予想していたとは言え、こうも露骨だと嫌悪の前に呆れが浮かぶ。権力の中枢にいるということは、それだけ潜んでいる闇も確執も多い。それは直接政に関わっているか否かの問題ではないのだ。保身であったり打算であったり、真に主君を思ってというものもあるだろう。だが、それを己の身の内に隠し笑顔で蓋をする――なるほど、これが本当の伏魔殿と言うやつかと他人事のように思う。笑ってしまう、と言うのが正直なところだったが。
「……ここへ連れてきたということは、クロム、あなたは彼女を信じたのですね?」
耳に痛いほどの静寂の中、エメリナの透き通るような声がまるでそれを遮るかのように響いた。間髪入れずクロムが強く頷き、室内に広まった不穏な空気と次の一声とともに打ち砕いた。
「ああ。は俺と共に、民を守るために命がけで戦ってくれた。一緒に戦った俺だからこそ、わかる。は信用できるし――俺は、信頼している。」
「……そうですか。クロムが信じているのなら、私も貴女を信じましょう。」
ああ、とは胸の内だけでため息を吐いた。正直なところ、エメリナが反対の意を表してくれないものかと期待をしていたのだが、クロムの言に――何より真っ直ぐ人を見据える彼女を見た瞬間、それが恐ろしく分の悪い賭けだったと直感してしまったのだ。
「……身に余る光栄です、陛下。クロム殿下。ですが、御身はこの国にとって掛け替え無き――そして、互いに喪い難きご家族のはず。どうか、それをお忘れになられませぬよう――伏してお願い申し上げます。」
「人を扶け、人を案ずる貴女を疑うは人疑うと同義。……ですが、そのご配慮は有難く頂戴致しましょう。」
フレデリク、と騎士の名を呼び、また彼にも労いの言葉を掛ける。
「貴方にも感謝を。心からクロム達を心配してくれているからこその言、姉としてこれ以上に嬉しいことはありません。ありがとう。」
「は。も、勿体無きお言葉。クロム様とリズ様をお守りする勅命を頂きました折からの、私なりの誓いでございます。そのお言葉だけで十分、臣たるこの身には過ぎたる誉。恐悦至極に存じます。」
言葉だけ聞けば堅物家臣らしい物言いだったが、僅かに見える赤く染まった頬やら何やらを見ればそれ以外の何かが含まれているのは一目瞭然。これはちょっと面白い展開かも、などと無責任なことを考えていたの耳朶をクロムの不穏な言葉が打った。
「山賊とは別に、道中奇妙な連中の襲撃があったんだが……」
言わずもがな、あの異形のことだ。クロムやフレデリクが襲撃時の事を掻い摘んで説明していくと、フィレインと呼ばれた天馬騎士が表情を硬くしながら同意した。
「はい。どうやら各地に出没している模様……目撃談が多数寄せられています。」
「被害状況は。」
と、これは。本来なら口を挟むべきで無いことは十分に承知しているが、件の異形は――自分の失われた過去に関係しているかもしれないのだ。聞きたいことなら山とある。
「まだ、それほど大きな被害は報告されておりません。出没数もまだ一か所につき、一、二体と少ないようです。」
「徒党を組んだ、と言う報告はありませんか?」
「いえ。今の処は。」
「そうですか……」
「、どうかしたのか?」
フィレインの言葉に眉を顰めてそこから先の言葉を切ったに、クロムが怪訝そうに尋ねる。まだ数日を一緒に過ごしただけだったが、こんな表情をした時の彼女が何事かを考えていると言うことくらいは分かるようになった。
「いえ。何でも。」
「そのことについてですが。」
エメリナの『王』として発した声に、クロムももはっとそちらを見る。表情は優れなかったが、今の彼女は王としての務めを果たすべく鎮座するれっきとした戦士であった。
「その対策を話し合う会議がこの後、予定されています。クロム、フレデリク。帰ったばかりで申し訳ありませんが、直に相対したものとしてその席に出て欲しいのです。」
「わかった。……と、お前も――」
「さんは私が先に自警団の本部へ連れてくよ。いいよね、さん。」
「え?あ、は、はい。」
「リズ、乳母やが心配していましたよ。本部へ行くのは構いませんが、彼女に一度顔を見せてからになさい。」
「え〜〜!う。は、はい……」
異論を口にしかけたリズを、エメリナが視線だけで諭した。何というか、ただ優しく暖かいだけの女性ではないとの底力を彷彿させる迫力だった。
「と、なると……私は、一足先に自警団の本部へ行った方が……」
「「「(駄目)だ!だよ!です!」」」
嬉々としたの声を、クロム、リズ、フレデリクが同時に且つ即座に却下する。どうやらこの件に関しては信頼云々の話では無いらしい。
最も、逃亡を諦めたわけでは無いので全くもってその通りだったのだが。
経緯を全く知らないエメリナやフィレインが、急に団結したクロム達に目を丸くする。しかしクロム達はじっとを見据えるだけで黙して語ろうとはせず、もで、舌打ちしかねない勢いのまま横を向いて無言を貫いた。
「どこか客室に通しておけば……」
「いえ、クロム様。さんのことです。侍従官や女官が相手では、言い包めて脱走しないとも言い切れません。」
「……お二人とも。本当は私のこと嫌いでしょう……」
恨みがましく二人を見上げれば、自業自得だとクロムからは切って捨てられフレデリクからは胸に手を当ててよくお考えくださいと満面の笑顔で返り討ちに遭う。ちっと本気で舌打ちしたい気分のであった。
だが、クロムやフレデリクが会議に出席し、リズが育ての親でもある乳母の元に顔を出すとなると、やはり僅かとはいえ彼女を一人にする必要がでてきてしまう。だがのことだ。例え此処が王城で無くとも何らかの手段を講じて、悠々とこの城を後にするだろう。やはりここはも伴って会議に出るか、と満更でもないクロムがそう決断しかけたその時。
「……さん。王宮のお風呂、綺麗で広くて気持ちいいよ?」
後にリズは感慨深げにこう語る。あれは自分の生涯で記念すべき、対戦の初勝利であった、と。