神剣闘技 [
(ど……どうして!?な、何がどうしてこう……!!)
なった、と動揺に動転を重ねて狼狽で固めた心境の彼女に――しかし、答えるものは無かった。
それもそのはず、今、ここにはクロムとしか居なかったし、居たとしてもその視界には入らなかっただろう。
それ程、二人は互いに相手を――組み敷いた相手を、組み敷かれた相手を見つめていたのだから。
――水のような沈黙。
気まずくはある。だが、不快な空気では無いのだ。互いの吐息が触れ合う感覚、僅かに動いた表情さえ読み取れてしまう距離。――否。
(欲しいと思っていた……)
望んでいた、とも。望んではならないと知りつつも、いつの間にか望んでいたクロムとの関係。いつからと問われれば、きっと最初から。
あの日、彼に初めて出会ってそして手を、差し伸べられたあの瞬間から。
(私、は………)
絶望的に確信する。――きっと、彼に恋をしていたのだろう、と。
「。」
名を口にされ、はっと我に返る。目の前にある、怖い程に真剣な表情に頭の中で警鐘が鳴り響いた。
「クロム、さん……」
どうしたら、と思うもどうしようも――無いわけでは、無い。とにかく、今、この状況から逃げ出さねば。まだ自分の感情のボロが出ないうちに。伝わってしまわぬうちに。
「……」
なのに。なのに、何故。
投げ出された手にはクロムの手が絡み、腰の辺りには骨ばった――恐らく両膝で保定されているのだろう――感触が。
そして何より。剣を扱う者の無骨で荒れた指先が、の頬を撫でている。人差し指が頬を辿り、中指が
――そんな風に、触れるのだ。
「ぁ………」
唇に触れられているせいで、ろくに抗議の言葉も紡げない。弱々しい、自分でも信じられないくらいに甘い匂いのする声を漏らすだけだ。
間違っても一国の王子が、身元不詳の一介の軍師に触れる手付きでは無い。何をと思っても、声は掠れるし身体は拒絶をするでもなく硬直したままで。
まずい、と思った。何より自分を見下ろす、クロムの瞳が。炯々と光る双眸は、獲物を狙う獣のそれだ。
どちらか、理性の残っているうちに止めないと取り返しがつかなくなる。
「ク……クロム、さん!」
「……何だ?。」
「な、何だじゃなくて、です、ね!だ、だから……そのっ……」
頬を辿っていた手が、噛みまくった言葉に止まる気配を見せた。だがそれも
ほんの僅かで、動きは止まっても離れることはない。の言いたいことなど百も承知であろうに、わざわざ聞き返してくるあたり自分から止める気は無いと宣言しているようなものだ。
「嫌、か?」
恐る恐る尋ねるクロムに対し、は今にも泣き出しそうながら首を左右に振った。違う。嫌だからではない――許されないからだ。
「クロムさん!とにかく、落ち着いてください!落ち着いて、腕……」
「……俺は、十分落ち着いているぞ。」
確かに自己申告通り、 クロムは至極冷静だ。仕留めるべき獲物を目の前に、狼狽したままの狩人などいない。
腕はがっちりホールドされているし、足をばたつかせようとしても間に陣取るクロムの足がそれを阻む。
更に悪いことに、その僅かなの抵抗に気を害したのかやや眉間に皺を寄せ元々短かった互いの距離を詰め出したのだ。
「!?」
時間にすればほんの数秒、だがそれが途方も無く長く感じるのは自分だけだろうか。時計の針がその歩みを緩めたような錯覚の中、クロムとの距離が縮まるに倣いの瞼もゆっくりと閉ざされて行く。
(だめ………)
許されないと誰よりも知っているはずなのに、身体が言うことを聞かない。
駄目だと頭の奥の誰かが叫ぶ。そして、叫ぶその傍らで歓喜に震える自分がいて。
互いの唇の先端がほんの僅か、触れた次の瞬間――
「…………」
の心と身体を拘束している当人が、ピタリと動きを止めた。
眇めた視界でもこれだけの至近距離なら、状況把握は十分可能だ。触れる筈の感触がいつまで経っても降りてこないことに何事かと薄っすらと目を開ければ、そこには何故か微動だにしないクロムと――
「…………剣?」
そのクロムの頸動脈にピタリと寄せられた、両刃の鋒。月光の下、鈍く硬質な輝きを放っている。
「…………あたしの城で無体を働くたぁいい度胸じゃあないか。」
そして更にその上から降ってきたのは、低く重くドスをたっぷり効かせた地を這うような昏い声。
聞き覚えのあるその声にぱちり、と目を開けたの視界に飛び込んできたのは、自身を押し倒したクロムとその背後から抜き身の剣を突き付けている――
「フ、フラヴィア様!?」
が驚愕の声を上げれば、剣の主に薄々は勘付いていたクロムも一気に青褪めた。一糸纏わぬ姿であることも去ることながら、この状況はまずい。恐ろしく、まずい。
「夜更けに悲鳴が聞こえて何事かと駆け付けてみりゃあ、か弱い女に無体を働いている真っ最中。よくもまぁ、あたしの城でそんなことをする気になったもんだ。」
寡黙とは言い難いフラヴィアが、だが普段とは全く別の意味で雄弁且つ饒舌に言葉を紡ぐ。色々突っ込みたい箇所も弁解しようにも、フラヴィアの剣が急所を押さえ込んでいるため言葉を発することがまず難しい。精々、ごくりと固唾を飲み込むくらいが関の山だ。
「ちょ……フラヴィア様、誤解……!」
「安心おし、。女の敵の末路は一つと相場が決まっているんだ。イーリス側だって納得するだろうよ。」
「前者は全面的に賛成ですが、後者に限っては全面的に私が困ることになりそうなんで剣を納めてください!」
ひど!と思ったクロムはこの場合悪くないだろう。だが、そんな繊細な男心知らずな女達の物騒な会話は続く。
「なに、死人に口無し。生き残ったモン勝ちだろ。人の歴史は血の歴史さね。」
「全くの同感ですけど、誤解の場合はその限りじゃないんです!と、言うか歴史をご自分に都合のいい様に解釈しないで下さい!」
同感なのか、とクロム撃沈。知ってはいたが、こうも現実で突き付けられると少し悲しいものがある。
話し合いが平行線を辿りつつある、とこの場に冷静な第三者が居たらそう指摘してくれたかもしれない。最も賢明な第三者の場合、そんな愚挙を犯すことは無いだろうが。
当事者であり無関係とは程遠い、だがこの状況を一刻も早く収めたいと願っていたクロムの窮地を救ったのは幸か不幸かそのどちらでも無く。
「御無事ですかクロム様!?」
扉をぶち破る景気のいい音と共に転がり込んできたフレデリクに、クロムは最早溜息を吐くことしかできなかったのであった。