神剣闘技 T
フェリア王都までの旅は、概ね順調であった。
つまり裏を返せば、が自らを囮――餌としたにも関わらず、ペレジア側と通じている間諜を炙り出すことはできなかったのだ。
あれ程懸念していたクロムやリズへの危害は皆無、徒労と言われればその一言に尽きるが、何も無かったのならそれはそれでよかったのだろう。
――たった一人、ペレジア側の横槍を待っていたにしても。
「お疲れ様でした、クロム殿下。殿。」
先頭を歩くライミが振り返り、堅牢と言って差支えない石造りの城の前で歩みを止めた。彼女を筆頭とした先頭集団に混じっていたクロムとも、それに倣い馬の脚を止める。
「ここがフェリア城……」
「は。正確には、東の地の王であらせられるフラヴィア様の居城でございますが……」
軍事立国故か、イーリスとは全く趣の違う城を見上げてが呟いた。応えたライミに軽く頷いて、軽やかに馬から降りた。
「他国の城は初めて見るが……イーリスとは違うな。」
「そうですね。流石軍事大国、と言うべきでしょうか。」
に並んだクロムが同じように城を見上げ、ぽつりと呟いた。彼の言う通り、イーリス王城は城でありながら人を拒むような雰囲気の城では無い。荘厳華麗、と言うべき造り――城である以上、ある程度戦に備えた構造はしているがそれはあくまで内部とまた最小限の外観に留まっている。古い城故、何度か改修は加えているとはクロムの弁だがやはり国の気風と言うものが大きく影響しているのだろう。
だが、今彼らの目の前にある城は違う。ここは正に戦う者達の城――扉一つとっても、ひしひしと伝わってくる威圧感。戦砦なのだと、その佇まいが無言のうちに告げていた。
「既に先触れは出しております。このまま、謁見の間にお連れしてよろしいでしょうか。」
「ああ。頼む。」
「……リズ殿下と、フレデリク殿も随行を。他の皆さんは、申し訳ありませんが控えの間に待機させていただけますか。」
「は。畏まりました。では、こちらへ。」
覗き見は趣味では無い、などと言っている場合では無い。風の精霊による精査を人知れず終えていたの要請にライミが頷き、馬車の中に待機していたリズと傍らのフレデリクをクロムが手招いた。
イーリスの特使の護衛と言う大任を終え、一息吐くフェリア兵の声を背後には一人目を眇める。
――交渉が、始まる。
「こちらです。」
先導するライミの後を、クロム、、リズ、フレデリクの順に続く。流石は王城、と言うべきか所々の装飾は見事の一言に尽き、しかしやはりどことなく人を拒む印象を拭えない。この四人以外の特使達は別室へと通され、一息吐いている頃だろう。念のため、彼らと別れる時にソワレやヴィオール、そしてソールに風の精霊伝手に託けてはおいたが。
(油断はできない……)
精査そのものに問題は無く、どこぞに間諜がそしてペレジア兵が潜んでいることも無かった。だが、それで気を抜けるほどは楽観主義者では無いのも事実。――そもそも楽観主義者に、軍師など務まらないのだが。
と、風の精霊達がの髪を小さく引いた。何だとその意識を僅かに傾ければ、背後から伝わる戸惑い――と言うよりは、僅かな怯えの気配が。先を行くクロムは気が張っているのか、全く気付いておらずもで彼らの声が無ければ気付かなかっただろう。そんな彼女の様子に少々お怒り気味の風の精霊達にああ、と納得して歩調を緩めた。
「リズさん?」
先を行っていたが自分の傍らに来たことに驚いたのか、リズが目をぱちくりと瞬かせた。それに苦笑を一つ零して、大丈夫ですかと問いかける。
「う、うん。でも何て言うかその……」
「厳めしい、ですか。リズさん?」
「そ、そう!イーリスとは、どこもかしこも違うんだって思って……」
リズに小声で尋ねれば、萎縮した色を滲ませた声が返ってくる。はその彼女の肩を安心させるように、二三度軽く叩き微笑みかけた。
