神剣闘技 ]\
「……始まった!」
フラヴィアが叫び、身を乗り出さんばかりに前のめりになった。その隣では西フェリアの王も同じような格好をしており、ヴェイクやスミア、カラムも息を飲んで眼前の闘いに見入る。だが唯一、リズだけは微動だにせずに前方を凝視していた。
「………?」
その不自然な姿勢に西王の隣に居た青年が怪訝そうな表情をする。目の前の光景を食い入るように視る彼女の姿勢は、その実に平静だ。矛盾したその姿に、らしくもなく興味を引かれてしまう。
もっとよく見るべきかと、青年は眼前の試合から一瞬目を逸らしたものの直ぐにわっと沸いた会場に慌てて視線を元に戻す。
それっきり彼が振り返ることは無かったのだが――やはり、リズがその姿勢を変えることはなかったのであった。
抜刀した二人の剣士に会場中からどよめきが走る。
それもそのはず、目の前の剣士二人が全く同じ型の構えを取ったのだから。
だが最も驚愕したのは、対峙したクロムその人だった。まるで自らが鏡の前に立ったかの如く、左右対称の動きで抜刀から構え迄を準れてしまえば驚くなと言う方が無理だ。
腐っても王族、竜神ナーガより剣を付与された一族だ。その剣技は門外不出とまでは行かずとも、関係者以外が学ぶことなどまずできない。縦しんば
ましてやクロムの剣は最初に教わった型こそイーリスに伝わるものだが、その後は彼自身の手によってより実戦向きに昇華されたものでもある。その動きと全く同じと言うことは、理論上ありえない。
そしてクロムがそれ以上に驚さかされたのは、対峙する者の手にした剣だ。
「その剣……まさか。」
刃零れ一つ無い、両刃の直刃。
篝火の照り返しを受けて美しい游紋が浮かび上がるその刀身は、いくら敵を屠ろうがその輝きを喪うことはない。
イーリス王家に伝わる封剣にして宝剣、ファルシオンと同じ――否、ファルシオンは唯一無二の神剣だ。同じ剣がこの世に存在するはずが無い――酷似した剣がマルスの手の中にある。
単にその姿形が似ているのでは無い。資格無き者が振るったところで藁一本断ち切れないであろうかの剣は、己の選んだ主の手中にあって始めて力を発揮する。血が呼応する、とでも言うのかこの剣は当代ではクロムの手の中でのみ鳴動するのだ。
命の脈動とでも言うべき、その拍動を――目の前のマルスからも間違いなく感じるのだ。
それこそ、もう一振りのファルシオンの主は彼だと言わんばかりに。
「聞かねばならんことが、また一つ増えたな。」
「…………」
独りごちたクロムには答えず、マルスは体勢をやや前傾に取った。無言でありながら、これ以上の言葉は引き出せまいと悟らせる空気。
その機微を感じ取ったのだろう、クロムもそれ以上の言葉を飲み込んだ。
ゴクリ、と会場中が息を飲む。いつ何時動き出してもおかしくない状況、その一挙一動を見逃すまいと呼吸を殺し眼前の光景に集中する。
「……っ!」
正眼の構え――互いに入った臨戦体勢、だがそれでもやはり迷いが捨てきれなかったのだろう。僅かにそれを振り払うかのように、小さく頭を振りまずクロムが動いた。
一直線に走り出した彼に一気に間合いを詰めると会場中の誰しもが思い、だがクロムは次の瞬間には石床を力強く蹴り上げ頭上へと跳び上がっていた。全身のばねと筋力を使い上空で回転の威力を得、そのまま目指す相手へと剣を振り下ろす。
回転の遠心力に加え、振り下ろす重力と自重の乗った一撃は考えるより遥かに重い。並の剣では受けるどころか、そのままへし折られかねないその一撃をマルスは剣と自身の細腕とで受け止めて見せた。頭上から降ってくる剣の太刀筋を読み、最初から迎撃の為に下段に構えてその威力を最大限に殺したのだ。
必死に受けた一撃の余波に葉を食いしばり、体勢を僅かに崩しただけでクロムの初撃を凌ぐ。
体格からして違うクロムの攻撃を耐え、息を整える間も無くマルスが攻勢に討って出る。力押しで相手の剣を弾き、振りかぶる。攻守の逆転はほんの僅かの間に行われ、マルスが振り下ろした剣をクロムが弾き、弾かれた剣が再び相手の剣を撥ね返す。幾合かの打ち合いは瞬く間に仕合われ、互いに力をぶつけ合う。対峙している者にしか見えない僅かなブレがあったのだろう。その数瞬に身体を小回りに回転させ力を蓄えたマルスが全身を使って振りかぶり、左に避けたクロムの濃紺の髪を数本散らした。
