神剣闘技 W
「……さて、まずは乾杯と行こうか。」
クロム達一行が次に案内されたのは、実に質素な一室だった。部屋そのものの設えは豪奢と言ってもいいのだが、何分その室内に漂う空気が無骨過ぎて質素としか感じられない。質実剛健、と呼ぶのが一番近いかもしれないが。
「そうですね。では、何に乾杯をされますか陛下?」
「そうさね……この出会いに、かね。」
実に男らしい笑みを口元に湛えたフラヴィアに、彼女の真正面に座ったクロムもも苦笑しながらグラスを掲げる。リズとフレデリクも勿論同席してはいるので、グラスを同じように持ち隣国の王の合図を待つ。
「数奇な縁によるこの邂逅に――乾杯。」
チン!とグラス同士を食む音が響く。
これがイーリスとフェリア――両国における、軍事交渉の真の開始の合図でもあった。
「王女殿下とイーリスの盾は酒は嗜まないんだろう?今、別のものを……ああ、来たか。」
フラヴィアの言葉通り、琥珀色の液体を讃えた瓶を持った褐色の肌の女性が微笑みながらリズとフレデリクの杯を差し替えた。酒が苦手なリズと職務上、酒を好まないフレデリクがほっと胸を撫で下ろす。
「お気遣い、痛み入り……げほっ!?」
「クロム王子も、そっちのがいいかい?」
揶揄するようなフラヴィアの前で、酒に咽たらしいクロムが何度も咳を繰り返す。いえ、と首を横に振りながらも極力杯には手を出さない方が賢明だと思ったのは否定しない。
「それから、無理して畏まる必要は無いよ。堅っ苦しいのは、あたしも苦手だからね。」
「は、はぁ……」
「重ね重ねの御配慮、返す言葉もございません。」
溜息交じりのに、クロムは背筋に嫌な汗をかいてしまう。後で雷()と小言(フレデリク)の嵐だろうことは、想像に難くない。
「軍師殿はイケる口かい?」
「いえ、私も嗜む程度です。それから、どうぞ陛下。どうか私のことはとお呼び下さいませ。」
「あたしのこともフラヴィアでいいよ。それにしても嗜む程度、ねぇ……」
訝しむフラヴィアの前で、杯を顔の横に掲げて微かに振って見せたがにこりと微笑む。この狸が、と彼女が胸中で呟いたのは無理からぬことだろう。
(そういや、こいつ飲めたのか……?)
詳しくは知らないクロムがその様子を横目でこっそり伺いながら、胸中で呟く。
ちなみに余談ではあるが、自警団内における酒豪ランキングはミリエル、ヴェイク、クロムの順である。リズ他、未成年組はランク外としてソワレ・ソール・スミアは精々果実酒1杯が限度、カラムに至っては――しまった知らない。
クロムは先に挙げた二人程では無いがそこそこ飲めるし、フレデリクはその自警団の面々の介抱の方が忙しく精々軽く引っ掛ける程度だと認識している。
その自分に極力手を出さない方が賢明だと思わせる程の酒精――ルビーレッドが目にも鮮やかな、杯に注がれた液体を軽々と干して見せたに、何やら戦々恐々としてしまったクロムであった。
「まあいい、そう時間も無いことだし。さっさと始めるか。」
「そうですね、時間はありませんものね。――お互いに。」
含んだの言葉に、フラヴィアが僅かに凛々しい眉を動かした。――ほんの、僅かであったが。
「……あたしがさっき言った、答えが変わることは無いんだが。それも少々、訳アリでね。事と次第によっちゃ、協力できんことも無い。」
「フラヴィア陛下、それは……」
「まあ、話は最後までお聞きな。クロム王子。あんたもそれでいいね、?」
「無論です。」
空になったの杯に酒を注ぎ、もで同じようにほぼ空のフラヴィアの杯に酒を返す。
「派兵できない、と言ったのは。そういった事柄を決定する実権が――今の私には無いからなんだよ。」
「実権が――無い?」
「そう。知っているとは思うが、フェリアには二人の王が居る。東と西、それぞれ一人ずつね。これは元々フェリアが東西にあった小国が一つになった所以であることは、知っていると思うが……」
「存じております。故に一国でありながら、東西に王が頂かれその王が互いに互いを監視しているのでしたね。」
