神剣闘技 U


「遅れて悪かったね、ちょいと野暮用があったもんだから。」
「いや……あ、いえ。お気に、なさらず。」
王とは思えぬ口調に引き摺られ、いつもの調子で返そうになったクロムをがぎらりと横目で睨めつけた。慌てて言い直した男に、何を思ったのかフラヴィアが僅に目を見開く。

「フラヴィア陛下でいらっしゃいますか。」
視線一つで一国の王子を牽制せしめたが一歩前に出た。無論報告を受け取っていた故大体の当たりはつけていたフラヴィアだったが、わざとあんたは?と尋ねる。
「陛下におかれましては、ご機嫌麗しく。私、クロム殿下の元で、軍師を勤めさせて頂いております。、と申します。本来であれば御前に侍ることを許される身分の者ではございませんが……御身の御記憶の片隅にでも留め置いて頂ければ幸いと存じます。」
丁寧に――それこそ慇懃と呼べるくらいに――腰を折った女性に、何を思ったのかフラヴィアの口の端が持ち上がった。途端、頭を下げている以外の全ての人間の腰が引ける。

「あぁ、あんたが例の。国境では、うちの者が失礼したね。」
「……何のことでしょう、陛下。私には、全く心当たりがございませんが。」
「……ほーぅ。」
そうかい、と相槌を打ったフラヴィアにもにっこり笑ってええと応じる。例のってなんだ、例のってと胸中ではしっかり舌打ちしていたが。

「まぁ、そう言うことならウチもとやかく言うつもりは無いけどねぇ。」
互いにこの程度が貸しになるとは思っていないのなら、それはそれでよかろうとフラヴィアも頷く。ただし、目の前の小娘を小娘と侮るべきでは無いとの評価は更に固くなったが。

「そっちが、クロム王子で妹御かね。で、そこにいるあんたがかの名高いイーリスの楯だね。」
「……クロムさん。」
余りにざっくばらんな態度に面食らっている総責任者の背を突つき、注意を促す。その感触で束の間の呆けから立ち戻ったクロムが、さっと膝を折った。リズやフレデリク、無論も彼に倣い貴人に対しての正式な礼を取る。

「この度は拝謁の栄に賜りましたこと、心から御礼申し上げます。私はイーリス聖王国現王エメリナが王弟、クロム。後ろにおりますは我が妹、リズ。その騎士たるフレデリクに、軍師。お初に御目もじ叶います。」
リズやフレデリクもクロムの紹介に応じ、優雅に礼をする。普段は王子や王女の嗜みなど知ったことかと奔放なクロムやリズだが、肩書きに必要な最低限の礼儀作法は身に付けている。フレデリクは言わずもがな、も振る舞おうと思えば問題無く猫を被ることができる。が。

「ご丁寧な挨拶には痛み入るが……クロム王子、あんた畏まったもの言いは苦手なんじゃないのかい?」
「うっ……な、何でそれを……」
面白がるような口調のフラヴィアに分からいでか、と傍らでが胸中で頭を抱える。所々つっかえそうになっている上、端々に普段の口調が見え隠れしている。相対している女傑につられているのが一目瞭然だ。

「……陛下。平に御容赦を御願いできませんでしょうか。決して陛下を軽んじている訳ではございません故……」
「ふ。まぁ、そうだろうね。人には向き不向きってモンがある。まぁあたしも自分が向いているとも思っていないから、気にはしてないよ。楽にしな、あんたも。、だったか。」
鷹揚なフラヴィアの言葉にクロムやリズは好印象を持つが、やフレデリクはその逆の感情を抱く。

「御配慮痛み入りますが……どうぞ、御気遣い無く。クロム殿下もリズ殿下も、我がイーリスの誇る貴人に連なる御方々です故。」
その言葉を聞いたクロムとリズの背中に緊張が走る。意訳すれば王弟王妹である以上、この手の甘えを許すつもりは無いとは言っているのだ。ましてや今はエメリナの名代として、正式な特使としてフェリアに訪れているのだとも。

「……なるほど。イーリスは良い人材を揃えていると見える。まぁいい。ライミから大体の話は聞いているが……まずは、楽にしな。顔の見えない輩と話をする趣味は無いんでね。」
フラヴィアの促しに従ってまずはクロムが、フレデリクがリズに腕を差し出し最後にがゆっくりと立ち上がった。途端に興味津々と言った視線が、クロムでは無く何故かに突き刺さる。

「ライミ司令官から聞いてい……おられるのでしたら、話ははや……じゃなくて、是非ともねえさ……」
「クロム殿下、差し支え無ければ私が。」
話が進まない、と申し出ればすまんとクロムが大人しく場を譲る。その背後でリズとフレデリクがアイタタと頭を抱えた。

