小さな自警団 ]T
聖王国イーリスは、王城を中心に東西南北に伸びた大通りによって四つの区画に分けられている。
まず南方位に位置する大通りは、最も広い道幅を備えておりそれに倣って国の中でも最も大きな門が設けられていた。となれば人通りも自然と多くなり、露店や国そのものに店を構える大店の大概がここを拠としている。次に東方位、陽の出ずる方向には光を司る神竜ナーガを祀った大神殿が。政の中心であるのが王城ならば、東の大神殿は信仰の中心地でもある。巡礼者向けの宿泊施設や孤児院、修道院などが集中する閑静な地でもあった。西と北は隣国ペレジア、フェリアへと続く主街道に繋がる大通りのある地域。南と東の大門に比べ、その規模はやや小さく警備も厳重だ。そのうち警備をする者の需要に応じて、住宅が王都の西側、日照時間の少ない北側の地域に武器などの工廠が自然と立ち並ぶようになった。
そして、その国の中心。の、さらに中心。王城の一角で、聖王国イーリスの主たる、聖王・エメリナとその弟妹、そして不意の来客であった一人の女軍師は一部の些か不穏な空気を除いて穏やかな朝を迎えていた。
今まで味わったことの無い(記憶が無くとも、それだけは断言できた)羽のような布団と絹の敷布の寝具を堪能した一夜。
だが明けてみれば、慌ただしさの始まりであった。彼女を起こしに来た女官はエメリナが朝食を共にと望んでいることをに伝えると寝ぼけ眼の彼女をベットから叩き出し、洗濯から戻ってきていた一張羅を着ることを笑顔でやんわりとだが強硬に阻み既に選ばれていた服に彼女を着替えさせたのだった。
そして誘われた朝食の席、エメリナは常の如く穏やかであったが何やらその弟妹の間が恐ろしく緊迫していた。強いて言うなら、リズの機嫌が底抜けに悪い。これにはエメリナも戸惑っているようだったが、本人達が黙している以上藪を突くような真似はせず(は当然の如く黙殺していた)、やがて朝食も滞りなく終わり各々本日の予定を熟す運びとなったわけである。
「……だからって、朝議が終わるまで私達が待ってなくたっていいじゃん……」
城の出口に近い庭園の一角で、頬を膨らませるリズには苦笑を零す。
「まぁ、リズさん。そう仰らずに。早々ゆっくりできる機会なんて無いんです。その貴重な時間は時間として、堪能させて頂きましょう。そういった余裕と切り替えは、今後とも必要になってきますから。」
「んーーー。ま、さんがそう言うなら、いいけどーーー」
何やら子供のように拗ねているリズに、ははて?と首を傾げた。どうやら機嫌の悪さは相当根深いらしい。クロムが関わっていることは間違いなかったので、朝食の場では下手に尋ねなかったが。その原因が朝議に出て不在の今なら、理由だけは聞いてもいいかもしれない。そう思って、口を開こうとした途端、
「まぁ。これはリズ様ではありませんか。」
「あら、本当。いつお帰りになられましたの?」
と言う甲高い二つの声によって遮られたのだった。
「……エステル嬢、ユリアナ嬢。」
それに対して、通常より二階梯は低いリズの声。声の先を目で追ってみれば、リズと同じか一つ二つ年上の朝から見事に着飾った少女達が踏ん反り返っていた。なぜ踏ん反り返っていたかと言うと、二人の姿を認めた途端リズの機嫌が更に急降下したからである。
「ご友人ですか。」
「……単なる知り合い。」
おや、とリズの反応に驚きを感じながらもは余計なことは言わなかった。何故なら呼ばれてもいない、恐らくの招かざる淑女達がこちらへと歩いてきたからである。
「御機嫌よう、リズ様。」
「御無事で何よりでしたわ。」
「ありがとう。お二人とも、お元気そうで何よりです。」
朗らかに笑む彼女達が間近に来て、は思わずうっと鼻を押さえて距離を取りそうになってしまった。
(な。何、この臭い……!!)