緊張するのはしょうがないにしても、怯えを見せてはフェリアに対して非礼に当たる。人払いがされているお陰で人の目は無いが、それでも一国の特使であれば堂々とすることが求められるのだ。
まだ少女の域を出ないリズにそれを求めるのは酷な気がしないでもないが、こればかりは経験と度胸でしか培えない。の見立てでは後者についてはある一定の条件下では問題無く、また前者に至ってはこれから積んで行けば良いことだと考えている。
「大丈夫ですよ、いざとなれば貴女は私達が命に代えても守ります。緊張するな、とは言いませんが私達を信頼して笑っていて下さい。特に貴女の笑顔は、人を元気にしてくれますから。」
「さん……」
ぽ、と何故か頬を染めたリズがん、と大人しく頷く。その様子にふ、と微笑んだが彼女の傍らのフレデリクに視線を移した。真剣なその眼差しにフレデリクも一つ頷きリズとの距離を詰める。再びリズの肩を軽く叩き、は開いてしまっていたクロムとの距離を縮めた。
無論風の精霊の視界は保ったまま、警戒は絶対に怠らない。
「……さんが女のひとでよかった……」
は?と間抜けな声で聞き返したフレデリクに何でも無い、とかぶりを振りリズは先を行く兄とその兄の背を守るように寄り添う女性に羨望の眼差しを送ったのだった。
人気の無い城内をライミの後に続き進み、やがて一際手の込んだ作りの扉の前で一同は足を止めた。正確に言えば、ライミが足を止めたのでそれに倣っただけなのだが。流石にここには護衛の兵がおり、ライミの目配せを受けて居住まいを正し一行を出迎えた。
「ここが謁見の間か?」
「はい。こちらに陛下が。」
おられます、と続けようとしたライミがふと些か様子のおかしい護衛兵と同じように何やら難しい空気を纏っているに気付いた。
「殿?如何なさいましたか?」
「いえ……」
らしく無く言葉を濁すに、クロムも同じように首を傾げる。ライミは纏う空気を読んだだけだったが、彼女よりも付き合いが長くその心の機微にも一日の長があったクロムにははっきりとその不機嫌さが読み取れた。表情にこそ出していないが、その機嫌は低気圧の底が抜けたように悪い。
「どうしたんだ、。」
「……いえ。何でも。失礼しました、ライミ殿。少々緊張していたようで……」
まるっと嘘である。最もライミはその
それでは、と気を取り直したライミが警備に当たっている兵に目配せをする。どこか挙動のおかしい兵達はやや――と言うか、明らかにどうしたらいいか分からない様子でしかし、上官の命に逆らうわけにもいかず門扉を開くためにその取っ手に手を掛けた。
なるようになれ、とばかりにどこか自棄の入った仕草で扉が開かれて行く。
「遠路はるばるようこそお越しくださいました、我がフェリア東の王・フラヴィア様がお待ちでござい……」
ます、とライミは最後まで言う事はできなかった。
「「「……………」」」
「へ、陛下!?」
満を持して開かれた謁見の間――そこには、誰もが予想していた王の姿は無く、否、王どころか人っ子一人居ない全くの無人の状態であったのだ。
これにはさすがにクロム、リズ、フレデリクも言葉を失い、唯一だけが眉間に更なる皺を刻んだ。
「な……い、一体……」
「そ、その……ライミ司令官……」
同じように絶句したライミを、扉を開けた兵が恐る恐る呼ぶ。咄嗟に振り返った彼女の表情を見、ひぃ!と可哀想にも竦み上がってしまった。
「さ、先程より……その、席を……外されて、おりまして……」
「ば、馬鹿な!?先触れは……」
「は、その……う、受け取られはしたのですが……」
流石に他国の特使の前ではそれ以上続けるのが憚られたのか、言葉を濁す部下の姿を見てライミは全てを悟ったらしい。咄嗟に呆然とするクロム達に向き直り、申し訳ございませんっ!と直角に身体を折った。
「……きっと、先触れと行き違われてしまったのですね。」
