戦士の王国 Z


時間を少し、遡ろう。

戦場へ突っ込んで行く三騎六人を、クロムは歯噛みしながら見送ることしかできなかった。
まさか軍主たる自分が戦線から外されるなど今の今まで考えてもいなかったクロムである。丸腰で戦うことすらできないヴェイクや元より戦力外と考えていたスミアは別として、寡兵である行軍から一人戦力が抜けることがどういうことか。
分からぬクロムでも――ましてやでも無い筈だ。

それなのに彼女は自分を戦列から外し、その意図に反して戦いに参加できぬようその武器まで封じた。駆けていく後姿を見送った後、軍主権限で彼女の策を破棄し戦場に向かうこともできないわけではなかった。
――それこそ、手元にファルシオンさえあれば。
流石に武器が無い状態で突っ込んで行く程クロムも馬鹿では無い。では予備の武器をと馬車に近寄ろうものなら、主人から後を任された黒馬に行く手を阻まれる始末。動物相手に、と思いながらもそこを退くように命令したり剣を返すようにと懐柔したりすれど、結果は言わずもがな。クロムだけでなくヴェイクは勿論のこと、スミアですら駄目だったのだからもう打つ手は無しに等しかった。

「くそ……っ!!」
そう遠くない視線の先、開けた場所だからこそ戦況が良く見えた。フレデリクとが先行し、その脇をやや遅れてソワレとヴィオール、ソールとリズが。橋の手前側に陣取っていた屍兵は、元々その数も少なく正に行き掛けの駄賃とばかりに槍が雷が矢が――その悉くを塵と化した。

だが、クロムはその状況を見ているしかないのだ。先陣を切るフレデリクとが手傷を負っても、ソワレとヴィオールが馬上で口論しているように見えても、早駆けに慣れていないリズがソールの後ろから転げ落ちそうになっても――

「何でだ、……!!」
クロムをこの状況に追い込んだ軍師は、自分が理解していないからだと言った。だから、この戦いの間にその答えを出せと。
聞いた通り、スミアを連れてきたことでは無いのだろう。これだけの戦術を瞬時に立てられるが、そもそも非戦闘員を抱えていることを問題視するはずが無いとは思っていたのだ。
では、何故。

「あーくっそ!何だってこんな時に後方待機なんだよ!!」
「……お前の場合は自業自得だろう、ヴェイク。」
傍らから聞こえた独り言にしては大きい声に、クロムもまたほとんど反射的に突っ込んだ。そう、ヴェイクの場合は分かるのだ。だが、分からないのは自分に関して。は考えろと言った。そして、答えが出なかったらイーリスに強制送還するとも。方法はクロムには思いも付かないが、有言実行の彼女のことだ。何かしら手段を考えているに違いない。そして、また無茶をしでかすのだろう。未だ黙して語らない昨夜のように――今、目の前で繰り広げられている戦いのように。

「クロム様……」
スミアもスミアなりに責任は感じていた。は自分のことなどどうでもいいと言っていたが、足手纏いは居ない方がいいに決まっている。だが、どうしてもスミアはクロムの役に立ちたかったし、なるべく長く彼の傍に居たかったのだ。
あの日、王都へと凱旋したクロムの姿に、一目で心を奪われてしまってから。それだけを願って頑張ってきた。だから。

「あの、クロム様。あんまり、そう、思いつめなくても……さんは、ああ仰ってましたけど。やっぱり今回の旅には、どうしたってクロム様のお力が必要なんです。ですから、きっと分かって……」
「甘いな、スミア。」
と、意外なことにスミアの言葉をヴェイクが遮った。視線は前方の戦闘に向けたまま、スミアの希望的観測をあっさりと否定する。

「ヴェイクさん?」
「甘いって。あの女軍師が、そんな甘っちょろいこと言うと思うか?いいからクロムばっか見てねーで、前の戦い見てみろよ。」
「……?」
その言葉に従って視線を前方に移せば、左右に分かれた戦場の中、右翼に居たソールがリズを連れて戦線を離れたところだった。必然的に残されるのは、ともに右翼に展開した一人になる。

「そ、そんな……!!」
残っている屍兵はまだ二匹居る。その敵を目の前にしても全く怯んだ様子を見せないにも驚かされたが、それにしても何故敵の真っただ中に彼女を一人にするのだろうか。

