神剣闘技 U] V

 
「一時はどうなることかと思ったけど」
不意に掛かった声にぎょっとして振り向けば、そこには苦笑を讃えたフラヴィアの姿が。
いつの間に、と観覧席を見上げればそこは既に空になっており。それにしたって早すぎる、と顔に出ていたのだろう。直接降りてきたんだよ、と何でもないことのようにフラヴィアが答えた。

「まずはよくやってくれた。怪我も無いようだし、重畳だ」
「……俺達は一歩間違えれば死ぬところだったがな」
「結果的に生きてるじゃないか。あんまり細かいことを気にしなさんな。女にモテないよ」
暗殺が細かいことかと突っ込みかけたが、クロムはその言葉を飲み込んだ。
が居ればそうするであろうと、簡単に予測がついたので。

「リズ達は?」
「追っ付けくるさ。と、その前に頼みたいことがあるんだよ、クロム王子」
「俺に?」
「あぁ。正確にはあんたとにね。降りて来てもらわなきゃ、話はできんか。――!!」
「……あんまり無理難題を仰らないで下さいね、フラヴィア様」
急に返ってきた応えに、フラヴィアがうぉっ!?と奇声を上げた。
見れば当のが器用にも肩を竦めている所で。


「お怪我はありませんか、クロムさん」
駆け寄ったクロムがむしろお前の方がどうなんだと眉を寄せ、にこりとのいつもの笑みが返ってくる。

「あたしだってこれ以上借は作りたく無いからね。そんな無理を言うつもりは無いさ」
「そうですか。ところで」
無理難題と言いつつも、自身は大して問題視していないようだった。あっさりと話題転換をした彼女に、フラヴィアがさも可笑しそうに笑う。

「こちらはどうします?」
尋ねるの足下にある、基居る縛り上げられたままの暗殺者。
未だ意識は戻っていないのか、ピクリとも動かない。

「あぁ。こっちで引き取るよ。生け捕りにしてくれたお陰で、色々聞けそうだ」
「そうですね」
特に感慨は無いのか、は蓑虫状の暗殺者をあっさり東フェリア兵に引き渡した。前に言っていた通り、これより先はフェリア国内の問題だ。交渉に於いて事を有利に運ぶための手札は揃えた。後はどれをどのタイミングで切るか――それは、の執政官としての腕の見せどころだろう。

さて、先程フラヴィアが宣言していた通り自分達は一先ずここでお役御免である。宴がどうと言っていたが、クロムやリズが出席すればこと足りるはずだ。それに加えて――クロム達はまだ気付いていないようだが、いつの間かマルスの姿が消えていた。とは言えまだそう遠くまでは行っていないだろうから、捕獲は可能な筈。フラヴィアの頼みとやらをさっさと聞き、後を追わねば――

?」
「あ。は、はい。何でしょう、クロムさん」
こっそり風の精霊の視界に委ねていた意識がクロムの声に呼び戻された。
何かあったのかと尋ねる声に、何でも無いと首を横に振り目の前の会話に注意を戻す。

「すいません、少々意識を散じてしまっていたようで……それで、何でしょう?」
「大丈夫かい?それで、さっき言った頼みなんだけどね」
「はぁ」
「調印の立ち会いをして欲しいんだよ」
立ち会い?と眉を寄せるに、そんな難しいモンじゃないとフラヴィアが苦笑する。

「本来ならもう少し経ってから、実権委譲の調印をするんだが戦が目前に迫っている居間そう悠長なことも言ってられないだろう?さっさと式だけ済まして、実務レベルの話にこぎつけようと思ってね」
「それは同盟のことか?」
「もちろん、それを含めたあれこれさ。コトを動かすにゃあ面倒な手順を色々と踏まなきゃいけないからね」
なるほど、と頷くクロムの隣では難しい表情を崩さない。何故ならば。

「……話の内容は分かりましたが、クロムさんはともかく何故私が?」
この一言に尽きる。その場で同盟の締結をするならいざ知らず、単なる権限委譲の場に一軍の単なる軍師が同席する必要があるとは思えない。それこそ見栄えを気にするなら、クロムとリズそれに加えてフレデリクでも居れば十分だ。

「俺はともかくってお前な、……お前だって、立派なイーリスの文官なんだぞ。しかも姉さん直々の」
「まぁ確かにそうですが。ただ、その権限はクロムさんがトンチキなことを言い出した時の為の保険ですから。そんな大した権限はありませんよ?」
「権限なんて関係無いよ」
色々心当たりねあるクロムが胸を押さえて、ぐ、と呻けば、苦笑したフラヴィアが彼女考えそのものを否定して。

