戦士の王国 U]
「何トンチキなこと言ってるんですか、クロムさん。」
一番最後に戻ってきたから開口一番そう言われ、クロムがうぐ、と撃沈した。
北の長城の応接室、と言うよりは会議室と言った方が正しいか。元々軍事用の砦の為、客人が寛げるような部屋は無いのだ。それでもイーリスから訪れた特使一行の為、現在急ピッチで客室が整えられている。
この会議室は、その支度が整うまでの繋ぎの為にと用意された部屋だった。
「とんち……お前な、。」
「どう考えても無理なことを仰るからです。我々だけでフェリアに向かいたいだなんて、言えるわけも先方が納得するわけも無いでしょうに。」
曰く、仰々しいのが苦手だから、明日の朝にでも自分達だけで王都へ向かいたいとの要望を実に言いにくそうに伝えてきたのである。が、勿論そんな要望など両腰に手を当てたに綺麗に一蹴されてしまったわけで。
「特使としてここに居る以上、フェリア側の申し出を受けることが必要なんですよ。断ったり、断らずとも我々に――と言うより、クロムさんやリズさんに何かあればそれはここの司令官の失態になるんです。」
「それは……分かってはいるが。」
言い淀むクロムの気持ちも分からないでは無い。賊から一転、賓客扱いである。現在この砦に常駐する兵から、きらきらしい視線で眺められ辟易したというのが本音なのだろう。かく言うもここの司令官であるライミと一騎打ちの末、彼女を打ち負かしたとの話が瞬く間に砦を席巻し投げかけられる視線を早くも鬱陶しく思い始めていた。
「本当に百八十度態度が一変しましたし、クロムさんの気持ちも分からなくはありませんけど。こればかりは耐えて下さい。なるべく大仰にならないように、配慮はしていただきますから。」
「……すまん、頼む。」
はい、と頷いたにクロムは漸く渋面を和らげた。れっきとした王子ではあるものの、とかく堅苦しいのが苦手なのだ。
「でもさ、ほんとにここの人達納得してくれたのかな?」
不安げに呟くリズに、大丈夫ですよとが請け負う。
「こちらの実力は思い知っていただきましたし、後ほどエメリナ様に認めて頂いた親書のこともお話しします。フレデリクさん、お持ちでいらっしゃいますよね?」
「はい、こちらに。」
「ありがとうございます。ちょっとその間、お借りしますね。」
「ああ、分かった。……怪我、大丈夫か?」
クロムは一つ頷くと、イーリス聖王の御璽が押された封書を受け取ったの左頬にそっと触れた。見た目では確認できないし、手袋越しの感触でも確かめられない。だが、確かにあった傷を指先でなぞる。
「大丈夫ですよ。元々そんなに深い傷でもありませんでしたし。」
「でも、顔には傷付けないでよねさん。跡残っちゃったらどうするのさ!」
すいません、と苦笑するに、一行の癒し手たるリズがぷんすかと頬を膨らませる。確かに彼女の言う通り、そこまで深い傷では無かったのだが仮にも女性が負っていい傷では無い。
「しっかしよーいつまで待たせるんだー?」
退屈を持て余しているらしいヴェイクに、皆の視線が集中した。元々力仕事だけを請け負っていたヴェイクは、大分長いことこの部屋に押し込められている。そろそろ騒ぎ出す頃合いかと思っていたのだが、どうやらどんぴしゃだったようである。
「暫くと仰っていましたよ。食事の準備もして下さっているとのことですし、少しは大人しく思考に励む等していて下さい。」
「無茶言うなって、ミリエル。俺様だぜ?」
「ものすっごく納得できるけどさ、それって自分で言うことじゃないよ。ヴェイク。」
「どうした、?」
「……いらしたようです。」
誰が、などと聞くまでも無い。ほどなくして聞こえたノックと入室の是非を問う声にクロムがよし、と小さく気合いを入れる。
「……クロムさん、気合いを入れるのは結構ですが、お願いですから下手なこと口走らないでくださいね。」
一体何をする気なのか――やる気満々なクロムの姿に、一抹の不安を覚えざるを得ないだった。
「お待たせ致しました。部屋の準備が整いましたので、どうぞそちらへ。」
入室してきたのはやはりライミで、わざわざ司令官自らの言伝にが恐縮したように頭を下げる。
「恐れ入ります。怪我人の皆様の様子は如何です?」
「王女殿下のお力添えで恙無く。他の皆様にもご協力頂きまして、大変助かりました。」
「そうですか。それは良かったです。」
穏やかな笑みを浮かべるは、戦時とはまるで別人である。無論思っただけで、口にするような勇者と言うか命知らずは既にこの自警団内には居ない。
「ただ、申し訳ないのですが、そう部屋数があるわけではありませんので個室のご用意が叶わず……」
「ああ、構いません。二人部屋ですか?」
「はい。クロム殿下とリズ殿下には、貴賓室をと思ったのですが。何分こちらも一部屋しかございませんので……」
ちら、とリズを見ればぶんぶんと首を大きく横に振る姿が。そんな彼女の姿に苦笑を零し、ライミに向き直る。
「いえ、お気持ちだけで。リズ殿下は普通の部屋で構わないそうです。年頃の女性故、例えお身内であっても別室の方がよろしいと思いますので。そちらには、クロム殿下とフレデリク殿に割り当てて頂けますか?」
「は。では、そのように。」
「ですが、それですと女性が一人余られませんか?」