「恐らく左翼の誰から負傷したんだろう。風の精霊の視界を保持しながら戦ってるのかあの馬鹿……っ!」
クロムの唸るような声に、スミアはびくりと身体を震わせた。視線は離れた戦場の、正に今一人きりで戦っている彼女のみに向けられているのだろう。いまいちクロムの言葉の意味は理解できなかったが、彼女が目に見える戦い以外にも何かをしているのだろうことは理解できた。

「クロムの抜けた穴は自分が埋めると言って、最前線に出るような女だぜ?どんな答えを望んでどうやるかは知らねーが、正解を引き当てられなかったら間違いなくクロムとお前を強制送還するぜ。そんくらいの覚悟がなけりゃ、人に戦えなんて言えねーし。言う資格もねーだろ。……ああくそっ!俺様今、さいっこうにみっともねー!!」
能天気が服を着て歩いているような男だが、それでも下町では多くの舎弟や配下のいる男だ。ただ強い、情に篤いだけでは務まらない。頭を抱えるヴェイクの横で、戦場から視線を外せないでいたクロムがふと、とある一言に反応した。

(……まさか。いや。そんな……)
今、クロムが思っていることが正しいのなら随分と失礼な話だ。だが、昨日からのの言葉を思い返せば思い返すだけ、否定する要素が見当たらなくなっていく。正直何故、こんなことをと思うし、叶うなら今からでもすぐに戦場に乱入して怒鳴りつけてやりたい。

(くそ……っ!何だって俺は、今、あの場に居ない……っ!!)
それ以上に、何故もっと早くに気付かなかったと自分を殴り倒したい衝動に駆られる。少なくとも昨日のうちに彼女の意図に気付いていれば、あの場で一人を戦わせることなど――

「危ねぇ!!」
ヴェイクの声にはっと意識を戦場に戻してみれば、二対一で戦っていたの前に、新たな屍兵が出現していた。どこからと見れば、切り立った崖の上にちらちらと黒い何かが見える。

!!」
咄嗟に走り出そうとしたクロムを、傍らのスミアが反射的に止めた。片腕を掴み、ダメだと首を左右に振る。

「しかし……くそ!アスラン!!いい加減にして剣を返せ!!お前の主人の危機なんだぞ!!」
掴まれた腕を振り払うわけにもいかず、背後に佇んでいる黒馬に叫ぶ。気迫に押されて腕を離してしまったスミアも、沈黙を保ったままの馬に物言いたげな視線を送る。

「………」
だが、アスランは自身の乗り手から下された命に忠実に従い沈黙を守るばかりだ。融通の利かない黒馬に本気で丸腰のまま戦場に突っ込んでやろうかと、クロムが物騒なことを考え掛けたその時。


「どうやら戦闘中のようですが……貴方方はこんなところで何をやっているんです?」
落ち着き払った若い女性の声に、クロム達が勢いよく振り返る。そこに居たのは。

「ミリエル!?」
「遅くなりました、クロム様。ヴェイクさんに……スミアさんも。」
赤い髪にとんがり帽子、乏しい表情とそれに怜悧な印象を与えがちな銀縁メガネ。魔道士の出で立ちをした、若い女性がメガネを指で押し上げながら呟いた。

「あ、あぁ。だが随分早かったな……」
「そうですか?普通だと思いますが。」
普通、と言ってのけたその背後で、彼女に預けてあった馬車の替え馬がぜはーぜはーととんでもなく荒い息を吐いている。それを見た三人は、こんな状況であるが今後一切ミリエルに馬車の手綱を預けぬようにしようと密かに決意したのだった。

「それで?まだ質問の答えを頂いてませんが?」
「あ、あぁ……話すと、ちょっと長くなるんだが……」
「って、ミリエル!!お前、それ……!!」
言葉を濁すクロムに対し、ピクリと眉を顰めたミリエルだったがすぐさま間近で響いた大声に表情を顰める。

