戦士の王国 ][
武器同士にも相性と言うものがある。曰く、斧は剣に弱く、槍に強い。槍は斧に弱く、剣に強い。剣は斧に強く――
(槍相手では、通常不利……)
互いの間合いを測りながら、は胸中で呟いた。一対一の戦闘に於いて、何よりも重要視されるのはその間合いである。向かい合った両者の隔たりは、互いの武器が相手に傷を負わせる為に必要な距離。基本その間合いが短ければ短い程、攻撃が早く届く。だからこそ長く華奢な柄と広い間を持つ槍は、剣に対して優位に立つ。
だがはその不利を敢えて承知の上で、不利な武器での戦いに臨んだ。
一つは先程も述べた、戦略上の理由から。そしてもう一つは――
(間合いの長さだけが、勝敗を決めるわけでは無い――)
吹きすさぶ寒風の中、互いの力量を測っている女達は微動だにしない。彼女達の緊張が周囲にも伝染し、その一挙一動に視線と注意が集中する。
定石で考えるなら、槍を得物に持つライミでは無くの方が先に動くはずだ。得物が剣である彼女の方が間合いが短く、その攻撃を相手に届かせるためには相手の間合いの中に飛び込み距離を詰める必要がある。だがそれは同時に相手の攻撃範囲に入ると言う事、即ち攻撃を受ける確率が跳ね上がると言う事で――
(……)
そんな彼女達からやはりクロムは、視線を外せずにいた。特使本人である自分を矢面に立たせられるかと言って、彼女は今、こうしてクロムの目の前に立っている。
クロムの前に立ち、剣を持ち、敵と対峙して。
正直なところ、今日ほど王子という身分に――自分自身に。嫌気が差したことはなかった。本来なら自分の背後に居るべき、守るべき仲間を最前線に立たせている。その紛れも無い事実が、クロムを酷く苛立たせた。
だが変な話こうしてその背中を見守ることしかできない自分に腹は立てど、その華奢な後姿を見守ることは思う以上にすんなりと受け入れてしまえたのだ。
守るべき、と言ってもリズやスミアのように自分の庇護下にいるべき、とは思わない。何故なら、彼女――自身がそれを望まないことを、クロムは誰よりも強く知っているからだ。一人で大丈夫なのとも違う。はねっ返りのじゃじゃ馬のくせに、その実誰よりも泣き虫で。
多彩に変わる表情――軍師である以上表情を作ることも勿論あるが――概ねクロムの知るは表情がとても豊かだった。
その全てを知り尽くしたいと、そう執着する程度には――
(執…着……?)
思いがけず自身に浮かんだ感情に、クロムは咄嗟に口元を押さえた。執着――していたのか、と改めて自分に問いかける。
その答えは―――是。
守るべき者であるのは当然、だがその場所は自分の背後にあるべきとは思わない。今、はこうして自分の前に立っているが、それですら彼女の庇護下にクロムが居るわけでも無い。はあくまで、自分のクロムの代理としてこの場に立っている。不甲斐無いことには変わらないにせよ、彼女はクロムの代わりを務められる位置――即ち、すぐ隣に立っていてくれるのだ。
そんな稀有な存在に――どうして、執着するなと、誰が、言える?
ここにきて、クロムは漸く自身にとっても不可解な行動や心情の手掛かりを掴んだ。だからこそ、あれ程までに彼女が自分の目の届く範囲に居ないことも、関係ないと言われたことにも腹が立って――
「動いたっ!!」
ソワレらしき声にはっと顔を上げれば、対峙する二人が互いに向けて地を蹴ったところだった。そのクロムが捉えたのは、先に痺れを切らしたらしいライミの動く瞬間。少なくとも視認できる程度には両者が動くのに時間差があった。
「ッ!」
悲鳴に近いクロムの声、だが焦りはそれ以上だった。元々の間合いで不利である以上、せめて瞬発を相手より早めねば敗北は必至のはず。それが分からぬでは無い、ならば何故と疑問を頭に浮かべる間にも戦況は動く。
(まだ……!ギリギリまで引き付けて……!)
