小さな自警団 Y
派閥、と言う言葉がある。
ある集団のなかで、出身、資格、利害、主張、好悪などを共通にする者が、集団全体の動向に影響を与えるために形成した小集団を特にそう呼び、ここ聖王国と呼ばれるイーリスであっても――後のとある軍師の言を借りればイーリスであるからこそ――派閥と言うものは存在した。
(くだらんな……)
紛糾する会議の中、クロムはそうと悟られ無ぬようにため息を吐いた。ため息一つでも、それを理由にまた会議が長引くことを身を持って知っているからである。
そう胸中で呟く彼の前では、文字通り真っ二つに割れた派閥同士が口泡を飛ばす模様が繰り広げられていた。
エメリナの招集した会議では、隣国ペレジアとの調停、そして文字通り降って湧いた異形の者への対策が話し合われる筈だったが、始まって間もなく見慣れた光景――派閥同士が互いを牽制、又は威嚇し会議は遅々として進まない――に突入したのだった。予想はしていたものの、こうもその予想通りの光景が繰り広げられているのでは元々少ないやる気が益々削がれてしまう。
(やっぱりを連れてくるべきだったか……)
己の利を主張するのに忙しい出席者達を横目で見遣り、ふとこの場に居ない軍師(仮・ただしクロムの中では確定している)のことを思い出した。幾らなんでも国政の場に顔が出せるかと言う無言の圧力と妹と共に奥殿へ引っ込んだ彼女がこの場に居たとしたら、何か変わっていたのだろうかととりとめの無い思考が頭を横切る。
(いや……)
変わっていた、では無く変えていただろう。彼女――なら。
唯一イーリスの内情に詳しく無いのはハンデかもしれないが、宮廷内の派閥の思惑など歯牙にも掛けずエメリナの望む結論へと事態を誘導したはずだ。本来であれば自分がその役目を担わなければならないのだが、如何せん政治の場における駆け引きやら交渉事には苦手の色を隠せない。経験不足を理由に挙げるのは簡単だが、それではいつまでたっても姉の負担は減らず――むしろ増えていく一方だ。
剣の師でもあるフレデリクが政事に関しての手解きを一通りしてくれたものの、果たしてそれがクロム自身の身になったかと言えば頭を下げるしかないわけで。
(宰相が欲しいな……)
とは言え、イーリスに現宰相が居ないわけでも無い。先王――つまりクロムの父だ――に仕え、また友でもあった現宰相は高齢を通り越して老齢ではあったが、未だ現役。ただやはり因る年波には勝てず、最近は宮廷への出仕が少々困難な状態にあるのだった。現王たるエメリナが聡明であり、また国民からの支持も高いことも相まって政に一見して支障が出てはいない。だがやはり一人では何事にも限界はあり、クロムやまた宰相の後継たる人物がその分を補わねばならぬのだ。しかし現実はそう上手くは回らず、前者に至っては頭より身体を動かしている方が性に合っている御仁、後者に至っては妻帯しておらずまたその眼鏡に適う者が居ないと言う中々に悪循環な状況が続いているのだった。
(そう、どの派閥にも属していなくて、私心無く姉さんに仕えてくれて。他国との交渉も笑って熟して、立場に阿ることなく――強くて背中を任せられるような。常に隣にいてくれて、安心感のある――)
最後の方は政治と全く無関係な資質が混じっていたが、そこまで考えたクロムの脳裏を見覚えのある黒髪が横切った。は?と思うも一度思い描いた人物の顔はそう簡単に消えることなど無いわけで。
(いやいやいやいや。違うだろ、俺。違う違う違う。あいつは俺の自警団の軍師として俺の……)
続く言葉を思わず飲み込む。今、自分は何を考えた?
