戦士の王国 U] U
「……その表情を見る限り、可能性としても考えておられなかったようですね。」
ため息交じりに呟かれた声に、フレデリクもソワレもはっと我に返る。
「は、そ……そう、ですが……いいえ、可能性としてもあり得ません!フェリアはイーリスの友好国、その協定を無視してフェリアがペレジアと通じるなど……!」
「そうだよ、。君はまだイーリスに来て日が浅いから知らないかもしれないけど、フェリアとイーリスは――!!」
「――信じたいものだけを信じることは。」
即座に上がった反論が、硬く冷たい声音によって寸断された。
「ある意味、楽で賢い生き方です。それを愚かと否定できるだけの術を持ち得ぬ非力な私に、このようなことを言う資格は無いのかもしれません。――何故なら自らに都合のいい現実を作りあげる程の愚かさであっても。生き抜く強さには違いないのですから。」
「!!」
「!!」
痛烈な侮蔑だ。だが、に言わせれば侮蔑と感じることこそに問題がある。――まず、政治には向いていない。
「信じたくないと言うのは勝手です。ですが、私の懸念が……その万が一が現実になってしまったら。どうなさるおつもりなんですか?」
「そ、それは……」
「仰りたいことは分かります、ですが……」
「可能性として、限りなく低いことは私も承知しています。ですが、それも完全では無い。いいえ、そもそも完全なことなんて何一つ無いんです。もし万が一フェリアに到着した途端フェリア軍とペレジア軍、その両方に囲まれたら?少数精鋭と言えば聞こえはいいですが、不利であることには変わりないんです。その中で最低限、クロムさんとリズさんだけは――無事に、逃がさなければならないんですから。」
捕えられることも、その場で殺されることも。この二人に限って言えば、どちらも許されない――否、許すつもりは無い。
「可能性を考えず、その事態に直面して。最善の行動を取れる自信がおありですか?……軍師たる私が言うのも何ですが、まず間違いなく混乱してパニックに陥ります。そんな中で確実に二人を生きて逃がすだけの行動が取れるかと問われたら、否としか答えようがありません。」
「…………」
黙ってしまった二人を目の前に、やはり事前に話しておいて正解だったと胸中で呟く。自警団内でも思慮深い部類に入るこの二人がこの様子では、他の人物では話にもならないだろう。
「ライミ殿が仰っていましたが、イーリスを騙る賊と言うのは……」
「嘘では無いでしょう。賊が出ていると言うのも、イーリスを騙っていると言うのも。ですがここは国境――言ってしまえば、首都から離れた辺境なんです。地理的に言って、そんな場所にまで中央の意向が反映されているとはとても思えない。よしんば、知っていたとしても――ここで事を起こすつもりは無いでしょう。位置的に、イーリスへ取って返せない距離ではないんですから。もし仮にフェリアとペレジアが通じていたとして、私がその将校であるなら――万が一でも生還する確率の低いフェリア国内の、王都で事を起こします。」
漸くその可能性に思い至ったのであろう、フレデリクとソワレの顔色が見る見るうちに悪くなって行く。そんな二人の様子を見て、は蒸していたポットから二人分の暖かい紅茶を携帯用のコップに注いだ。一人ずつ器を差出し、温まりますよと微笑みながら手渡しする。
「……と、まぁ。ここまでは、本当に最悪の場合です。そこまでイーリスの密偵が無能だとは思っていませんし、ですが万が一の可能性は捨てきれないので。お二人には、その可能性の切れ端でもいいから知っておいて頂きたかったんです。」
申し訳ありません、と続けたに、二人の肩から力が僅かばかり抜けた。だが確かに、彼女の言うことの方が正しい。
「いえ、正直……貴女に言われるまで、そんな可能性があることすら考えませんでした。」
