神剣闘技 V


「そんなぁ!」
広間を打ったフラヴィアの声に、思わずリズが声を上げる。傍らのフレデリクに間髪入れず窘められ、慌てて口を噤みはしたが。

「フラヴィア陛下、それは……」
「どうもこうも、言葉の通りでね。遠路遥々やって来てくれたところで悪いんだが……」
クロムも口を挟むが、やはり彼女から返ってきたのは同じ答えで。
目の前が暗くなりかけ心臓が早鐘を打ち、クロムの脳裏を様々なものが駆け巡る。情けないながら動揺していると言っていい彼の背後から、同じく動揺しているリズの気配が伝わってきた。
しかしそのお蔭で自分が狼狽えている場合では無いと腹に力を入れ直すことができ、ふとそれとは対照的に動揺のどの字も伝わってこない自らの傍らに気付いた。

「左様でございますか。」
だが何の気配も無いわけでは無い。隠しもせずにいるその気配は――紛れもない、怒気だ。

「……だとすれば、会談はこれで終了でございますね。フラヴィア陛下、貴重な御時間を割いて頂き真にありがとうございました。陛下に謁見が叶いましたこと、エメリナ様には必ずお伝え致します。クロム殿下、リズ殿下。助力が仰げぬと分かった以上、長居は無用です。一刻も早くイーリスに戻り、事態に備えなければ。」
?」
……さん?」
続く声音からしても到底機嫌が良いとは言い難いが、それよりも何の反論も無く肯定した言葉にクロムは耳を疑ってしまった。
フラヴィアに頭を下げ、あっさりと踵を返したにクロムとリズが戸惑いの声を上げる。しかし当の本人はそんな二人に頓着した様も無く、事もあろうに退出を促し始める。

「……いいのかい、手ぶらで帰って?」
と、その背中に硬い声が投げ掛けられた。だがはそれに振り向くこと無く、身体の動きを止めただけだった。

「これは異なことを仰られる。他ならぬ陛下が我が国への助力は出来ぬと仰せになられたのですよ?それ自体に他国の人間である私が申し上げることはできませんが、そうである以上別の手立てを考えるなが筋ではございませんか?」
「その別の手立てとやらがあればね。だがイーリスには軍と呼べる規模の兵力は無かったはずだと思っていたんだが。」
「兵力がなかろうと、打てる手立てが無いわけではございません。それを考えるのが我々軍師の仕事です。御心配には及びませんよ。」
背中越しに続けられる会話に、その場にいる全員が固唾を飲む。そんな中、クロムだけはらしくないの様子に首を傾げていた。
フェリアと諍いを起こしに来た訳では無い、と再三言いながらその言った張本人が喧嘩腰に見えるのは気のせいであろうか。いや、彼女を一番長くその傍らで見てきたクロムだからこそ分かる。
これは――完全に頭に来ている。

、少しおちつ……」
「では、何故フェリアに助力を求めに?取れる手立てがあるなら、国内の揉め事は国内で処理するのが筋だろう?」
「詰まる所、為政者がすべきは自領の民を飢えさせぬことと犯罪を取り締まること。戦は言わばその集大成。自国の民を飢えさせ、また犯罪に走るような環境を作ることそのもの。避けられるなら、避けるにこしたことはありません。――それが、間接的であれ直接的であれ。」
「ほぅ。つまり、自国の兵には直接関わらせずうちだけを矢面に立たせるつもりだっだと?」
「まさか。いくらイーリスが兵力乏しいからと言って、軍人に出兵を命じない訳がありません。ですがその肝心の兵力が最初から不足している以上、それが例え烏合の衆であっても使わざるを得ない。それだけのことです。」
ッ!?」
彼女の言わんとしている意味を捉えて、クロムが非難の声を上げる。だが、は僅かに眉を潜ませただけでその非難に応えることはなかった。

