戦士の王国 [

 
「ふぅ……」
最後の屍兵がソールの剣によって塵と化したのを見届けたは、漸くそこで息を吐いた。

「これで最後かい?」
「ええ。ミリエルさんとヴェイクさんも……防衛線は守って下さったようです。大きな怪我は無さそうですが……」
ソワレに返した答えに、全員も同じように胸を撫で下ろした。実戦経験はともかくとして、屍兵との戦闘は初めてだった者が殆どだ。戸惑いながらでも、特に然したる怪我も無く戦闘を終えられたのは僥倖だったのだろう。

「じゃあ、その前にさん!怪我、直そう!!」
今まで出番を待っていたリズにそう告げられてがふ、と表情を和らげた。いつ何時もっと重傷者が出るかも分からない、とそれまでずっと治療を遠慮してきたのだ。確かに思ったよりの深手では無いとは言え、そのまま放置していい怪我では無い。また痛みを愉しむ性癖も持ち合わせていなかったので、本来であれば素直に頷いていたのだが。

「すみません、リズさん。ですが、まだもう少し、このままで。」
「えー!!でも、あんまり放置しておくと治療しても痕が残っちゃったりするんだよ?」
「……ええ。分かっています。ですが、もう一戦終わるまではどうかこのままで。」
もう一戦、と聞いたリズの顔が心配そうに歪む。屍兵のことでは無い、だがある意味屍兵より厄介な――

「……そうでした。」
ふと何かを思いついたらしいに全員の視線が集中する。何事か、と問う視線を一身に集めながら彼女は全員と向き合うように位置を変えると、深々と頭を下げたのだった。

「な……!!」
、何を……!?」
ソワレやソールが戸惑いの声を上げるが、が頭を上げることは無くそのままの状態で皆に告げた。

「皆さんにお礼とお詫びを。私の独断で、皆さんを危険に曝してしまいました。――本音を言えば、もう少し安全なやり様はあったんです。
ですが敢えて、今回はそれを選びませんでした。そんな愚策と呼んでいい指示に従ってくださったことと、選ばずに危険を承知で巻き込んだこと――ありがとうございました。それから、申し訳ありませんでした、と。」
真っ先に我に返ったリズが、やだやだやめて顔上げてと叫ぶがはそれを首を左右に振って拒む。
何故ならば、執った戦術以外でもには謝罪すべきことがあるからだ。

軍主であるクロムと軍師である――軍の中核とも言えるこの両者が団員の面前で諍いを起こすなど、本来あってはならぬことなのだ。諌めるのだけならいざ知らず、軍師が軍主の決定に異を唱え(最終的にはその決に従ったものの)その撤回を要求した。とて起こしたくて起こしたわけではなかったが、虫の居所が多少悪かったことを差し引いても――どうしても譲れなかったのだ。
軍主と軍師の意見が二分すれば、その指揮下に入る団員達にどうしたって迷いが生じる。頑健な石造りの堤が、蟻の這い出る穴から崩壊するように――ましてや頑健とは言い難い、経験不足の素人集団ではたちまちのうちに瓦解してしまうだろう。

迷いを生むような不和や諍いを、軍師は決して耳目に晒してはならない――そう、分かっていながら。は今回、敢えてそれを選択した。

さん!分かったから頭上げて!って言うか、どっちかって言うとうちの馬鹿兄のせいじゃん!お兄ちゃんが出発前に馬鹿なこと言い出さなきゃ、さんだってこんなことしなくて済んだんでしょ?出発の前の晩に天馬騎士団と捕り物なんてしなくて良かったはずでしょ!?それに言っとくけど今回だって一番怪我酷くて重傷なの、さんなんだからね!」
腕に取りすがるリズの言葉に、一瞬目を見開いただったがやはり頭は下げたまま。頑なに首を振る。

「それでも。皆さんを危険に曝していいわけではありません。ですが、今回に限って言うならば。どんな手を使ってでも、クロムさんに分かって頂く必要がありました。屍兵などより余程厄介な敵と相対する前に。そして、今一度。皆さんにも、決めていただく必要があったんです。」
「……我々にも、ですか。」
「はい。」
頭を下げたままのに、フレデリクが難しい表情をする。それはそうだろう、団員は勿論だが主家たる二人をわざと危険に曝したと聞いては――薄々そうでないか気付いてはいたが――黙っていられない。

