小さな自警団 ]X

 
「おう、やってるか。」
が羊皮紙の山と格闘を始めてから、約一刻。
やや疲れた声と共に入ってきた人影に、全員――いや、以外の全員の視線が集中した。

「お兄ちゃん。」
声で新たな入室者の正体は判明した。疲れ切ったリズの声で確信も得た。

「……何やってるんだ?」
やかましい。見て分からんか、この横着者。
等とは思っただけで口には出さず、また視線を上げることもしない。
無駄に膨れ上がった出納帳との格闘を現在進行形で続けていたはその作業の手を一旦止め、細かく痙攣し始めた瞼を押さえると特大のため息を吐いてクロムを出迎えたのだった。

「クロム様。」
「あぁ、フレデリク。」
クロムに続く形で入ってきたフレデリクも、室内の惨状に気付いてぎょっと立ち止まる。それ程狭くない筈の室内が、所狭しと羊皮紙で埋め尽くされているではないか。

「これは、一体……」
「今期の出納帳だよ〜さんが見たいって言うから、引っ張り出してきたんだけど……」
と、そのに次いで憔悴しているリズが。何でそんなものを、と首を傾げるクロムに、把握していおかなきゃいけないことがあるんだってさと答えたのはソワレだった。ちなみに彼女はヴィオール共々、不要と判断された羊皮紙を一括りにして再利用できるようにとの仕事を任されていた。

「把握って……おい、?」
「……何ですか、クロムさん。」
瞼を押している彼女に声を掛ければ、不機嫌な声が返ってくる。まさかまだ先ほどの件を引き摺っているのかと思えば、手元に纏められた書類の束が目に入って。

「ど……どうしたんだ、それ。」
「必要な分を抜粋して、不要な部分を取り除いたんです。……フレデリクさん、お願いですから出納帳にクロムさんが壊した壁の分別方法まで記載しないで下さい……」
「は?あ、いや、しかし……後ほど必要にはなりませんでしょうか?」
ほぼ確実になりません。
書類仕事はほぼフレデリクに丸投げしていたクロムだったが、まさかそんなことまで記載していたのかと副官を驚いたように見上げた。なるほどこの調子で書類の分別をしていたのでは、疲れもするはずだ。

「あーと。その、なんだ。。」
「……何ですか。」
先ほどよりも一階梯低い声に、思わず背筋が伸びる。

「その―――すまん。」
何だか色々と。万感の思いが込められたその声に返ってきたのは、やはり疲れ切ったため息だった。


仕切り直しとばかりに、散乱していた羊皮紙を掻き集め漸く全員が息を吐く。僭越ながらお茶を、と給湯室に消えたフレデリクの戻りを待って改めて自警団の団長の無事を全員(同行者除く)が喜んだ。

「遅くなってすまなかった。もう少し早く戻れると思ったんだが……」
ちらとやリズを見るが、二人とも素知らぬ顔でフレデリクの淹れた紅茶を啜っている。薄情者、と思うも口にはしない。クロムだって学習するのである。

「これで全員か?」
「今、裏でヴェイクさんとスミアさんが廃棄用の羊皮紙を纏めて――ああ、戻りましたね。」
は早々に書類作業に向かない人間ベストワンツーを外へ放り出した(ヴェイクは言わずもがな、スミアも書類をぶちまけるはインク瓶をひっくり返すはで早々に戦力外と判断した)のだが、その二人が丁度戻ってきたところだった。

「クロム様!」
クロムの姿をいち早く確認したスミアが華やいだ声と共に駆け寄ろうとし、しかし勢い余って足下の羊皮紙を踏んづける。
お約束と言うべきか、見事に滑って転び――

「気を付けて。」
いち早く察したによって、腰の辺りをしっかりと支えられた。転倒を免れたスミアが、驚いた表情でありがとうございますと小さく呟く。と、その瞬間の表情がピクリと動いた。

