戦士の王国 T
――あぁ、何処かで雲雀が鳴いている。
高く青い空の下、フレデリクはやや現実逃避的にそんなことを考えた。
祖国イーリスを出発して早一刻。天候が崩れることもなく、絶好の行軍日和だと言うのに。
「空が青いねーフレデリク。」
同じように現実逃避的気味なリズの声に、フレデリクは頷くことしかできなかった。
先頭を行く、低気圧の底が抜けたような不機嫌さを撒き散らす二人の男女をその視界の端に納めながら。
ことは出発前に遡る。
「どうだ、リズ?来たか?」
「んーまだ見えないなぁ……」
イーリス王国、北大門前。もうそろそろ、正午の鐘が時を告げようという時間。
この国ではあまり珍しく無い光景――正真正銘この国の王子と王女が揃って町中にいる――があった。
「さん、来てくれるかなぁ……」
「大丈夫ですよ、リズ様。物事を途中で投げ出すような方ではないでしょう?」
「それは……そうだけど。でもさ、あれだけ怒ってたんだよ?しかも、昨夜は本部に戻って来なかったんでしょ?」
「……あぁ。」
リズの問いに、クロムが渋い表情で頷いた。とフィレインが二人揃って出ていってしまった後、流石にまずいと思ったクロムは一晩中彼女の帰りを待っていたのだ。何故彼女があんなにも怒ったのか、正直未だ以て理由は分かっていないのだが恐らく尋ねれば説明してくれるだろうことを期待して。
本部の会議室のソファーに陣取り、しかしいつの間にか眠ってしまっていた。フレデリクに揺り起こされた時は既に夜が明けており、だがの戻ってきた気配は無く、結局彼女とは一度も顔を合わせぬまま本部を後にしてきたのだが。
「……もし来てくれなかったら、どうするのお兄ちゃん。」
「どうって……」
どうしようもない、と言うのが現実だ。抜きで、フェリアに行きそして同盟を結ばなければならない。情けない話だが、仮に彼女が居なかったとしたらそもそもこの任が来ていたかどうかすら疑わしいのだ。今まで国政に絡むことは意図的にせよ意図的でなかったにせよ回避してきた、そのツケが今こうして来ている。
「私、正直自信無いよ?」
「……言うな、リズ。」
後悔先に立たずとは正にこのことか、と内心へこみながらもクロムは表面上は何でも無い風を装っていた。指揮官が動揺すれば、部下にもそれが伝わる。多少の無理は押し殺しても、そうとは見せない仮面が必要だった。
「こんな時が居てくれたら、捜索を頼むんだが……」
「……お兄ちゃんが一番動揺してるね。……あ!」
独り言と言うにはやや大きい呟きにに突っ込んだリズが、ふと何かに気付いた。クロムもその声に、弾かれるように顔を上げる。
「……!……に、フィレイン、か?あれは。」
「……フィレイン殿だけではありませんね。」
「うわ。ほんとだ。」
「よ、四天馬騎士が勢揃いしてます……」
唖然とするクロム達の視線の先には、壮観と呼ぶに相応しい景色があった。天馬騎士団の長たるフィレイン、その隣にはが並んでいる。そしてその背後にはフィレインを筆頭とする、イーリスが誇る四人の天馬騎士が闊歩しているのではないか。
「フィレインはともかくとして、何であの四人が?」
「いえ……分かりませんが。」
流石にこの国の住人であれば、フィレインの顔を知らぬ者はいないのだろう。自然と人垣が割れ、彼女らは居並ぶ群衆の間を悠然と歩いて来る。
「あれ……ねぇ、お兄ちゃん。あれ、あの黒いの。何?」
「馬……か?」
にしては随分
だとすれば――
「遅くなってすいません、皆さん。」
そうこうしているうちに、達が広場へと到着する。その彼女の元にリズが真っ先に駆け寄った。
「本当だよー来てくれないのかと思った!」
「それは大変申し訳ありませんでした。ですが、リズさんは私を信じてくれなかったんですね……」
「ふわっ!?ちちち違うよ!来てくれるとは思ってたけど、不安だったって言うか。えーとあのそのだからね!」
「リズ様、落ち着いて下さい。、貴女もリズ様で遊ばないでくれ。」
「ふふっ。冗談ですよ、リズさん。」
「えぇっ!?あ、ひどっ……さんひっどーいっ!!」
沈痛な表情から一転、クスクスと笑う達の姿にリズがむきーっ!と憤る。しかしその反面、普段通りに見える彼女の様子に安堵したのも事実だった。
「よぅ。」
誰よりもそれを心配していた張本人(クロム)が、逸る動悸を隠しながら務めて普段通りの様子で声をかけた。一瞬辺りを緊張のようなものが走ったが、だがやはりは何の変化も見せずに彼と相対する。
