神剣闘技 \


「………つまり、狼狽したをその悲鳴で更に輪を掛けて動揺したクロム王子が勢い余って押し倒したってのが真相なんだね?」
クロムの命の危機を簡潔に纏めたフラヴィアが腕を組みながら、自身の前に視線を落とした。その彼女の問いにこくこくと頷くのは、正面に正座をしたクロムと。半分以上呆れたフラヴィアの横には、これまた呆れた表情を隠しもしていないフレデリクとリズの姿がある。
その他に駆けつけたフェリア兵もいたのだが、彼らの王その人の命により各々の持ち場に戻っていた。自警団の面々は他には居ない。別階に部屋があるからか、悲鳴を聞きつけたのは幸か不幸かこの階層に居た者達だけだった。

「全く……それならそうと早く言やぁいいものを……」
「いや全然聞く気が無かっただろうフラヴィア。」
「クロムさん、余計な事言わないで下さい。」
お説教が長引く、と言外に呟いただけをぎろりと睨み、フラヴィアが溜息を吐いた。

「まぁ、何にせよ。間違いが無くて良かったよ。もし懸念した通りのことが起こってたら、ちょっと命の保証はしかねたからねぇ……」
「フラヴィア様、半分以上本気の顔で微笑むのは止めて下さい。」
「てゆーかさ。何でさんがお兄ちゃんの部屋に居たの?」
招かれたのならそもそもこんなことは起きていないだろうし、とごくごく当然のことを疑問に思ったリズが二人に問えばクロムとが顔を見合わせ、しかしすぐ赤らめた顔ごと互いから逸らしてしまう。
そんな初々しい仕草を見せられてしまえば、質問をしたリズですら何故か照れてしまって。

「……武闘大会のことで、クロムさんにご相談があったんです。それで、後で部屋に伺いますとヴェイクさんに言伝をお願いしたんですが……」
まず人選で間違っています。
らしくない、とフレデリクから指摘されればうぐ、と言葉に詰まるしかないわけで。言い訳にしかならないが、その後起こったことを順を追って話せば(特に部屋に鍵が掛かっていなかったことに触れた際のフレデリクの表情と纏う空気は見物だった)、呆れの表情が各自の半分以上を占めてしまう。

「あの……その、申し訳ありません……大変、お騒がせいたしまして……」
「あーと、そうだな。すまん。」
正座をしながら小さく縮こまる二人に、フラヴィア・フレデリク・リズは三者三様に顔を見合わせ、一斉に盛大な溜息を吐いた。人騒がせこの上ない状況と原因ではあったが、特に間違いが起こったわけでも無いのでこれ以上の追及は不要だろうと合意した合図でもある。

「ま、いい。それで?武闘大会についての相談ってのは?」
目線が低いままでは話難い、と思ったのかフラヴィアが手を差し伸べれば、その手を取ったがありがとうございますと言ってから続ける。

「明日の朝食の後で、主だった方を集めて作戦会議を開いて頂きたいと思いまして。選手のエントリーは締め切られ、相手選手の情報も集められるだけ集めました。大会そのものが数日後に迫っていることですし、ここいらで方向性を定めておいた方がいいと思いまして。」
「……もしかして、。お前が城下町で集めてきた情報って言うのは……」
「はい。ご報告が遅れましたが、対戦相手の情報収集を。」
「ソールを撒いたのも、それが原因ですか。」
「そうです。それと同時に、我々の情報がどの程度出回っているのかを確認したかったものですから。」
「それならそうと……俺だって協力したのに……」
「だからソールですら駄目なのに、お兄ちゃんなんか論外なんだよ。お兄ちゃんは大人しくしてるのが一番。私がさんの立場でもそうするってば。」
色んな意味で、と胸中で付け加えたのはリズの優しさゆえだ。てゆーか、お兄ちゃんの図体で拗ねるとかキモチワルイという実直な感想を思っただけに留めたのも彼女なりの温情である。

「クロムさんにご協力頂かなかったのは、リズさんの仰る通りです。この自警団の中では入って最も日の浅い私に関してが、一番情報が少ない。それは、どの程度情報が流布しているのかの判断基準にもなりますから。」
二割の本音、残りの八割はただ単に面倒なだけだった。無論それを口にする程、は馬鹿では無い。フラヴィア辺りにはがっつりバレているだろうが。

「……で、結果は思った以上に悪い、だったか。」
「はい。ですから、それを踏まえた上での作戦を練りたいと。」
件の、王族用の風呂場で成された密談の内容を思い出しつつフラヴィアが問えば、は躊躇う事無く頷く。
その彼女の名を、こちらはフレデリクの手を借りて立ち上がったクロムが呼んだ。

「その作戦には、人選なんかも……」
「分かっていますよ、クロムさん。」
言い難そうなクロムの言葉を遮り、は微笑みながら頷いて見せた。クロムが懸念しているだろうことは自身も真っ先に考えたことなので、みなまでの説明は不要と視線で答え彼を安堵させる。

