小さな自警団 ]W
非常につまらないことで騒いでいると、再び扉が開いたことを知らせる鐘が鳴った。
今度こそクロム達かと一斉に視線がそちらに集中し、しかし実際扉を潜って現れたのは確かに見知った顔ではあったけれど全くの別人で。
「ヴィオールさん、ソワレさん。」
「おや、君ではないかね。」
「お疲れさん、リズ。。」
噂をすればなんとやら、戻ってきたのは姿の見えなかったソワレとヴィオールであった。何だかんだと言いながら、割りと馬が合っている二人である。
「ありがとうございます、ソワレさん。お二人は……お昼、ですか?」
時間的に辺りを付けての質問に是、と各々が頷く。それを受けたもふむ、と頷き次いで世間話レベルの言葉を口にした。
「いかがでしたか?」
「いや、流石に王都。行き交う女性も実に……」
「誰がそんな話をしてるか!」
段々とキレを増すソワレの突っ込みに、が苦笑を零す。確かに『そんな』ことはどうでもいい。どうでも良くないのは――
「で?何が聞きたいんだい。軍師殿?」
「いえ?私は特に何も言ってませんが?」
「キミがそんな話を振ってことは、何か知りたいことがあるってことだろ?短い付き合いだけど、それくらいは分かるさ。頭一つ分、とびぬけて優秀な軍師だからね。」
「過大評価ですよ、ソワレさん。ですが、そう皆さんに言っていただけるよう、精進しようとは思っていますが。」
やれやれ、と肩を竦める仕草をするソワレに、が今度はにっこりと微笑む。
そう『どうでも良くない』ことは、此処に来る道すがら風の精霊達経由で小耳に挟んだ――
「そうだねぇ……流石大陸でも一、二を争う大きな都だ。食事も中々――舌平目のムニエルに、付け合せの野菜のソテーはまぁ及第点。ただ、パンの大きさと食後の紅茶の味には些か難ありだったな。それと値段も。我が妻の言を借りるなら、小幅ではあるが徐々かつ確実に上がっているようだね。……特に小麦が。」
と、ヴィオールが、顎に手を当てながら何かを思い出すように言葉を紡いだ。余計なことも含まれていたが、流石は自称貴族。の知りたい情報を的確且つに手短に伝えてくる。
「誰が妻だ!」
「紅茶と小麦……」
ヴィオールとソワレの夫婦漫才は思考の隅に置いておいて、が難しい表情をした。
値段が上がるのは確かに憂慮すべきことではあるが小幅なら問題無いのではないかと、少なくともそんなに表情を険しくする程のことかと皆が揃って首を傾げる。その彼らの無言の疑問に気付いたは、色々な意味での嫌な予感をひしひしと感じながら口を開いた。
「……嗜好品と生活必需品が同時期に値段が変わるのは、明らかに人為的な要素が絡んでるんです。どちらか一方であれば、まだ疑いの余地を出ないんですが。特に小麦は注意しないと。生活必需品である以上、中央が管理をきちんとしているはずです。それなのに、値段が上昇している。つまり、管理しているところでは無く、生産地に何かしら変事があったと考えるべきでしょう。」
「たかが小麦だろ?」
「されど小麦ですよ、ヴェイクさん。いつか奥様を向かえられて、一家の大黒柱になられた際に今の発言を猛省してくたさいね。」
クロムですら勝てぬの論述式である。ヴェイクが太刀打ちできるはずも無かった。
「リズさん。南に穀倉地帯があると伺っていますが、そこを治めていらっしゃる方で最近動向がおかしい方はいらっしゃいませんか?」
「南って言うと……」
「当家かデヴォン伯でいらっしゃいますわね。と、当家は違いますわよ!!私のお父様に限って……!」
「分かってますよ、マリアベルさん。貴女の人となりを見れば、どんな親御さんだかは察しがつきます。子は親の背中を見て育つもの、故に子は親の縮図と言っても過言ではありません。と、なると……」