そもそも、自警団の面々がのこの無謀とも言える指示に従ったのにはいくつか理由があった。
切っ掛けは言わずもがな、昨日の自警団本部でのやり取りである。国政に――否、国の命運に関わる任が下されたと知って、皆まず真っ先にその異様さに驚いた。王弟であるクロムが組織の長を務めるからと言って、常識で考えれば平民の言わば寄せ集めである彼らにそのような大任が任されるはずも無い。

だが実際にその大任は叙せられ、自警団の面々はフェリアへの道を辿ることになったのだが。
あまりにも気軽にクロムがスミアを連れて行くと言ったあの時、だけでなく密かに眉を顰めたものが正直なところかなり居たのだ。今回の面子はとヴィオールを除けば古株の――それこそ自警団設立当初から籍を置く者が殆どである。だからこそ、裕福な商家の末娘であるスミアが自警団の扉を叩いた理由を知らないわけでは無かったし、薄々感づいてはいるがどうも気付かない振りをしている節のあるクロムが彼女に配慮した時は漸くかとも思ったのだが。

奇しくも、そんなことを全く知らないが言った通りのこと――何故、今回の行軍でなければならないのか、と誰もが思ったのである。
良くも悪くも王弟であるクロムにとっては、国政に関わることは日常のこと――いくら本人が意図的にそれを忌避していても――なのだろう。それ故、日常の事と特に深く考えることをせずに。結果。

「もし――仮にその決意が揺らいだとしたら。」
「この場で引き返して頂きます。この距離なら、イーリスまで戻れないと言うものでもありませんし。ただリズさんには残って頂くことになるとは思いますが。」
「言われなくても残ります!」

――今回の無謀な戦いに繋がったのだ。


「つまりは、全部俺の不徳ってことだな――顔、上げろ。。」
この場に居ない筈の――否、もう戦闘は終わったのだ。彼が、クロムがこの場に居てもおかしくは無い。主たる男の声に従い、が漸く顔を上げた。
彼女の視線の先には野生馬と見紛うばかりの黒い巨体――アスランに騎乗したクロムが居る。

そのクロムにゆっくりと視線を合わせながら、も再び自らに問いかける。――いいのか、と。

「……答えは、出ましたか。クロムさん。」

いいに決まっている――そう、自らの意志で決めたのだから。




「……終わったみたいだな。」
遠目ではあったが、戦場特有の空気が急速に衰えていくのを文字通り肌で感じる。魔道士でないクロムにはその程度しか知覚できなかったのだが、恐らく間違いないだろう。

「クロム様。」
「ああ、もう進んでも大丈――うぉっ!?」
クロムが驚いたのも無理は無い。何やら頭上から突然硬いものが――手元に落ちてきて、それが初めて自らの愛刀だと言うことに気付く。投げ渡したのは背後に居た黒い馬、アスランだ。

「大、丈夫みたいだな。」
かの主人から下された命、戦闘が終わった以上自分がクロムの剣を預かっている義理は無い――そう判断したのだろう。主人に似て賢く、頑固なこの馬は。
再び手に戻ってきた封印されし牙(ファルシオン)――クロムは何かを考えるように瞼を閉じ、一つ深呼吸をするとすぐさま顔を上げた。その開いた瞳の先にはこれからクロムが闘わねばならぬ相手が居る。

「!?」
と、ぐいと右肩に生暖かい何かが押しつけられた。何だと首を回せば、鼻面を押し当ててくる黒馬が居て。

「……乗れ、か?」
男が嫌いな、総じて気難しい馬だと聞いていたが――いや、確かにそれに間違いは無いのだろう――頭の良さはピカイチのようだ。
今、彼の主人である女性が誰を待っているのかをこうして理解しているのだから。

「スミア、すまんが馬車とフォルテを頼む!アスラン、いいぞ!」
文字通り馬の背に飛び乗ったクロムが声を掛けた途端、アスランは乗せた者の重みなど感じさせぬ勢いで駆け出した。手綱をしっかり握り、振り落とされぬよう身体を下からの振動に乗せる。

「クロム様!!」
驚いたスミアの声が追って来ているような気がしたが、アスランはそんなものに構わず一路主人の元を目指す。途中でヴェイクとミリエルにスミアとの合流を指示し、遠目に見える姿に――遠目でもしっかり見分けることのできる、無事な姿にそっと胸を撫で下ろして。