「?あ、あの……さん?」
「ああ、いえ。何でも。すいません、スミアさん。」
華奢な身体を支えていた腕を離し、再び席に戻る。何のことは無い、支えた身体から香った特徴的に甘ったるい匂いにあまり愉快とは言い難い記憶が触発されただけだった。無論、何の関係も無いスミアにはそんな感情はちらとも漏らさなかったが。

「だ、大丈夫かスミア?」
「あ!は、はい大丈夫です。うぅ…すみません。私ったらいつもこうで……」
慣れてるとは言え、目前で転ばれれば誰だって動揺する。落ちていた書類をに手渡し、揃った面子を確認したクロムは揃ったな、と呟いて全員の顔を見渡した。

「早速ですまないが、皆に聞いてほしいことがある。姉さん――国王陛下から、フェリア連合王国に向かうよう命が下った。」
唐突に告げられた下知に、皆の顔に驚愕が走った――否、再び書類に向き直ったを除いて。

「……驚かないんだな、。」
「予測可能範囲内のことですし、ね。無い袖は振れないんです、だったらある所から借りるしかないでしょう。」
昨夜エメリナに伝えたのと同じ言葉を唇に乗せ、よし終了と最後の羊皮紙を紐で括った。

「なるほど、それで出納帳か。」
「ええ。特に今回は、時間との勝負です。何があって何が不足か、把握する必要がありましたので。――エメリナ様は、時間についてはなんと?」
「出来うる限り早く――とは言っていたがな。委細はお前と相談して決めろ、とのことだった。」
「決めろと言われてもですね……」
濁した先の言葉を困惑とみるかは各自によって異なった。先程も言っていたではないか、三ヶ月、と。

「フェリア連合王国――イーリスの北に位置する、少しばかり変わった軍事大国でしたか。」
「ああ。知っているのか?」
「教えていただきました。」
眉間に皺を寄せたクロムが誰に、と聞こうとしたタイミングで三度、入室を告げる鐘が鳴る。誰だと誰何する間も無く、一人の長身の女性が姿を現した。

「フィレイン様!?」
スミアが驚愕に声を上げ、やはり特に驚いた風を見せないを除いた他の面々も驚いたように目を見開いた。

「ああ、スミアか。変わりは無いか?」
「は、ははははい!フィ、フィレイン様も……あの、そのお変わりなく……」
「ええ。ありがとう。」
スミアが驚くのも無理は無い。フィレインはイーリスが誇る天馬騎士団のトップ、見習のスミアから見れば雲上人である。変わり無いのか、と思ったのはのみ。それではいつ叙勲に至るか分からないんじゃ……と思ったものの、野暮なことは口にしなかった。

「どうしたんです、フィレイン?」
それよりもと対象をスミアからフィレインに移し、この場に居るはずの無い女騎士に理由を尋ねる。何故か、周囲からどよめきが上がった。

「味方の窮地を救うついでに書類を……ん?この場合、書類を届けるついでに味方の窮地を救ったと言うべきなのか?」
「あーーなるほど。」
皆まで言うな、とフィレインを留めたがちらりと一瞬、隣を見た。その一瞬で全てを悟られてしまったクロムが咄嗟に目を逸らす。

「ま、冗談はさておき。これが――頼まれていた書類だ。」
「流石は『疾風』のフィレイン!仕事が早い!愛してます!!」
「はは、褒めても何も出ないぞ『炎雷』の魔女。だが、まぁ、その告白は褒め言葉として受け取っておこう。」
目の前で繰り広げられる信じがたい光景に、全員が全員唖然とした表情をした。
フィレインをしか知らぬ者は勿論、しか知らぬ者も例外では無く。だが、しかし最も驚いたのは両者を知る者達だろう。特にクロムなど硬直に近い状態で固まっていた。
失礼、と一声かけたフィレインがの隣の席を占め書類を捲り出した彼女の手元を見る。遠目から見るに、必要とされた備品のリストらしかった。