いつも不思議に思うのだが、どうしてはこうも自分の言いたいことを察してくれるのだろうか。無論、それは彼女の視野や思考が広く深いからであって特別なことでは無いと問われればそう、答えるのだろうけれど。
その証拠にちらりと盗み見たクロム達の心配の種は、何の事だか分かっておらずその瞳をぱちくりさせている。

だが、それ以外の何かが――自分達の二人の間にはあるのだと、クロムは疑うまでも無く確信していた。
結果的に言えばそれ自体に間違いは無かった。しかし、それを伝える(ことば)は大間違いだったと盛大に反省する乃至、させられることになるのだが――

「……そうだな。こうしてお互いに裸を曝け出したわけだし、隠すことなんて何も無い。言わば俺達は一心同体の親友、これで俺達の絆も不滅って訳で――」



この時、自分は空気が凍る音と言うものを初めて聞いたと彼女は語る。
そしてそれは強ち間違いでも無く――頼むから、大事の前にこれ以上事態をややこしくさせないでくれと思ったものだと、彼女と彼女の騎士もまた後世語っているのだった。



「……たんま、お兄ちゃん。今、色々と聞き流せない言葉があった。本当は聞き流した方がお兄ちゃん的には幸せになれそうな気がするんだけど、聞かないわけにはいかないから聞かせて?誰が、何を見て、何だって?」
可愛らしく小首を傾げて同じように愛らしい声で尋ねるリズだが、如何せん目が全く笑っていなかった。笑っていないどころか、表情そのものは硬直――強張っていると言っていい。

「は?いや、だからな。お互い隠すことなんて無い親友同士なんだから、今まで以上に強固な絆で結ばれて……って、おい、リズ。」
「……何。」
「何って、お前………」
強張っている、そう、強張っているのだろう。何たる暴言、虚言、妄言エトセトラ。言いたいことがあり過ぎて、言葉にならなかったと言うのが現実だ。自分の、の気持ちを知って言っているのだろうかこの愚兄は、と喉元まで出掛った言葉はしかし言葉にはできなかった。
何故なら言葉にする資格があるのは、リズでは無く彼女の筈だからだ。

「…………」
二の句を告げない代わりにちらりとその有資格者を返り見れば、彼女は僅かに俯いておりリズにその表情を伺わせない。いや、リズだけでは無い。その傍らで恐ろしく顔を顰めているフラヴィアにすら、その表情を読ませてはいないだろう。
鈍感と定評もあるクロムも、流石にこの状況は何やらまずいと感じたのだろう。背が低い分睨み上げるような形で突き刺さる妹の視線から身体を引き、いつの間にかその彼女が庇うような形で背後にしていたに視線を移した。

「あーーっと。?ど、どうか……した、か?」
「…………」
肝心のから返ってきたのは沈黙。どうもこうもあるか、とやさぐれた突っ込みを胸中で呟いたのはリズだ。
クロムが漏らした過去の詳細は分からない。分からない、が少なからず好意の――そう、好意だ。それも、リズの見た限りお互いがお互いに浅からぬ好意を抱いている――ある相手から、「親友」扱いされた女性にどうしろと、何を言えと言うのだこの愚兄は。
淑女の作法も嗜みも関係なく、この場で怒鳴りつけてやりたい。いや、クロムがあと二言三言でも不用意な発言をすれば、それは現実のものになっていただろう。

「ふ……ふふっ。あははっ!そうですね、そうかもしれませんね。」
当のに、そう。止められなければ。

「あーおかしい。クロムさんは相変わらず面白いことを仰いますね。」
「そ……そう、か?」
「ええ。面白いですし、まぁ、男女のそれが同一視されるのには少々釈然としませんけど……うん。でも、まぁ。そうなんでしょう、私達は。」
激高するでも無く、悲しげにするでもなく。常と変らずの穏やかな口調と表情で笑ったに、不穏な空気を感じていたクロムの肩から力が抜けて行く。やはり気のせいだったのだと、そう騙され安堵する程度には。

「そうだな。お前もそう思ってくれるなら、心強い。これまで以上に強い絆で結ばれていれば、ずっと共に戦っていける訳だしな!」
「もうヤダこの馬鹿兄……」
本当に嬉しそうに宣言するクロムを見て、リズが泣きそうになりながら呟いた。はそんな彼女の様子に気付いたのか、少しばかり困ったような表情で唇だけを動かした。大丈夫ですよ、と。
そう、大丈夫だ、元々、自身がそう望んでいたことでもある。望んで、そして諦めていたことでも。
それ故、彼がそう思っているのならそれに騒ぎ立てるようなことをすべきではないのだ。微塵も、身体の中を駆け巡る感情を悟らせてはならない。――そう、それがどんなに苦しくても。

「――そうですね。時間の許す限り、ご協力はさせて頂きます。さて、皆さん。誤解も解けたことですし、今日はこの辺でお開きにしませんか?」
「ん?あぁ、そうだな。っと、そうだ。フラヴィア、この扉だが……」
「は?あ、ああ。今夜は仕方ないから、別室を……」
「クロム様。それでしたら、私の部屋をお使いになられてはいかがでしょう。」
別室を手配しようとしたフラヴィアを遮ったのは、珍しいことにクロムの腹心たるフレデリクだった。夜も夜半に女官達の手を煩わすこともないだろう、と考えたクロムはそうだな、と軽く頷いた。フレデリクが何故、このような申し出をしたかなど露にも考えずに。