自らに突出してくるものを避けるのは、人間の防衛本能だ。だがはそれを意志の力で捩じ伏せて、迫る鋒に全神経を集中させた。相手の狙いはこちらの急所、一瞬でも意識を逸らせばたちまち身体を貫かれてしまうだろう。
だが。
「本当に優れた戦士が、この程度を避けられ無いとでもっ!?」
迎撃体勢そのままに繰り出された長槍の穂先を、正に紙一重の僅差で躱す。僅かにの頬を掠めた鋒がその頬に灼熱感を遺して行ったが、怯むこと無く寧ろ更に一歩分相手の間合い内に踏み込んだ。
距離にすれば僅かに一歩、しかし標的を逃した大振りの一撃にとっては致命的な間合いと大きな隙である。
すかさず懐に飛び込み、がら空きの胴に追撃を――
「舐めるな小娘ぇっ!」
だが、ライミとて伊達や酔狂でこの長城を預かっているわけでは無い。
男女関わらず数多の同僚を押し退けて掴んだ司令官の座、常人なら隙ともなろう間合いを己のものとする程度の力量は持ち合わせていた。
宙を貫いた一撃、しかしライミは慌てず騒がず自身の右腕ごと未だ間合いに捉えたままの華奢な身体に叩きつけたのだった。攻勢も相まって腕そのものが一本の槍のように動いた光景を、その先に待ち構えている結果を誰もが想像した。
――否、以外の誰もが。
「それは……!」
自身の左側から迫るそのしなやかな強度を持った一撃を、だが自身は予測も視認もしていた。持っていた鉄の剣を咄嗟に逆手に持ち替えてそのまま床に突き立てる。固い鎧に覆われた腕、自身の勢いがあったとしても傷つけることなど到底敵わない。だが、の目的はダメージを負わせることでは無かった。勢いを殺せずに払われた横殴りの一撃、程度の力で突き立てられた剣で完全に止めることなどできないことも同様に。
全てを承知の上で彼女が真に目的としたのは――
「こっちのセリフ、よっ!」
案の定弾き飛ばされた剣には目もくれず、更に一歩分相手の懐に近付き両手が相手の肩に届くまでに必要な距離を稼いだのだった。正確に言えば、ライミが攻跡を変える為に要したその僅かな時間こそを待っていた。
「ふっ!」
短く息を吐き、思いきり地面を蹴って跳ぶ。固い鎧で覆われた両肩を手で掴み、重力に逆らった腕の力だけで身体そのものを持ち上げる。起こっている事態に思考が追い付かず、驚愕の色に染まった相手の顔。しかし視界を横切ったそれには全く躊躇せず、倒立の要領で相手の身体を飛び越えその背後に着地した。
「!?」
上から強かに押さえつけられた拍子に僅かにバランスを崩した身体では、咄嗟の動きは不可能だった。ましてやライミはアーマーナイト、高い守備力を誇る代わりにどうしても敏捷性や機動力に劣る。曲芸に近い動きに面食らったなどとの言い訳は立たない、背後を取られたのは彼女にとって致命的かつ最大の失策だった。
「っ!」
そう、の狙いは最初からこれだった。多少の負傷には目を瞑り、何としてでも死角たる背後に回り込むこと。
そして攻撃力、守備力に劣る自分が勝機を掴むためにしなければならないことは。
「ぐっ!」
鎧で堅固に覆われた足、その関節部分には回転の勢いを乗せた蹴りを叩き込んだ。鎧の構造上、どうしたって関節部分は他に比べて脆い造りになる。しかし軸をぶれさせてしまえば、例え力に劣る軍師であっても体勢を崩させることなど容易だ。
案の定、不安定な身体を支える為反射的に取ったライミの動きは隙そのもの。片膝を着いた姿勢から即座に体勢を整えようとする反射神経は見事だが――
「動くな。」
ピタリ、と頸動脈に走った悪寒。そしてそれに負けず劣らずの、冷たく低い声が放たれる。
何がなどとは考えるまでも無い、どこかに隠し持っていたのか無機質な温度が首筋に押し当てられたのだ。
「……まだ、やりますか?」
首筋に押し当てられたのは金属とは僅かに違う感触、だがその殺傷能力になんら問題は無い硬質さに呼吸が思考と共に数瞬止まる。
「指揮官として、最後まで諦めない貴女の姿勢は賞賛に値します。ですが、己の非と不利を認め無用の流血を避けるのも上に立つ者には求められる能力だと思いますが?」
耳元で囁かれる言葉に、嫌な汗が流れる。これ以上の戦闘は無用――だがそれと同時にここで返答を誤れば、この女は躊躇い無くライミの首を切り裂くであろうことを言外に告げられる。
「くっ……」
自ら過ちを認めるのは平時であっても難しい。ましてや掛かっているのが己の誇りばかりでは無く、漏れなく国の威信まで付いてくるとあれば尚更だろう。ライミが奥歯を食い縛った気配が伝わったのか、頭上からため息が落ちてきた。首筋への圧迫感が増し、ちり、と僅かに熱が走る。
「加えて我が主への度重なる非礼、貴様如きの命一つで賄えると思うなよ。」
今迄で最も低い声の呟きが、殺気と言う名の重圧と共に零された。途端に背筋に走った悪寒に、相手の本気を否応無く知らされる。
この女はライミの首を何の感慨も無く切り裂いた後、間違い無く一連の顛末を詳細に故国へと伝えるだろう。抗弁する者がいなければ、それを幸いと事の真贋などには全く頓着せずに。
「…………」
固く両目を瞑り、震えを悟られぬよう慎重に右手から力を抜いていく。槍を手放すのに、恐ろしい程意志の力が必要だった。
カラン、という固い音と共に槍が落ちそれと同時に固唾を飲んで戦況を見守っていた自警団の面々から歓声が上がる。
「……参った。私の、敗けだ。」
司令官の敗北宣言を受け、は漸くその殺気と凶器を引っ込めた。同時に、小さく肩の力を抜く。
思いがけぬ戦闘ではあったが、得るものもあった。
後は――この先の状況次第だろう。
いつの間にか止んでいた吹雪の隙間から投げかけられる光の筋に目を細め、は漸く息を吐いたのだった。