フレデリクの言葉に、確かにと頷く女性陣。奇数人数のため、二人が三人になるか一人になるかを選ばねばならない。
「あぁ、そのことでしたらご心配無く。……司令官殿、一つお願いが。」
「は、何なりと。軍師殿。」
どんな無理難題がと身構えるライミに、は苦笑しながら続けた。
「この長城の中庭部分に、一屋天幕を張って頂きたいんです。ああ、勿論小さくて構いませんので。」
「天幕……で、ございますか?」
「えぇ。」
頷くに、まさかこんな要請が来ると思っていなかったライミが何故といった表情をする。
「それは……構いませんが。」
「これから王都に向けて行軍するのに、確認が必要なことが多々あるでしょう?その都度場内にご足労頂くのも、何かと思いますので。それにイーリス側から誰か一人、所在を常に明かにしておけばそれだけ時間の短縮にも繋がりますし。」
「確かに……」
いかに通用門があるとは言え、場内のどこに居るか分からない人物を探すよりかは遥かに楽である。ましてイーリス側の窓口を一人に絞ると言うのであれば、情報の錯綜も最低限で押さえられるだろう。
「そこは……軍師殿がお使いになられるのですね?」
「無論です。何も戦闘の指揮だけが軍師の仕事ではありません。我々に下された命は、可及的速やかに貴国との交渉の場を持つこと。急かすつもりはありませんが、時間は有用に使いたいので。」
なるほど、とライミが納得しかけた時に予想もしていなかった横槍が入った。
「ちょっ……っ!?」
が、しかし。その横槍は威力を発揮する前に叩き落とされた。
視線を落としもせずに正確に振り落とされた、のヒールブーツの踵によって。
「〜〜〜〜〜〜っ!!?」
「あら、クロム殿下。どうかなさいましたか?」
全く悪びれもしないで尋ねるを、声も無く悶絶するクロムがきっと睨む。
「クロム様!?」
「クロム様、どうなさったんですか!?」
突然しゃがみ込んだクロムに驚いたフレデリクとスミアが、彼の元へ駆け寄る。ちなみに偶然にもその光景を目撃してしまった者達は、うわ痛そうと(目撃者の中には実妹も居たが)全く他人事のような顔をしていた。
「だ、大丈夫でいらっしゃいますか?」
「お疲れになったのかも。先に部屋でお休みになられた方が良いかもしれません。」
いけしゃあしゃあと強行軍でしたから、と続けたに涙目になったままクロムが抗議の視線を送る。だがそんなものは露にもかけず、彼女はライミとの会話を続けた。
「さ、左様ですか。では、天幕は中庭に設置してよろしいでしょうか。」
「ええ、お願いします。本国には隣国の暴威に曝され不安を抱える民が大勢おります。本音を申し上げれば彼らが一日も早く安心できるよう、今すぐにでも出立したいのですけど……ライミ殿、どうかよろしくお願いします。」
憂い顔で頭を下げるに、下げられた相手は感極まったように頷いた。自分を打ち負かした技量といい、民への配慮といい中々どうしてその人柄に感銘を抱くに相応しい人物だと考える。
「無論です。では、私は部下にその旨を指示して参りますので暫しこちらでお待ち下さい。他の皆様もへのご案内も、後程参りますので。」
「ありがとうございます。ただ私は移動させたい荷が幾つかございますので、先に中庭の方へ参ります。そうですね……フレデリクさん、ソワレさん。お手伝いをお願いしてもよろしいでしょうか?」
突然指名された二人は一瞬目を丸くしたが、意味ありげなの表情を見て即座に頷く。
では失礼致します、とライミが部屋を後にすると待っていましたとばかりにクロムが抗議の声を上げた。
「!」
「そんな大声出さなくても聴こえてますよ、クロムさん。」
「お前、一体何をす……いや、別に俺の足はどうでもいいが、一人で外に出るって何を考えてるんだ!?」
流石にライミの居る場で食って掛かからないだけの分別はある。だがは特に気負うでも無く、静かに呟いたのだった。
イーリスの行く末を、と。
「?」
クロムは思ってもみなかった解答に勢いを殺がれ、訝しげに正面のを見遣る。だが彼女はそれ以上黙して語らず、一瞬だけ真剣な表情を作ると直ぐ様それを打ち消すように微笑んだ。
「予期せぬ戦いが続いたんです。皆さんお疲れだと思います。出発まで、ゆっくり休んで下さい。」
だがその問いには答えず、先程指名した二人に視線を移す。その無言の促しにフレデリクとソワレは慌てて足を進め、彼女の傍らにと並び立った。
「私に何か用がありましたら、申し訳ありませんが中庭の方までご足労頂けますか。もし不在の場合は中でお待ちください。行先と戻り時間を天幕の外に吊るしておきますので。」
言って外套を羽織り直したに、クロム他自警団の面々の視線が集中する。だが彼女はそんな視線など全く気にせず、踵を返そうとして。
「ちょっと待て、。むしろお前の方が……」
休むべきだ、と言おうとしたクロムを振り返ったが制した。正確には、未だクロムの目に溜まっていた涙を拭った白い指先が。
「ゆっくり休んで下さいね、クロムさん。」
は言ってやんわりと微笑むと、フレデリクとソワレを従え部屋を後にする。
後に残された自警団の面々は狐に摘ままれたような表情のまま、だが一人クロムだけは眉間にはっきり皺を寄せてその後姿を見送ったのだった。