そして、今。
クロムは、彼の戦場に立っているのである。


「まだ、治していないのか?」
その白い面に、肌に――無数の傷跡が残っているのを見て、クロムが眉を顰めた。動きやすさを重視した出で立ちは、逆を言えばその防御力の低下を意味する。一見して深手と思えるようなものは無くても、これだけあちこち傷を負っていれば出血量とて馬鹿にならない筈だ。

「浅手です。……何が起こるか分からなかったので。」
リズの力を温存させたと言外に告げるに、渋面を作ったままクロムがため息を吐いた。やはり危惧していた通り、は自分のこととなると途端に頓着しなくなる。彼女とてクロムの守るべき人であると言うのに。

ともかく馬上からでは都合が悪い、とクロムは身軽に馬を下りた。こんな時ではあるが、乗ってみて分かったことがある。――この件に関しては、にたっぷりと話を聞く必要があるようだ。

「お疲れ様でした、アスラン。ありがとう。」
黒馬の鼻面をぽんぽんと軽く叩き、愛馬を労う。馬の方も満更ではないのだろう。クロムやヴェイクへの態度とはまるで別馬のような態度で、に甘えている。

「もう危険は去ったんだろ?だったら、早く……」
「クロムさん。」
静かなの声に諭され、クロムはその先を飲み込んだ。時間稼ぎをしているつもりは無かったが、言いあぐねていたのは事実。だがクロムに注がれる視線には急かしているわけでこそ無かったが、逃げることは絶対に許さない毅さがあった。

最も。クロムとて逃げる気は全く無いのだが。

「まずは――謝らせてくれ。皆にも。俺の浅慮が――皆を危険に曝した。すまない。この通りだ。」
頭を下げたクロムに、途端にフレデリクやソールやソワレが焦り出した。ヴィオールは目を剥き、リズに至っては肩を竦めるだけで兄の謝罪を終わらせる。辛辣にも頭を下げる相手が違うとは思ったが、流石に口に出さなかった。真っ先に頭を下げるべき相手――その人物は下げて貰ったところで特に何の感慨も抱かないだろうから。

「それから、。」
「……はい。」
「色々と言いたいこともあるが、まずは――謝る。すまなかった。」
「――つまり、答えが出たと。そう取って、よろしいんですね?」
案の定、はクロムの謝罪など最初から求めていなかったようであった。あっさり往なされ、謝罪のその先を促される。

「……あぁ。色々考えはしたんだが……結局、これしか答えは出なかった。もし、仮にこれがお前の求める答えじゃなかった時は。」
「どう、なさるんです?」
「大人しくイーリスに帰るさ。お前が当初から言っていた通り、今回は時間との勝負だからな。俺をイーリスに戻すために元来た道を引き返させるなんて無駄、絶対にしないから安心しろ。」
その答えに驚いたのか、はやや目を見開いた。だが、次に瞬間にはその表情を綺麗に消しさり、代わって久しく見ていなかった微苦笑を向ける。その笑顔に押され、クロムは一つ大きな深呼吸をすると、の視線と真っ向から対峙した。徐に、口を開く。

「―――頑張る。」
「………は?」
「とにかく、頑張るさ。俺は俺なりのやり方で、姉さんの――イーリスの為になる結果をもぎ取るために。」
胸を張って言い切ったクロムに、固唾を飲んで見守っていた団員達に恐ろしい程の沈黙が落ちる。特に兄の進退が掛かっているだけあって、誰よりも緊張していたリズなど頭を抱えてへたり込んでしまった。
そして、それ以外の者は。次に発せられるであろう女軍師の氷点下の声に――まるで、我が事のように身構えてしまった。
果たして。

「……っく。」
……さん?」
「っ……くくっ……」
「おーい、ー?」
「くっ……ふ、ふふっ……」
リズと同じように――とまではいかなくても、俯いて表情を隠していたから、何やら声が漏れている。一体何が、と皆が皆彼女を見つめる中で、当の本人は肩を小刻みに震わせ――

「……笑うこと、ないだろうが。」
「す、すいま……!」
憮然としたクロムの様子に、笑いが呼び起される。果たして、降ってくるのは絶対零度の帰還命令だと思っていた自警団の面々は笑い続けるの様子に戸惑いが隠せない。そもそも、彼女が堪えきれぬように笑う姿ですら初めてお目にかかるものだったのだ。戸惑いも、呆然ともするだろう。