会場中が生まれると思った隙はしかし、対峙する剣士達の力量からすれば無いも同然だったのだろう。互いに引くことはせず、再び打ち合いへと突入する。鋭さを増した打ち合いに、生じた火花が周囲の空気を焦がし始めた。
ギィンッ!!と硬質な音を立てて刃が噛み合い、互いの剣が互いを捉えた。鍔迫り合いとなったのはほぼ、一瞬。
「その技、誰に学んだ……!?」
呻くようにクロムが呟けば、間合いぎりぎりまで距離を取ったマルスが空気を斬り払う。クロムも全く同じ軌跡を辿り、ファルシオンを手の中で回転させた。
互いの仕草の意味するところ――攻撃への型の転換。
灼かれた空気を刀身で斬り払い、左腕を抱え込む特徴的な形で剣を持つ右手を僅かに引く。
相対するクロムも全く同じ所作、同じタイミングで次撃へと繋げる形へと移しマルスと対峙する。
「「はぁっ!!」」
吐き出された気炎が激突の合図、左右対称となった己の姿を目掛け鋒が放たれる。
須臾の攻防、だが互いの剣は目的を果たすことなく弾かれ逸れた軌道が宙を穿った。
「ッ!?」
まさか必殺の一撃が外れるとは思っていなかったクロムが、込めていた力の分僅かに足並みを乱す。
その隙を見逃すマルスでは無い。有り得ない動揺を振り切って背後を振り返れば、跳躍したマルスの細身の身体が陽光を背に回転しながら落下してくる様だった。そう、それは先程クロムが見せたのと全く同じ技で。
「……父に!!」
万感の想いを込めたその一言は、小さいながらもしっかりとクロムの耳朶を打っていた。
受けるか避けるか――マルスは受けた。だが例えあの華奢な身体でも剣の威力と強度を考えれば、迎撃のためには十二分の力が必要。瞬巡は――無用!
咄嗟に捻った身体と石床を蹴り上げた反動で右に避け、剣を構える。
マルスも手ごたえの無さを悔やんだりはせず、着地の衝撃を殺した静かな佇まいで立ち上がり再びクロムに向き直った。彼も既に剣を構え、油断も隙も与えない。
「父……?」
つまり、マルスの言葉を信じるなら自分と同じ太刀筋をもつ人間が最低でもあと一人は居るということか。
強い意志を込めて相手を凝視すれば、僅かに怯んだ様子を見せる。
「……すまない。これ以上は……」
その先を飲み込んだマルスに、だがクロムは何故か追及する気を起こせなかった。
後でにはこっぴどく怒られる(恐らくマルスとのこの会話も全て聞いているだろう)だろうが、これ以上は聞いてやるなとクロムの中で何かが囁くのだ。その言葉に――抗う気が何故かしら起きない。
「そうか……なら、これ以上は聞くまい。」
驚いたように伏せがちだった顔を上げたマルスに、ふっとクロムが笑う。
「リズの件もある。これで貸し借り無し、と言うことにさせてもらうさ。……だが、そうなった以上手加減はしない!悪いが勝たせてもらうぞ!!」
空耳かもしれないが、の溜息が聞こえたような気がした。全くこれだから貴方は、と言う呟きも。
表情を改め剣を構え直したクロムに、マルスが気付かれない程度に口の端を歪める。
「ふふ。若い時は髄分血気盛んなんだな……」
相手には届かない程の小さい呟き。空に溶けて消えるだけだったそれを、実は正確に聞き取った者が若干二人ほどいた。
彼女らは同時にその形の良い眉を顰め、言葉の真意を頭の中で探る。
そのまま言葉通りの意味なら即日この自警団から出て行ってやるとの決意だったり、姉直々の尋問ものだと胸中で呟いたり中々物騒だ。
「ああ。僕も全力でお相手しよう!」
自分の漏らした一言が(色々な意味で)相手の身を危ぶませていることなど予想だにしていないマルスの言葉に、やはり自身に迫る危機に全く気付いていないクロムが愉しそうに口の端を上げた。
そう。愉しいのだ。
国の命運が掛かったと言っても過言でない筈の闘いであるのに、それこそ自分と同じ剣・同じ太刀筋を持つ存在に厄介事以外の気配を感じないと言うのに。
ただ一人の剣士として、男として。
強者との手合わせに、心が躍らない筈が無い。