「デヴォン伯……確かに最近はあまり宮廷ではお見かけしませんわね。一時期、それはもう鬱陶しいくらいにお見かけしましたのに。特にあの馬鹿ご子息の方、あんな潰れたカエルみたいな顔と性格でエメリナ様にちょっかいをかけるなんて身の程を知りやがれと思ってましたので、よく覚えていますわ。」
「……そ、そうですか。」
何か今、聞いてはならない言葉を聞いた気がしたが、人生には知らない方が幸せなこともある。はとりあえず賢明にも黙殺することにした。
「……と、なると……決起が近い?猶予は半年、無いか……」
ぶつぶつと呟くに、まだ分かっていないヴェイクが懲りずに尋ねた。
「なーなーなー何だってそんな小麦の値段が気になってるんだよ?上がってるっても、大した金額じゃねぇんだろ?」
「……金額が上がる、と言うことはつまり、生産者が売り控えをしているということです。あるいは、売るだけの量が手元に無いか。どちらも理由として考えられるのは三つ、凶作であるか、価額操作のためともう一つ。――戦の為の備蓄です。」
「戦ぁ!?」
素っ頓狂な声を上げるヴェイクや、驚いた表情をしているスミア。他の面々も似たりよったりの表情で、は先程感じた嫌な予感が忍び寄ってくる気配にこっそり溜息を吐いた。
「戦になれば真っ先に価格が上がるのが小麦です。私が穀倉地帯の領主であるなら、真っ先に兵糧を備蓄しますよ。自分側に潤沢な兵糧があれば、兵士や傭兵の士気は高まりますし、敵側への流通を止める手立てにもなります。例え大国だろうと――いいえ、大国だからこそ。物資が底をつけば、労せずに陥とせますしね。」
こんなことは戦の初歩の初歩、感心してもらっては困るが彼らの反応から分かったことが少なからずある。
(個々の能力はともかくとして、集団での経験がほぼゼロに近いのか……)
皆無と言うわけでは無かろうが、それでも経験不足は否めない。とは言え、事前に知ることができたのは不幸中の幸いか。
「リズさん、地図はありますか?件の伯爵領の位置を教えて頂きたいのですが。」
「あ。うん!ちょっと待って!」
雑然と物の並ぶ棚の中からリズが大きめの羊皮紙を引っ張り出し、机に広げる。比較的大きいその地図、指すのはまず、王都。
「こちらがイーリスの穀倉地帯、ペレジアと隣接している側が当家領です。で、こちら側がデヴォン伯爵領。」
「他領を挟んで隣国……マリアベルさん、今、領地内でペレジアとの小競り合いが増えていらっしゃいませんか?」
「な……ど、どうしてそれを……」
位置を知るなり小難しい表情をしたに尋ねられ、マリアべルは驚きに目を丸くした。何もマリアベルとて遊んでいるわけではない。今回王都を訪れたのは国境付近に出没する賊、その討伐の為に自領の軍備増強をエメリナに願い出るためのものだったのた。例え自領を守るためとは言え、勝手に軍備を拡張しては反逆と捉えられかねない。面倒なのは百も承知、しかし然るべき手順を踏まなければ国と言う名の組織は瓦解してしまう。万人が何事にも結果のみを重視せず、その利害も含めた多様な価値観を持つからこそ国は成り立っているようなものなのだから。
「自国の王に阿ることを突然止めた大領主、上がった小麦の値段……考えられる可能性は一つ。別の後ろ楯を見つけた上での、反乱です。」
「えぇぇっ!?」
「おいおい。物騒な話だな、そりゃ。」
「そ、そんな……」
動揺するリズやスミアとは違い、ヴィオールは何を根拠にとに尋ねた。
「一つはマリアベルさんのご実家で増えたという、小競り合いです。地図を見る限りデヴォン伯領と隣国に挟まれたこの肥沃な地を、そのままにしておく理由がありますか?今、起こってる小競り合いは恐らく周辺地形の確認と注意を引き付けるためのデモンストレーションでしょう。注意と戦力が国境付近に向いたところで、背後からデヴォン伯軍が突く……」
