戦士の王国 ]W


「目の遣り場に困るね、これは……」
ポツリと漏らされたヴィオールの言葉に、頷いた面々があちこちに視線を逸らす。

女軍師の細腕の一撃が決まったあの決定的瞬間は本気で何事かと思ったのだが。改めて考えてみれば、如何せんそれだけ危険な場面だったのだと思い知らされる。
そうあの沈着冷静を絵に描いたような軍師が、恥も外聞も後先も考えず感情の赴くままに行動を取ってしまう程度には。

と、その中の一人であったフレデリクは、ある光景にぴたりと視線を止まらせた。
城壁の上から降り注いだ槍の雨、あと一歩でも間違えば主の命を奪っていただろう凶器はその役目を果たすことなく沈黙している。だがその中の数本、恐らくクロムが居た辺りに降った槍であろうその悉くが特に無残な姿を曝しているのだ。
あるものは途中で折れ曲がり、あるものは途中で切断、又は溶解されて。またあるものはその全身を城壁に固く塗り込められていた。
誰の仕業かなど考えるまでも無い、だがある一点――そのあるべきものが無い、不自然な隙間がフレデリクの意識を引いたのだった。

それは不自然なほどに何も無い、奇妙な空間だった。
黒々と光る凶器だけでは無い。近寄って更に目を凝らしてみても槍どころか、雑草一本小石一つ見当たらない。生命力に枯渇した大地が、その一部分だけ顔を覗かせているのだ。まるで、そこだけ何かに飲み込まれてしまったかのように。

「ク、クロム様……!?」
スミアの声に、眉間に皺を寄せて考えに耽っていたフレデリクがはっと我に返った。
次いで視界に飛び込んできたのは、吐息の混じり合う距離で見つめ合う二人の男女。だがそれだけならば問題は無い、例え男性の上に女性が跨っているなどと言う倫理上大変よろしく無い状況であっても。

その二人の距離が、吸い寄せられるように縮まりさえしなければ。
縮まる距離に比例し、二人の瞳が徐々に伏せられて行かなければ。

酷く目を惹く緋色の紅唇。その命の色を舐め摂ろうとしているのか、クロムの口元から赤いものが僅かに覗き――


「そ、そこまでですぅお二方ぁーーーーッ!!」
無粋の極みとも言うべき、フレデリクの奇声が辺りを震わせた。その声に弾かれるようにクロムとが我に返り、知らず視線を釘付けにしていたリズやソワレ――ヴェイクなどは、ち、もう少しだったのにと舌打ちまでして――を正気に戻す。

外野の光景など目に入っていなかった――現在進行形で入っていないクロムとは遠目でも分かるくらいに顔を真っ赤にさせ、互いの視線から顔ごと逃げる。口元押さえながら激しく狼狽しているようだが、けれども何を思ったのかほぼ同じ速度、タイミングで僅かずつ視線を動かして。結果二人の視線は再び交錯し、慌ててそれを外すと言った非常に初々しくも目の毒な光景を披露していたのだった。

諄い様ではあるが――公衆の面前で。

(な……ななななにをしようとしていた!?俺はっ!?)
聞きなれた声の、聴いたことのない奇声によって我に返ったのも束の間、クロムは妙に耳に付く心音と脳裏に焼き付いた光景にこの場の誰よりも激しく狼狽していた。

肩口に寄せた華奢な身体から聞こえる途切れ途切れの声――クロムさんの馬鹿だとか、考え無しだとかに混じって聞こえた――生きててくれてよかったと、そう、紡がれた声。
ただそれだけを憂い、願っていてくれたその声を聞いた途端、クロムの身体を何かが突き動かした。その凶暴な衝動とは対照的な手付きで身体を離し、現れた白い面と視線を絡ませる。乱れた黒髪を片手でそっと払い、そのまま輪郭を撫でるような仕草で止めど無く溢れる涙を拭った。その指先が頤に触れ、思考が止まる。否。

普段とは異なる朱に彩られた緋色の唇――それを目にした途端、何もかもが吹き飛んだのだ。

心臓の音も、外野の声も。――時間ですら。

僅かに見開かれた漆黒の双眸、それに苦笑一つ零してクロムは頤に触れる指先にほんの少しだけ力を込めた。言葉など無粋、絡み合う視線だけで互いの求めるものを伝え合う。
まだどこか茫洋としたままの黒い瞳、ただクロムを見つめるその姿の――何と、扇情的な事か。

