戦士の王国 V

 
(一体何を話してるんだ、あの二人……)
一方、体良く追い払われてしまったクロムは、視線の先にある姿に非常に面白くないものを感じていた。先程まで自分が居た場所をソールが占め、隣を行くと何やら楽しげに話し込んでいる。声は意図的に抑え込んでいるせいかこちらまで聞こえてくることはなかったが、その表情を見る限りとても初対面とは思えぬ親密さが伺えた。

(大体、何だって俺がああも言われなきゃならん!ソールとは楽しげに話してるくせ……い、いやいや。それが悪いわけじゃなくて、そもそも俺は何でこんな言い訳じみたことを……)
自分に自分で突っ込みを入れる姿は、とても栄えある自警団の団長には見えない。無論クロムの胸中が外に漏れてしまえばという条件でだが、しかしそれを顔に出さないことが出来る程感情の制御が上手いとは到底言えない。

何が気に入らないのだと問われれば、全てが気に入らず。だがそこまで考えて、漸く自身が気に入らないのだと気付かされる。では何故と考えて、気に入らないものは気に入らないのだとまるで子供じみた堂々巡りに陥ってしまい――

「お兄ちゃん!!」
「ぅあっ!?な、ななんだ、リズ!?」
「何だじゃないよ。さっきから呼んでるのに、全然うわの空でさ。私から言わせればお兄ちゃんが何なんだ、なんだけど?」
「あーす、すまん。それで、何だ?」
「……つまり、全然聞いてなかったわけね。私じゃないよ、さっきからスミアが呼んでるの。」
「スミアが?す、すまん。」
「いえ……」
並走する馬車の中には、呆れた表情のリズとどこか心配げなスミアが隣合わせで座っていた。ちなみに同じく歩兵であるヴェイクは、体が鈍るとの理由から外である。時折鉄の斧を振り回す物騒な音が聞こえたが、これもいつもの事なので誰も気にした様子は無かった。

「あ、あの。クロム様……どこか、お加減が悪いんですか……?」
「いや?特にそんなことは無いが。」
「ふーん。その割には、苦虫噛み潰したような表情してたよ。」
「そ、そんな表情してたか?」
全く自覚の無かったクロムに、リズがうんしてたと頷く。心配性と言えばフレデリクであるが、彼も馬車の中でお休みになられてはと進言してくる程だ。余程の表情をしていたらしい。

「いや。体調が悪いわけじゃないんだ。少し……その、何だ。か、考え事をしててだな!」
「クロム様を思い悩ませるようなことが……?クロム様、不肖、このフレデリク。御身を煩わすようなことがあるのであれば、黙っているわけには……」
「フレデリクよぉ。そりゃ過保護だって。クロムにだって考えることの一つや二つあるだろ?」
「……確かにそうなんだがな、ヴェイク。お前に言われると、無性に腹が立つ気がするんだが……」
何だと!?とすぐに喧嘩腰になるヴェイクをリズがまーまーと宥め、その隣のスミアがやはり心配そうに口を開いた。

「あの……でも、そうでしたら……やっぱり、怒っていらっしゃるんですか?」
「怒る?何にだ?」
心底不思議そうに尋ねれば、スミアは若干言いにくそうに口元を押さえていたが、全員の視線が集中にするに至って漸く蚊の鳴くような声で私が、と口を開いた。

「今回、我儘を言って……その、さんもフィレイン様も、足手纏いだから残るようにって仰ったのに……私、付いて来てしまって……」
どうやら昨日のことが、スミアの中では相当色濃く残ってしまっているらしかった。件の南の町で、怒り方は違えど同じようにかの女傑の逆鱗に触れかけたことのあるクロム・リズ・フレデリクはふと、一瞬遠い目をしてしまう。思い出すだけであの時の刺すような空気が蘇ってくるような気がした。

「あーあ、いや。怒ってるわけじゃない。そもそも、俺が許可を出したんだ。スミアのせいじゃないだろ?」
「そ、そうでしょうか……?」
ここにかフィレインが居れば、いやそうだとはっきり言っただろうが、幸か不幸かは先頭。フィレインに至っては王都である。身も心もひ弱な乙女を追い詰めるような人非人は居なかった。