「……それでは、私はお先に失礼させて頂きますね。皆さん。本当にお騒がせ致しました。」
「あ、ああ。……?お前、顔色悪くないか?」
「そう、ですか?……きっと、まだ、身体が驚いているのかもしれませんね。すいません、明日のこともあるのでお先に……」
「そうだな、ゆっくり休んでくれ。」
大丈夫、まだ微笑(わら)えていられる。不自然にならない仕草で居並ぶ面々に一礼し、心情を悟らせぬ足取りで身体を室外へ向けて運ぶ。
まるで、自分の身体では無いようだ。詰まりそうな呼吸を、意志の力でこじ開けてただ息をする為だけの呼吸をする。
ほんの僅かでも、自身の感情の乱れを悟られぬよう。自分が、自身が。酷く動揺していることは――動揺している理由は。もう、気付かぬ振りはできなかったけれど。

「………。」
「……いいえ。良いんですよ、フラヴィア様。私には――私達には。その距離こそが、丁度、いい。」
呼び止めたフラヴィアに、まるで自分に言い聞かせるように答えたが僅かに振り返って――微笑んで見せた。

?」
再びその名を呼んだのはクロム。ほんの一瞬、振り返ったの表情――と、言うよりは目元が、僅かに光を弾いたように見えたのだ。
だが、はその声には応えずそのまま部屋を出て行ってしまう。
手を伸ばしかけた状態で見送るしかなかったクロムに、先程よりもなお一層深く思い空気がのしかかり。

「――イーリス(そちら)が。」
その空気の中、感情を伺わせない女の声が響いた。

「そのつもりなら。あいつは、うちが貰う。出自や身分に拘るそちらさんと違って、うちが求めるのは本人の実力だけだ。勿論身元の確認を怠るつもりは無いが、本人の為人を見りゃあ大概の事は分かるってもんだ。そもそも才能も実力もある人材をみすみす野に放すなんざ愚の骨頂。ましてやこれから大戦が控えてるとあれば、尚の事にね。そこらへん、覚悟しといておくれよ。クロム王子。」
「は?」
寄りかかっていた壁から身を起こしたフラヴィアはそれだけ言うと、今し方が出て行った扉へと足を向けた。言葉だけを聞くのであれば、フェリア――フラヴィアが、を召し抱えるような内容。だが彼女は現在クロムの麾下にあり、それはこの先も続くものであって。

「修理は直ぐに手配するが、今夜一晩はイーリスの盾の部屋で我慢しとくれ。……間違っても、あいつの部屋に押し掛けるんじゃないよ。」
当たり前の事と言えば当たり前のことを念押しし、フラヴィアもまたこの部屋を後にする。クロムが先程の言葉の真意を尋ねようとしても、正直それを口にできるような雰囲気では無く。

「な……何なんだ、一体……?」
呆気にとられたままでその後姿を見送るしかなかったクロムが思わずそう呟けば、コツリと大理石の床を蹴った音がやけに響いて。

「お兄様。」
その音の主と思しき声――聞きなれた声の筈なのに確証が持てなかったのは、その呼称のせいだ。何事と思って振り返れば、先程から強張った表情をしたリズが眉間に皺をくっきりと刻んでこちらを睨んでいるではないか。

「な……なんだ、リズ。お前までそんな怖い顔して。」
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていましたけど……ここまで大のつく馬鹿だとは思いませんでしたわ。仮にも血の繋がった兄妹ですから、ご忠告して差し上げますが……もし、明日以降。彼女――様が。余所余所しい態度をお取りになられるようでしたらまだ望みはございましょうが……普段通りの彼女でしたら。最早望みの余地はございませんから、早々にお諦めなさいませ。鳥は自由に空を飛ぶ生き物。自ら籠に残ることを選んだならいざ知らず、羽根をもがれて飛べなくなった鳥は、最早鳥とは呼べませんのよ。その羽根をもぐ権利は、もう、お兄様には無いことを肝にお銘じなさいませ。」
「……何のことだ、リズ。」
「そのままの意味でしてよ。それでは、私も下がらせて頂きます。」
厭味ったらしいまでに完璧な淑女の礼をクロムとフレデリクの前で披露したリズは、しかしその後は足音も荒く二人の前から辞去してしまう。
ずかずかと言う擬音が相応しいその足取りと、怒れる小さな肩に心情が如実に表されておりクロムは勿論の事フレデリクですら彼女に声を掛けることは叶わなかった。

「…………何だって言うんだ、あいつら?」
取り残される形になったクロムが心底怪訝そうに呟けば、何となくだが彼女達――は勿論の事、フラヴィアやリズの考えていることも――見当程度であれば付いている従僕が溜息で応じる。
彼女達には確かに申し訳なくまた教育方針を間違ったか、とも思わないでも無かったが。しかし、今この場で彼が尋ねなければならぬことは別にあって。

あぁ、今夜は長い夜になりそうだ――我知らず、遠い目になってしまったフレデリクであった。

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