そこから先は本能に従うだけだった。微かに戦慄く唇に触れ――否。触れるだけでなく、思うさまに貪ろうと――

フレデリクの奇声が響いたのは、正にこの瞬間だった。
一瞬で我に返り、殺気が吹き出し、己の行動を自覚して。


(だだだだだだからなにを考えてるんだ俺はっ!?)
あのフレデリクの声が無ければ、確実に触れていた。触れて、そして――

「うわぁぁぁぁっ!?」
「ひぁっ!?」
突然奇声を発したクロムに、その彼の上に居たも同じように奇声を上げた。ただしこちらはクロムの突然の奇声に驚いた故の悲鳴だったが。互いに奇声を上げた後、再び視線が交差した。しかし今度は目を逸らしたわけではなく、ただ無性に笑いが込み上げてきて。理由は分からない、とにかく笑いが止まらないのだ。互いが無事であったこと、ただそれだけに安堵してそれだけを確かめる為の手段がそうだっただけのことかも知れなかったけれど。

「クロムさん。」
「……ん?なんだ、?」
一頻り笑った後、漸くが平素と同じ声でクロムを呼んだ。
両手を伸ばし、その頬に手を添える。

「無事、ですね?……生きて、ますよね?」
目の前の事実を確かめるように、何度も尋ねる。今、両手から伝わる温もりが本物であるかと問い掛けて、静かにクロムが頷いたのを目に焼き付ける。
「……お願いですから、もう二度とあんな真似しないで下さい。私の名誉なんかどうだっていい。他ならぬ貴方がそう思ってくれている――それだけで十分です。でも私、もう二度とあんな思い、したくない。……するくらいなら、本気でイーリスに強制送還しますからね。」
本音を言えば、一瞬思考が止まるくらいには嬉しかった。だが結局その一瞬の差でクロムを止められず――それがあんな光景に繋がったのだ。クロムが自分のことでは無く、の為に怒りを露にしてくれたこと。それは震えがくるくらいに嬉しい。だが、その為に取り返しのつかない事態になっていればは何よりそんな自分を赦せなかっただろう。

「……すまん。」
先の時と同じ対策だったが、その時とは籠められた思いが違う。怒りより哀願、再びの頬を伝った一筋の水滴に、ただそれしか言えなかった。
「俺が悪かった。もう二度としないと誓うから、そう泣かんでくれ。お前に泣かれると……調子が狂う、と言うか……どうしていいか、正直、分からん。」
ただ、こうして指でその溢れてくる涙を払ことしか出来ないから。

「……泣かせたのは、誰のせいですか。誰の。」
「……すまん、俺だな。だから謝るから、泣き止んでくれ。これなら怒られていた方がまだマシだ。」
「怒らせているのもどこのどなたです。」
「……それも俺だな。」
改めて考えると、出会ってからほんの僅かの期間で彼女の色々な表情を見ている気がする。多彩な色孕むその表情を一番近くで、その傍らで。
そこまで思い至り、ふと何故あんなにも天馬騎士団との一件に腹が立ったのかにも気付いてしまった。自分の預かり知らぬ場所で、危険を犯していたこともそうだったが、何よりクロムは自分の知らぬが増えるのが嫌だったのだ。彼女には、自分の目の届く場所でのみその姿を。その声を。クロムにだけ見せていて欲しい。
人はそれを独占欲と呼ぶが――未だ人生経験の浅いクロムにとっては、まだ不可解な感情の一つでしか無かった。

「……クロムさん?」
「あ……いや、何でも無い。」
「……まさかどこか怪我でも?」
訝しげに尋ねるに、大丈夫だと答えて涙の軌跡を指の腹で拭う。
本当に大丈夫だと苦笑するクロムに、緊張を僅かに解いたが両腕を首に回した。そのまま目を閉じると、静かにその肩口に顔を伏せる。
?」
「……すいません。ですが、少し、このままで……」
初めて聞いた消え入るようなその声に、だがそれに籠められた思いは消えることなくクロムに伝わった。互いの髪が混じり合い、香りが息遣いが鼓動が――震えが届く。クロムは華奢な身体に自分の腕を這わせ、大丈夫だとばかりに抱き寄せた。
何の打算も下心も無い、ただその生存に安堵しまた確かめるだけの抱擁。他の、例えばイーリスの王公貴族の子女に同じことを求められたら間違いなく動揺するし、恐らく全力で拒否・逃亡するだろう。
だが、がその腕を伸ばしてきた時は、何の抵抗も忌避も感じなかった。それどころか未だ小刻みに震える身体を、その怯えが和らぐまでとことんまで抱き締めていてやりたいとすら思う。