「そうさ。どちらかの王が暴走した時は、もう片方の王がそれを押し留めその後の復旧も極力迅速に行えるために考えだされた方法だったんだが……」
注がれた杯をフラヴィアが一息で干し、一旦言葉を切る。
「国土が広く、また現在の事ばかりでなく有事の際のことも考えた故での貴国ならではの構造ですね。政を行う者が考えねばならぬのは、順調に物事の運ばれている平時では無く有事の際のことですから。」
「そうさ。だが、一見平等に見えるこの方法にも穴があってね……」
「メリットに対して、デメリットがあるのは当然でしょう。フラヴィア様の仰られる、穴と言うのは先程の実権のことでございますか。」
ああ、と頷くフラヴィアに口を挟む隙を見い出せないクロムが目を僅かに見開いた。どれも王族の嗜みとして知っておかねばならない隣国の情報であり、勿論クロム自身も知っていた。だが。
「ああ。如何に国内ではそれでよかろうとも、対外的な事案に関して東西で違う答えを出せる訳が無いからね。それ故に数年に一度の割合で、東西どちらかの王に形骸的ではあるがという名目での実権が付与される形になったのさ。」
「実権を異動させることで、政の腐敗を防ぐ……確かに、一見理想的な形ですね。」
「そう、一見ね。。じゃあ聞くが、あんたはこの方法に隠された弊害は何だと思う?」
「長期的な政策における実現の頓挫、又は消滅でしょうか。仮に東王が提唱したものを、次期西王が不服と破棄をし再び実権を握った東王がそれを行う……繰り返せば繰り返すだけ国が疲弊するだけで、何の実利も生み出しません。無論、実権があるからと独断専横はできないでしょうが……」
「その通り。だからそれ故にまずその実権の移行は順次制ではなく、フェリアがフェリアたる所以の方法を取ったのさ。」
目の前で展開される会話は、知識で知っているものとは全く異なる、生きた知識だった。正直時折酒で唇を湿らせる彼女達の話に付いていくのが精一杯で、クロムに自らの意見を考えるだけの暇が全く以て無い。
「所以の方法、については後ほどお伺いするとして……現在、その実権は西王陛下に?」
「いや。私やあっちの王が直接関わったわけじゃないが、ちょいと国内で不祥事があってね。宙に浮いている状態なんだよ、情けない話なんだが。」
「なるほど。」
正直に言えば、エメリナやフィレインからも此処までは聞いて知っていた。実権が宙に浮き、近々それを決定する為の催しが開かれることも。知りながら態々、実権の無い東の王を交渉相手に彼女が選んだのにはそれ相応の理由がある。
「その実権の中に、他国との同盟決定権も含まれる……」
「そうさ、クロム王子。私がイーリスとの同盟を組めない、と言った理由は理解してもらえたかい?」
「あぁ。だが、それでは……」
「落ち着いてください、クロムさん。リズさんも。先程フラヴィア様はこう仰られましたよ。『今』は無理だと。」
今にも口を挟みそうな二人を先んじて牽制し、交渉の邪魔をするなと視線を送る。相対して良く分かった。今のクロムやリズの太刀打ちできるような相手では無い。
「よく聞いてるね、。」
「恐れ入ります。ですが、交渉事とはそう言った類のものでございましょう?――話が逸れてしまいましたね、ではその肝心の実権がいつ、何時、何処で誰の手に齎されるのかお伺いしてもよろしいでしょうか。」
「……やれやれ、おっかない。だが、まぁそれだけ骨があるってことかね。良いだろう、答えようじゃないか。実権は今から五日後、東西王都の丁度中間に位置する――フェリア闘技場に於いて決められる。その闘技会の勝者に因って、ね。」
「と、闘技会!?」
目を見開いたリズが思わず声を上げ、傍らのフレデリクによって窘められる。フラヴィアは鷹揚に構わないよと苦笑し、同じように驚いた表情をしているクロムと――全く表情を動かしていないを見比べた。
「驚いて無いね。知っていたのかい、?」