「い、色々……答えは、考えてたんですが……で、でも……全然予想してなかった……が、返ってくるなんて……」
「だから、笑うか喋るかどっちかにしろ。」
どこか拗ねた様子のクロムに、が再度吹き出した。ここまで来てしまった以上、生半可な答えでは強制送還するつもりだったのに。どうしてこう、このクロムと言う男は。良くも悪くも自分の予想の斜め上ばかりを行ってくれるのか。

(……怒る気が、すっかり失せちゃったじゃない。)
ひとしきり盛大に笑って、ようやっと体を起こせばぶすりと膨れたクロムがそこに居て。更なる笑いの発作に見舞われそうになったはそれを何とか奥歯で噛み殺すと、薄ら浮いた涙を指先で拭いながら自分より背の高い男との顔を見上げる。
クロムの唇が、それでと答えを促した。

「それで……どうなんだ。合っているのか、合ってないのか。」
殊更ぶっきらぼうに尋ねるクロムの姿に、の表情がふ、と和らぐ。少しばかり背伸びをしながら、右腕を上げクロムの頬にそっと添えた。

「つまり、頑張るだけの覚悟ができたと。――何が何でも、この交渉を成功させると言う覚悟ができたと。私はそう、受け取ってよろしいのですね?」
優しい声音の問いかけと、頬に添う手の暖かさにクロムは一瞬硬直した。戦い傷ついた白い手、満身創痍と言っても過言でない姿でが微笑みかける。不覚にも、鼻の奥がツンとしてしまった。

「ああ。――もっと早くに、気付くべきだった。いや、最初から――持っていなければ、いけなかった。そうすれば、お前にこんな――」
傷を、と言いかけたクロムにが首を左右に振って見せる。

「誰でも、間違えることはあります。大切なのは、それに自ら気付いて――同じ過ちを繰り返さないこと。貴方は自分で気付いてくれた。
――だから、もう。いいんですよ。」
切っ掛けはヴェイクの一言だったと言おうか言うまいか一瞬悩んだクロムであったが、やはりここは大人しく口を噤むことにした。
後で彼には酒の一本でも奢ろう、と考えて。

「クロムさん。」
「ん?あ、な、何だ?」
まさか考えていたことを読まれたのでは、と若干内心で冷や汗をかきながらも向けられる視線をしっかりと受け止める。
夜よりも昏い――静寂色の瞳を。

「いい機会ですから、私もお伺いします。」
「いい機会って……何だ?」
少々言葉に迷っているのかは視線を僅かに外し、だがすぐさま元に戻す。次いで告げられたその言葉に、クロムは目を丸くした。

「本当に、私を連れて行ってもよろしいんですか?今回のことで分かったとは思いますが、私は目的の為の手段は選びません。間違っても手段の為に目的を選んだりはしませんが。――国の命運が掛かっていることを理由に挙げても、決して褒められたことでは無いでしょう。必要であればそれこそクロムさんが厭うような手段でも、平気で取ります。それでも――」
「それは。」
添えられた右手を自分の左手で握り込み、それ以上の言葉を遮る。これでは彼女の怒りを買っても仕方ない、と改めて思い知らされた。

「俺が。姉さんから託された――俺の、責任だ。確かにお前の言う通り、権謀術数を厭わないとは言えない。だが、それも本来は俺がすべきことで――いや、だからと言って、お前に関係がないと言う意味じゃないぞ。だが、その……上手く、言えないんだが……」
「それも、今後の課題ですね。自らの思っていることを言葉にするのは、多分自覚されている以上に難しいんです。照れる気持ちも分かないでは無いですし。クロムさんがそう言って下さるのは個人的には嬉しいですし、正直頼もしく思います。ですが、どうか。これだけは忘れないで下さい。私は、私の負った責任から逃れたく無い。大多数の為に小数を犠牲にする、そう言って自らをその大多数の中に含める気は毛頭無いんです。そんなの、単なる身勝手な人間が複数集まっただけのことですから。」
だから、とは続ける。

「いざとなったら、誰よりも何よりも。貴方の背負ったものを優先させて下さい。そう、例え―― 例え、切り捨てなければならぬものが私の命であったとしても――」

告げられた彼女の言葉(かくご)に――クロムは捉えたその指先に。今はただ唇を押し当てることしか、できなかった。

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