「他ならぬあんたに立ち会って貰いたいのさ。王としてでは無い、あたし自身がね。久々の勝利、これ以上無いって晴れ舞台だ。さいっこうのダチに立ち会って貰いたいってのは我が儘かね?」
「……もの凄い口説き文句……」
誉められて悪い気はしないが、丸々乗せられるつもりは無い。さてどうするかと注意を少しばかり外へ向ければ、の――風の精霊の意識が調度闘技場の敷地外に出た華奢な後ろ姿を捉えた。

(間に合わない、か……)
僅かではあるが、肩を落とす。
だが不思議とあの時のように、形振り構わず後を追おうとは思わなかった。
理由は分からないし、追求を諦めたわけでも無い。だが何故か今は追わずとも良いと自分の中の何かが囁いているのだ。

(そう――今は)
それは確信めいた予感。
再び――もしかしたら、二度、三度と。
あの子とは出会うことになると、何の根拠も無くそう断言できるのだ。
だとしたら、今は黙って行かせてあげるべきなのだろう。こっそりと風の精霊に頼んであの子の荷物に傷薬も忍ばせておいた。
後は――その無事を祈ることしかできない。

「……分かりました。調印式でも何でもお付き合いしますよ」
色々な意味で溜息を吐けば、フラヴィアがにやりと意味ありげに笑う。

「そうかいそうかい。そうこなくっちゃねぇ?――エリダ!!」
「はい、フラヴィア様。御前に」
「準備は?あぁ、リサラはどうした?」
「湯殿にてお待ち申し上げております。後は様をお連れするだけですわ」
ちょっと待って下さい今何かとんでも無いこと仰いませんでしたかフラヴィア様と言うか寧ろいつの間にいらっしゃったんですかエリダさん!?
などと言う切なるの声は、声にすらさせてもらえず。
音も立てずに現れたエリダ以下フェリアの女官達数人が、逃げられぬよういつの間にかの両脇を固めていた。あ、なんかすっごく既視感(デジャブ)などと暢気に構えている場合では無い(現実逃避であることは否定しない。)そのままがっしりと両腕が捕まえられて、この後に起こるであろう惨劇がの胸中を横切る。

「あ――あの!フラヴィア様ぁぁぁああっ!?」
「じゃ、後は任せた。」
「はい。確かに」
既に出口に向かっている女官達の拘束を振りほどくことも叶わず、フェードアウトしていく
何やらどこかで見た光景だ、等と他人事のように胸中で呟きクロムは無言で彼女に無責任なエールを送った。生きろ、と。


「おい!フラヴィア!!」
ある意味の戦場へとを送り出した面々に、突然野太い男の声が掛けられた。正確に言えば一人、したり顔をしていたフラヴィアに。

「てめぇ、一人で勝手に行くんじゃねぇよ!しかもあんな高さから飛び下りやがって!」
「うるさいね、バジーリオ。済んだことをぐじぐじと。だからあんたはいつまで経っても嫁がこないんだよ」
「うっせぇ!お互い様だろうが!いつまでも嫁に行けてねぇのはてめぇも一緒だろうフラヴィア!」
「勘違いしなさんな。あたしは行けないんじゃなくて、行く気が無いんだよ。何しろ元来妥協できない性質でね」
「同じじゃねぇか」
「何言ってんだい。できないとしないじゃ、天と地程の差があらぁな」
ここにが居たら、ごもっともと同意しただろうが生憎彼女は目下拉致されている。

「あ〜、と。フラヴィア?こちらの方は?」
放っておけばいつまでも続きそうなやり取りに、クロムが漸く口を挟んだ。

「ん?あぁ、紹介してなかったか。こいつはバジーリオって言ってね。西フェリアの現王さ」
「西フェリアの……!?」
自警団の面々が驚くのも無理なかろう。長身のフラヴィアよりも更に頭一つ背の高い、褐色の肌をした禿頭の大男である。隻眼に厳つい顔付きも相まって、王と言われてどれ程の人数が頷くことやら。山賊の頭だと言われた方が、まだ素直に頷けそうだ。
だがその表情は決して野卑なものでは無く、油断のならない不敵さと言って過言で無いもので。

「よぅ。俺はバジーリオってもんだ。フェリアの西王をやってる」
呵呵と笑う姿にクロム達は目を丸くするしか無い。フラヴィアも大概規格外の王だと思っていたが、その彼女といい勝負の異色の王がもう一人居るなど誰が考えたであろう。