「あ――あーフィレイン?」
「?如何しましたか、王子?」
それこそ何年も友誼を育んだ友のように会話を交わすとフィレインに、若干及び腰になりながらクロムが声を掛けた。呼ばれたフィレインはクロムの良く知る女性であって。だが。

「その……、と知り合いなの……か?」
「いやですね、王子。貴方がお連れになったんでしょう?」
いやそういうことを聞きたいんじゃなくてな、と思うも上手く言葉にすることができず。そんな中、だけはぱちぱちとなにやら小さな道具を弾くのに忙しく、会話に入ってこない。そんな彼女の態度が何やら面白くなく、しかしクロムは続けてもいいかと憮然としながら尋ねた。

「どうぞ。」
「…………今回の。」
即答にたっぷり十秒は沈黙し、だが話し終えないことには始まらないとクロムは気を取り直して続ける。

「今回の事案には、イーリスだけでは対処できないとの結論が下った。噂位なら聞いていると思うが、人の形をした化け物がここ最近、イーリス全土で出没している。まだ数こそそうでもないが、これから増えないという保証もない。ペレジアとの件もあるし、戦力不足が否めない――そこで、フェリアに助力を求めに行くことになった。」
「フェリアにって、お兄ちゃん。それってつまり……」
「ああ。国を代表しての、外交と言うことになる。」
外交、と聞いて自警団の面々が再び驚いた表情をした。それもそうだろう。確かにこの自警団は王弟であるクロムが組織したものだが、今まで国政に関わることなど一度としてなかったのだ。

「じゃ、じゃあ。どなたか、文官が同行されるんですか?」
「いや。これ以上の増員の予定はない。俺とリズに特使として、事に当たれとの命だった。」
「えぇ!?」
聞いてない、とリズが声を上げ、朝議で決まりましたので……とフレデリクが申し訳なさそうに答えた。本来なら王城でその話をしたかったのだが、女性陣はその暇を彼らに与えることなく立ち去ってしまったわけで。

「……さん、もしかして気付いてた?」
「可能性だけでしたら。武官に派閥があるように、文官にもあるでしょう。特に今回は時間との勝負です。タイミングの悪いことに、件の化け物や山賊のせいもあって道中の危険が恐ろしく跳ね上がっています。どれだけ可及的速やかにフェリアと提携を結ぶかに国の命運が掛かっていると言うのに、まずその人選で間誤付くわけにはいかないでしょう。ある程度の力量があり、尚且つエメリナ様の意向を正しく伝え、求める結果をもぎ取ってくる。――自ずと、人選の答えなど出ると言うものです。」
「……御見それしました……」
しおしおと項垂れるリズに、クスリとが小さく笑みを零す。

「……その事なんだが、。」
「そんな情けない表情なさらなくても、同行しますよ。交渉事は不得手なんでしょう?」
「……すまん。正直、助かる。」
交渉事が苦手だと自ら言ってのけるクロムである。エメリナから下知を受けた際、一番動揺したのは実はクロム自身だった。

「ですが、いつまでもこのままと言うわけにはいかないんですから。苦手だと仰らずに、勉強なさってくださいね。少しずつでいいんです。いきなり全て完璧にやれなんてエメリナ様だって仰いませんでしょう?」
「ああ。今回は、そのつもりでいる。お前には色々負担をかけるかもしれんが……」
いや、間違いなくかけると思っているクロムである。これで彼女に断られでもしたらどうしようかと考えていたのだ。予想外に――それこそ、イーリスに来る(正確には連れて来る)までのの拒絶っぷりを知っているので――すんなりと事が運んで、正直な所安堵のあまり肩の力が抜けそうだった。