「ええ、エメリナ様から聞き及んでおりましたので。強いて申し上げるなら、クロム殿下とリズ殿下もご存じだったと思いますが。」
「……すまん。」
「……すみません……」
背筋に嫌な汗を浮かせる氷の声音に、クロムとリズが即座に白旗を上げる。確かに二人とも知識として知ってはいたが、まさか本当に催されているとは今の今まで考えてもいなかったのだ。最もこれは二人ばかりの責任とは言えず、二人にその知識を教えた教師の問題でもあるので一概に責めることはできないのだが。
「フェリアは戦士の国。古来からの仕来りで数年に一度、東西の王の闘技大会が開催される。その大会に勝った陣営の王が、東西の両方の王になる――実権を握るって寸法なのさ。」
「正式なものが催されるには、もう少々時間があると伺っておりましたが……」
「そう身内の恥を何度も言わせないでおくれよ。繰り上げ開催なんてのは、珍しいが過去に例が無かったわけでも無い。と、言うか。それを知っていたからこそ、あんた達がわざわざこの時期に来たんだと思ってたけどね。」
「まさか。ペレジアではあるまいに、他国に間諜を忍ばせるような品の無いことは致しませんよ。」
いけしゃあしゃあと言ってのけたに、ほーぅ、と思わせぶりな呟きをフラヴィアが漏らす。面白そうに口の端を歪めて、杯に唇を付けたフラヴィアはいつの間にか空になっていたボトルに気付き片手を上げて追加を持ってこさせた。
「これこそナーガ神のお導きと言うやつでしょうか。」
「はン!神なんざ欠片も信じて無いような輩が、態とらしいことを口にするんじゃないよ。……居るのかい、イーリスには。」
「恐らく。御無礼を承知で申し上げるなら、フェリアにもおりましょうね。」
「だろうねぇ……」
密偵の蔓延っている可能性を指摘され、激高するどころかフラヴィアはそれを諾々と認めた。その様子を見てフレデリクは驚きを隠せなかったが、は僅かに眉を顰めただけだった。
「ま、とりあえずそう言う事にしておいてやるよ。大事なのはそこじゃないからね。」
「真に左様で。」
この野郎、と苦笑いをしたフラヴィアが給仕の持ってきたボトルを引っ掴み、乱暴にの杯に注ぐ。全く食えない女だ、と思う割には徐々に彼女を気に入り始めている自分が居る。
恐らく、自分が言葉を濁した不祥事の内容も全て知った上でのやり取りなのだろう。
「ここからが本題中の本題だ。さっきも言った通り、私はあんたらと同盟は組めない。同盟を組むだけの裁量が今の私に無いからね。だが、運の良いことに闘技会の開催や五日後――それにうちが勝ちさえすれば、同盟は組める。さて、どうする?」
フラヴィアは行儀悪く卓の上で両肘を付くと、組んだ両手の上に顎を乗せてクロムを覗き込んだ。炯々と光るその双眸に見つめられ、思わずたじろいだクロムが咄嗟に聞き返す。
「どうする……とは?」
「言葉の通りさ、クロム王子。
「それは、ねがって……」
「子供の手を捻らないで頂けますか、フラヴィア様。それから不用意に発言しないで下さいと私に何度言わせるおつもりですか、クロムさん。」
黙らすぞ、コラと睨み付ければ途端にクロムが口を噤む。その隣で同じように喜びの声を上げようとしていたリズが、咄嗟に自らの口をかなりの勢いを付けてしまった両手で塞いだ。
「
「そうさ。良く気付いたね。」
へ?と目を丸くするクロムとリズ、フレデリクをじろりと睨み付け黙っていろと再度念を押す。味方に足を引っ張られたのでは、成立するものも成立しない。
「実を言うとこの大会、王が出場することだけは唯一禁止されているのさ。もう大分昔のことになるが……何代か前の王が大会で殺されちまってから、血で血を洗う大戦争になったもんでね。それ以来、代理戦争での手打ちにするのが決められたんだよ。」
この女狐、といつの間にか満たされていた杯を景気付けに呷り、再びフラヴィアに向き直る。
「その代理の選考要件は?」
「王が選ぶこと以外に特には無い。人数については、東西同数を上限に自由に選べるね。兵種に関しても同様、ただし事前申請の際戦力があまりに偏り過ぎてたら再選考される可能性はある。」