「イーリスのクロムだ」
「おぅ。しかしお前さん、いい剣を使うなぁ。うちの代表もいい線いってたんだが……」
差し出された手を取れば、同じように力強く握り返される。がっしりとしたクロムの二回りは大きく硬い掌に、彼自身の強さが推し量れる。

「いや、あいつも強か……そう言えばマルスはどうした?」
「姿が見えませんが……」
いつの間に、とクロムが呟けばフレデリク以下全員が首を横に振った。

「あいつには色々聞きたいことがあったんだが……」
「そもそも、彼はどう言った経緯でこの闘技会に?」
「それがなぁ……ふらっと現れたと思ったら、ウチの代表をあっさりのしちまってな。こいつは強ぇ、ってことでその場で口説き落としたんだが……」
つまり、詳しいことは何も知らないと言うわけか。困ったように頬を掻くバジーリオに、仕方ないかとクロムが息を吐いた。

「マルスもそうだけど、さんはどうしたの?お兄ちゃん」
バジーリオと共に降りて来たリズがそう問えば、他の事情を知らない仲間達も不思議そうな顔をした。

「あぁ。あいつなら今、支度をさせてるよ」
「支度?」
「調印式の立ち会い人になって貰おうと思ってね。今、エリダとリサラが腕によりをかけて磨き上げてるところさ」
「よりによって東フェリア最恐タッグかよ……生きてんのか?」
「大丈夫だろ……たぶん」
こっそり付け加えられた言葉は、恐らく気のせいだ。目下、その現実と真正面から向き合わされている人物からは猛烈な抗議をされそうだが、触らぬ藪にタタリやヘビは無いのである。

「そっか……」
「どうかなさいましたか、リズ様」
「ん……ちょっとね」
歯切れの悪いリズに何か思うことはあったのだろう、フラヴィアがその頭をぽんぽんと軽く叩き苦笑した。

「調印式の前にちょいと会うかい?そう時間は取れないと思うが」
「はい!」
輝くような笑顔を見せるリズにクロムと共に来るよう付け加えて、フラヴィアはふと背後を振り返った。

「エリダ。どうした?」
「お迎えに上がりました。フラヴィア様もお召し換えを」
「あ〜……分かったよ。そう怖い顔しなさんな。バジーリオ」
「あん?」
やはり物音一つさせず現れた女官の言葉に肩を落としながら彼女は後は任せる、と踵を返した。

「わーった。調印の間に連れてきゃいいのか?」
「いや、控えの間のがいい。頼んだよ」
ぷらぷらと軽く手を振り、女官を従えたままその場を後にする。相変わらず嵐のような女性だと、胸中でこっそり呟いたのはクロムだけの秘密だ。

「では、クロム様」
「?どうした、フレデリク」
何やらいい笑顔で自分を呼ぶ副官に、嫌な予感がひしひしと伝わってくる。

「クロム様もお召し換えを」
「……女性じゃあるまいし、俺は必要ないと思うぞ」
こんなところに来てまで、着せ替え人形にはなりたくない。

「いえ。イーリスの国威がかかっておりますれば」
「確かにそうだが……だ、第一だな正装なんぞ持ってきて……」
「私が準備して参りました。さんから渡された必要なもののリストの中に入っておりましたので」
「…………」
無い、と続けようとしたクロムをあっさり遮る。あんにゃろ、とここに居ない人物に向けて悪態を吐いた自分は悪く無い筈だ。

「ま……諦めろや、クロム」
ぽん、と大きな手がクロムの肩を叩く。
案内役と言う大役を仰せつかった彼は、その苦行を免除されているようだった。所詮男所帯、見た目に関して小煩く口を挟む輩が居ないだけというのが恐らく真実であろうが。

「どこか一室をお借りしてもよろしいでしょうか、バジーリオ様」
「おぅ、いいぜー誰か、この二人を控室に案内してやんな。後の面子は俺と一緒に来てくれや。調印式が終わり次第、新王の誕生を祝う為の宴を始めるがちょいと準備があるからな」
宴!と聞いた数名の顔が輝く。顔を輝かせた理由はそれぞれで異なるが。

「では、クロム王子。こちらへ……」
「あ。ちょっと待った。おーい!」
クロムとフレデリクを案内しようとした兵士の声を遮ったバジーリオが、クロム達の背後へと声を掛けた。一斉に振り返れば、そこには背の高い端正な顔立ちをした一人の青年がいつの間にか立っており。