「……大変失礼を致しました。甚だ僭越ではございますが、私から此度の訪問につきまして改めて言上させて頂きます。国境警備隊司令官殿からお話があったかと存じますが、現在我が国では隣国ペレジアによる侵攻の脅威に曝されております。それに加え正体不明の人為らざる者達の跳梁跋扈……国土全体にに危険と不安が広がっているのが現状です。この建国以来の未曾有の危機を、お恥ずかしながら我が国のみでは乗り切れぬと意見の一致を見、貴国に助力を求めにまかりこした次第にございます。浅からぬ縁と義に因り、貴国のお力添えを頂けますよう国主に代わり伏して御願い申し上げます。」
最後に優雅な一礼で締め括ったに、クロムやリズの視線が集中する。それの意味するところは、誰これ?であろうか。

「ペレジアの件に関しちゃ同じ状況だが、正体不明の輩はそんなに出没してんのかい?」
「……はい。かく言う我々も、此処に至るまでの道すがら一度襲撃を受けました。無論、撃退は致しましたが……屍兵も学習するのか、その力量や数も徐々にではありますが上がっているように思えます。私見ではございますが。」
ふむ、と顎に手を当てて何事かを考え出したフラヴィアが口を開く。

「うちの方もどちらかと言えば散発的だね。むしろ、そっちより生きている人間の方が厄介なんだが。」
「……件の、イーリスを騙る賊のことでございましょうか?」
「あぁ。所々でそう触れ回っているらしい。……ま、ペレジアの騙りであることは一目瞭然だから、そっちには態々報告はしなかったんだが。」
「くそっ!あいつら……!!」
憤りに語気を荒げたクロムに、フラヴィアが口の端を上げる。無論、即座にに睨まれ失言を悟ったらしいが今更慌てて繕ってももう遅い。やはりイーリスに置いてくれば良かったと思っても、やはりこちらも遅きに喫しているわけで。

(やっぱり狐ね……一筋縄じゃ行きそうも無いわ。)
の胸中の呟きを聞いたなら狸に言われたく無い、とフラヴィアから苦情が出そうなものだったが幸か不幸かその呟きを聞いた者は無く。さて、どうしたものか、とでこの先に思考と策を巡らした。彼女の言う通りイーリスを騙る賊の件でフェリア側が口を閉ざしていたのなら、それはそれでこちらにとってはマイナス要因だ。フェリア側から何かの申し立て――それが苦情であっても――さえあれば、それに加固を付けて何かしらの行動をエメリナは起こしていたはずだから。

「その賊がペレジアの息の掛かった者であるとの確信がおありですか、陛下。」
「確信、って訳じゃないがね。うちにイーリス側が喧嘩を売る必要性が無いだろう。先代とは違い、当代聖王は争い事を厭う御仁のようだし。だとしたら、二者択一でペレジアか無いだろう?ま、大穴で全くの第三者って訳でも無いだろうが。」
「当然だ!姉さんが他国に戦争を仕掛けるなど……!」
「クロムさん!!」
語気鋭くクロムを諌めれば、しまったと反射的に口を閉ざす。どうしてこう、エメリナの絡むことになると瞬間沸騰するのかと少々力を込めてクロムを睨む。

「……大変失礼致しました。殿下に代わり、御詫び申し上げます。何卒、御容赦頂けますよう……」
「青いねぇ。」
苦笑いをこぼすフラヴィアに、が頭を下げクロムも慌ててそれに倣う。

「気にしちゃいないよ。姉思いのいい弟御じゃないか。」
「……いいえ。だとしても、許される事ではございません。」
ついでに言うなら、相手に突け入る隙を与えてどうするとも。少なくともこれで、実姉がクロムの弱点であることが知れてしまった。交渉のハードルがまた上がってしまったと嘆くも、訂正しておかなければならないことが判明しトントンかとフラヴィアを真っ直ぐ見つめる。

「それから、私からも。御無礼を承知で申し上げますが……」
「構わないよ、言ってみな。」
負けじと不敵な笑みを口元に刷き、は腹底に力を込めて宣言する。

「では、失礼して。確かにエメリナ様は争い事を厭われる御方ですが、それを最良と判断するご器量も、また決断を為されるだけの御覚悟もお持ちの方。その点だけは、誤解なされぬよう御願い申し上げます。」
挑発的な言葉にフラヴィアだけでなく、クロムやリズ、室内に居る全員の視線が集中した。だが当のはそんな視線には全く動じず、ただ真正面にある女性を見据えるだけであった。

「――なるほど、楚々とした外見に惑わされるなってことかい。胆に命じとくよ。さて。」
確かに、挑むような視線を送ってくる目前の軍師を擁する――この女が膝を折る程の人物ならば、十分警戒に値する。
血筋や見てくれ(ましてや同性だ)に頭を下げる程、安い女でないのは相対していれば分かる。

「挨拶はこの程度にして、本題に入ろうか。親書は読ませて貰ったよ、で、結論だけどね。」
クロムやリズ、フレデリクがごくりと息を飲む。この王の一言で、イーリスの命運が決まると言っても過言では無いのだ。クロムがちら、と横目で見れば同じように緊張の面持ちをした――否、何故か眉間に皺を寄せたの姿が。
思わずどうした、と声に出しそうになったクロムを、だが凛とした声が遮った。

「悪いんだけど。今、うちの兵をイーリスに貸すことはできないんだよ。」
と。


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