神剣闘技 U] U
――心臓が、跳ねる。
「……フレデリク」
耳を潰さんばかりに轟く絶叫にやや顔を顰めながら、クロムは自らの側近を呼んだ。
「は。いかがなさいましたか、クロム様」
しかしフレデリクが傍らに駆け寄っても、クロム上方を見上げたまま。その視線は、先ほどからずっと場内の熱狂を一身に受けている小柄な女性にのみ注がれている。
自分の身に何が起こったのか――そして今、目の前で何が起こっているのか。その全てを理解したクロムの表情はやはり険しい。彼女に助けられたことがそんなに悔しいのだろうか、とマルスが一人やきもきしていればそんな心配は無用だとばかりにフレデリクが少年に微笑みかけた。何しろ長年に渡ってクロムを見守り続けていた彼である。
確かに自身の不甲斐無さに腹を立ててはいるだろうが、今はそれ以上に別のことで思考を一杯にしているのだろう。
ふとしたことで笑いが漏れてしまいそうな心境だったが、そこはそれ。歳の功とやらで、上手いことカバーした。
「反対しても無駄だから、先に言っておくぞ。俺はあいつが――が、欲しい」
クロムらしいと言えばクロムらしい直球表現に、フレデリクが目を見開く。マルスなど、年相応に(仮面に隠されていない部分を)真っ赤にして、二人の会話に耳を傾けていた。
「はぁ……ですが彼女は現在、御身の麾下にございますが?」
「分かってて皆まで言わせるな、フレデリク。軍師としてだけでなく、俺の……その。は、伴侶として!欲しいと言ったんだ!!」
おお言った!とフレデリクが胸中で快哉を叫ぶ。この場にリズが居れば、それを全身で以て表現してくれたことだろう。しかし、フレデリクはここでは敢えてそのそっけない体を貫き通した。
「さんを……で、ございますか」
「そうだ。何か問題でもあるか」
それはあるだろう、と嘆息してみればぎろりと視線だけが投げつけられて。
「確かに得難い人材であることは認めます。ですが、身元の分からぬ――後見も居ないような女性を伴侶に迎えると仰せになれば、色々と問題も生じてきましょう。そう例えば、元老院の方々など……」
「ふん。吠えることしか能の無いクサレ爺共の四人や五人、何の問題がある。……じゃあ聞くがなフレデリク。連中を黙らせるのと、に首を縦に振らせるのと。どちらが難しいと思う?」
「…………」
フレデリク、沈黙。
前者と答えることのできない我が身が、何故だかとても哀れに思えた。
「……他ならぬ俺がそう望み、そして決めた。これ以上、何の理由が要る?直ぐに認めろとは言わないが、邪魔だけはしてくれるなよ。あいつだけも手一杯なのに、お前まで敵に回られちゃ完全に不利だからな」
さもなきゃリズを引き込んでフレデリクにぶつけるか、と物騒なことを考える。恐らくあの妹の事だ。二つ返事で協力してくれるだろう――フレデリクの妨害と言う、実に頼もしい方法で。
「……彼女の人となりは私も存じておりますので、クロム様にそのお覚悟があるなら否とは申しませんが……」
「何だその奥歯にものが詰まったような歯切れの悪い言葉は」
昨夜の騒動を忘れているのか、と思わず聞きたくなったフレデリクは恐らく悪くない。
それとも望み薄故、彼女のことは諦めるべきと進言すべきか。――だが、そう言上するにはは色々な意味で魅力のありすぎる人材であったし、何よりあのクロムが。
並み居る貴族令嬢や大商人の子女には全く目もくれず、鍛練だ戦闘だと逃げ回っていたクロムが。
自らの意志で望み、決めたと宣言したのだ。この機を逃せば、イーリス王家はその血脈を絶えさせてしまうかもしれない。
「……いえ。それでしたら、早急に話を進める必要がと思っただけです」
「先に言っておくが、余計なことはしてくれるなよフレデリク。あいつには――には。俺の口から、直接伝える」
未だ絶えることの無い歓声の中、一身かつ堂々とその声を受けているを見上げながらクロムが牽制する。自分の色恋故との理由が大半だが、過保護で過干渉の気がある守役が首を突っ込むとロクな結果にならないと過去の教訓が示していた。
「仰せのままに、我が君」
幸か不幸かクロムが不干渉を要求した理由を知らずにいる守役が、やけに神妙な表情で頷いた。フレデリクがクロムの抱える葛藤を知らずに居たように、クロムもまたフレデリクが何故こんなにも素直に同意したのか。その理由を知らなかった。
クロム自身の意志が第一とは言え、フレデリクとて主君の伴侶に望むものが無いとは言わない。今が有事であること、他ならぬクロム自身が固辞していることも相まってその動きは表面化してはいないが、いずれ神剣の継承者である彼が聖王の位を継ぐことを望む声が決して少なからず、ある。
男児であることもその要因の一つであろうが、つまりクロムの伴侶となる女性はいずれ聖王妃となる可能性が非常に高いのだ。彼に見合う年頃の娘や妹を持つ貴族連中が、座して見ている訳がない。
その地位に相応しい人柄であれば貴族の娘でも無論問題無いが、甘やかされ野放図に育った浪費することしか能の無い彼女らにこれから激動の時代を迎えるであろうイーリスを支えられるとは思えない。
だが、彼女なら。
一歩間違えれば命を落としかねない状況で泰然と笑い、人心を掌握する鮮やかな手腕と胆力を見せつけられて。
何故、血統くらいしか取り柄の無い人物らを主の伴侶になどと思うだろう。
臣の立場とて、否、立場だからこそ。自らが――民が頭を垂れるに相応しい人物であって欲しい。こんな胸中が知れれば不遜だとそこかしこで騒ぎが起きそうものだが、フレデリクとて伊達に長年宮廷勤めなどしていない。
口にせず、黙って暗躍する術くらい心得ている。
「……逃がすつもりは無いさ。覚悟していろ」
、と呟くクロムの視線は再び彼女へと戻っている。
その瞳は獲物を狙う狩人さながらで。
――
自嘲にも開き直りにも似た、自身の心の声に捕らわれるあまりクロムは気付いていなかった。
クロムがを一心に見ていたように、そのクロムをじっと見つめている視線があったことに。