「これですか?」
そういったミリエルがひょい、と取り出したのは彼女には全く用の無い筈の鉄の斧。どうしたんだそれ、とクロムが尋ねればあっさり一言、拾いました、と。

「拾ったってお前、それ……」
「どなたかの落し物でしょうか。落とし主が現れなければ、売り払って新しい魔道書の一冊でも購入しようかと。」
冗談に聞こえないその言葉に、クロムがぽかんと口を開けた。その落とし主らしき本人も、思いっきり顔を歪めている。
ちなみに拾ったのは、その斧に見覚えと非常に悪い予感があってのことだった。もし何の縁も所縁も無ければ、問答無用で売り払っていただろう。

「そもそも落し物をするなど、気持ちが弛んでいる証拠。武器なくして戦士が戦場に立てぬと分かっているでしょうに。第一、武器を落として気付かぬなど……持ち物ひとつ満足に管理できないなど、その神経を疑います。」
次々に発せられるミリエルの正論且つ毒舌に、戦闘に参加する前だと言うのにダメージが蓄積していく。主に男のプライドに。
ミリエルもミリエルで斧の落とし主にはとっくに気付いているのだろう。彼女から言葉が発せられるたびにうぐ、だのぐお、だのと上がっている短い悲鳴を聞いても、見て見ぬふりをしているのがいい証拠だ。

「あーま、何だ。その、ミリエル……」
「……とは言え、落とし物は落とし主に返すのが人としての規律及び道徳。万が一、丸腰で戦場に立つような大馬鹿者を見つけたら、この斧を差し上げるのも吝かではありませんが……」
売っ払って新しい魔道書の足しにすると言っていたのはどこのどいつだ、などとの突っ込みは不要。迂闊な一言を零そうものなら、本気で斧が魔道書に化けかねない。

「……時にヴェイクさん。何故戦士の貴方が丸腰で、こんなところで。……指を咥えて待機しているんです?」
「あーあーあーっと、それはだな……」
山より高く海より深い事情が、と適当なことを言ったヴェイクに、ミリエルの深いため息が返る。このまま滾々と説教をしてやりたいところだったが――


『ミリエルさん!ヴェイクと一緒に戦列へ!!川に掛かる橋が最終防衛線です!何が何でもそこは越えさせないで下さい!!』

この場に居ない筈の若い娘の声が、ヴェイクの窮地を救った。自分の名を呼ばれたことと言い、ヴェイクが戦線復帰できることを知られたといい誰が、と面食らったミリエルにクロムが件の軍師だと手短に告げる。再び戦場へと意識を戻せば、いつの間にかの元にソールが駆けつけておりフレデリクとリズも合流していた。

「ミリエル、ヴェイク!」
「はい。」
「おお。任せとけ!!」
軍師の指示とクロムの命に、二人の表情が引き締まる。戦力として使えると判断された以上、こんな場所でぐずぐずしている暇は無い。

「まあしっかり見てろって!今までの分、俺様の斧が全部帳消しに――」
「私が返した斧ですよ、大馬鹿者。」
調子に乗るな、とミリエルに即座に切って落とされがくりとヴェイクが体勢を崩した。だが、ミリエルもそうそうこの大馬鹿者にかかずらわっていられるとも思っていないのだろう。片手でメガネの位置をくい、と直すとクロムに向けて一つ頷いた。

「行って参ります。」
「あ、待てよ!ミリエル!!」
クロムの返事を待つまでも無くミリエルが走り出し、ヴェイクも慌ててその後を追う。魔道士である彼女を前衛にはできないことくらい、ヴェイクも承知しているのだろう。

増援は送った、孤軍奮闘していたの元にも他の仲間達が駆けつけた。早晩、この戦いにはケリが着く――


だが、クロムにはもう一戦――自軍の軍師との闘いが待ち受けている。
恐らく、今までクロムが経験した中で最も過酷で――容赦のない闘いが。
剣を用いぬ闘いであって、こんなにも恐怖を――高揚を感じるのは、負ければ後が無いからか。それとも。

「きっと、お前だからなんだろうな……」
ふ、と表情を緩め場違いにも微笑んでしまう。きっとこの場に彼女が居たら、眉を顰めた表情でサンダーを落とされてしまうのだろうが。

「早く、戻ってこい。」
俺の元へ、そう胸中で呟いたクロムはただひたすら仲間達の勝利を待つ。

それ故か、彼が自らに注がれるスミアの不安そうな視線に気づくことは無かったのだった。

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