「本来なら姉さんが行くのが筋なんだろうがな……」
「行かなくて正解ですよ。この程度のことで国王御自らご出馬とあれば、イーリスそのものが嘗められます。今回は王弟、王妹が揃って出るのです。……本音を言えば、リズさんには残っていただきたいのですが。」
「やだ!私、絶対行くからね!!」
「……と、まあ絶対そう仰ると思っていましたし。正直なところ、来て下さらないと困るんです。ライブの杖を凶器にしかできない私と違って、リズさんは今回同行していただく中で唯一の癒し手ですから。」
「……、君、一体何したんだい?」
ソワレの突っ込みを、満面の笑みで黙殺する。

「国の見栄は十分、後は如何にこちらの望む結果を叩きだすかです。――それは、私の仕事ですから。」
さん、こ、この程度って……」
「エメリナ様は言わばこの国の総大将です。その総大将に戦の先陣を切らせる馬鹿がどこにいます?そう言うのは、駒である臣下の役目です。総大将と言うのは部隊の最後の砦、何があっても動じず揺らがず。最後の最後まで指揮を採っていただかなくてはなりません。」
「…………」
好んで先陣を切るどこぞの自警団の団長が気まずそうに顔を逸らした。だが、厳しいところではとことん厳しい軍師は、その追撃の手を緩めない。

「クロムさん。今回の件では貴方が総責任者であり、我々の総大将です。くれぐれもその点だけは――忘れずに頭に置いておいて下さいね。」
「あ。あぁ。分かっている。」
速攻で打たれた釘にばつの悪そうな表情をするが、分かっているからこその釘だ。その証拠に先程からは笑顔を作りながらも、その実全く笑っていないと言う重圧を掛けてきている。

「後は……フレデリクさん。」
「は。何でしょうか。」
「これが今回の旅で不足している物資のリストです。準備をお願いしてもよろしいですか?」
言って、先程超特急で作成した物資のリストをフレデリクに手渡す。金庫番でもある彼に一任しておけば、問題ないだろう。

「はい。お任せください。……こちらは、持ち出しのリストですね?」
「えぇ。時間が無い中、無理を言って申し訳ありませんが。」
「いいえ。どうぞ、お気になさらず。仕事は分担した方が効率的ですし、イーリスが初めてでは如何に貴女でも勝手が分からないでしょうから。」
お願いします、とフレデリクに羊皮紙を渡し、同時にフィレインに同じような羊皮紙を手渡した。これは?と尋ねるフィレインに件の、と言葉少なく返す。

「先程頂いた内容と、自警団の皆さんから伺った話が纏めてあります。時間は有効に使うべきだ、と思うのですが?」
「……我々の力不足の証拠だな。恥ずかしい限りだ。」
「事態がここまで差し迫っていなければ、正直今すぐにとは言い切れない案件です。ですが、限りなく黒に近い灰色。後手に回る前に対処をしておくべきでしょう――口実は口実の役に立てば良いのですから。」
「イーリス天馬騎士団長たる私が確かに受け取った。貴女が戻るころには全て片付けておくと、名誉に賭けて誓わせてもらう。―――ありがとう。」
立つ場所は違えど、間違いなく戦士である彼女らが不敵に笑い合う。クロム以下、男性陣の腰が若干引けたのは仕方ないことだと見逃して欲しい。

「さて。残る事案は一つだけですね。――クロムさん。」
「ああ。今回、同行してもらうメンバーに関してだが。」
に促され、頷いたクロムが全員を見渡す。

「先程も言ったが、道中大分危険が伴うと思われる。それに加えてかなりの強行軍だ。――だろう、?」
「はい。先々のことを考えると、掛けられる時間は多くて一月半――欲を言えば、一月で条約を結んでイーリスに戻りたい。」
「ひとつきィ!?」
往復するだけでも、通常フェリアの首都まで一週間はかかる。驚くヴェイクに欲を言えば、ですよと再度付け加える。フェリアとの同盟を結ぶのも重要だが、その後の采配も重要になってくるのだ。戦が本格的に始まるとすれば、二月の時間でも準備には短い位なのだから。