「ああ。だから、そんなに気にするな。俺が考えていたのも、もっと別のことだしな。」
「別のこと、ね……」
意味ありげに呟いた妹に、クロムは何だと視線を向ける。その問いを肩を竦めることでやり過ごしたリズは、胸中で全くと呟く。妹である彼女は、一人正しくクロムの不機嫌の理由を先に行く一人の女性軍師のことであろうと当たりを付けていた。漏れ聞こえてしまった、心配するようなことは何も無いと言われ邪険にされたことが相当堪えているのだろう、とも。

(お兄ちゃん、それがさんだからってこと。気付いているのかなぁ……)
いや多分気付いていまい、と即座に自分の考えを否定する。人の――特に男女間の機微に疎すぎる朴念仁(クロム)だ。自身の気持ちに気付いているわけが無く、気付いていないからこそ不機嫌になると言う悪循環を繰り返しているようにリズには見えた。いつか機会を見て言ってやろうかとも思うが、余計な気がしないでもない。隣の、クロムに一途な思いを寄せている彼女の気持ちも知らないわけでは無いから更に迷うわけで。

「リズ?」
「んー?とりあえず、お兄ちゃん。頑張れ。」
「……何なんだ、急に。」
とりあえず成るようにしか成らないだろうと、あっさり傍観を決め込んだ薄情な妹は何度も頷きながら兄に激励のエールを送った。とんでもなく投げやりではあったが。


「そう言えばよ。」
自警団の中でも空気を読まない・読めない、ベストワンツーに入るヴェイクが何やら思い出したように口を開いた。
何だ、と全員の視線がその彼に集中すれば大して怯みもせずに続ける。

「昨夜、捕り物があったの知ってっか?」
「捕り物……?西地区でか?」
「うんにゃ。東西南北一斉に。」
「一斉!?」
クロムが西地区と言ったのは、ヴェイクの出身がそこであることと、下町――口さがない者達から言わせれば、貧民街(スラム)――であったからである。比較的治安の良い聖王都であっても、いやだからこそ暗い部分は存在し下町と呼ばれる西区画は所得の低い者達が比較的集中していることと、理由はそれだけでは無いだろうがならず者と呼ばれるような者達が多数ひしめき合っていた。それ故に流血沙汰も、日常茶飯事とは言わずともかなり頻発しているのだ。

「しかもよー驚くのはそれだけじゃねーんだぜ?」
勿体つけるようなヴェイクの言葉に、クロムだけでは無くソワレやソール、先頭を歩くと手綱を握るヴィオールを除いた全員がヴェイクを囲んで半円陣を作る。それだけの大規模な捕り物なら、事前にクロムの、いや最低限フレデリクの耳には入っていたはずである。けれど、クロムもフレデリクも寝耳に水、今に至るまでそのようなことは一切聞いていなかった。

「ヴェイク、勿体つけてないでさっさと言え。」
「てめ、ソワレ。いつ俺様がそんなみみっちぃ真似を……まぁ、いいか。んでだな、驚いたことにその捕り物をしたのが警邏の連中じゃなかったってことだ。団長のフィレインを筆頭に、四天馬騎士に他の天馬騎士達が総動員されたって話だぜ。」
話、と言ったのはヴェイク自身がその現場に居たわけでは無いからだ。しばし王都や舎弟共との別れよとばかりに繰り出していた街中の酒場で、天馬騎士達が王都中各所を強襲したとの情報が舞い込んできたのだ。普通であればヴェイク自身が野次馬となって現場に駆けつけそうなものなのだが、何故だかヴェイク自身が居た貧民街での捕り物の場所は僅か一、二か所。それも、他地区との境界に近い側で起きたと知らせがあり、もうその情報が回ってきた時点で捕り物そのものは終結してしまったようだったからだ。

「ヴェイク……出発前だって言うのに、酒場に居たのかい。君。」
「うっせーな。景気付けだよ、景気付け。それとな、その今回とっ捕まった中には警邏組の上層部連中やら、聞いた話によるとどっかの領主の潰れたカエル面したボンボンまで捕まったって話だぜ。」
「警邏組の上層部に……」
「潰れたカエル顔したどっかのボンボン……」
前者はともかく、後者はどこかで聞いたような顔だとリズ、スミア、ソワレは思う。逆に前者のことを聞いたクロムとフレデリクは、思いっきりの渋面を作った。