回した腕が余るほどに華奢な身体、紛うことなき女性の身でありながら時にその性を忘れさせるほどの胆力。だがこうして安堵に震える様は、正真正銘女性のものだ。そういう意味で無かったにせよ、女性に見えぬなどと言った自らの妄言を猛省する。
そして一方、クロムを抱き締め、抱き寄せられていたは、ただただその生存に安堵していた。

(良かった……今度は守れた……)
届かなかった腕、倒れる背中。例え夢だったとしても、まだ起こっていないことだとしても。あんな光景を見るのは一度きりにで十分だった。ましてやはもう既に一度、似たような光景と南の町で遭遇している。その時も思った、こんな思いは二度としたくないと。もしかしたらあれほどイーリスに来るのを拒んだのは、その思いが強いせいもあったのかもしれない。

(でも……これで、良かったのよね……?)
例え自分が居らずとも、クロムは必ずどこかで同じようなことを仕出かすだろう。それならば可能な限り傍に居て、例え自分を盾にしてでも守り通せばいい等と自分にとって都合の良いことを考える。何故だろうか、まだ出会って間もないと言うのにもう既ににとって自分の命よりクロムの命の方が重くなっていた。彼がイーリスの王子だから、エメリナの弟だからでは無い。ましてや、その肩に懸かっている、イーリスの為でも。

(そう、ただ生きていてくれればいい。生きてさえ、いてくれれば……)
縋る腕に力を込め、触れる箇所から伝わるその温もりに全身の力が抜けて行く。いつの間にか回されていた腕に抱き締められ、このまま時が止まってしまえばいいと思う程に安堵した。


「……うん、でもさ。そろそろ離れた方がいいかも。」
頭上から突然降ってきた声に、は弾かれたように顔を上げた。見れば、困ったような表情をしたソールの姿がすぐ傍らにある。
いや、ソールだけでは無い。目を三日月にしたリズやら顔を真っ赤にしたソワレ、涙目のスミアに……

「ソ、ソールさん……?」
「二人とも、独り身には物凄く目の毒。」
言われて気付いた今の状態。瞬間的に真っ赤になったが慌てて立ち上がろうとするが、何故か身体が動かない。なんでだと自分の置かれた状況を検分してみれば、背中や腰にしっかりと絡む逞しい腕の感触が。
「ククククロムさん!」
「ん?……ぅわっ!?」
自分の名前に込められた意図を察したクロムが、弾かれるように両腕を頭上に上げた。拘束が弛んだ瞬間、もその上から逃げるように退く。
重石が退いて晴れて自由の身になったクロムも、転がる勢いでその場に立ち上がった。
互いが互いともに顔を真っ赤にし、仲間達からの人の悪い視線の筵に晒される。クロムはその視線から逃れる為にそっぽを向き、はフードを目深に被って更に俯いてしまった。

「いやー遠慮せずに続けてくれて良かったのになぁ。」
「いやはや、軍師殿も中々隅に置けぬ。あれほど情熱的だとは知らなかったよ。」
茶化すヴェイクを横目で睨み付け、したり顔で頷くヴィオールを黙殺する。
他の面々も、口にこそしないが同じようなことを思っているのだろう。殆どが似たような表情をしていた。

「クロム様、あの、お顔が……」
ただ一人涙目になったスミアが、正しく惨状と化したクロムの左頬を指摘する。クロム自身も漸くそこで頬の痛みを思い出し、けれどこれに関してはを責める気は全く無く唯一の癒し手である実妹を手招きした。

「リズ、頼む。」
「自業自得なんだから、暫くそのままでいたら?お兄ちゃん。」
「リズさん、そう仰らずに……私からもお願いします。埋め合わせに、今度一曲歌わせて頂きますから。」
「全然オッケーだよお兄ちゃん!むしろよっぽどいい薬!ばんばんひっぱたかれちゃって!」
盗賊もかくやと言う変わり身の早さ、しかもきらきらとした笑顔つきで言われてしまえばクロムも渋面を作らざるを得ない。