「デモンストレーションですって!?」
その言葉にマリアベルが瞬間沸騰したが、それはリズが宥めに先を促した。
「二つ目は、兵糧です。ペレジアはその土地柄、作物の育成には向いていない。他国からの輸入で賄っているのが現状でしょうが、自国で賄うのがベストのはず。広大な穀倉地帯が手に入るなら、後々のイーリスとの戦を考えても多少の先行投資には目を瞑るでしょう。領土を広げるのと併せて、一石二鳥ですから。」
「で、ですが、あくまでそれは仮定の話でございましょう?いくら短慮が服を着て歩いているような方でも、反乱なんてそんな……」
「確かに仮定の話です。ですが、無視するにはタイミングが良すぎます。こうしている間にも、被害は出ているのではありませんか?あらゆる可能性を考慮し最悪を回避するのでは無く、最善を選び取る。これは私の軍師としての矜持ですが、為政者にも通じるものがあると思いますよ。」
「そんなこと分かってますわ!でも、他領に言いがかりを付けるなんてこと……一歩間違えば、それこそ……」
「もちろん。ですが、何も他領に踏み込む必要はありません。位置を見る限り、ペレジアと内通するにはどうしたってマリアベルさんのご実家内を通らねばなりませんからね。……さて、ここで問題です。デヴォン伯領から流れた小麦の、対価は何でしょう?」
「……武器か!」
「正解です、ソワレさん。人の流れも気になりますが、これは王都経由で流れる可能性もありますからあまり当てにはしない方がいいでしょうね。ただ物資は距離をかければかけただけ足が付きやすい。自領を通る荷に検閲を掛けるのは、領主の権。それこそ人に見られて困ると言うなら尚のこと。手間をかけるのにも意味があるでしょう。」
なるほど、と全員が頷く。考えもしなかった事態に、マリアベルは正直戸惑いを隠せていなかった。自領のことだと言うのに、目の前の見ず知らずの女性の方がより詳しく知っているようで。
正直それは、次期領主としてあるべきマリアベルには到底認め難く――
「何かよく分かんねーが、あんたすげーのな。」
「恐れ入ります、ヴェイクさん。」
分からなかったのかい、と内心突っ込んだがあまり意味がなさそうだったので喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
「そうそう!それにね、すっごく強いんだよ!山賊と戦った時だって、お兄ちゃんと背中合わせてカッコ良かったんだから!こう、きらーんって来てばーんみたいな感じ?」
「おぉ?そりゃスゲーな!」
どんな説明ですか、そしてそれで何故通じる。流石に呆れて二人を見るが、何故かウンウンと頷き合っているリズとヴェイク。は深く追及しないことにした。
「お戻りになられたら、国境付近の警備の他に物流検閲に人を割くことをお父上に進言してみてください。証拠を押さえられれば、デヴォン伯爵に対しても有利にことを進められると思います。」
「そ……そんなこと、言われずとも分かっておりますわ!庶民の貴女に領地経営のなんたるかが分かるとは思えませんし、私、そもそも庶民の方とはお付き合いするつもりはございませんの!大体、リズにだって馴れ馴れしいとは思いませんの!?……失礼いたしますわっ!」
急に支離滅裂なことを言って爆発したマリアベルが、肩を怒らせて踵を返した。呆気に取られている達を残し足音も荒く出て行ってしまう。
「……ど、どうしたんでしょう。マリアベルさん……?」