「ボクも……フェリアに着けば、それで全てが片付くと……」
イーリスを出発する前にそこまで考えていたのなら、あの時彼女が激高したのも無理は無いと改めて納得する。一体どこまで深謀遠慮をしているのかと、背筋がうすら寒くなったのも事実だが。
「……また話が逸れてしまいましたね。仮にペレジアがフェリアとは通じておらず、またイーリスとフェリアの同盟を阻止するとして――、その特使を潰すと言う前提で。最も効果的な手段は何だと思われますか?」
自分用に淹れた紅茶の器を手の中で弄びながら、が再び二人に尋ねた。暫く眉根を寄せ、考え込んでいたフレデリクが徐に口を開く。
「特使――取り分け、クロム様とリズ様を亡き者とすることですか。」
「副長!?」
その二人に仕える騎士の言葉に思わず耳を疑い、だがそのフレデリクだからこそ最も早くその可能性に辿りついたのだと、ソワレは咄嗟に唇を噛み締めた。
「……そうです。亡き者、とまでは行かずとも片腕一本で十分ですよ。現王の実弟と実妹です。その身に何かあれば、同盟どころの騒ぎではありません。少なくともイーリス側から、フェリアに援助を求めるようなことができると思いますか?少なくともそれを理由に、フェリア側に協力を強いることなどエメリナ様は良しとされないと思いますが。」
「……確かに。」
言葉にはしなかったが、この場に居るのがエメリナ本人でその怪我を負ったのがエメリナ自身であれば、彼女は躊躇い無くその手札を切っただろう。そう言った意味でならば、この場に居るのがクロムやリズで良かったと言えるのだ。
――友がその身を犠牲にするところなど、はっきり言って見たくは無い。
「お二人に、この場に来ていただいた最大の理由がそれです。本来であれば、クロムさんやリズさんにもご同席頂きたかったんですが……正直、この話をしたところであのお二人が自覚して下さるとも思えませんでしたので。下手に警戒感を持たれても、フェリア側へ与える印象の悪さにも繋がりますから。」
はぁ、と溜息を吐くの懸念がどれ程のものかを二人は知る。人を疑うことを知らぬわけでは無い、だが疑うよりは信じたいと言うであろうあの兄妹をどこまで説得できるかと問われてしまえばフレデリクもソワレも答えに窮してしまうからだ。
その確信が、はっきりとあるからこそ――はこうして、二人を呼んだのだ。
「つまり――。君は、二人の護衛をボク達にして欲しいと、そう言うんだね?」
「そうです。加えて、絶対に目を離さないで頂きたいんです。個室では無く、二人部屋と言うのは正直僥倖でした。もし個室であれば、何らかの理由を付けてクロムさんとリズさんを同室に押し込むつもりでしたが……」
年頃であるリズは嫌がったであろうが、多少脅しつけてでも自分の我を通すつもりでいたのだ。その様子がフェリア側に不自然に映らないとも限らない。
「私が見た――受けた印象で言うのなら、この長城の指令官殿に内通の心配はありません。そんな腹芸のできる御仁では無いでしょう。ですが、この長城に配備されている兵の一人一人、ましてや下働きの者や更にその彼らが使う者達迄に至っては確信の持ちようが無い。暗殺と言うのは、その気になれば針一本でも可能なんです。防ぐのは――それこそ至難に近い。」
暗殺、と聞いたソワレの眉間に皺が寄った。騎士である彼女にとって、暗殺などと言う手口は卑怯な行いでしかない。性分に合わないことだとは、とて十分承知だ。だが。だからこそ――数人いる女戦士の中で彼女をこの場に呼ぶことを選んだのだ。
「ですが、お二人なら――騎士である、お二人なら。例え身を挺してでも――クロムさんとリズさんへの悪意を防いで下さると思ったからこそ、この場にお呼びしたんです。非情なのは百も承知、ですがいざと言う場合――盾になってでもあの二人を守って下さる方がどうしても必要なんです。」