「リズ、お前……俺の頬との歌、どっちが大切なんだ。」
「そんなのさんの歌に決まってるじゃん。」
迷う素振りさえ見せなかった実妹の断言に、流石のクロムもへこんで傍らのに懐いてしまった。彼女もリズの言い分に思う所はありながらも、しかし縋りついてきたでかい図体の子供の頭を苦笑しながらよしよしと撫でてやる。

「……ま、冗談はさて置いて。」
こいこい、と手招きするリズに、は吹き出さぬよう苦心しながらクロムを引き渡した。
悲しいかな男と言う生き物は頑健で強かな女と言う連中と違い、ひどく繊細なのだ。

「ふん。やはり紛い物か。イーリスの王子は腕が立つと聞く。この程度のことで……」
と、本来なら聞こえなかったであろう――聞こえなければ、幸せだったであろう呟きがの耳朶を打った。
どちらに取っての幸せだかは言うまでも無い。

「この程度のことで真贋が見抜けると思っているなら、フェリア連合王国とやらも大したことはありませんね!」
クロムのことを含めずともの神経を逆撫でするには十分な嘲りが風の精霊達から伝えられ、即座に怒鳴り返す。いつの間にかフードを取っ払い、上方を睨み付けていた彼女に皆の視線が集中した。

「それほど迄に力で捩じ伏せられるのが好きだと言うのなら、お望み通りにして差し上げましょう!ですが、その際何が起きても当方は責任を負いませんからそのおつもりで!!」
聞こえるはずの無い言葉に対しての物騒な啖呵に、外壁の上に陣取る女司令官がぎょっとする気配が伝わってきた。
大方、こちらが逃げ出すとでも思っていたのだろう。
一旦体勢を調えると言う意味ではそれも悪くはなかろうが、如何せん相対しているのは――炎雷の魔女の異名を継いだ、かの軍師である。

丁寧な口調と物腰に見誤られがちだが、は温厚からはほど遠い人物だ。沸点だけで言えば、たぶん自警団の中でも一、二を争う低さのはずである。ただその怒りの方向が、他人よりも若干異なるだけで。

「そもそもここまでやられて、黙っている謂れはありません!」
更に物騒なことを口走った途端、ガラガラと言う喧しい音が辺りに響いた。何事かとクロム達が音の方を振り返れば、スミアと共に残してきたはずの馬車が馭者も居らずに駆けて来るではないか。
一行の中で唯一驚きもしなかったは、馬車が来るなりその中に駆け込み何やら物色を始めた。何をしているのだとクロムを筆頭にその中を覗き込めば、その彼ら目掛けて何やら飛来するものが。

?」
「クロムさん、皆さんに渡してください!」
反射的に受け止めてしまったクロムの手の中にあるのは、真新しい布に包まれた細長い棒。何だと思って布を外してみれば、まだ全く使われていない鉄の槍だった。しかも似たような包みが次から次へと馬車の中から投げ渡される。

「ど、どうしたんだ、これ?」
貧乏自警団には不釣り合いな品々に目を丸くしながらクロムが尋ねる。その周囲にいる好奇心丸出しの自警団の面々も、同じように怪訝そうな表情をしていた。
「数日前私の手を盛大に煩わせて下さった方々から、その分の費用を現物徴収させて頂きました。ああ、ご心配無く。エメリナ様もフィレインもご存知ですので。」
追剥そのもののセリフに、全員が全員開いた口が塞がらない。しかもエメリナやフィレイン迄共謀しているとあれば、確信犯もいいところであろう。しかし当事者は全くもって頓着していない様子で、真新しい魔法書を二冊抱えて馬車から飛び降りてきた。

「ミリエルさん!」
彼女に投げ渡したのはファイアーの魔法書。うち一冊は、自らの使うサンダーであるらしかった。
そして、一度呼吸を止め息を吐くと言った仕切り直しの仕草をすると全身に濃密な魔力を纏わせる。

「北の地に住まいし精霊達よ!我が求めに応え賜え!!我が名は!汝らが友にして、古よりの契約を受け継ぎし者なり……!!」
魔法とは違う、その力ある言葉がの唇から紡がれた途端彼女の身体を中心に風が巻き起こった。北の大地特有の寒風は、しかし彼らの愛し児を苛むことはせずその望みを違うことなく汲み取る。
風の精霊が、水の精霊が。火の精霊と大地の精霊達がの求めに応じ、自分達の知り得る知識を光景を――他の人間にも余すこと無く与える。
敵の数、配置に装備品の内容から長城の見取りまで。大門は抉じ開けるわけにもいかなさそうだったが、その脇の大人が二人位なら並んで通り抜けられそうな通用路なら問題は無さそうだ。ではその錠を開ける鍵はどこに――?