「それは……警邏が癒着していたということか?」
「ゆちゃく?が何だかは知らねーが、黒い噂はあった連中だな。でも上の方に居るもんだから、警邏そのものじゃ手を出せねぇって下っ端連中が酒場でぼやいてたのを聞いたことがある。」
「癒着と言うのは、好ましくない状態で強く結びついていることを言います。ヴェイクさん、その……天馬騎士団がそれを行ったと言うのは本当なのでしょうか。」
「ああ。間違いねーよ。東西南北それぞれを四天馬騎士を中心に強襲して、南地区の――なんつったか、そのボンボンの家の別邸は団長のフィレインともう一人、黒い馬に乗った天馬騎士が数人の部下だけ引き連れて召し捕ったんだと。」
尋ねたフレデリクが更に難しい表情をした。理由は多々あれど、一番の理由は天馬騎士団が動いたということだろう。

現在イーリスには、軍と呼べる規模の軍は無い。先立ち、エメリナが十歳で王位を継いだ際、まず彼女は国軍の解体を真っ先に命じたのだった。理由は割愛するが、その代わり荒れた国内を鎮静化するために警邏隊なるものを設け、国内の治安維持を図った。その多くは解体した元、軍人であり、彼らは愛する祖国が一日も早く安寧を得られるよう文字通り身を粉にして働いた。
その彼らに対し、エメリナは元々独立した捜査・逮捕権を付与していたのだが、近年どうもそれが裏目に出ているのではとの噂が実しやかに持ち上がっているのだ。

警邏隊そのものの腐敗―― 一部の権力者との癒着である。

規律や法があるだけでは、組織や国は立ち行かない。何かを禁じただけでは、上手く動かないのだ。国も、組織も。
禁じたことが守られているかどうかを監視する第三者の目。そして信賞必罰、正しい行いをする者が報われ重用される――当たり前のことだが、その当たり前のことが代を重ねたが故の腐敗を発生させた組織では罷り通らない。人は誇りだけでは生きられない――だが、誇りを無くした人間は尾の無い獣だ。野に生きる獣の方がよほど誇り高く、彼らにしてみれば失礼な話だとフレデリクは思うのだが。

「おかしいと思います。だって、天馬騎士団には捜査・逮捕権は無かったはずじゃ……」
「……いいや、ある。」
その見習いであるスミアの言葉を、クロムが遮った。皆の視線を受けながら、だが全く頓着していないクロムは独り言のように続けた。

「無いのは一般の権だけだ。姉さん直属の組織である天馬騎士団には、主たる聖王の安全――つまり、国家の防衛に際する全ての権限が付与されている。」
「クロム様の仰る通りです。今回動いたのも、捕縛された面々が国家の存亡に関わるようなことに与していたのであれば――」
「堂々と天馬騎士が動けるってわけか。……でも、尚更妙だよね。そんな重要なことだったら、それらしき噂が流れてもいいはずなのに……」
ソールの言葉に誰もが頷いた。幾ら箝口令を敷こうとも、人の口に戸は立てられない。未だ内定段階で、知るのが極々僅かだとしても実行された今となっては説得力にも欠ける。

「……口実は、口実の役に立てば良い……」
「リズ様?」
「昨日、さんが言ってた。それってつまり、正当性まで要求しないってことだよね。」
何を急に、とフレデリクが顧みれば必死で頭を働かせているのだろう難しい表情をしたリズが居た。
正当性、正しい意味。正しい手段。諸々あるだろうが、彼女はそんなもの不要だと言い切っている。無論、時と場合に因るだろうが。

「ね、ヴェイク。その捕まったって言う、潰れたカエル顔のボンボンってデヴォン公子じゃない?」
「あー?どうだったかな……デクだがデブだか……」
「それ、ただの悪口だろヴェイク。……仮にそうだとして、何でその名前が出てきたんだいリズ?」
「あ、そっか。ソールは居なかったんだっけ。昨日ね、さんが言ってたの。デヴォン伯爵が、別の後ろ盾を見つけ上で反乱を画策してるんじゃないかって。」
「聞いてないぞ!?」
と、これはクロム。流石に聞き捨てならない内容に、フレデリクもくっきりと眉間に皺を寄せていた。