「こいつを連れて行ってくれねえか」
年の頃ならクロムと同じか、少し上程度だろう。一目で使い込まれていると分かる長剣、動き易さを重視した服装や何よりその隙の無い身のこなしが彼が手練れであることを告げていた。

「ロンクーってんだ。愛想のねぇ奴だが、腕は一流だぜ。俺が保障する」
「…………」
バジーリオが我が事のように褒める間も、ロンクーと呼ばれた青年は一言も発せず正面に相対しているクロムを凝視していた。愛想の無い、と言う言葉を証明するような態度にしかしクロムは何の反発も起こさない。代わりに何故か顔を歪めたヴェイクが騒ぎ出す前にミリエルにどつき倒されていた。

「元々西フェリアの大将はこいつだったんだがな。俺の見立てじゃあのマルスと互角ってところなのに、何でか簡単にのされちまってなぁ……」
余計な事を言うな、とばかりに自国の王を眼光鋭く睨み付けるロンクーだったが、柳に風とばかりにバジーリオは全く意に介していない。

「貴方、すぐ負けちゃったの?すっごく強そうなのに」
マルスの腕を身を持って知っている一人であるリズが、驚きながらロンクーに歩み寄ろうとした。一歩、その距離が縮まった瞬間、彼の表情が動いた。

「!……女は、近付くな」
「えええっ!き、嫌われちゃったよ!?」
最早愛想の無いと言うレベルでは無いロンクーの態度に、取られたリズはともかくその周囲(兄とお守役)の空気が固まった。当のリズは驚きの感情の方が強いらしく、大きな瞳を何度も瞬かせている。


「はっはっはっ!まぁ、そうめくじら立てんでくれ。こいつは女が苦手でなぁ。まぁ、こう見えて将来は俺の後継者として考えている男だ。軍のないイーリスにとっちゃ、戦力はひとりでも多いほうがいいだろ?」
険悪になりかけた空気を素早く読んだバジーリオがクロムの肩をばんばんと叩き、言葉を続ける。流石は一国の王と言うべきか、見かけによらず大分政治的な手腕もあるのだ。

「それは……確かに、そうだが。いいのか?命の保証は……」
「構わん。百度の模擬戦より一度の実戦の方が、遥かに力が付く。いずれ西フェリアを背負って立つ身だ。経験は多いに越したことは無いし、成長を止められちゃ困るんでな」
僅かに硬くなったバジーリオの声に、もしがこの場に居ればもう少し掘り下たかもしれんなとクロムは胸中で呟く。だが生憎彼女は現在絶賛不在中、この申し出がどう転ぶかクロムもリズにも即断適わず、とりあえずこの件は彼女に報告する必要があるとだけ頭の隅に書き留め保留にする。

「……ロンクーと言ったな。あんたはそれでいいのか?」
立場上はフェリアからの客人と言う身分になるのかもしれないが、生憎と先ほども言いかけた通り命の保証ができるとは言いかねる状況だ。もし万が一西フェリアの後継と目されている男に何かあって、その責任を問われたのでは敵わない。

「ああ」
クロムの思惑を知ってか知らずか、何の躊躇いも無くロンクーは頷く。

「命令なら、従うまでだ」
そうとまで言われてしまえば、イーリス側として断る理由は何も無い。唯一懸念があると言えば、この場に居ない軍師の意見だが恐らく彼女もクロムが承諾したことならば首を横に振ることは無いだろう。

「そうか。なら、よろしく頼む」
差し出された右手を、今度は掴む。ロンクーとて愛想は無くとも、必要最低限の礼節は心得ている。
掴まれた手はバジーリオ程では無いが、硬く大きい。相当の手練れだと、クロムの経験がそう告げていた。

「さーて。じゃあ、案内するから付いて来てくれや」
場所を移すぞと手招きするバジーリオに顔を見合わせた自警団の面々が続き、無論ミリエルにどつかれ蹲っていたヴェイクもその襟首を掴まれ引き摺られて行く。

フラヴィアが宴の宣言をしたのと同時に闘技場から観衆は城下へと流れ出ており(城下でも新王の誕生を祝う祭りが始まるのは、から聞いていた)、先ほどの熱気溢れた状況から一転寒々しいほどの寂寥感に支配されている。

「兵どもが夢の跡、か……」
「クロム様?」
振り返ってポツリと呟いたクロムが、フレデリクに呼ばれ我に返る。


何でも無い、と皆の後を追ったクロムの背後で一陣の砂塵が舞ったのであった。

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