その後ろ姿を見送ったスミアがおどおどと呟く。だがその怒りの真正面に曝されたは特に疑問にも、ましてや怒りなどは覚えなかった。むしろ随分可愛い嫉妬をするものだと、感心してしまう。自分などには逆立ちしたってできないだろう。
「わ、分かんないけど……あ!あのね、さん!その、マリアベルのことだけど……その…そ、そう!ちょっと人見知りなの!だから、その……」
「あ、あの……あ、あまりお気になさらないでくださいね。わ、私達も、初めてお会いした時はあんな感じでしたし……」
口々にマリアベルをフォローするリズとスミアに、は一瞬きょとんとしそれから苦笑した。逆に必死になる二人の様子にひとしきり笑うと、大丈夫だとばかりに手を泳がせる。
「大丈夫ですよ。気にしてませんから。」
「で、でもさ……!」
「ふむ。子猫が大虎に牙を立てても、痛くも痒くも無いと言う良い実例だな。」
「誰が何なのかは敢えてお伺いしませんが……ヴィオールさん。」
じろり、とヴィオールを睨めばおお怖いと大げさな仕草でソワレの陰に隠れてしまう。認めるのは癪だが、ヴィオールの言う通り親友を取られたような悔しさだとか、自分の力不足に苛立っての八つ当たりなど何の痛痒も感じない。
それよりも。
「そんなことより。リズさん、お願いしたいことがあるのですが。」
「え?う、うん。何?」
「この自警団の出納帳を見せて頂きたいんです。資金、武器防具――とりあえず全ての。」
「え……と、出納帳?」
「はい。場所はご存じありませんか?」
「んーー。フレデリクが管理してるから、分かると思うけど……何に使うの?」
管理している人物には全く意外性を覚えず、むしろその性格故に目を通す前から億劫になりそうだった。しかし、そうは言っても避けては通れぬ道である。
「色々と把握しておきたいことがあるんです。お願いできますか?」
「ん。りょーかい!ヴェイク!ちょっと手伝って!」
「あ〜〜?俺様がかよ〜〜」
渋るヴェイクを引き連れて、リズは部屋の奥へと消えた。は広げた地図をとりあえず片付け、バサリと音を立てて纏っていた外套を脱ぐ。若干ヴィオールが目を見開いたが、目敏く気付いたソワレに片耳を引っ張られ余計な口は開かずに済んだ。その間は脱いだ外套の中から必要と思われる品々を取り出し、次々と机の上に並べていく。
「時に君。」
席に着いたを見、ヴィオールが平素と変わらぬ表情で尋ねてきた。そう言えば、この男も自分程では無いにしろ謎の多い男だと思いながら答えを返す。
「何でしょう、ヴィオールさん。」
「猶予はどの位と考えているのかね?希望的観測を含めて。」
「希望的観測に縋っていると後で泣きをみますからね……希望と言うなら半年、ですが実際は三ヶ月と言ったところでしょうか。……ヴィオールさんはよろしいんですか?」
「何、良いも悪いも私の妻が渦中に居るのだ。ここに居るしか無かろうよ。」
「……そうですか。では奥様ともども、あてにさせて頂きます。」
「!君まで!!」
自称する貴族や公爵であるのかの真偽は定かではないが、使えるものは何でも使うのがのポリシーだ。遠慮無く戦力として数えさせていただくとしよう。
「お待たせ〜〜ふぅ、重い〜〜!」
「全くだぜ。なんだってこんなにあるんだよ……」
リズとヴェイクらしき声に振り向くと、はその場で思わず固まってしまった。らしき、と言ったのは何の比喩でも無くその二人の姿を抱え持った羊皮紙の小山がすっぽりと隠してしまっているからだ。その数、三。
「…………」
傍らのソワレとヴィオールからぽん、と肩に手を置かれ――無言で送られたエールに少しばかり、泣きそうになってしまった自分はきっと悪くない。
かくて非凡なる軍師は羽ペンを握り、うず高く積まれた羊皮紙の山に果敢に挑むのであった。