「殺し合いをさせるのが第一目的では無い、と言う事ですか。」
「そう物騒なこと言いなさんな。当たり前だろう、これは御前試合の一種なんだからね。」
「その物騒でない御前試合とやらに他国の王子を言い包めて勝手に出場させないで下さい。」
言い包められそうになった王子、反省。その妹王女も、兄の振りを見て我が振りを考えさせられた。
「悪かった悪かった。そう怖い顔しないどくれよ、ちょっとした悪戯じゃないか。」
「ええ。そのちょっとした悪戯にまともに引っ掛かる人を特使に選んで下さった方には、後ほどしっかり苦情を言わせて頂きます。」
「お、おい……」
何だ、と視線で問いかけられればクロムには黙るしかないわけで。話の流れを変えるためにも、気になっていたこと(ついでにクロムにも無難と思われること)を口にした。
「し、しかし。フェリアの仕来りに、他国の俺達が出ても良いのか?」
「ああ構わない。言っただろう?王が選ぶ以外に特に基準は無いのさ。人数を絞って貰うことにはなるかもしれないが……ま、最も。代表が他国の王子ってのは初めてだがね。さて――どうする?」
面白そうな、だが先程とは明らかに違う口調のフラヴィアにクロムは思わず息を飲み込んだ。まるで喉元に刃を突き当てられているような、緊張。これが一国を預かる者の器量か、と拳を握り締める。だが、負けるわけにはいかない。
自分は今、イーリスの特使として――国の王の代理として、今、ここに居るのだ。気迫で負けて、飲み込まれるわけにはいかないのだ。
やけに乾く口内を、舌を叱咤し、言葉を紡がねばならない。王の代理として、国を救う為の答えを――
「話になりませんね。」
だが、そのクロムの気負いをあっさりと打ち破った声があった。
誰だと考えるでも無い、そのクロムの傍らに居る――女軍師、の冷たい声。
「ほぉ?話にならぬ、とは如何な意味か。軍師殿?」
「言葉の通りですよ、東王陛下。御身の配下の代わりにクロム殿下に闘技会に出ることが、同盟を組む条件だと仰られるのならこちらから申し出を撤回させて頂きます。」
「何故に?また如何なる権限に於いてそう、仰られる?」
「……権限如何に付いては、書面にもあったことと思いますが。確かに最終決定権はクロム殿下にありますが、それに至るまでの内容の決定権は殿下並びにイーリス国主エメリナ陛下の臨時執政官である私にもございます。その私が、同盟を組むに至っての条件を飲めぬと判断したまでのこと。」
「確かに親書には、貴殿をエメリナ陛下直属の臨時執政官であると認めてあったが……」
は?とクロムやリズの視線がに集中する。フレデリクに至っても、寝耳に水。今、初めて聞く内容だった。
「イーリス宮廷内に於ける執行権限だけに限って言えば、現在の私の権限は王弟であらせられるクロム殿下を上回ります。理由はお分かりになりますか?」
「ああ。クロム殿下は現王の紛うことなき実弟であらせられるが、宮廷内に於いて執政における明確な立場は無い。その点、貴殿には臨時とは言え現王直属の執政官として権と立場とを与えられている。――つまり、如何に最終決定権が殿下にあったとしても貴殿がそこに至るまでの条件を認めなければ、その効力は発揮しない。そう言う事だろう?」
「御理解が早くて助かります。」
つまりは飾りと言われているも同じ、どういうことだとフレデリクはに険の混じった視線を送るが、他ならぬクロムがそれを制した。
そのクロムとて悔しく無いわけでは無い。――だが、悲しいかなこれが今の自分の力量なのだ。
他ならぬ姉が、そう判断し自分とに命じたのだ。それは揺るぎ無い事実であり――甘んじて受け入れなければならない現実でもある。
「加えて言うなら、今の東王陛下と無理に同盟を約定する必要性が見出せぬからでございましょうか。東西の王の雌雄を決する闘技会が近々あり、実権はその方の手に委ねられる。では、何故。今、ここで。我々が、我々にとって不利な条件を呑まねばなりません?」