「無理だと思う者は残ってくれて構わない。日程的にも体力的にも厳しい旅になるが、なるべく多くの協力が欲しい。――頼む、皆の力を貸してくれないか。」
こうやって素直に頭を下げられるのは、クロムの美徳だとは思う。王弟である彼からすれば、頭を下げることを要求することこそあれ、自ら頭を下げる必要はそう無い筈だ。だが、少なくともこの自警団内に於いてはクロムは皆と対等であると――それこそ団長と団員の違いこそあれ――思っているようだった。それをどう見るかは、各々異なるであろうが。

「はン!お前が行くってのに、俺様が行かずに誰が行くってんだ!?」
「もちろん、僕もお供します。クロム団長。」
「ふむ。では、ソワレの夫たるこの私も同行しようではないか。」
「あの……ぼ、僕も……」
ヴェイク、ソワレ、ヴィオール。それから、人一倍大柄なのに人の十倍影の薄い青年――カラムと名乗った――がそれぞれ名乗りを上げた。これで、八人。少数精鋭で動くにしても、後数人は欲しいところだが。と、そこで小さなため息をの耳が拾った。

「……スミア、お前も来るか?」
自分と同じものをクロムの耳も拾ったのだろう。彼はその溜息の主の名を呼び、次いでその彼の思わず耳を疑うような発言をの耳は拾ってしまった。

「え……で、でも。クロム様。私、まだ自分の天馬さえ……」
「ああ、それは知っているが。見ているだけでも戦いの勉強になる。来たければ来ると……」
「クロムさん。」
いい、と続けようとしたクロムの声を低い声が遮った。普段より三階梯ほど低いその声の持ち主が、ゆっくりと腰を上げクロムの真正面に立ち塞がる。

?どうし……」
「まさかと思いますが、来るといいなんて仰るつもりではありませんよね?」
最早笑顔を張り付けてすらいないに、クロムの背筋に冷たいものが走った。それだけでは無い。取り残されるような形になったフィレインも、彼女に負けず劣らず険しい表情をしているのが視界の隅に映る。

「いや……そ、そう言うつもりだったんだが……」
「――先程。」
リズが即座にフレデリクの後ろに隠れた。

「ご自分でも仰られましたよね?危険だと。強行軍になると。その旅に、彼女を同行させると?」
「ど、同行と言ってもだな。馬車に同乗して、戦いになったら――」
「先程、スミアさんご自身から伺いましたが。未だ見習いで、剰え天馬騎士の本分たる機動力すら無いと仰られました――スミアさん、失礼ですが実戦経験は。」
「あ、あの……その、すいません……まだ、その……」
の放つプレッシャーに押されて、スミアが半分以上怯えながら答える。女子供を怯えさせるのはとて本意では無いが、正直な所今の彼女にそれを自制できるだけの余裕は無かった。

「誰にだって始めてと言うものはあるだろう。戦いになったとしても、なるべく俺の傍から離れなければ……」
「え?あ、は、はい……!お約束します、クロム様!」
他意は無いのだろうが、誤解を招くような言葉にのただでさえ悪い機嫌が更に弧を描いて急降下した。
――理由はこの際、置いておいて。

「確かに誰にでも初陣はあります。ですが、それを今――今回の旅で経験しなければいけない理由があるんですか?」
君、少々落ち着き……」
「私は十分冷静です、ヴィオールさん。クロムさん、分かっていらっしゃるんですか?今回の旅は物見遊山じゃないんです。加えて道中の安全すら保障されていない道行きなんですよ?そんな中で自分の身を守ることすら覚束ない女性を伴う理由――私が納得できるだけの理由があるなら、どうぞ仰ってください。」
いくら騎士見習いとは言え、実戦経験など言われずとも積んでおかないでどうするとは胸中で毒づく。事が起こってからでは遅いのだ。そう、正に今のスミアのように。
大体クロムもスミアも、足手まといが一人居ればその本人は勿論のことその人物を守るための負担が周囲に掛かると――どうしてその程度のことも考えられないのだろうか。