クロムやリズをこの場に呼ばなかった、最大の理由がこれだ。あの二人は――特にクロムは。フレデリクやソワレが自分達の盾になったと知ったら――盾に成れと、が言ったと知ったら。恐らく手に負えぬほどに激高するだろう。知られることが怖くないと言えば嘘になる。だが、それよりもにとって、そして自警団のメンバー達にイーリスと言う国そのものからしても。
優先すべきなのはクロムやリズの安全であり――また、命なのだ。
納得してくれとは言わない、だがこの二人にはどうしても理解してもらう必要がある。
ここまで言えば、フレデリクもソワレも悟ってくれるだろう。
「それこそ騎士の本懐だ。それに。」
「いいえ、ソワレさん。そんな綺麗事では済まされません、私は――」
「そこから先は、仰らないで下さい。さん。」
それまでずっと何事かを考え込んでいたフレデリクが、の言葉を留めた。訝しげにそちらに視線を移した彼女が、途端にぎょっとする。
「フ、フレデリクさん!?何を―――!?」
なさっているのですか、と続けようとしたを、地面に片膝を着き頭を下げたフレデリクの仕草が阻んだ。
「――今日に至るまでの御無礼、どうか御寛恕下さい。お恥ずかしながら――貴女にご指摘頂くまで、フェリアとペレジアの奸計、我が主家のお二人に迫る危難の可能性に思い至りもしませんでした。それどころか、貴女を他国の密偵かと疑うことすら―――」
「や、やめて下さいフレデリクさん!前者は確かに困りますが、後者に至っては当たり前の事なんです!だから、ですから!!お願いですから、頭上げて下さい!!」
盾に成れと言う事は、代わりに死ねと言っているのと同意義だ。そんなことを命じるような女に、下げてもらう頭など無い。 ましてやそれが、イーリスに仕える由緒正しい騎士であれば尚の事。
「いいえ。自らの浅慮を棚上げにし、ご自身の身を危険に曝すことを厭わぬ貴女を一瞬たりとも疑うなど笑止千万。私の不徳以外の何物でもありません。」
「!」
フレデリクの言葉にとソワレが身を固くした。共に驚いたせいではあったが、その経緯は全く異なって。
「……お気付きでしたか。」
「お恥ずかしながら、つい先程です。気付かされたのは。」
「……副長、。それはどう言う……」
尋ねるソワレに、跪いたままフレデリクが口を開いた。
「ご自身の身を囮にされるつもりで一人、場外に拠を移された。……そうでしょう?殿。」
その言葉にソワレは驚愕を隠せず、は苦笑するだけに留まって。彼女はフレデリクの跪拝を解かせることを早々に諦め、再び椅子に腰を落ち着かせた。
「……先程、私はフェリアに戦を仕掛けに来たと申し上げました。あれは何の誇張でもありません。現状、イーリスはフェリアより弱い立場にある。これは、よろしいですね?」
現在直接ペレジアに戦を仕掛けられているのはイーリスで、フェリアはその限りではない。ペレジア側のちょっかいが皆無かと言えばそうでは無いが、それでもフェリア単体でどうとでもなるレベルだ。状況においても戦力一つにとってみても、フェリアに懸念となる材料は少ない。つまり、
「こちらが一方的に弱い立場にある以上、望む結果を得るならばそれなりのリスクを覚悟しなければなりません。無論エメリナ様からは、ある程度のお墨付きを頂いていますが……」
そのある程度、を詳しく説明する必要は無いだろう。いつの間に、とフレデリクの顔に書いてあったがそれも伝える気にはならなかった。
彼が知らぬと言うのなら、恐らくクロムもほぼ十割の確率で知らないだろう。
機会はあったはず、だが彼らがそれを見逃したことが吉と出るか凶と出るか――流石のも、今は分からない。