椅子に浅く腰掛け身体を背もたれに預けたまま両足を組んだが、腹の上で両手を組む。視線はフラヴィアから全く逸らさずに、淡々と告げる。
「では逆に尋ねよう。私が今回の闘技会で勝利し実権を手にしたとして、この会見が原因で同盟を拒否するとは考えられぬのか?」
「そこまで底の浅い考えを持つ者を頂点に頂く国との同盟など、こちらから願い下げです。政は人と人、国と国との均衡を等しく保つための秤。そこには情や義など入り込む余地等無きことが厳然たる事実。己が私情と国の安寧と秤にかける者に、王たる資格があるとお思いか?」
元々フェリアにしてみれば、イーリスと同盟を組むだけの利に乏しい。件の、実権を白紙に戻す程の不祥事はその概要こそ伝えられたが、情報不足も相まってもエメリナも確証を得るまでには至っていない。
だからこそ
何故東王を選んだのかは単にそこに至るまでの距離的な問題であり――正直なところ東西どちらの王が交渉相手であっても、実権無くば大して変わらない――これは、とエメリナ、双方の合致した意見でもあった。
一触即発、正に凍りつくような空気の中、だがそれは唐突に破られた。他でもない、フェリア東の王フラヴィアの盛大な笑い声によって。
「あーはっはっはっは!中々どうして!食えない女だねぇ、あんた!やっぱり気に入ったよ、!!」
抜身の剣を交わしているような空気を一蹴する呵呵大笑に、クロムやリズは戸惑いを隠せずフレデリクも唖然とするばかり。しかし名指しされたは一人正しく、肩を竦めるだけに留まった。
「恐れ入ります、とだけ言わせて頂きますが……」
何もここまで言わせなくてもいいだろう、とは胸中だけで呟く。十中八九、自身に臨時執政官であることを他ならぬクロム達の前で認めさせる為だけに仕掛けられた罠だったのだろう。分かってはいたものの、しかしあの場ではそれを否定する術がは無かったのだ。
まんまと手の内の切り札を切らされたことに、自身の油断と相手の狡猾さに腹が立つ。
「。どう言う……」
「後で説明します。」
クロムの最もな疑問を、しかしこの場では答える余裕が無かった。フラヴィアもそうだろうが、自身もそろそろ――限界が近い。
「つまりはこう言う事さ、クロム王子。東軍の代表として、あんた達が西軍に勝てばいい。そうすりゃ私が王になって、同盟を結ぶことができる――」
「よろしいのですか?もう既に代表は決まっていたのでは?」
「確かに決まっちゃいたが、最終申請期間までにはまだ多少時間がある。変更は可能だし――ぶっちゃけたところ、少々不安が残っていてね。その点、あんた達の腕と度胸は大したもんだ。特に切れ者の軍師、あんたがいい。あんたがいりゃあ多少の無理難題は笑って蹴り飛ばすだろう?」
「それか、黒焦げにするよね……」
ぽつりと呟いたリズに、ぎろりと穏やかとは言い難い視線が送られる。途端、彼女は物言わぬ石像と化した。
「そこまで見込んで頂けるのは大変光栄なんですが……私としては、御身内の後始末までするつもりはありませんよ?」
「それについては心配しなさんな。元々こっちで処理すんのが筋ってもんだろう。」
「?」
首を傾げるクロムを差し置いて、とフラヴィアはトントン拍子で話を進めていく。勿論、具体的な約定など何も交わさずに、だ。
「受けて貰えるなら、こちらとしてはイーリスとの同盟を前向きに検討させてもらうが?」
「一国の王子を見世物にして、前向きに、ですか?」
「やれやれ、欲張りだねぇ……それじゃあ、これならどうだい。私がフェリアの、名実共の王になった暁には。必ず貴国との同盟を結び、両国が納得行くまでの詮議を行った上で、これを履行する、と。」
「……クロム殿下、如何なさいますか?」
フラヴィアから漸く引きずり出した妥協案に対し、裁可伺いの言葉をの唇が紡いだ。同盟の可否を条件付きであれ王の口から確約させ、加えて詮議の事も含まれている。クロム――否、イーリス側には願っても無い好条件のように見える。