「遅くなりました、クロムさん。」
「ま、確かに少し遅かったが……まだ、時間じゃないしな。あ、いや、そうじゃなくて。」
「はい?」
何でしょう、と小首を傾げるからは昨日の怒りの欠片も感じられ無い。まさかまたさっぱり忘れたのかと、思わずクロムが心配になるほど。
「他の皆さんは揃われましたか?」
「あ、あぁ。一人、ミリエルがどうしても出発に間に合いそうに無いと言うんで途中で合流する手筈になってるが。」
「ミリエルさん……確か、魔道士の方でしたね。合流場所は?」
「フェリアとの国境迄には合流しろと言ってある。間に合わなければ、待機の指示を。」
「分かりました。では、そろそろ出発の準備にかかりましょうか。」
拍子抜けするほどあっさり頷いたに、むしろクロムの方が不満に思う。昨日あれだけ盛大に荒れておいて、一晩明けたら忘れているようではまるで自分だけが気にしているようではないか。
「。」
「はい。何でしょう、クロムさん。」
「あ……いや、その。そ、そうだ!お前、昨夜何処に行ってたんだ?本部で一晩中待ってたが、帰ってこなかっただろう!?」
「あぁ。えぇ、はい。そんなことよりクロムさん、それでは全然休まれてないんじゃないんですか?」
言外に休めと言った筈だが?と眉を顰めるに、うっとクロムが言葉に詰まる。
「あ……その、待ってる間にいつの間にか眠ってしまってだな……」
「では、休めたことは休めたんですね?良かった。これから強行軍になりますから、休める時に休んでいただかないと。」
「あぁ、そうだな……って、違う!俺のことじゃない、お前は……」
「失礼します、王子。」
丸め込まれかけたクロムがの肩を掴んだが、まるでタイミングを計っていたようにフィレインが二人の間に割り込んできた。
「どうしました?」
「荷物は馬車に放り込めばいいと思うが、お前はどうする?」
つまりは騎乗していくかどうかを問うフィレインに、はちらと黒い塊に視線を移す。ぶるる、と言う短い嘶きに苦笑を零して騎乗していく旨を告げた。
「それと荷物は……」
「ご心配無く、もう積み込みました。殿。」
四天馬騎士の一人にありがとう、と微笑み、クロムに何でしたっけ?と視線を戻す。詰問を邪魔された形になったクロムは思わずその勢いを失い、そして何故か自分に突き刺さる複数の冷ややかな視線の感触に慌てて別の疑問を口にする。
「あ……と。いや、その。そ、そうだ。お前、あの馬どうしたんだ?」
「買ってきました。」
いや、そんなことは分かってると呟いて少し離れた場所にいる黒馬を見遣った。
巨い、と言う言葉がまず頭を過った。 クロムの愛馬であるフォルテ号も一際立派な体格の牝馬だが、その彼女よりも裕に二廻りは大きい。体も鬣も、その細部に至るまで全てが漆黒だ。所々隆起したり、僅かに色が異なって見えるのは恐らく負った傷痕のせいだろう。
「……野生馬じゃないよな?」
「あら、クロムさん。イーリスの法では野生馬の売買が禁止されているんでしょう?お忘れになったんですか?」
つまりそれほどまでに立派な体躯の、美しい馬だと思ったのだ。彼女の言葉通り、イーリスでは野生馬の売買は原則、禁止されている。馬そのものの値崩れを防ぐ為と、野生馬の保護のためだ。だからこそ売買で手にいれたというのなら、野生馬では無いのだろうが。最も、の言をそのまま言葉通り受け取れるかと言われると少しばかり躊躇ってしまうのだが。
「いや……忘れてはいないが。」
繁殖馬とて逞しい体躯や美しい馬はいるが、だが野に生きる彼らと比べればどうしたって見劣りする。人の手によって生かされているものと、自らの意志で生き抜いているものの差だろうとクロムは考える。
自分の愛馬に不満があるわけでは無いが、どうしたって目移りはしてしまう。――それ程の風格だった。
「おぉっ!何だありゃ!?」
「すっごーい!やっぱりおっきいねー」
興味を引かれたのだろうヴェイクとリズが、いつの間にか黒馬に近付いていた。その旺盛な好奇心と軽快な足取りに、やれやれとはため息を零す。
「お二人とも〜近寄るのは構いませんが、気を付けてくださいね〜ヴェイクさん〜アスランは男性が嫌いですから特に〜」
「先に言ぇぇぇええっ!!?」