だが、その時間をいつまでも堪能している訳にも行かない。軽く弾む息を整え、三度、剣を構え直した。
マルスの振るう剣がクロムのそれに酷似したものだと言うのなら、その隙や弱点を誰よりも知っているのもまたクロムだ。
瞬発力や速度は負けるが、力や技の読み合いはこちらに分がある。――ましてやマルスには致命的な弱点があるのだから。
「――行くぞ!」
最初に剣を交えた時のように石床を蹴り飛ばし、一直線に相手を目指す。先程は力量を測る理由もあって跳躍を混ぜたがそれも終わった今となっては特に意味が無い。再び始まった打ち合いに会場からどよめきが走り、また見る者が見れば先程とは段違いに力が込められていることを悟ったであろう。
「……くっ!」
クロムの猛攻を手数と速度で防ぎ、だが徐々に押されているのを自覚しマルスは唇を噛む。真っ向から行っても恐らく問題は無かろうとたかを括った末路がこれだ。僅かずつではあるが自分の体勢が崩されて行くのが自覚でき、しかしそれを組み立て直すだけの余裕が得られない。
ここは何としてもその隙を作らねば、と攻撃の間を伺う。
「はぁぁっ!」
再び繰り返されると思われた、一種の舞を思わせる剣戟――だが、それの瞬間は突然やってきた。
猛攻を繰り出す利き手の反対側、剣を嗜む者にとっての生命線とも言える左腕が相対している者にしか分からない程度に空いているのだ。
中途半端な隙は攻撃にも防御するにも、その動作を遅らせる。
ここしかない――そう、直感的に考えたマルスは弾いた一撃の後を力ずくで抉じ開けた。
「!?」
まさか体格で劣るマルスが自分の一撃を弾くとは思っていなかったクロムが、間合いへ強引に身体ごと押し入ってきた相手に目を見開く。
「もらったぁぁっ!」
例え一瞬であっても隙は隙。
ましてや実力が伯仲しているとなれば、その一瞬が致命傷になる。狙うは拳一個分
「それは……」
思わず、耳を疑う。
何故、聞こえる筈の無い方向から聞こえていい筈の無い声が聞こえる?
「こっちの、セリフ、だ!!」
しまった、と思ってももう遅い。クロムが択出したのは防御では無く、回避。しかも、極々小規模な歩幅、一歩分にも満たない後退だったのだ。距離にしてみれは僅か、だがマルスの死角に一瞬でも身を潜めるには十分すぎる距離で。
素顔を晒したくない何らかの理由があるにせよ、仮面と言う著しく視界を制限するものの中ではどうしたって死角は増える。加えてほぼ至近距離と言って過言では無い位置で剣戟を繰り広げていたのだ。例えそれが一瞬であっても、その姿が消えたように見えれば誰だって動揺する。
ましてやクロムは直前まで全く退く素振りを見せずに打ち合っていたのだ。姿が掻き消えるような錯覚すら覚えたことだろう。
「……っ!!」
咄嗟に身構え、急所を庇う。狙われるのは胸か、喉か――だが、しかし。
「?」
マルスが予想した痛みは襲ってこなかった。怪訝に思うのも僅かに一瞬、だがその代わりとばかりに感じたのは掬われるような浮遊感。
――足払い、と気付いたのは遅れて臀部から伝わり響いた鈍い衝撃を脳が自覚してからだった。
「………!」
尻餅をついた衝撃で反射的に目を閉じてしまった、愚かと自らを叱責し視界を抉じ開けた次の瞬間に飛び込んできたのは振り上げられた封剣の
例え僅かであっても、その衝撃を殺す為に。
「「「「そこまでっ!!」」」」
風を斬る音、剣圧の音さえ拾った耳朶を四重の声が遮った。
ぴたり、と首の皮一枚で神剣が止められる。
僅かでも制止の声が遅れれば、二度と剣が握れ無ないと迄は行かずとも相応の怪我を負っていた――その現実が、マルスの心臓に早鐘を打たせ呼吸を急かす。負けたことよりも、死に損ねたとの感が遥かに強かった。
命を拾ったのだと、どこか遠くで聞こえる歓声が告げて。
「さすが、だね……僕の、負けだ。」
急所に突き付けられた剣、尻餅をついているような状況ではもう打つ手は無い。よしんばあったとしても、既に闘いそのものの終わりは宣言されてしまった。
クロムもその言葉を受け、そもそもこれ以上の続行は望んでもいなかったので何の迷いも無く剣を引く。
それは戦士の国の王を決める為の闘いに、決着のついた瞬間だった。