「……自国の民を巻き込むのかい。」
「御間違え無きよう。その下策に一役買っておられるのは他ならぬ陛下、貴女です。それが貴国の都合であるのなら、無理は申せませんし申し上げるつもりもありませんが。……私やエメリナ様とて、剣を握ったことも無い民草を前線に送り出すのは本意ではありません。――非効率にも程がある。」
思わず声を低くしたフラヴィアに、しかしは気後れした風も無く答えた。
呆気に取られているのはクロムとリズだ。まさか彼女が、とばかりにを凝視している。

「は。非効率ときたか。」
「戦に善悪など無いのだから、当然でしょう。過去の歴史を紐解いても常に勝者が正義であることは必定――だが、どうせなら効率的にやった方が良い。そうすれば正義の箔など後から付いてきます。」
振り返りもせず繰り広げられる舌戦に、クロムは息を飲んだ。フラヴィアからは兵を出せぬと告げられ、気落ちしたのも束の間。途切れたかに見えた交渉の糸は、未だもってその形を維持している。
どこまでをが予想したかは知らないが、彼女はまだ――口で言う程には諦めていない。

「民を戦に巻き込んだ、と末代まで酷評されるね。そうなると。」
「その程度のこと、受け止める器量無くして一国の王座を預かることができましょうや?それに彼女を――そして、その下策しか採れなかった私を。暗愚と評するは後世の歴史家の仕事。その結果は――私でない誰かが見ればいい。」
そんなものはどうでもいい、と言外に告げるに全員が全員開いた口が塞がらない。
だが、これはエメリナやの偽らざる本音だ。今目の前に火事が迫っているのに体裁を気にして炎から逃げず、巻かれて焼け死ぬ阿呆がどこにいる。可能であれば体裁や別の方法を採ればいい。その為に要求される対価が如何様に高くとも、支払わねばならぬのが王であろう。

「……だが、失敗しましたでは宮廷内で立場を失いかねんだろう。」
「御心配無く。私は何時如何なる事に於いても全力を尽くのを信条としておりますので。遺憾ながら力及ばず、と頭を下げることに何の抵抗もございません。ついでに言うなら、己の保身と利にのみ地道を上げる輩に何をどう言われようとも痛くも痒くもありません。」
もう一つ言うなら、自身はイーリスの民では無い。それを理由に責任を逃れるつもりは無いが、比較的安全な宮廷内に蔓延って保身のみを声高に叫ぶような魑魅魍魎共に遅れを取るつもりもハナから無い。

「それにペレジアとの戦で、背後に対する備えの必要性を確かめられただけでも十分な成果ですよ。楽観的且つ曖昧な古い口約束程度の約定だけで、背後を疎かにする程愚かではありません。」
「ほぅ。……で、その必要性とやらを聞いてもいいかい?」
「軍師が手の内を晒すとでも?」
暗にフェリアとペレジアの内通を疑っていたことを告げられ、フラヴィアの眉間に皺が寄る。信頼されていない、などと口にするつもりは無いがこう面と向かって言われると流石にカチンとくるものがあった。

「随分と豪華な密偵もいたもんだ。現王の実弟と実妹を出してくるとはね。」
「言ったはずです。時に非情とも言える果断を下せる方だと。最も結果的にこのお二人が生きて戻ってさえ下されば、何の問題もありませんしね。それは護衛たる我々の責務、第一その位の覚悟無くして、特使など務まりませんでしょう。」
さらりと言ってのけたに対し、クロムとリズがぎょっとした。リズが慌てて頭上を振り仰げば、困ったように微笑む自分の騎士の姿があって。その笑顔に、彼も全て承知の上でこの場に居ることを悟る。

「フレデリク……」
思わず名前を呟けば、一度だけ目が伏せられた。まるで、何も心配は要らないとでも言わんばかりに。
「…………」
対照的にクロムは喉元まで出かかった言葉を飲み込み、フラヴィアに背を向けたまま自分にすら表情を窺わせない軍師を凝視していた。
つくづく――深謀遠慮の女だと、思い知らされる。恐らく長城からこの城に至るまで、彼女はその能力を最大限に酷使していたのだろう。
いや、長城では無く先日自警団本部をフィレインと共に訪れてから。

