小さな自警団 [
「疲れたな……」
「は。真に。」
「ほんと……久しぶりのおうちのご飯だったのに、味なんか殆ど分かんなかった……」
これは後ほども悔やんだことなのだが、正式でないと言われたにも関わらず食事はかなり正式に近い豪華さであった。だけにとどまらず、件の政治談議が行われる前までは皆しっかりとその味を堪能していたのだが。
「ですが、これで明日の朝議は紛糾せずに済みましょう。その点はさんに感謝しないといけませんね。」
「そうだな……」
その件の彼女はここには居ない。食事が終わった後、女官に案内されて着替えに立ったままである。食後のお茶にと誘ったのだが、疲れているから先に休ませてもらうとの言伝が先ほど女官からクロム達に伝えられた。
(に、しても……本当に、別人のようだったな……)
クロムの脳裏に思い出されるのは緋色のドレスに身を包み、並み居る宮廷内の魑魅魍魎を一挙両断した無手の雄。
見てくれだけならその辺の貴族の娘や大商人の娘にも劣らない、だがその内実は眠れる獅子を彷彿とさせる――深紅の美姫。
リズ曰く他にも色々と試着した(させられていた)そうなのだが、耳元を彩る炎華石に合わせた件のドレスが彼女の雰囲気に一番合うとの意見を一致を見、晴れて着用の運びとなったそうである。色こそ派手だが形は割と平凡な――と言ってもクロムにドレスの良し悪しなど分からないのだが――ドレスは、普段昏い色を纏う彼女には意外な程良く栄えていた。
「クロム様?」
「ん?あ、あぁ。なんだ、フレデリク?」
「いえ、何かご心配ごとでも?」
「いや……そうじゃないんだがな。……フレデリク。」
しばし迷った末、クロムは副官に向き直るとずっと気にかけていたことを口にした。
「はいつ軍議の内容を知ったんだと思う?」
「……先程、エメリナ様からお伺いした件でしょうか。」
「ああ。晩餐の後姉さんから直接聞いたあの件だ。そもそも俺達が留守中に姉さんが提案したと聞いているが……」
何だかんだと理由をつけて、結局立ち消えになってしまった案件だとも聞いた。だがクロムが聞いた限りでは最も現実的だと思えるその方法を、彼女はいつ知ったのだろうか。
「結果的に明日の朝議で、姉さんはそれを推すはずだ。今夜の一件で、恐らくどちらの派閥も反対の意見を押し通せない。」
「左様でございますね。微調整はございましょうが、大筋ではエメリナ様のご意志が通られるかと。」
「それ自体は喜ばしいことだがな。だが、それを実質お膳立てしたのはになる。」
がエメリナと顔を合わせたのは、謁見を除けばあの晩餐の席のみになる。だが、そんな事実を覆すような見事な手際だった。いっそ見事すぎるほどの。
「……お兄ちゃん、まさかさんのこと疑ってるの?」
リズの硬い声に、クロムが弾かれたように妹を振り向いた。その声音と同じく、硬く強張った表情を。
「いや、そう言うわけじゃ……」
「信じらんない!あれだけ嫌がってたさんが、どこかの国のスパイだとでも言いたいの!?大体、嫌がってたさんを無理やり連れてきたのはお兄ちゃんじゃない!!」
「そうじゃない、リズ。落ち着け。」
「落ち着けるわけないじゃん!言っとくけどね、湯浴みをしてる時は女官達があれこれ世話してたし、それからはずーーーーっと衣装合わせしてたんだからね!」
「ず、ずっとか?」
「そうだよ!そんなさんがどっかの国のスパイなわけないじゃん!あれだけお姉ちゃんのこと心配して、登城は諦めろって譲歩までしてくれたのに!!」
自分が考えていたのよりも長く女官達の玩具になっていたことを知らされて、流石のクロムも気の毒に思わざるを得ない。経験したことのある自分だから分かる、あれは一種の拷問だ。
「ですが、リズ様。知っていなければ、ああも上手く事を運ぶことなど……」
「できるから軍師でさんなんでしょう!?大体、さんは食事の間中、ひとっことも具体的なことなんか言わなかったじゃん!お姉ちゃんが質問しただけ、さんはそれに答えただけ!大神官と将軍が失言して揚足取られただけじゃん!!それなのに疑うなんて!!」
「だから、リズ。落ち着け。を疑ってるわけじゃない!」
「じゃあ何だって言うのさ!」
「リズ様、落ち着いてください。疑われても仕方ないほどの話の運びだったのです。クロム様が慎重になられても……」
「フレデリクまで!お姉ちゃんを助けてくれたのに、本当は私やお兄ちゃんがしなきゃいけないことだったのに!!助けてくれたのに疑うなんてひどい!!!」
「そ、それは……」
自分達がしなければならなかった、の一言にクロムが言葉を詰めた。同じようにフレデリクも。一介の騎士であるフレデリクはともかく、王弟や王妹である二人には国政に関与する義務がある。いくら姉がそれを黙認してくれていても、どの道避けて通れぬことなのだ。
「もういい!お兄ちゃんやフレデリクが信じないっていうなら、私だけでもさんのこと信じる!」
「馬鹿!誰があいつを疑うなんて言った!?」
「言ってるじゃんか!いつ知ったのかって!それってさんが事前に誰かから情報を流されてたってことでしょ!?大体さんは行き倒れてたんだよ!?それを助けたのだって偶然じゃん!!」
「クロム様、リズ様。少し落ち着いて……」
クロムはクロムでを疑ってるなど考えもしていなかったことだし、リズはリズで売り言葉に買い言葉、どんどん頭に血を上らせていく。
普段は仲の良い兄妹だが、一旦喧嘩が勃発すればどちらも似たもの同士の頑固者、その収拾が着かなくなるのをフレデリクは経験上よく知っていた。
「そうじゃない!だから、リズ!」
「知らない!!」
悔しさからか、半分涙目になったリズがクロムの制止を振り切って乱暴に立ち上がった。その拍子に卓に並べられた茶器が甲高い音を立てたがリズは頓着せずに踵を返す。
「待て、リズ!話を……」
「知らないって言ったでしょ!この馬鹿兄!!」
言い捨ててリズはさっさと部屋から出て行ってしまった。乱暴に投げ閉められた扉が悲鳴を上げる。
後に残されたのは、苦虫を噛み潰したような表情のクロムとフレデリクのみ。
「クロム様……」
「分かってる。明日、リズの頭が冷えたらもう一度ちゃんと話すさ。一晩立てば、気持ちも落ち着くだろ。」
「そうだといいのですが……」
あの怒り様から言って少々長引きそうな気がしないでもなかったが、いくらフレデリクでもリズの私室にまでは追いかけられない。クロムにしたって同じことだろう。
情けないながら、才気煥発な妹姫の機嫌が直ることをナーガ神に祈ることしかできないフレデリクであった。