恐らく香水なのだろう。ちなみに夕べ、も振り掛けられそうになったのだが拝み倒して勘弁してもらった経緯がある。それにしても、もう少し控えめと言うかほのかと言うような表現に相応しいものだったような気がするのだが。目の前の少女達からは控えめとは程遠い、自己主張宛らの臭いがぷんぷんしている。思わず一目散に逃げたくなった自分は間違っていない筈だ。リズはと言えば慣れているのか、それとも麻痺しているのか二人の少女に動じることなく相対していた。
(すごい、リズさん……)
変なところでリズを尊敬しながら、暫く傍観していると不意にどちらかかの少女にちらりと意味ありげな視線を投げかけられてしまった。
「……ところでリズ様。そちらの方は。」
「自警団の方です。これから兄達と一緒に本部へ戻りますので。」
「まぁ。まだお続けになっていらっしゃいますの?そんなことは市井の者にお任せになられればいいのに……」
視線はともかく、中々にカチンとくる物言いである。恰好から察するに富裕層、貴族か何かかと思われたのだが。
リズの機嫌が更に輪を掛けて悪くなって行くのが手に取るように分かる。頼むから爆発しないでくれ、と思うもリズは早々短慮では無い。
この場を乗り切るだけなら、問題ないと思われた。そう、リズは。
「市井の者が栄えある王城に気安く出入りするなど……嘆かわしいことですわ。」
「本当。……あら、貴方女性なのね。そんな恰好をされているから、男性かと思ったわ。」
物言いがどこかの小物神官にそっくりだとか、どこぞのデリカシーの欠片もない某王族のセリフに重なっただとか。
無論、思っただけである。自分の裡でぶちっと何かが切れるような幻聴を聞いたかもしれないが。
うん。それもきっと気のせいだ。
「!ここに居た……のぉっ!?」
「リズ様、お探し……いっ!?」
日常と戦場が隣り合わせであるとが感じるのは、正にこういう時である。戦場ではあれだけ強運を引き寄せる男であるのに――否、引き寄せるからこそなのかもしれないが。
もう少し前か後に来れば巻き込まれることも無かっただろう。それも何も主従揃って、と薄情にも思ったのはだけの秘密だ。
「クロム様!」
「フレデリク様!」
クロムの名を呼んだのは、彼の探し人では無く、ましてフレデリクの尋ね人でも無かった。
「御無事でしたのね!」
「お怪我が無くて本当によろしゅうございましたわ!」
同じ顔をした別人かと思うくらいの変貌ぶりに、はただ呆れるばかりだった。距離は十分だったが、これ以上リズの機嫌を悪くしたいわけでもなかったので、彼女らに聞こえないよう小声で尋ねる。
「……どなたなんです?」
「トーラス大神官の孫とオーベル将軍の娘さん。お兄ちゃんに群がる人達の中でもとりわけの。」
傍らのリズを見れば、低気圧の底が抜けたような機嫌の悪さを隠さない。とりわけ、に込められたその先を簡単に読み取ったがなるほど、と頷く。
「?」
一を聞いて十五位は知ることのできる軍師である。何がなるほどなのかと視線で尋ねれば、からは何でも無いことのように答えが返ってきた。
「当分直接政治に関与できそうに無いと踏んだ方々が、絡め手を繰り出されてこられたんでしょう。即効性には欠けますが、長い目でみれば最も効果的な手段です。」
「……もしかして、予想してた?」
言葉にはせず、親指と人差し指を僅かに離してちょっとだけと答える。流石、とリズが思うでもない。からすれば、簡単に予測できた事態だ。事前にその可能性を示唆乃至回避しなかったのが、面倒事に巻き込んでくれたクロムへの意趣返しであることは否定しない。
「いえ、ですから……!」
大声で名前を呼ばれてそちらに注意を戻せば、必死に助けを求めているクロムの姿が。腕を取られ(どう見ても強制的だった)密着しているのを見、何やらむっとする。
「あら、まだいらっしゃいましたの?自警団の本部に行かれるんでしょう?」
「仰る通りですわ。王族の方に尽くすのが、民草の役目だというのに。何をぐずぐずされているのかしら。」
流石にその実兄や守役の前でリズに対して悪意を向けない程度の頭脳はあるらしい。矛先に立たされたは一瞬眉を潜めたが、特に何も言わず成り行きを見守っている。
「も、申し訳ありませんが、お……私達も、本部へ戻らねばなりませんので……」
「あら、少しくらいよろしいじゃありませんか。せっかくご無事にお戻りになられたのですもの。ゆっくり休むのも時には必要でございませんこと?」
「い、いえ。休息はもう、十二分に……」
「それでしたら、是非此度のことをお話し下さいませ。きっとまた武勲をお立てになられたのでしょう?」
甘えた声音でクロムやフレデリクに擦り寄る様に、とリズがくっきりと眉間に皺を刻む。嫌なら嫌だとはっきり言えばいいものを、と思っても騎士道精神が(自称)基本な二人には少々荷の重い事態かとが嘆息する。
仕方が無いと助け船を出そうとしたところで――ふと、は身体の動きを止めた。
「昨夜はご帰還を祝う晩餐会があったのでしょう?もっと早くに伺っていれば私達もご同席させていただきましたのに。」
「本当に残念ですわ。私達、新しい夜会用のドレスを誂えましたのよ。クロム様のご生誕祭も近いことですし……是非ご覧になって頂きたいわ。」
口々に言葉を紡ぐ最中、ふと意味ありげな視線がに投げ掛けられた。眉を寄せるも、視線はほんの一瞬。直ぐに興味を無くしたような短い一瞥を残し、クロムが抵抗しないことを良いことに垂れかかる。
「「…………っ!!」」
ぶち、との音をは確かに聞いた。多分、それは堪忍袋の緒が切れる音。きっと二、三本くらい。
「……お取り込み中のようですし、私達だけで先に参りましょうか。リズさん。」
「……そーだね。お兄ちゃんもフレデリクも忙しそうだし。」
示し合わせるとリズの声は地を這うように低い。だが、この距離では問題無く聞こえたのだろう。クロムとフレデリクが慌てたように口を開いた。
「な……ま、待て!」
「リズ様!?お待ちくだ……」
不甲斐ない男達を尻目に、手早く身支度を整えた二人は無言で頷き合いさっさと踵を返してしまう。背後が何やら騒がしいが、きっと気のせいだろう。
つかつかと内庭横切ったは、出入口辺りまで来ると足を止め一度だけ振り返った。
「最後に一つだけ。今の我々に必要なのは、ドレスでも香水でも、ましてや宝石でもありません。そこの所は、どうかお間違え無きように。」
言い捨てて、さっさと中庭を後にする。
振り切ったはずの甘ったるい香水の匂いが残っているはずが無い。
けれどそれはまるで、何かに絡みついたかのように。随分と長い間、の胸から消えることは無かった。