「お兄ちゃんとフレデリク居なかったじゃん。マリアベルのね、領地内で小競り合いが続いてるのと小麦の値段が上がってるってことを聞いてそう言ってたんだけど……」
「詳しく話せ、リズ。」
不機嫌な兄に命令されて、リズがやや不満に思いながらも昨日彼女が語ったことを順を追って説明した。何で言わなかった、とクロムが尋ねればお兄ちゃんがさんとフィレイン怒らせてそれどころじゃなかったでしょ、と鋭いカウンターを喰らう。

「話は分かりましたが……全て、想像の域を出ていません。そんなことで、あのフィレインが騎士団を動かすとも考えられませんが……」
「だが、実際に動いたぞ。それに、考えてもみろフレデリク。一部だけならともかく、総動員――多分、一部は姉さんの護衛に当てているだろうが、それでも総動員に近い数を動かしてるんだ。幾ら団長とは言え、そう簡単に行くと思うか?」
「つまり……」
「ああ、姉さんも知っていたんだ。その姉さんを納得させるだけの、何かがあった……」
万一失敗すれば、その追及はフィレインだけでは無くエメリナまでにも及ぶ。そんな危ない橋を何故、渡る気になったのか。――否、渡らせたのは誰なのか。

「『あの軍師殿の性格から言って、石橋は必ず強度を調べてから渡ると思うがね』だってさ。ヴィオールが。」
御者代わりをしているヴィオールにも、話の内容は聞こえていたのだろう。ソワレから伝えられた言葉に全くもってその通りだと思ったクロムが、ならばいつと呟く。

「お兄ちゃんと喧嘩して出て行ってからじゃないの?」
「……やっぱりそうか……それなら、一晩行動が空白だったことにも理由は付くが……」
「それにしても早すぎませんか?一晩で証拠を手に入れて、フィレイン様やエメリナ様を説得して――」
「確かに、な。だが、聞いたところではぐらかすだろうし……」
実際一度はぐらかされたクロムの言葉には説得力があった。それこそ、動かぬ証拠を押さえなくては口を割りそうに無い。

「――ヴェイク。その……フィレインと居たのは、じゃなかったのか?」
「だから俺様はその場に居なかったんだっつーの。それに、あいつじゃないと思うぜ。その場に居たのは天馬騎士だけだったって話だったからな。」
「何故天馬騎士だと?黒い体毛の天馬など、イーリスには居なかったと思うのですが……」
「いんや、天馬ではなかったみたいだぜ。真っ白い天馬の中で、そいつだけ真っ黒な野生馬並にでかい馬に騎乗してすんげー目立ってたんだと。見習いかなんかだったんじゃねーの?」
「ヴェイクさん、見習いでも多分普通の馬には……」
正真正銘天馬騎士の見習いであるスミアに指摘され、じゃあ新種の天馬かとヴェイクが首を捻った。
空白の一晩、真っ黒な野生馬とも見紛うばかりの馬――ここまで状況証拠が揃いながらも、決定打に欠ける。このまま突っ込んだとしても、良く似た人や馬が居るんですねと玉砕して終わりだろう。

「それによ、そいつは騎士装束だったって話だぜ。他の天馬騎士と同じ装備で――違うのは得物くらいで、剣だったて言ってたか。んでもって、そのカエル面をとっ捕まえた時に言った口上がすんげぇカッコ良くて、野次馬のねーちゃん達がメロメロになってたって話だ。」
直接見てない割には詳しいな、おいと誰しも思ったが下町に精通し、また人望(男限定)もあるヴェイクからすれば、この程度の情報収集は何でも無いことなのかもしれない。余計な話も付いてきてはいたが。

「それでしたら、尚のことさんでは無いと思います。天馬騎士の装備は、予備も含めて全て自己管理ですし……何より、装備は一人前の天馬騎士になる時に儀礼用の槍と一緒に拝領する大切なものですから……」
武器が儀礼用で防具が実戦的であるのは、若干矛盾しているように思えるが得物はやはり各個人の力量と得手不得手に関係してくるのだ。見栄より実利を取る、代々の団長の性格が窺い知れる慣例であった。