薄化粧を施し、貴族もかくやと言う美しい所作で堂々と聖王と渡り合う姿―― 一瞬、同じ顔をした別人かとまで思った彼女に望んだことはただ一つ、傍に居て欲しいと―――
「クロム様?」
「ん?あ、あぁ。」
今までぼんやりとした形でしか認識していなかった己の裡の事実に狼狽しかけたクロムを、傍らのフレデリクの声が引き戻した。まさか顔には出ていなかっただろうなと思うも、流石にこの場で聞くわけにもいかず。
会議の空気がその一言に因って一旦切られ、室内全員の意識が自らに向けられているのをクロムは感じた。
「如何なさいましたか?」
「すまない。少し考え事をな……」
「左様でございますか……では、クロム様。クロム様は如何お考えでいらっしゃいますか。此度の国難につきまして。」
将軍(フィレインとは別の、歩兵団・騎士団を纏める武官である)に促され、やや躊躇ったものの口を開いた。保身に忙しい他の連中とは違い、クロムはつまるところの答えを一つしか持っていないのだ。
「やはり民の安全確保を最優先に考えるべきだろう。諸侯も奮闘してくれてはいるが、どうしたって兵力が足りていない。」
「流石クロム様ですな!やはり国宝ファルシオンを継承された方は違います。エメリナ様、ご憂慮は分かりますがここは国防が第一。早速周辺より義勇兵を募るふれを……」
「待たれよ、オーベル将軍。原因も分からず、ただ闇雲に徴兵したところで事態の解決には繋がりますまい。まずここは、各地の状況を集めるのが先ではないですかな?」
「そうは言われますが、トーラス大神官殿。そうこうしている間にもペレジアは我が国に攻め込もうとしているかもしれんのですぞ!」
「だからこそと申し上げております!このような時だからこそ、心を静め祈りを捧げるのです。イーリスは神竜ナーガの加護を受けた国。そう易々と異教徒の好きにはなりませぬ!」
再び派閥同士で諍いを始めた家臣を見、いやむしろが居なくて良かったかもしれないとクロムは呟く。気は短くないが長くもない彼女のことだ。目の前の連中を鼻で笑って、早々にイーリスから姿を消していたかもしれない。
「皆、静かに。」
と、紛糾する議会を鈴の音のような一声が打った。クロムを含めた全員が声のした方を見ればこの国の最も高貴なる女性、それと同時に最高意思決定者でもあるエメリナが口を開いたところだった。
「オーベル将軍の仰られることもトーラス大神官のご意見も、十分に分かっています。ですが、無いものねだりをしたところで何も始まらないでしょう。……やはり、ここは先日の議案を再検討する必要がありますね……」
「「エメリナ様!!」」
独り言のように声を潜めたエメリナに、それまでいがみ合っていたのが嘘のように将軍と大神官が揃って咎めるような声を上げた。不敬の一歩手前のその行為にクロムやフレデリクの眉間に皺が寄ったが、当のエメリナ本人は何でも無い事のように言葉を続ける。
「皆の言い分はよく分かりますが、何より民の安全を確保するのが我々に課せられた急務。隣国からの脅威に加え、正体不明の襲撃者が居るとすれば尚のことです。この際、私や国の威信など二の次でしょう。」
先日の提案、にクロムやフレデリクは心当りが無かったが 二人が不在の間に同様の会議が開かれていたと考えれば納得もいく。先程とはうって変わって静まった室内で、一つため息を吐いたエメリナが続けて口を開こうとし――
「…………?」
ピタリ、と動きを止めた。続く王の言葉を待っていた一同は勿論、件の提案とやらを詳しく聞こうとしていたクロムも同じように何事かと動きを止める。
「……姉さん?」
訝しむようなクロムの声に我に返ったのか、常に楚々として慌てることなどなさそうに見える彼女が急に立ち上がった。そのまま蹴るような勢いで席を離れると、一目散に窓辺へと駆け寄り玻璃の入った窓を大きく開く。
「姉さん!?」
「エメリナ様!?」
驚いたのはクロムだけでは無い。近衛として同席していたフィレインも同じように立ち上がると、クロムと同様エメリナの傍らに駆け寄ったのだった。
「あれは……」
らしからぬ行動をとったエメリナは、しかし周囲の驚愕に気を割く余裕すら無く開け放った窓から空を見上げていた。訝しげにフィレインもその視線を追うが、彼女の目には特に異常は見当たらず変わらぬ高い青空が広がっているだけで。
「もしかして、風の精霊か?」
「見えるのですか、クロム!?」
驚いて振り向いたエメリナに若干戸惑いながらも、クロムは微かに視界に入る人間ならざる姿の存在に頷いた。
の言う通り相性だか何だかは分からないが、時折幽かな影を意識して捉えられるようになってきたのである。
「そう、はっきりと見える訳じゃないが……多分、が鼻歌でも歌ってるんじゃないか?」