「分かっているに決まっているだろう!だが、それとこれとは……」
「別問題なんて言ったら、はっ倒しますよ。つまり、これと言った理由もなく単に思いつきで言われたと?」
「そ、そう言うわけじゃ……」
ぎろりと睨めば、簡単に言葉に詰まる。つまり、の言った通り単にその場の勢いと思いつきで口にしたのだろう。
正直そんなことではこの先困る――クロム自身もそうだが、これからフェリアと様々な交渉をしなければならないにとっても。戦力面では頼りになると認めるが、それ以外――この旅で最も重要な場で同じようなことをされては目も当てられない。
それこそ妹であるリズの方が、現時点では余程政に向いている。少なくとも彼女は、思いつきで何かを口走るなんて阿呆な真似は絶対にしない筈だ。
いっそスミアごとクロムも置いていくかと思案し始めたに、クロムも敏感に何かを感じ取ったのだろう。

「言っておくが、俺は残るつもりは無いからな。俺が姉さんから頼まれた仕事だ。必ず、俺が果たしてみせる。」
「………」
先手を打ってきたクロムに対しだったら自分はここに残って暢気に紅茶でも啜ってやろうかと思ったが、それを言うのは流石に大人気なかろうと喉の半ばまで迫り出してきたそれを何とか飲み込む。

「あ、あの。クロム様、さん……お願いですから、二人とも、落ち着いてください……」
文字通り二人の間に挟まれていたスミアが、おどおどしながらも二人を何とかしようと果敢に割って入った。明らかに自分が原因で二人が諍いを起こしているのならば、それを収めるのは自分でなければならないとの責任感が彼女の背中を押す。

さん、あの。私、頑張りますから……!」
両手を胸の前で組み、必死に言い募るスミアの姿は実に健気で普通であれば絆されてるかもしれない。とて好いた男の役に立ちたいと言う、彼女のその気概を買わないわけではない。
しかし実際のところ。生憎とは普通とは言い難かったし、気概は気概として買うだけで実力の伴わない空虚な言葉だけを信用するほど愚かでもなかった。

「精神論だけで全てが解決するなら、軍師(わたし)など必要ありません。――故に、私が此処に居る意味も無い。」
自分でもぞっとするほどに低く冷たい声だった。らしくないと思いつつ、何故こんなに苛立つのだと思考の片隅で自分自身に問いかける。

目の前には並んで立つクロムとスミア、そして鼻腔を擽る甘やかな香り――

!」
「……大声を出さなくても聞こえています。それで、クロムさん?私を納得させて下さる理由は、話していただけるんですか?」
「だから、何でそれがひつよ……」

カチリと、パズルのピースが嵌るように答えが導き出される。スミアが纏う甘い香り、濃度こそ違えあの着飾った少女達から漂ってきたものと――

「スミア。」
白熱するクロムとの間に、第三者――それまで傍観していたフィレインが口を挟んだ。途端、はい!とスミアが姿勢を正す。

「私もの意見に賛成だ。誰がどう聞いても、彼女の意見に理がある。」
つまりは自分から辞退しろ、と言外にフィレインは告げたのだった。そうすればクロムは自分の発言を撤回せず済むし、も余計な事に囚われず指揮が取れる。――イーリスの、天馬騎士ならば当然取るべき選択だと思っていたのだが。

「で、ですが……私、クロム様のお役に立ちたいんです……!」
窮鼠でなくとも恋する乙女は大方が怖いもの知らずである。おお言ったぁ!!などと、スミアの気持ちなど百も承知の面々が無責任に感嘆の声を上げた(胸の中で)が、上司にして同性たる女騎士はそう思わなかったらしい。
隣の同様、地を這うようなプレッシャーを漏らし始めた。