「装備一式をどっかから失敬したとか。」
「もう!さんがそんなことするわけ……無くも無いかもしれないけど。」
目的のためには手段を選ばない傾向のある我らが軍師殿のことである。ヴェイクに食って掛かったリズだったが、その声が徐々に尻窄みになっていく。

「そうだよ。それにフィレイン様が気付かない……そうか。」
自らの言葉で納得したソールに、何だと皆の視線が集中する。

「自分で調達なんかする必要ないよ。天馬騎士の誰かが装備一式を貸せばいいんだから。」
「だけど、それはあり得ないってスミアが……」
「それは単なる一般論だろ?一時的とは言え、相手にその資格が裕にあると判断したら問題ないんじゃないかな。騎士にだって、互いに認めた相手と武器を交換することだってあるし……」
「つまりフィレイン殿が、それだけさんのことを認めて――買っていると。……確かに、可能性が無いわけではありませんが……」
出発時の光景を見ているからこそあり得る話だ。天馬騎士の客分として、彼女らの命を預かる者として。フィレインが認め、そして自らの防具を貸与したからこそ天馬騎士達は彼女に敬意を払った。無論、実際にその能力を目の当たりにしてその敬意がより強まったことも考えられるが。


「あの、馬鹿……!!」
唸るような声と共に、馬首を翻そうとクロムが動いた。驚いたのは他の面々で、そのまま駈け出そうとしたクロムをフレデリクが咄嗟に押し留める。

「クロム様、落ち着いてください。」
「これが落ち着いていられるか!あの馬鹿、俺達には休めと言っておいて一人で無茶をしてたんだぞ!?」
「お気持ちは十分わかります。ですが、全て憶測ですし……」
「そうだよ、クロム。それに、これだけ騒いでも彼女がこちらに来ないってことは――寝てるんじゃないかな、多分。」
「寝て……?ね、寝てるって、おいソールそれは……」
うん、と頷くソールの視線の先には、頭のてっぺんから爪先までを暗い色の外套で包んだ女軍師の微動だにしない後姿が。

「さっき顔色があんまり良くないって言ったら、寝不足なのは認めたよ。理由は出発前の準備と言ってはぐらかされちゃったけど、件のことが彼女にとっては準備に過ぎないとしたら――まぁ、嘘は言ってないわけだし。」
「嘘じゃないから良いと言うわけじゃ……!いや、ソール。あいつ……が、お前にそう言ったのか?」
「ん?うん。理由ははぐらかされちゃったし、馬車の中で休んだらどうかとも言ったんだけどね。クロムと同じ理由で断られちゃったよ。」
「俺と?」
「軍師の自分が率先して楽するわけにもいかないってさ。良く似てるよ、二人とも。」
「あんな頑固じゃないぞ、俺は。」
面白くなさそうに反論したクロムに、リズが知らないって幸せだよねと呟く。幸い聞こえたのは、隣のスミアだけのようだったが。

「大体お兄ちゃん。今までの推論が、全部本当だったとして。さんに何て言うつもりなの?」
「何……って、それは……色々と。」
「疲れて寝てるさんを叩き起こしてまで、今、言わなきゃいけないことなの、それ?」
う、とクロムが言葉に詰まる。そんな兄を横目に、リズは更に続けた。

「大体さ。さんが昨夜やったことって、全部とは言わないけど、本当は私やお兄ちゃんがしなきゃいけないことだったんじゃない。」
「それは……そうだが。」
「だったらお礼を言うことはあっても、その逆は無いんじゃない?今のお兄ちゃん見てると、どっちかって言うと『その逆』をしでかしそうに見えるんだけど。」
「しかしだな、リズ……」
「言い訳は聞きません。寝かせておいてあげればいいじゃん。疲れてるんだよ。」
それはそうだろう、とクロムとて思う。あの後、ほぼ一昼夜――例え、どこかで仮眠を取っていたとしても――丸々動いていたと考えるべきなのだろう。ヴェイクから聞いた限りではあったが、その話から察するに。だが、何故それを自分に言わなかったのか。一人で――フィレイン達が居たのだとしても、自分の知らない場所でがその身を危険に曝していたなどと、どうしてそれを容認できようか。