あの夜もそうだったからな、と付け加えればエメリナが益々驚いた顔をする。
「彼女は風の精霊の声を聞くことが?」
「あぁ。聞くだけじゃなく、視界を共有したり、それを俺やリズに伝えたりも……」
「まぁ……」
ふと、クロムはからくれぐれも他言無用と釘を刺されていたことを思いだし、だがエメリナならば問題無いだろうと懸念を頭の隅へと追いやった。最も後ににばれて大目玉を喰らうことになるのだが、それはまた別の話で。
しばし呆然と言葉を探していたエメリナだったが、ふと急に何かに撃たれたように表情を引き締めた。そのままクロムやフィレインを置いて再び席に戻り、しかし着座することなく高らかに宣言する。
「明日、朝議の場にて結論を出します。」
それは、と処々で声が上がるがエメリナは彼女にしては珍しくその異論を黙殺した。
「一朝一夕で出せる答えでは無いと分かってはいますが、時間が無限にあるわけではありません。クロム達が件の怪物と遭遇したのも、不幸中の幸いでしょう。こうして対策を立てられるのですから。皆もそろそろ意見は出尽くしたことと思いますが――何か、他に意見のある者はおりますか?」
「………」
「………」
エメリナの促しにそれぞれもの言いたそうな表情があちこちで浮かぶが、言葉にする者はいなかった。無論、その胸中には色々な打算や計画を抱えてはいたが。
沈黙を以てこの場を制したエメリナは一つ頷くと、ご苦労様でしたと会議の終了を告げ退出を促した。それぞれの顔を見れば到底納得などして居ないことなど一目瞭然、だが王の決断が下った以上それにとやかく言及する術は臣下たる彼らには無い。むしろ、その先々――エメリナが結論を下すと明言した明朝までに様々な根回しをしておくことの方が重要であった。自身と、自身の属する派閥により利益が回るようにと。
様々な思いを抱えながら部屋を後にする人々とは逆に、会議の終了を待っていた者――エメリナの傍仕え達である――は、彼女らの主たる女性の退出に伴うべくその傍近くまで速やかに参じた。その彼女らの行動に目線で頷きながらも、エメリナはある程度人が捌けるまでそこから動かなかった。
「クロム。」
「あぁ、分かってる。明日の朝議にも出席した方がいいんだよな。」
「ええ。悪いけれど、フレデリクと一緒に残って欲しいの。それと……」
「エメリナ様?」
「……いいえ、何でもありません。それと、クロム。リズとさんにも、今夜は城に一泊するよう伝えて貰えないかしら。」
「リズはともかく……も?」
「ええ。」
頷くエメリナに、クロムは勿論だがフレデリクやフィレインまでもが不可解といった――驚いた表情を作る。予測はしていたことだったので、苦笑一つに留めたエメリナはだが反論を許さぬ雰囲気で周囲に告げた。
「件の怪物のことで、もう少し多角的な意見を聞いてみたいのです。……そうね。誰か。」
「はい。エメリナ様。」
周囲に侍る女官の一人がエメリナの前へ進み出て、腰を折った。その姿勢のまま主からの命を待つ。
「女官長にお客様の逗留の旨を……翡翠の間を支度するようにと伝えてちょうだい。」
「畏まりました、エメリナ様。」
翡翠の間、と聞いたクロムやフレデリク、また既に用の無い筈の家臣らがぎょっとエメリナを注視した。イーリス王城内の数ある室の中でも輝石の名を冠された場は両の手に余るほどしかない。その中には聖王自身が寝起きする場も含まれており、その室がどういった等級の部屋であるかなど推して知れるであろう。とかく客室としては最上級のその場所を、たかだが流浪の女性に宛がうなど身分に拘る者達にとっては前代未聞の事態であった。
だが指示を受けた女官は多少の驚きはあったものの、よく躾けられた従順さで以て主の意向を速やかに実行に移すべく言葉少なに了承しただけだった。
ちなみにクロムが驚いたのはエメリナが件の部屋を指定したからでは無く、そこに通された時のの反応がいとも簡単に予想できたからである。それこそ本当に無理だと叫んで、窓を蹴破ってでも逃亡しかねない。
「クロム、貴方からさんに私から夕食を是非にと伝えて貰えないかしら。貴方達を助けていただいたんですもの、そのくらいのお礼はしなくてはね。急なことだし、大仰にはできないけれど。」
「あ。あぁ……いや、伝えるのは、勿論構わないんだが……」
「ありがとう、クロム。それでは貴方達も部屋に戻って少しお休みなさい。彼女――さんには、くれぐれも気を使うことの無いように伝えてね。」
ふわりと微笑み、クロム達にも退出と休憩を促す。エメリナ自身はこの後も少々予定が詰まっているので、女官とフィレインを伴い先んじて部屋を後にしたのだった。
クロムやフレデリクそしてまた呆然としている者達を多数、後に残して。