「役に立つも何も、現状足手纏いにしかならないだろう。今回は自重して、イーリスに残れ。見習いだとしても天馬騎士であるお前に意味が分からないとは――」
「ちょっと待て、フィレイン。確かにスミアは天馬騎士だが、今は俺の自警団の一人として居るんだ。口出しは……」
「無用、とでも仰るんですか。クロムさん。」
あ、まずい。そう思ったのはフレデリクの陰に隠れたリズで、その姿を見ずとも今のの状況が手に取るように分かってしまう。
それはそれはもう――精細に。

「自警団だからと、天馬騎士としての誓約から逸脱できるわけじゃないんです。今後の、彼女の騎士としての未来を奪うおつもりですか?それとも――いざとなればご自分で責任を取られますか。」
「み、未来ってそんな大げさな……」
「お言葉ですが、王子。」
冷え冷えとした声と視線――ゆっくりと立ち上がったフィレインがクロムを射抜いた。途端、クロムの身体が冷水を浴びせかけられたように硬直する。

「我々天馬騎士は、主家たる御方――エメリナ様の盾になるようなことはあっても、その逆は断じてありません!ましてや御身を危険に曝すような事態を前提に考えるなど、言語道断!!イーリス天馬騎士団の存在意義を何とお考えになります!!」
鋭い一声に、身体が反射的に竦んだ。今更になってそこまで深く考えての言葉だったなどとは言えず、だがしかし言ってしまった以上無かったことにはできないわけで。こんな時こそ軍師の出番だろうとの方を伺い見れば、フィレインに負けず劣らず険しい表情をしている。正直、助力は期待できそうにもなかった。

「だ……だから、どうしてそこまで話が飛ぶ!?大体どうして俺の身が危険に曝されるんだ。スミアにしたって、戦いになったとしても参加さえしなければそう、危険も……」
「クロム様っ!!」

意味をまるで理解していないクロムに、最早フィレインは憤りを隠さない。いや、この場合理解していないと言うよりは自覚していないと言った方が正しいのだろう。――自分の立場も、担った責の重さも。
今回に限らずイーリスの王子と王女であるクロムとリズは、もし万が一旅先で何かあった場合、――誰を、何を犠牲にしても。イーリスに生きて、戻らねばならないのだ。
自警団なるものを組織して、戦いの最前線に身を置くのが日常と化しているのだから、自覚しろと言うのが無理なのかもしれない。だが、今まではそれでよくてもこれから先――本格的に戦が始まり、嫌でも王弟、王妹として果たすべき義務が生じるようになってから自覚したのでは遅い。
その遅れが――時に致命的な事態を招かないとも言い切れない故に。

(これで何の手掛かりも無かったら、正直割に合わないわよ。エメリナ……!)
恐らくクロムとリズに今回の件を命じた友の真意はその奈辺だろう。宮廷内の派閥分裂も理由の一つではあろうが、手っ取り早く二人の成長を促す為――何も自分を巻き込むことは無いだろう、とは思ったが。

「フィレイン。」
ため息交じりに彼女を制止すれば、眉間にくっきりと皺を寄せた秀麗な面が振り返る。頭に血が上りかけているのであろう彼女を諌める意味でも、は敢えて何でもないことのように告げた。

「もう、いい。フィレイン。クロムさんの――団長の結論が下ったんです。私にはその命に従う義務がある。――ですが。」
正確に言えば、その決定を覆すだけの切り札がにはある。無論、その場に同席していたフィレインもそれは承知の筈で、それ故に感情を荒立たせているのだろう。しかし彼女には申し訳ないが、その手札をこの程度のことで切るつもりは毛頭無い。
だからこそこれだけは聞いておかねば、とクロムへと真っ直ぐに視線を向けた。

「クロムさん、今更ですがお尋ねします。今回、我々がフェリアに何をしに行くのか。ご自分がどういった立場であるのか。お分かりでいらっしゃいますか?」
「何……って、。さっきお前も言っただろう。姉さんの代わりにフェリアと同盟を締結して、その助力を仰ぎに……」
「――もういいです。」
何を今更、と言ったクロムのおかげで何やら色々脱力してしまった――溜息こそ吐かなかったものの、大きく肩を落としてしまう。これこそ本当に今更だがこんな面倒事に自ら首を突っ込んでしまったことに、激しい後悔の念が湧き上がってきた。