だが。
「……イーリスの。今、この瞬間にも。ペレジアからの脅威に曝されている、同時にいつ何時化け物に襲われるかもしれない不安を抱えている民の為に。最も短時間で話がつく方法を、俺は選びたい。」
クロムは敢えて、是とは答えなかった。
「フラヴィア陛下、我々が御身の希望に添うことでそれは果たされるでしょうか。先程、当方の軍師が言った通り雌雄が決した折改めて同盟を求めるのが、最も最短の道のように見えるのですが?」
「自信が無いと?」
「まさか。相手が誰であろうと、やるからには必ず勝ちます。俺も、俺の仲間も。」
「つまり、その絶対の自信に見合わせるにはさっきの条件じゃあ釣り合わないってことかい。」
「そうです。」
は一切口を挟まず、フラヴィアと交渉を続けるクロムを目を細めて見遣る。確かにフラヴィアの出してきた条件は予想上に良いものであったが、破格と言うわけでは無い。不足しているものも――敢えてフラヴィアが明言を避けただろうものもあった。出された条件を鵜呑みにするだけなら及第点、それを補うことが出来たら上々――の思惑は、どうやら良い方向へと運んでいるようだった。
「では、逆に尋ねようかクロム王子。これ以上の譲歩を、あんたは私に何を望む?」
敢えてフラヴィアの――フェリアの思惑に乗ることを承知の上で、何を望むのかと問えば、クロムは一旦目を伏せ、傍らのに視線を移した。構わないか、とその視線で尋ねる。
「…………」
その問いに。助けを求めるでなく、意志を確認するだけの問いには極上の微笑みで以てクロムに応えた。
彼が何を望み、また求めるかはの知ったことでは無いが、こんな表情をした男に応えずして誰に応えると言うのだろう。
それ程までに、覚悟を――全てを賭けると決めた男の表情は凛々しく、また頼もしくもあった。
クロムにそこまでの覚悟ができたのなら、どれ程不利な状況で理不尽な条件だろうがどんな手を駆使してでも応えるのが彼の軍師たる自分の役目であろう。自身もここで再度改めて腹を括った。彼と彼の姉――友たる、彼女の為に何が何でも有利な条件を含んだ上での同盟を勝ち取ってみせる、と。
「同盟締結の最大要件である闘技会における決定権を、私に委ねて頂きたい。この特使の総責任者は私です。彼らの命を預かるだけの、義務と権利が――俺には、ある。」
「同盟そのものでは無く、闘技会での決定権?それだけでいいのかい?」
「十分です。同盟締結に於ける件は陛下からご提示があった通り、両国が納得行くまでの詮議を行った上でなら異論はありません。何より俺には彼女が――が居てくれる。勿論その交渉の席に私も同席しますし、全ての責を彼女に負わせるつもりは最初からありませんが。こと彼女が居る限り、我々にとって不利な条約が締結されることなど絶対に有り得ない。他ならぬ陛下ご自身が認められた彼女が――無論、その事実が無くとも私は彼女を信頼していますが、今、こうして。私の傍らに居てくれるのに、その他に何を望みます?」
絶対の信頼を寄せていると、言葉以外にその瞳も物語っている。と、その信頼を寄せられている軍師に何気なく視線をずらしてみれば真っ正直な言葉に虚を突かれたらしく、顔を真っ赤にしているでは無いか。
これは意外に面白い展開かもしれない、とフラヴィアは内心ほくそ笑む。
だがそれとは別に真っ直ぐ自らを覗き込んでくる青年のその気性には大いに共感するものがあった。有体に言えば、とは別の意味で青年を気に入ったのだ。罷り間違っても男女の機微では無い。
「……もそうだが、中々良い顔をするじゃないかクロム王子。気に入ったよ、闘技会に於いてフェリア側は一切口出しをしない。それで、いいね?」
ありがとうございます、と頭を下げるクロムの傍らで漸く我に返ったが、慌てて頭を下げた。
(――本当に面白くなりそうだ。)
内心の人の悪い笑みなど億尾にも出さず、フラヴィアは鷹揚に頷いたのだった。
「決まりだね。よっしゃ!じゃあ、存分に暴れておいで!」