ヴェイクの悲鳴に重なって、馬の嘶きが周囲にこだまする。不用意に近付いた不審者達への威嚇の為に竿立ちになった黒馬の姿は、これだけの距離があっても圧巻だった。
「びびびびっくりしたぁ!」
ヴェイクを尊い犠牲に、ちゃっかり逃げてきたリズがクロム達の傍らで荒い息を吐く。それに苦笑を零したは、アスラン、と一言呼んでかの暴れ馬を諌めた。
「
「えぇ。第一印象だったものですから。」
「ね。ね。さん。嫌いなのって、男の人だけ?私、乗せてくれないかなぁ?」
「本人に聞いてみてください。確かに私が騎手ではありますが、主人では無いので。」
「?よく分かんないけど、とにかく聞いてくる!」
と、再び矢のように飛び出して行く。その後ろ姿を苦笑しながら見送ったは、傍らから寄越されるもの言いたげな視線に気付いた。
「何でしょうクロムさん。」
「あ……いや。乗れるのか?」
「えぇ。まぁ、乗るだけでしたら。流石に戦闘は無理ですけど。とにかく、今回は時間との勝負ですから。」
「そうだな……」
変わりは無い、平素の彼女だ。昨日の諍いなど無かったかのように振る舞うに、だがクロムはどうしても納得していなかった。
忘れたわけでも無いのに、どうして常と変わらぬ様子でいるのか。いっそ不機嫌なままだったら、それこそ会話の糸口になっただろうに。
何故、あれほどまでに激高したのか。質問の意図が何だったのか――恐ろしいことに、の会話の端々には彼女の考えているだろう先の答がちりばめられているのだ。一見して、何の変哲も無い会話にすら。
と、その時正午を告げる鐘の音が鳴り響いた。時間だ。
「クロムさん。」
「……ああ。」
腑に落ちないとしても、時間は待ってはくれない。遊んで(遊ばれて?)いるリズとヴェイクを呼び戻し、待機していた他のメンバーにも声をかける。
「皆、準備はいいな?出発するぞ!」
クロムが見渡せば、各々が頷く。最後にに視線を移すと、確認するように頷き合った。
「。」
と、背後に部下を背負ったフィレインに呼ばれそちらに視線を移す。
「任の成功と、一日も早い帰還を待っている。」
「ありがとう。中途半端で申し訳ないけど、後はお任せします。」
ああ、と頷いたフィレインの後ろから心得た部下達が進み出た。何事かと目を丸くするクロムを尻目に、横一列に居並んだ彼女達が端から一人ずつ片手を差し出した。
「ご一緒させていただいて光栄でした、軍師殿。ご無事のお戻りをお待ちしております。」
「貴女の指揮下に入れたことは、私共の一生の誇りです。どうかご無事で。」
「今日と言う日ほど、騎士の本分を果たせた日はありませんでした。同時に騎士として、喜びを感じた日も。ありがとうございます。」
「お戻りになられた後は、是非自警団などでは無く天馬騎士団への入団をご検討されてください。空席になって久しい次席を準備して、部下一同心からお待ち申し上げております。」
は四人の天馬騎士達と固い握手を次々と交わし、その都度微笑みながら彼女達の言葉に応じる。最後の一人から手綱を受け取り、最後にもう一度フィレンと向き直った。
「後のことは心配せず、くれぐれも怪我の無いように。それと――入団の件は是非、前向きに検討してくれ。」
苦笑したが検討だけはね、と答えてフィレインと軽く拳を合わせた。そして鐙に足を掛けると、そのまま体重を感じさせぬ動きで馬上の人となる。
「クロム様。」
その光景に見入っていたクロムが、いつの間にかフォルテを引いてきていたフレデリクの声に我に返った。
「あ、ああ。」
クロムも身体に染みついた仕草で騎乗し、他の徒歩の面々は手綱を取るヴィオール以外は馬車の中へ。騎馬を駆るソワレとフレデリクもその背に騎乗し、馬首を門の外へと向けた。
「よし、行くぞ!」
クロムの声にまず馬車が動き、次いでソワレとフレデリクが。最後に残った傍らのを促そうとしたクロムは、だが次の瞬間目に飛び込んできた光景に言葉を失った。
「礼っ!!」
フィレインの号令合わせて、天馬騎士達が一斉に敬礼の動きを取る。
一糸乱れぬその動きは、戦場で彼女らが仲間に送る敬意そのもの。驚いたのはクロムだけでは無かったのだろう、もまた一瞬呆気に取られた表情をし、だがふ、と表情を緩ませた。次いで軽く挙げた片手を見送りの礼へと代え、一度も振り返ること無く歩き出す。
クロムも慌ててその背に続き、彼女に並ぶ。
こうして天馬騎士らに見送られながら、クロム達一行はフェリアへと旅立ったのだった。