「フィレイン。」
「ああ。」
「やはり予定を繰り上げましょう。正直、無事に戻ってこられるかすら危うい。……事と次第、なんて悠長なことを言ってられる状態ではないのがよく分かりました。――どの位、集められますか。」
「最低限を残し、総動員する。一気にカタを付けたいのだろう?」
「ええ。――後顧の憂いは少ない方がいい。ここで絶っておくのも、選択肢の一つとして考えてはいました。出る前に片付けられるだけでも片付けるべきでしょう。まだ大きな火種になっていない今なら、こちら側が受ける被害も最小限に抑えられる。」
急に話題を転換させたフィレインとに、クロムが怪訝そうな表情をする。だが二人の女傑は黙して語らず、瞬く間に身支度を整えてしまった。

「ちょ……ちょっと待て、!お前、どこに……」
行くつもりだ、と言いかけたクロムを彼に向き直ったが阻んだ。正確には、の表情が。
見覚えがある、と思ったのも当たり前だ。クロムはもう二度ほどその表情にお目にかかっていたし、彼女の見せる表情の中で最も魅かれて止まない――

「最後に一つ、お伺いします。」
「最後って、お前――」
何を、と言うクロムの声にの声が重なる。凛とした、思わず背筋に緊張とも快感とも言えぬ奇妙な震えを覚えた、その声は。

「先程仰った言葉に、相違はありませんね?」
「さっきって……色々言ったぞ。どのことだ?」
流石のクロムも相手に一も二も無く頷く、という真似はしなかった。確認の意を込めて尋ねれば、の両目がス、と細められる。

「先程、スミアさんになるべく自分の傍に居るように、と。そう、仰ったでしょう?」
一旦自覚してしまった匂いと記憶の繋がりは、そう簡単に解けない。務めて意識しないようにしても、むしろしないようにすればするだけしっかりと絡まって。理由と原因は後回し、今はその事実に蓋をする。何かの拍子に思い出してしまわないよう、しっかりと。

「い、言ったには言ったが……」
別人の口から語られると、非常に居心地が悪い。他意無く言ったクロムだったが、取りようによっては私情が丸分かりの――とそこまで考えて、ふと動きを止める。何故がここまで食い下がるのか、その理由はもしかして――?
自惚れてもいいのだろうか、とを見下ろせばだが相変わらず刺々しいその空気。

「相違は。」
「無いが……それが、どうしたんだ。。」
「王子!!」
咎めるようなフィレインの声に、理由の分からないまま咎められているクロムもいい加減眉間に皺を寄せる。クロムに彼女達の言い分が理解できないように、彼女達もクロムの言い分が理解できていないとそう思ったのだが。

「いい、フィレイン。言質は取った。」
ひらひらと手を振り、フィレインを諌める。の口から飛び出した物騒な言葉にフィレインを除いた全員の視線が集中するが、当の本人は全く気に掛けずに外套を羽織ってしまう。

「――出発は明日、正午。場所は北大門前の広場。遅れた方は置いていきます。他に参加して下さる方にも伝言をお願いします。先程も言いましたが、今回は強行軍になります。今夜は各自しっかりと休息を取って下さい――以上、解散!!」

ビシリと骨に響くような声と言葉を吐きだすと、そのまま一瞥も加えることなく足音も荒く室内を出て行ってしまう。
対照的に口を閉ざしたままのフィレインもその後に続き、後に残されたのは呆然としたクロムと完全に蚊帳の外に置かれた自警団の面々と――地獄のような沈黙のみ。

そんな中、リズがぽつりと呟いた。

「……お兄ちゃんてさ。ホント、天才だよね。」

さん怒らせるのの。
――反論は、できなかったクロムである。

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