「ですが、負うリスクはできるだけ少ない方がいい。……で、あれば。どれだけフェリア側に不利な要件を揃えるかに今後のイーリスの未来が掛かってくる。……外交は、流血を伴わない戦争ですよ。自軍の損失はなるべく少なく、利は最大限に。最もその戦に負ければ次は本当に血が流れますので、前哨戦と考えて頂いて構わないのですが。武官の方々はそれこそ本懐と仰られるかもしれません。ですが、血など流れぬ方が良いに決まっています。……それがイーリスであれ、ペレジアであれ。」
だが戦う意志を隠しもしないペレジアを交渉の席につかせ、更にこちらの要求を飲ませるにはある程度の手傷を相手に負わせねばならない。これはエメリナも覚悟していることで、だが現状イーリスはその戦力すら覚束ない状況なのだ。
武力の後ろ盾の無い外交などそれだけで無意味、だがフェリアに限って言えばその無意味が多少緩和される。
故にエメリナはフェリアとの同盟を決断し、またも。その彼女の意を汲んだのだ。
戦争を仕掛けに来た、の意味をフレデリクもソワレも漸く理解する。
確かに彼女の言う通り、机上の戦争と呼ぶべきが外交と言うものだろう。
「ペレジア側がこちらの同盟を阻止する為には特使を潰すことだと申し上げましたが、その中でも最も効果的な方法がクロムさんとリズさんを害することです。ですが、まかり間違ってもあの二人に傷など負わせられない。……それならば、この状況を逆手に取ってこの長城に必ず居るであろう間諜が手を出し易い相手と状況を作ってやればいい。」
それはある程度のリスクを犯しても行動に出るだけの価値がある人物でなければならない。個人の価値はともかく、軍師は軍内の中核だ。その人物を忙殺すれば動揺は必至であろうし、黙って殺されるつもりの無い自分にしてみればフェリア側を畳み掛ける格好の材料になる。
「クロム様が受けた攻撃では、その材料になりませんか。」
彼女のみを危険に曝すことを素直に賛同できないフレデリクが、彼にとっては失態以外の何物でもない長城での戦いを持ち出したがは首を左右に振って無理だと答える。
「個人的に言えば十分ですが、実際はせいぜいこの長城の司令官の首をすげ替える程度にしかなりません。だからこそ、あの戦い自体を無かったことにしたのですから。」
「……なるほど。」
確かにこの長城の司令官の首が飛んだところで、イーリス側には何の損も得も無い。それならば戦いによって確実に減った、武器道具の類を口止め料代わりにぶん取った方が遥かに利がある。あの状況でここまで考えていたのだから、恐れ入る。
「酷なことを言っているのは、十分承知しています。ですが、フェリア本国に着く前にこちらが有利になる証拠を手中に納めたい。それもクロムさんとリズさんに手を出せないことが確実な状況下で動くことが、どうしても必要なんです。」
いざとなれば死ねと言っているのも同意議、だがこの二人であればそれを理解してくれると踏んだのだ。
「私は、貴女程の方に見込まれたことを誇りに思いますよ。」
「どうぞ、ご命令を。我らが軍師殿。」
フレデリクに続きソワレにまで跪かれてしまい、としては渋面を作らざるを得なかったが呼吸と共にそれを飲み込んで立ち上がった。
「ペレジア側の間諜が誰で、何処に紛れこんでいるか現状では全くの不明です。ですがこの長城内に於いて、主家たるお二人に掠り傷一つ負わせてはなりません。己が身を賭してもこの任を果たすこと――イーリス聖王国の国母たるエメリナ様の御名に於いて命じます。
イーリスの行く末は貴方方の双肩に掛かっていると――そう、心得るよう。」
「は!」
「必ずや!」
主命に等しい女軍師の言葉を、声を揃えて拝命する。自らを囮としてまで僅かでもイーリスに有利な状況を得ようとしている彼女に、その国に仕える自分達が応えずして誰が応えると言うのか。
迷いの無いその声に満足気に頷いたは、彼女の中では既に始まっているフェリアとの戦を思い静かに瞳を伏せたのだった。