神剣闘技U] T
『彼』は焦っていた。
この国の王を決める闘い、その決着が自分や組織の意に添うものならば良し。だが、添わぬものであればそれを力ずくでも変えることが自分に与えられていた役目だったからだ。
誰もが気を抜くであろう、勝敗が決した瞬間。その一瞬を逃さず、放った必殺の一矢。だが、その一撃は突如乱入した魔道士風体の小娘によって防がれてしまった。
まるで彼が矢を射ることを、タイミングを。全て見ていたかのように。
「クソッ……!」
失敗した以上、長居はできない。未だ茫然とする観客の隙間を、時にはその身を押し退けて。
あと少しで通路に繋がる扉に手がかかる、そう思った瞬間だった。
「はっ!」
短い気合いが耳朶を打ち、今日まで裏稼業を生き抜いて培われた勘が彼に危険を知らせる。咄嗟に避ければ話は違ったかもしれないが、もう出口は目の前だ。一瞬の躊躇い、だが結局彼は回避では無く逃走を選び。そして。
「がぁ……っ!?」
直上から落とされた容赦の無い一撃。
誰もいない筈の虚空に舞った、若い娘の踵落としが脳天に直撃する。
死角も死角、一瞬前まで誰も居なかった空間から攻撃が降ってくるなど誰が考えるだろう。
強襲を受けた当人は、自らの身に何が起こったのかを理解する前に昏倒してしまう。派手な音を立てて床と昵懇になった暗殺者に対し、させた当人は実にかつ更に容赦が無かった。伏した相手の頭部を見事な脚線美を誇る右足で踏みにじり、腰に括り付けていた荒縄で昏倒している相手の身体を縛り上げて行く。 最後に猿轡を噛ませて、自決を防げば作業は終了。ふん縛った相手の頭を、おまけとばかりに左足で踏んだのはこの際ご愛嬌だ。
「な……っなんだぁっ!!?」
その間、僅か五分にも満たない攻防(一方的な攻撃だとは言え)に我に返った聴衆が口々に驚愕の叫びを上げる。
それはそうだろう。一瞬前まで闘技場の中央にいた選手の一人が突如脱皮し、人込みに紛れた暗殺をしばき倒したのだから。前者であれ後者であれ、事情を把握していない者にとっては晴天の霹靂の事態だろう。
目の前で行われた――未遂とは言え――凶行に人々の中に動揺と猜疑とが生まれて行く。戦士の国と呼ばれ、その強さを誇り潔さを旨とする国の王を決めるための試合で起こった、起こるはずの無い、起こってはならない――暗殺と言う最も忌むべき卑劣な所業。
当然と言えば当然ではあるが結果からして東の国の者は西の国を疑い、疑いを掛けられた西の国の者は東の国の者への憤りを隠さない。東西両国の王が試合とは別の意味で緊張が高まるのを肌で感じ、まずいと顔を顰めた次の瞬間、
「静まれ!誇り高き戦士の国の末裔達よ!!」
一切の迷いを打ち消すような、凛とした声が響き渡った。
誰がと一斉に声のした方に視線を向ければ、暗殺者を足蹴にしたままの若い娘が叫んでいるところで。
「古よりの仕来りに従い、今、ここに新たなる王が誕生した!」
彼女は暗殺者を押さえつけたまま、一歩間違えば命の危険すら伴う場所で臆することなく声を綴る。
「数多の英傑の血脈を受け継ぎし東の女傑王、フラヴィア!その裁定がたった今、此処にいる我らを証として下った!!」
見渡す周囲にちるのは互いが互いに持った不信感。さもありなん、だがそれは同時に彼らの根底が同一の物であることを言外に告げている。
――だから、は続けるのだ。
「母なる大地から生まれ出で、やがて同じ父祖の地に還りゆく我ら同胞が何故互いを謀る必要がある!真に忌むべきは国威を穢し、伝統を軽んじ、その名誉を踏み躙らんと画策する輩である!!」
その姿や果敢に紡がれる内容に、いつの間にか聴衆の誰もが魅入られていた。
それは誰にでも何処ででも用いることが可能な、それ故に史上最悪と類される――
「いかに国土が東西に離たれていようとも、この身に流れる血に何の異があろうや!?厳しくも美しきフェリアの大地に生きる我らは、その御旗の下、常に一つ!!」
だから彼女はそれを自らの意志で以て紡ぐのだ――他ならぬ、彼女自身の望みを叶え得る為に。
言葉に込められた呪が次々に聴衆に伝播して行く。
肌で感じるのは聴衆の熱気。は不敵な笑みを口に刷き、その昂ぶりが最高潮に達するのを待った。
狂信にも近いものに満ちた眼差しが十分に向けられ、その意識を掴んだとが確信した次の瞬間。
「――勇壮なりし戦士の国、フェリアに
この日、最も盛大な歓声が巻き起こったのだった。
会場中を震わせる怒涛の歓声には一つ満足気に笑うと、対岸に座するフラヴィアに一瞥を送った。
風の精霊を介した合図は違わず彼女の意図を伝えてくれたのだろう、すぐさま決して低いとは言えない観覧席から闘技場内へ飛び降りる姿に思わず苦笑が零れて。
「野郎共!つまらん横槍が入りかけたが、これ以上の詮索は不要!!酒樽を開けな!ありったけの猪肉を炙って――さぁ、宴だよ!!」
新たに誕生した王の高らかな宣言に、観衆の興奮が更に増す。
興奮の坩堝の中に各々の思惑を隠して。
フェリアの王を決める闘いが――漸く、ここに。
幕を下ろしたのだった。