「そりゃさ、私だって。何で言ってくれなかったのって思うけど……」
自分の気持ちを言い当てられたかのようなリズの呟きに、クロムはピクリと肩を揺らした。

「でも、きっと。そうするのが最善だって、結論を出したんだよ。昨日の、あの後にお兄ちゃんに捕り物をするから手伝えなんて言ったって、正直上手くいくとは思えないし。確かにさ、言葉が足りない気がしないでもないけど。そういうとこ、さん厳しいもん。言われなきゃ気付かない――それじゃ、ダメなんじゃないの。お兄ちゃんも、私も。」
それに、あの場で彼女は言ったのだ。フィレインに、予定を繰り上げると。つまり、当初はもう少し時間をかけて――それこそフェリアから戻ってから事を起こすつもりだったのだろう。その予定を繰り上げざるを得なかった理由、それは。

「わ、私の……せいでしょうか……?」
「スミア。」
涙目になったスミアが、隣のリズに問いかけた。まぁ、確かに原因の一つではあるだろうが。

「んーーーまあ、切っ掛けの一つくらいではあったと思うけど。でも、やっぱりお兄ちゃんが一番の原因だと思うよ。それよかスミアは戻った後のこと心配した方がいいと思う。フィレインも、めっちゃくっちゃ怒ってたし……」
「や、やっぱり……」
「おい、リズ。何で俺が一番の原因なんだ?」
「――ほらやっぱり分かってない。分かってないからさんが怒ったんだって、いい加減悟りなよね。馬鹿兄。」
つーん!とそっぽを向いてしまったリズに、いつぞやの兄妹喧嘩勃発の危機を見て取ったフレデリクが慌てて間に入る。とにかくですね、と仕切り直そうとしたフレデリクに兄妹の視線が向けられた。

「ここで推測を話し合っていても始まりません。さんに委細を話して頂いて……」
「それやったら私、半年はフレデリクと口きかないからね。」
「リ、リズ様……」
怒れるリズ、強し。段々件の軍師に似てきているように見えるのは目の錯覚か。

「と・に・か・く!今は寝かせておいてあげようよ。必要になったら、昨夜のことだって話してくれるかもしれないし……」
「話してくれなかったら?」
「それは……わ、私だって本当は聞きたいけどさ。お礼だって言いたいし。だってさ、推測が当たってたら、マリアベルがすっごく助かるんだよ。友達としてはお礼、言いたいもん。」
加えて、この旅に多少の時間的猶予が生まれたと考えるべきだろうとフレデリクは思う。後顧の憂いを絶つ、とも言った
南の、穀倉地帯における領主の一族が敵国と内通していた――この状況をエメリナやフィレインが座して見ているとも思えない。国に残ったのが仮にフレデリクだったとしても、何らかの手を打つだろう。
彼女がどこまで見据えていたのかは分からない。だが、結果的にイーリス――否、エメリナにとって恐ろしく有利で有力な条件が転がり込んだ。偶然などでは無い、全て計算し尽しての行動だ。

「……そうだな。」
リズの説得に漸く納得をしたのか、クロムが小さく呟いた。が何のために動き、そして身体を張ってきたのか。リズやソールに滾々と説教されて、理解はした。が。

「……だからと言って、認められるわけがないだろう……っ!!」
自分に黙ってフィレインらと行ってしまったこと、自分には言わずソールには弱音を吐いたこと。
そして何より――未だ以て、の真意が自分には見えてこないこと。

「お、お兄ちゃん!!」
驚くリズもフレデリクも振り切って、さして長くない距離を一気に詰める。相変わらずフードで顔を隠した、クロムの接近に全く気付いていない――言い換えれば、気付かないくらいに疲れて寝こけている愛すべき頑固者。

だから、クロムは思いっきり息を吸い込んだのだ。
うつらうつらと危なっかしく舟を漕ぎ、束の間、夢の中に安息を見出したに向けて。

「起きろッ!!この大馬鹿者ッ!!!」

――かくして、現在に至る。

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