その彼女に果たして、自分は。
イーリスの王子としても自警団の団長としても―― 一人の男としても。に応えられているだろうか、と思う。


「……やれやれ。」
束の間のクロムの物思いを、溜息混じりのフラヴィアの呟きが遮った。
「聞かなきゃ良かったよ。まさかこんなおっかない方法で黙らされるとは思っていなかったからね。」
好奇心が大半を占めていたことは否定しない。こんな形――フェリアとペレジアの共謀を疑うような――で切り返されるとは思っていなかったが。
「好奇心は猫をも殺す、とも申します。フェリア東の地の盾であり鉾である貴女がそのように可愛らしいものだとは思っておりませんが、これを機に自制を学ばれるのもまた一興かと。」
「胆に命じとくよ。あんたみたいな曲者を相手にする時は特にね。」
漸く踵を返し再び正面に向き合ったが、不敵に微笑む。その凄艶な笑顔に応えるようにフラヴィアも口の端を歪め、次いで近習の者に酒肴の仕度を命じた。

「さて、立ち話もなんだ。別室の準備をさせるから、少々待って貰えるかい?」
「恐れ入ります。」
「どちらかと言えばこっちに非があるから、気にしなさんな。うちの長城司令官を叩きのめしたって言う女軍師が、どんな人間なのか見てみたかったんだよ。ライミはあれで東フェリアで五指――とまでは行かなくても、十指には確実に入る実力者だ。気にならない方が嘘だろう?」
「過大評価ですよ、フラヴィア様。私は単なるしがない軍師です。」
「そんだけ胆力のある軍師をしがない、とするにゃぁちょいと勇気が要るさね。ま、いい。少しばかり待ってておくれ。」
肩を竦めたフラヴィアが大股で部屋を出ていく。急な話の変わり様に目を白黒させたリズがどゆこと?と呟いた。

「……俺達はまだ交渉のテーブルにすら着いていなかった。そう言うことだろう、?」
「ええ。あちらがそのつもりなら、少々手荒になってもまずはその席に引き摺り出させて頂きませんと。」
さんがお帰りになると言い出された時はどうしようかと思いましたが……」
フレデリクの呟きに、リズが首を何度も縦に振って同意する。

「で、勝算はどうだ?」
「さぁ、如何なものでしょうか……とりあえず、始まってみないことには。」
そう呟くの表情は、言葉と裏腹に恐ろしく楽しそうだった。傍らに立つ軍師のそんな姿を見て、クロムは苦笑する他に無い。

「頼む。」
「全力を尽くします。……ですが、クロムさん。」
「ああ、分かってる。最後の判断は俺が、下す。」
その言葉を口にした途端、戦場とは全く異なる――だが、本質は同じであろう緊張が身体を駆け巡った。
それは文字通りクロムの肩に重くのし掛かり、改めて今、自分の置かれた立場と役目を思い知る。情けない話だが、常日頃から姉にこんな緊張を強いているのだと思えば反射的に拳を握り締めてしまっていた。

「お願いします。そこに至るまでの道筋は、私が責任を持って作りますから。」
そんなクロムの緊張を気配で察したのだろう。そっと繊手がクロムの握り締めた拳に添えられた。
その感触に弾かれるように顔を上げれば、微笑むの顔に行き当たって。

「ありがとう、。」
微笑み一つで驚くほど自然に抜けた肩の力に、クロムは自分がどれほど緊張していたのかをどれだけ彼女を頼もしく――有体に言えば、頼っていたのかを改めて知った。同時に、この微笑みが自分を助けてくれていたのかも。

触れた手を取って、自然に自分の口元へ持っていく。


「お前と出会えて……本当に、良かった……」
指先に唇を押し当て、囁くように呟く。

その唐突な行動にが音を立てて爆発したのとリズとフレデリク、そしてその他の周囲に居た者が揃いも揃って目を見開いたのを、幸か不幸か目を伏せたままのクロムが知ることは無かったのだった。

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