戦士の王国 ]\
「!」
食い入るように目の前の戦いに集中していたクロムが、勝敗が決した途端に弾かれたように走り出した。守り刀に僅かに着いた血を手布で拭っていたが、駆けてくる人影を認め小さく微笑む。
「、無事か!?怪我は……」
「大丈夫ですよ、クロムさん。」
もライミも、怪我そのものは殆ど無い。寧ろ、ここに至るまでの道すがらに倒したフェリア兵の方が余程重傷だろう。
「そ、そうか。よか……いや、良く無い!お前また、無茶を……!」
して、と言いかけたクロムを片手で制し、残った左手をライミに差し出す。驚いたような表情をされたが、苦笑するだけに留めてその手をしっかり掴んだ。
「忝ない。」
「我々は敵対しているわけではないでしょう?分かっていただければいいんです。」
自分を負かした相手の手を借りるのは少々抵抗があったが、当の本人は先程の殺気が嘘のようにやんわりと微笑んでいる。ついさっきまで命の遣り取りをしていたと言うのに、その切り替えの迅速さに如何に彼女にとって戦いが日常化しているのかを知らされる。
無論軍人たるライミにとっても戦いは近しい出来事だが、そう言った意味で彼女は自分とは比較にならない程の熟練者なのだろう。
「お恥ずかしい。……その腕前や立ち居振舞い、蛮族などには到底身に付かぬもの。それを見抜けぬとは、誠に汗顔の至りです。」
「いいえ、こちらも正規の手順に則って先遣を立てるべきでした。やむを得ない事情があったとは言え、個人的には軍人たる貴卿のご判断は間違ってはいなかったと思いますよ。」
個人的にと言及されたことに苦笑をこぼすと、ライミは改めていずまいを正した。
「フェリア国境守備兵総司令のライミと申します。イーリス聖王国王弟クロム殿下でいらっしゃいますか。」
「あ、ああ。」
突然改まった相手の態度に戸惑いながら、クロムは何とかそれだけ頷いた。気付かれ無い程度に溜息を吐いたが、その背中を肘で軽く突つく。
「改めてご挨拶申し上げます。こちらはイーリス聖王国王弟クロム殿下、御姉君たるイーリス聖王国国王エメリナ様よりご下知を賜られ、貴国の長たるフェリア国王陛下にお目通りを願いたく罷り越しました。当該砦の通行をお許し願えますでしょうか?」
「無論です。つきましては、王都まで――僭越ではございますが、我ら国境守備兵が護衛として道中の皆様の警護を勤めさせて頂きます。」
途端に表情を曇らせたクロムに対し、肘鉄を送り込むことでそれ以上のボロが出ないよう牽制する。特使である以上、フェリア側の配慮を受け入れることは必須なのだから。
「お手間をお掛けいたします。ああ、それと……こちらの砦には、癒し手の方はいらっしゃいますか?」
「癒し手……でございますか?いえ、お恥ずかしながら現在この長城には……」
「左様ですか。でしたら……」
言っては、未だ後方に控えていた仲間達を振り返った。頷き、彼らに招集を掛ける。
「?」
「僭越ではありますが、当方に一人癒し手がおります。クロム殿下の妹君たる、リズ王女殿下なのですが……」
「王女殿下が?」
「ええ、クロム殿下。王女殿下のご協力を願えませんでしょうか。ここはフェリアとイーリスの国境、有事の際に守備兵が怪我人ばかりではいざという時に対処しきれません。」
「あ、ああ。そうだな。怪我人を出したのは、こちらにも非がある。ライミ司令官、もしそちらさえよければ妹に協力させるが……」
「勿体無きお言葉……ですが、ここはご厚意に甘えさせて頂いてもよろしいでしょうか。確かに、この状況では軍師殿の仰られる通り賊にとて後れをとるやもしれません。」
鷹揚に頷いたクロムに、ライミが感極まったように目を伏せた。クロムにしてみれば当然のことなのだが、相対する司令官はそうは思わなかったようである。隣に居る、幾分背の低い女軍師に説明を視線で求めれば後でと唇だけがそう動いた。
「お兄ちゃん、さん!」
と、渦中の癒し手たるリズがフレデリクや他の仲間達と共に駆けてきた。は視線で一つ頷くと、クロムが妹へと向き直る。
「リズ、すまんがフェリア兵の手当てを頼む。そのつもりが無くても、ここまで事を荒立ててしまったのが事実だからな。」
「え?あ、う、うん。分かった。えーっと。」
「ライミ殿、負傷者を一か所に集めていただけますか。ヴェイク殿とカラム殿はその手伝いを。スミア殿、ソワレ殿。リズ殿下のお手伝いをお願いします。」
手際良く人員を割り振るに、驚いた表情をした面々が個々に頷いた。何がどうなって、司令官の態度がここまで軟化したのかが不思議なのだろう。
「他の方々は、私と一緒に馬車や荷物の移動を。クロム殿下、フレデリク殿。後をお願いしてもよろしいでしょうか」
「あ、ああ……それは、構わないが……」
口調を改めないに、どこか居心地悪そうにクロムが頷く。気安い間柄なのは結構だが、締めるところは締めないと示しがつかないのも事実。特に他国の前では。
「では皆様、手筈通り……リズ殿下?」
「その前に、さん!また怪我してる!しかも顔に!!」
「ああ……」
リズに言われて漸く思い至ったのか、が僅かに灼熱感の残る左頬に触れた。ぎりぎりで避けたつもりだったが、ライミの槍の切っ先が掠めて行ったのだ。周囲の気温も手伝って、すっかり忘れていた。