と、静かな声が辺りに響き、フェリア兵はおろかクロム達の背筋にまで悪寒を走らせた。ごくごく静かな、それでいてフェリア側を咎めるでも無いその言葉にライミや警備兵達の顔に嫌な汗が浮かぶ。
「仕方がございません、これだけ広い城です。それに王ともなれば、色々とお忙しいでしょうし……」
フェリア側の失言も聞き流し、好意的な方向へ話を持っていこうとしている女性の声に何故か浮かんできた汗が滝のように流れ始めた。その居た堪れなさに真っ先に白旗を振ったのは、クロム達をここまで案内してきたライミで。
「も……申し訳ありませんっ!しばし!今しばしお待ちください、クロム様!た、只今!只今王を呼んで参ります故……!!」
「あ……あ、ああ。」
ライミの必死さに頷くことしかできないクロムが、頼むと頷いた。ちなみに視線は傍らに佇むに、こっそり横目で注がれている。
「失礼致しますっ!!」
気の毒としか言いようの無いライミが、重い甲冑を着込んでいるとは思えない迅速さで謁見の間を出て行く。言うに言えなかった若い警備兵達も同じような心境だったのだろう、同じように頭を凄まじい勢いで下げるとライミの後を追う様に飛び出して行ってしまった。
「……。」
大人気ない、と言外にクロムが窘めればフレデリク並に恐ろしい程の笑顔だったがその表情を崩し鼻に皺を寄せた。
「当然でしょう、このくらい。」
フン、と鼻晒するにクロムがやれやれと溜息を吐く。いつもと立場が逆ではあったが、時折こういう子供のような一面を彼女は覗かせる。その意外と言えば意外な一面を――クロムは、嫌いでは無かった。
「政治より戦いが好きな人だと聞いてる。大方、訓練場にでも行ってるんだろう。」
「……それって、お兄ちゃんみたいだね。」
「ああ、そうだな……って、おい。リズ。」
クスクスと笑う実妹の言葉に思わず同意しかけてしまったクロムが渋面を作る。確かに否定はできないが、何もここで言わなくてもいいだろうとリズを軽く睨めば彼女は即座にの陰に隠れてしまう。
「クロムさんみたいに単純な方だと交渉も楽なんですけどね……」
「……、お前まで……」
あまりといえばあまりの言葉に、流石にクロムが抗議の声を上げる。だが、ふとその言葉の中に込められた意味に気付き、此処に至るまでの彼女の底の抜けたような機嫌の悪さに漸く思い至った。
「……もしかして、お前の機嫌が妙に悪かったのはこのせいか?」
「もしかしなくてもそうですよ。一体何を考えているのか、是非ともお伺いしたいところですが……」
一筋縄では行かないだろうな、と言うのがの正直な感想だった。ついでに言うなら完全に舐められており、こんなことなら少々乱暴な手を使ってでもフェリア側に非を持たせてやればよかったと物騒なことを画策する。とは言え、此処まで至ってしまった以上後悔をしても始まらないし、そっちがその気ならも相応の態度で臨んでやればいいだけのことだ。
舐めた真似をすればどうなるか――多少なりとも長城でフェリア側には思い知らせてやった。それを伝えるか伝えないかは、フェリア側の自由だろう。
「戦い好きの王様……筋骨隆々の、ごつい人だねきっと。」
「誰がごついって?」
うんうん、と分かったように頷くリズを窘めようとしたフレデリクの声に聞いたことの無い若い女性の声が被さった。の声よりもやや低く、だがどこか面白がるような声にぴゃ!とリズが飛び上がる。
以外の三人が一斉に振り返り、ライミや他の兵を従えて部屋に足を踏み入れようとする背の高い人物を視界に捉えた。
フレデリクにも見劣りしない上背の、だがその身体はほっそりとした紛うことなき――女性。
「あ――あ、貴女が……?」
間抜けな声で問いかけるクロムに、にやりと笑って見せた件の女性は大仰に頷くと良く通る声で以てそれを肯定した。
「ああ。私がフェリア連合王国――東王、フラヴィアさ。」
交渉難航に一万ゴールド、そう思った自分は絶対に悪くないと胸中で呟いたであった。