「……!」
左右に一人ずつ、錠を持った兵士の顔は全員の意識が確認した。後はどうやってその鍵を借り受けるだけだが――

「左舷にソール、ソワレ、ヴィオール、私が!右舷にクロム、スミア、ヴェイク、ミリエル、フレデリク、リズで突入!リズ、貴女はフレデリクに同乗を!右舷の鍵はフェリア兵から丁重に借り受けて下さい!」
左舷には天馬騎士の天敵たる弓兵の姿がある。兵力は均等に配置されているようだったが、右舷方向には間接攻撃可能な兵が居ない。ならば直接攻撃を主とする人員をぶつけても問題はなかろう。左舷には間接攻撃を主とするヴィオールの補助に、彼と共闘の経験の多いソワレを。単純に騎兵は一騎で歩兵十人分に匹敵すると換算され、故に左舷と右舷に人員の差を出した。偶兵数ならそれぞれ騎手に同乗しての、歩兵と騎兵の差異によるタイム・ロスも最小限で抑えられる。
指名された各員が頷き合う中、ただ一人クロムだけが異を唱えた。

「戦力が偏り過ぎだ!大体スミアは……!!」
「ここまで来ている以上、戦力と見做します!スミアさん、行けますね!?」
「はい!お任せください!!」
スミアとてここの砦の指揮官には思うところがあるはずだ。クロムを一途に思うが故の行動であろうが、使えるものはなんだって使う。
――例えそれが、誰かを思う心であっても。

「……だが!それならば、俺が左舷に回る。お前は軍師なんだ、もし何かあったら……」
「軍主たる貴方の口がそう仰るなら、ここで待機して頂きますよ?大丈夫です、左舷は騎兵の強みを生かして反撃を許す間も無く強襲しますから。ソワレさんとヴィオールさんには共闘の経験もありますし、私とソールさんも……」
「うん。あるね、北の街道で。」
北の街道、と聞いたクロムの眉間に皺が寄る。正にお飾り状態だったあの戦闘は、クロムにとっての黒歴史となりつつある。
何よりが――彼女が、自分の目の届かないところでまた無茶を仕出かすのではないのかと、気が気では無いのだ。

「駄目だ。それに、。お前、気付かなかったのか?木立があった辺りに、人影があったのを。」
「人影、ですか?」
らしくも無い、と言ったクロムに今度はが眉を顰める。風の精霊達は何も気付いていなかったようだが、確かに伏兵が居る可能性も否定しきれない。だが、よりも高位の魔道士ならいざ知らず風の精霊達の目を誤魔化せるとも思えないのだが……

「フレデリク!右舷(そっち)は任せた!!スミア、お前はあまり前に出るなよ!――さて、行くか。」
「ちょ……クロムさん!!」
「え……ク、クロム様?」
勝手に決めるな、とが傍らに駆け寄るがそんな彼女に対し、クロムは不敵に笑って見せた。

「そうそう、それでいい。無茶をするのは俺の専売特許、お前はそれをガミガミ言って止めてくれないとな。」
「人をどこぞの小姑のように言わないで頂けますか!?大体、無茶と言う自覚があるなら少しは自重と言うものを……!」
途端にいつもの如く小言を言い始めたに、ふ、とクロムが目元を和ませた。まさかそんな表情をされると思っていなかったが、真正面からそれを目撃してしまい思わず続く言葉を失ってしまう。

「ようやっといつものお前に戻ったな。冷静に怒り狂ってる姿のお前も悪くは無いが、俺はいつものお前がいい。――いつものお前の方が、俺は好きだ。」
「な……!!?」
さらりと落とされた爆弾発言に、は勿論同じように聞いてしまった仲間達も耳を疑う。言った本人は特に何かを気にした風でも無く、大きく肩を回して身体を解している。
二の句が継げないでいると、そんな珍しい彼女の姿を見守る自警団の面々。そんな中クロムだけが平素であって、全く他意の無い言葉だったのだと誰もが納得する。納得はするが――

(この……無神経大馬鹿男ッ……本当に槍の一本にでも刺されなきゃ、治らないの……ッ!!)
理解はしたくない、できないでは無くしたくないと思ってしまった。
良くない傾向だと知りつつも、自分の気持ちにそろそろ無視をできなくなってきているであった。

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