戦士の王国 U
「一体何をした?」
王都を出て間もなく、クロムは仏頂面のまま口を開いた。
それが自分に向けられたものだと理解するのに、少々時間を要したが目を瞬く。
「……何を、とは?」
「惚けるな。フィレイン達だ。多分、帰ってこなかった昨夜に何かあった――したんだろう。」
出発前の彼女達の反応を見れば何かがあったことなど明白だ。ついでに言うならクロムに向けられていた、あの冷たい視線の意味も。
曰く、
騎士団のNo.3である彼女らは実力がある分、プライドも高い。その彼女達がに対し、あれだけの敬意を払ったのだ。ただフィレインと親しいだけだからとは考え難い。つまり彼女達が彼女達の意志で敬意を払い、払うに値する何かをの中に見つけたからこその見送りだったのだろう。
そして、そこにある空白の一夜。自分の預かり知らぬところで、が何かに関わったことは疑いようが無い。
「いいえ?特には。」
「………」
が、クロムの意気込みにも関わらずから帰ってきたのは拍子抜けするほどのあっさりした答えだった。思わずじとりと睨めつければ、にこりと笑顔が返ってきて。答える気が無いのは一目瞭然だった。
「前々から思ってたんだが。言葉を惜しむのはお前の悪い癖だぞ、。」
決して直截な言い方はせず、含む意味をその端々に隠しているのだ。意識的か否かは場合によって異なるだろうが、
最近漸くそのことに気付いてきたクロムだったが、まだ彼女の真意を察するまでには至っていない。恐らくそんなことができるのは、現時点でエメリナくらいだろうが。
「惜しんでなんかいませんよ。……意図的に黙っているだけで。」
「尚悪い!」
確信犯ならば尚のこと。じとりとを見つめれば、やがて根負けしたのか馬上で器用に肩を竦めて口を開いた。
「何もありませんでしたよ。……クロムさんが心配するようなことは、何も。」
「………」
ぴくり、とクロムが片頬を引き攣らせた。何も喋る気は無いどころの騒ぎでは無い、はあっさりと言ってのけたのだ。クロムには関係のないことだ、と。
言うなり合わせていた視線を頭ごと外し、正面へと向き直ってしまったのが何よりの証拠。だが、それで納得する筈も無く、そっちがその気ならと徹底追及の意を固める。咄嗟に怒鳴り返さなかっただけ、
「仲がいいのは良いけど、二人ともちょっとペースが早いよ。これじゃ、ミリエルが追い付けないんじゃないかな。」
背後から掛かった声に同時に振り向いた。ソール、とクロムが呼び、呼ばれた青年はにこりと人当たりの良い笑顔を浮かべた。
「国境の手前で合流予定なんだろ?いくら馬で追いかけて来るにしたって、限度があるからね。」
「そ、そうだな。」
「……失礼しました。ありがとうございます、ソールさん。」
第三者の介入により、二人の間の重い空気は一旦霧散した。が、しかし。クロムは追及を諦めたわけでは無く、かと言ってに口を割る気が無いのも明白だ。
このままでは振り出しに戻りかねない空気を読んだのか、ソールはクロムにスミアが何か話があるみたいだよと伝える。先程からスミアの物言いたげな視線がクロムとに注がれていたのは、当の本人達だけが気付いていない事実だったので何の問題も無かった。
「……分かった。」
後ろ髪は引かれているようだったが、スミアが馬車の中に待機している以上クロムが行った方が効率的だろう。馬首を返したクロムに、しかしは一瞥も加えることなく再び正面に向き直った。
「……出発の時に居なかったけど、何かあった?」
「いいえ。そう言えばまだ、自己紹介をしていませんでしたね。」
「あ。そうか。ヴェイクから話は色々聞いてたから、何か初対面の気がしないな。」
「……何を聞かれたのかは、敢えてお伺いしませんが……」
事と次第によってはヴェイクをサンダーの錆にしてやる、と八つ当たり以外の何物でもない物騒なことを考える職業・軍師。
「ははは。うちの自警団にも遂に軍師が入った!って、自慢するだけ自慢して帰っちゃったんだよねー」
「肝心なことは伝えずに、ですか?」
「そうそう!本当酷いよね!件の軍師様を見に本部へ行ったら、もう皆出発したって言うんだから。お蔭で髪はボサボサだし、お腹はぺこぺこだよ!」
「それはそれは……ご期待に応えられるかどうかは分かりませんが、最善を尽くします。です、どうかよろしく。」
「うん。僕はソール。……って、もう知ってるか。」
互いに歩調は合わせているとは言え、馬上での握手は難しい。代わりに微笑むことで挨拶とし、暫し他愛のない会話に興じる。と、何を思ったのかソールは側に馬を寄せ、若干声を低くして尋ねてきた。
「クロムじゃないけど、何かあった?すごく疲れた表情、してるよ?」
「そう……ですか?すいません、気を使わせてしまって。」
「いや、それはいいんだけど。咎めてるわけじゃないしね。でも気にはなるかな。」
ソールの物腰の柔らかさに、ふ、とは微笑んだ。一見してひょろりと頼りなさげな風情だが、その話術の巧みさに中々どうして食えない人物だとの評価を下す。
「そうですね。少しばかり寝不足なのは認めます。昨夜は出発前の準備で、少々立て込んでましたので。」
「出発前の準備、ね。」
含んだ物言いに気付いたのか、ソールが苦笑を漏らす。手強いな、と胸中で呟いてならばとに別の提案を持ちかけた。
「だったら、馬車の中で仮眠を取ったらどうだろう。天馬騎士団が貸してくれた馬車なだけあって、頑丈だし広い。ミリエルが合流するまで多分このペースで行くし、少しでも休めると思うんだけど。」
「ありがとうございます、ソールさん。ですが、できればこのままで。何かあった時、馬車の中に居ては咄嗟の身動きが取れませんし、まさか軍師が率先して楽をするわけにはいきませんから。お気持ちだけ、頂いておきます。」
「うーん。結構頑固と見た。ヴェイクのやつ、肝心なことは本当何も言わないよなー」
「素直じゃ軍師は務まりませんよ。私の名誉の為にも、今のは聞かなかったことにはしておきますね。」
悪意の無いソールの軽口に、も苦笑を零しながら応じる。ソールと言う人物評価に、他者への気遣いがさり気なくできる好青年との文言を付け加えながら。
「本当に大丈夫ですから。その気になれば、馬上でだって眠れますし。」
「おーい。それが危険だって言ってるんだけどなーきっとクロムもね。口下手だから、伝わらなかったかもしれないけど。」
それは些か過大評価では?と思わないでは無かったが、そこはソールの顔を立てて肩を竦めるだけに留まった。きっと良い上官なのだろう。少なくとも彼にとっては。
「アスランは賢い馬ですし、保定も風の精霊に頼みますから。」
その途端、任せてとばかりに一陣の軽やかな風が吹いた。黒馬も満更でもなさそうに、ぶるると短い嘶きを返す。
「ま、それなら問題無い、と言っていいのかな?でも、無理はしないで。女性なんだから、特に。」
女性、と言われてぱちくりと目を瞬かせる。何か変なことを言っただろうかとソールは暫し沈黙したが、自分が居ては休むに休めないと考えたのだろう。それじゃ、と短く告げるととの距離を若干取った。何かあれば咄嗟に対応できるだろう、絶妙な間隔を。
「……やっぱり、ちゃんと分かるじゃないですか。」
どこぞの王族の暴言に対し、改めて物申したところではばさりとフードを被ったのだった。
赤くなった淑女の横顔を見るのは、きっと未来の伴侶の特権であろうから。