「大丈夫ですよ、殿下。この程度の掠り傷、舐めておけば治ります。」
「治りません!大体、女性の顔に傷跡が残ったらどうするの!」
全く、と仁王立ちするリズにが苦笑する。確かに彼女の言う通りかもしれないが、大袈裟に騒ぐ傷で無いのも事実なのだ。
「残りませんよ、殿下。――ここで、戦闘など無かったのですから。」
「は?」
戦闘など無かった、と言ったにリズが首を傾げた。現に戦闘は起こり、兄は(自身の不用意とは言え)死にかけ他の皆も軽傷とは言え怪我を負った者も居る。その一人であるが何を言うのかと怪訝そうな表情をすれば、彼女は苦笑し全員の顔を見渡した。
「ここはイーリスとフェリア、その両国が管理する言わば一種の中立地帯。そこでイーリスとフェリアの戦闘など、
言外に起こっていいはずが無い、と言っているにライミが居心地悪そうに身動ぎをした。
相対した軍師の言い分は最もで、しかも自分達――フェリア側は、特使一行に刃を向け、しかもその総責任者たる王弟に一歩間違えば死に至る攻撃を加えているのだ。通常であれば、一司令官の首一つで収まる事態では無い。
「……ですので、負傷者等出てはおりませんし、長城に於いては設備の破損も起こっていない。故に、我々の装備一式も出発時と比べて何の消耗も無いということです。……それで構いませんよね、クロム殿下?」
装備一式については、細かく追及するなかれ。フェリア側の暴挙に対しての、口止め料兼正当な慰謝料と言う事であれば安いくらいだとは考えている。
「通用門の破損もか?」
「こんな悪天候ですからね。落雷の一つあっても、おかしくはございませんので。」
肩を竦めたにクロムが苦笑しながら応える。確かにおかしくは無いだろう、分かっていてやったのだから大した確信犯だ。それと同時に、こんな場の収め方もあるのかと素直に感心する。自分では考えもつかなかった手法に、込み上げてくる笑いを押さえるのに苦労した。
「……と、うちの軍師が言っているが?」
「……よろしいのですか?」
ライミを返り見れば、そこには驚愕の表情があって。まぁ、確かに一国の王族に刃を向けておいてその程度で済む方が通常であればおかしい。だがクロムもも、こんなことでフェリアとの間に溝を作りたくは無かったのだ。
ただに限って言えば、この程度の事でと言うのが正解なのだが。
「俺は構わない。――皆も、それでいいな?」
自警団の面々はのその屁理屈と言っていい理屈に驚愕の表情を隠さない。そんな彼らの心情をを逸早く理解し、にっこりとが微笑んだ。
「か・ま・い・ま・せ・ん・よ・ね?」
にっこり、に濁音が付きそうな気配に、全員が弾かれたように何度も首を縦に振る。主家を危険に曝されたフレデリクと、その彼に並々ならぬ想いを抱えるスミアは少々不満そうだったが、他ならぬクロムの意見もあって不承不承に頷いた。
「……ただし、それはお前が大人しくリズの治療を受ければ、と言う前提でだがな。。」
「殿下。」
突然口調を変えたクロムと左頬を撫でる指先の感触に、が目を丸くした。正しくは、もう一つ。今にも泣きそうな表情をした目の前の相手に。
「頼むから無茶はしないでくれ。女性なのに、顔にこんな傷作って……」
「クロムさんにとって、私は女に見えなかったんじゃなかったでしたっけ?」
「案外根に持つな、お前も。」
根に持つと言うか、反射的に呟いてしまっただけなのだが。驚きのあまり普段の口調に戻ってしまったに、苦笑しながらで、どうする?と悪戯っぽく微笑んだ。
「本当にそんな大騒ぎするほどの怪我じゃないんですよ?これから、リズさんの手を煩わせるわけですし……」
「だ、そうだが?リズ。」
「杖振る回数が一回増えたところで大した手間じゃありません!!つべこべ言わず、さっさとこっち来なさーい!!」
クロムに背中を押しやられ、ぐいぐいとリズの元へと届けられる。その後姿を満足げに見送ったクロムは、同じように呆然としているライミと視線を合わせた。
「俺ももこんなことで、フェリアとイーリスの間に亀裂を生じさせたくない。この大陸に刺さった棘は、ペレジアだけで十分だ。」
特使たるクロムにこうまで言われればフェリア側――と言うよりライミには、受ける他無い。最もライミにとってはこれ以上無いほどの好条件である。即断できなかったのは、保身に走るような結果に己の矜持が邪魔をしたせいだった。
「無礼な振る舞いの数々……心よりお詫び申し上げます……ご配慮、そしてお噂に聞いていたその剣技……疑いようもありません。王都へ早馬でクロム王子のご来訪の旨をお伝えします。その間は、当長城に暫しご逗留ください。」
「そうか。そうしてくれると助かる。」
鷹揚に頷き、仲間達の方を見遣る。屈強な女指令官と互角に渡り合った、自軍の女軍師を思い思いの方法で暖かく迎えているようだった。その証拠に、ヴェイクがミリエルから魔道書での物理攻撃(角)を受けている。
「後は――王との謁見か。」
感慨深げに呟いて、頭上を仰ぎ見る。
雲の切れ間から覗く陽の光が、これからのイーリスの先行きを占うかのように思えて。
しっかりとクロムの瞳に灼きついたのだった。