神剣闘技 U] W
「……おい、フレデリク。」
「は。如何しましたか、クロム様……あ、少々動かないで下さい。」
動くな、と言われれば動きを止めるしかない。喉まで出かかっていた溜息を、クロムは無理やり飲み込んだ。
「だからな、フレデリク。」
「はい。何でございましょうか、クロム様。」
「……何もここまで本格的に正装する必要は無いんじゃないか?」
いつまでたっても終わりの見えないやり取りを、鉈でぶった切ったのは呆れを隠さないクロムの苦情だった。
「はぁ。ですが、さん曰く国の威信のかかった外交故それなりの恰好をクロム様にしていただく必要があると……」
「いや、だからって第一正装持ってくる必要は無いと思うぞ……」
余計な事を、とは思わなくもない。王族ともなれば、その正装にもいくつか種類があり格式などによりその衣装を使い分ける。元凶であるがそのこを知っていたかどうかは別として(可能性は恐ろしく高いが)、格式が高ければ高いだけ布の量は増え動きにくく華美になり……ともかく、動き辛いことこの上ない恰好になるのだ。
男性であり神剣の継承者、そして剣士でもある以上ある一定まで妥協を含んだ作りになっているが(後宮の女官達と相当やりあった過去がある)普段の恰好からすれば考えられない程の重装備になるのだ。
「何を仰います。国同士の同盟を結ぶための、大舞台。クロム様が国外で為される公務に、公人として出席される初の機会です。それ相応の装いと言うものが必要でしょう。」
「――と、が言っていたんだな?」
「はい。流石はさんです!このような事態が起きる可能性も考え、私に正装の準備をご依頼されまして……」
単純に感動しているらしいフレデリクには悪いが、言い包める相手を彼にしたことに彼女のそこはかとない報復感を感じて止まないクロムである。リズか女官長あたりに適当な衣装を手配するよう言えばいいものを、わざわざフレデリクに頼むあたりが特に。
唯一の救いと言うか、死なば諸共とも言うべきか。クロムに地味な報復をやってのけた当のは、唯一の誤算とも言うべき彼女自身が飾り立てられると言う苦行の真っ最中の筈だ。現在のクロムと同じように。
それは確かにクロム自身の多少の溜飲を下げるものであり、また同時に密かな楽しみでもあるのだが――
「時にクロム様。」
「何だ、改まって。」
「……いえ。他に耳目の無い此処でお伺いさせていただくのが良いかと思いまして。」
「ロンクーのことか。」
「はい。」
フレデリクの懸念はよく分かる。西フェリアの現王であるバジーリオが、自身の後継者候補と明言した青年が一兵卒であるはずが無く。それによって自警団内――ひいては、イーリスでの彼の扱い方も変わってこよう。
「お前の言いたいことは分かっているつもりだし、懸念も分かる。――だが、現状でフェリアの申し出を断る理由は無い。それに、単純と思われるかもしれないんだが。バジーリオ自身、勿論多少の打算が無いとは思っていないが――あいつをうちに預けた概ねの理由は自己申告の通りだと思うぞ。」
「……いえ。クロム様がそこまでお考えになっているのでしたら、これ以上私から申し上げることは。ただ。」
「分かっている。には全部話すさ。その上で――ロンクーのことも、決めればいい。だろ?」
「はい。差し出口、申し訳ありません。」
「いや。お前の懸念は最もだし、俺も――今までの俺なら、特に考えも巡らせずただ首を振っていただろうしな。
それではもう、駄目なのは。流石の俺でも分かるし――何より。あいつが――が。そんな男の手を取るはずが無いとも、思うから、な。」
此処では無いどこかを見据える自らの主であり教え子でもあるクロムの表情を見、フレデリクは複雑な思いに陥る。
いつまでも子供だと思っていた彼は、いつの間にそんな表情をするようになったのだとその成長が頼もしくもあり少しばかり寂しくも、あった。
その切欠がたった一人の女性だと言うのだから、擽ったいやら羨ましいやら。――やはり、複雑なのだろう。
「フレデリク?」
「は?あ……申し訳ありません、如何なさいましたか?」
「いや。別に何もなければいいんだが……もう、いいんじゃないか?」
「少々お待ち下さい……ああ。よろしゅうございますね。よくお似合いでございますよ、クロム様。」
「……そーゆーのは伴侶と決めた女性にでも言ってやれ。」
自分に輪を掛けての朴念仁だと定評のある守役だ。言うだけ無駄やもしれんが、思い立った時に言っておかないと生涯独身などと言う彼の父の恨みを買うような事態に陥りかねない。早くに父を亡くしたクロムにとってフレデリクはまさしく兄のような存在であり、その父ともなればろくに記憶も無い実父よりよほど父らしい人物でもある。
多少口うるさいのはフレデリクによく似ているが(フレデリクが似ていると言った方が正しいのだが)、実は孫を自分の手で抱くことを密かな楽しみにしている貴族にしては珍しく子煩悩な男であることも知っているのでできる限りのことはしたいと思うのが当然ではないか。
「……やっぱり、堅っ苦しいな。」
早速襟元を緩めようとするクロムを慌てて制し、頭のてっぺんから足の爪先までをつぶさに見たフレデリクが再度よしと頷いた。
クロムが纏うのは彼の貴色たる濃青を基調とした礼服で、形としては普段身に纏うものに良く似ている。だが戦場に赴く訳ではないので、両腕は布地で覆われているし襟元もきっちり詰められている。白銀で作られた
「よろしゅうございます、クロム様。」
「ああ。ありがとう、フレデリク。それじゃあ、行くか。」
は、と頷くフレデリクを従えて扉を開く。その前には出待ちよろしく、バジーリオや自警団の面々が彼らを待っていた。
「おぉ。どこの色男かと思ったぜ〜」
にやにやしながらバジーリオが真っ先に声をかけ、クロムの正装姿を見たことをある者もない者もその姿を誉めやかす。
「第一正装持ってきたんだ、お兄ちゃん。」
「俺じゃない。とフレデリクが共謀してくれた。」
、フレデリク、グッジョブ!
胸中で皆済を叫んだのは、主に女性陣である。彼を異性として見ることは滅多に無い彼女達だが、誰だって陶酔するなら見目良い上司の方がいいだろう。
「まぁまぁじゃね?俺様ほどじゃねーけど。」
「……うーん。ヴェイク。そろそろ空気読むスキル、身に付けた方がいいかも。」
「ふむ。普段は忘れがちだが、やはり王族だね。」
「僕も服、替えてみようかな……」
概ね同性にも好評、ただしミリエルとソワレにヴェイクが沈められたのは誰も見ないふりをする。
「?スミア?大丈夫?」
「…………」
ふと、リズがそう声を掛ければ返事をすることも忘れてスミアが真っ赤になったまま惚けていた。
「お〜い、スミアー?」
「あ。駄目だ。完全に意識が飛んでる。」
ソールやソワレが彼女の目の前で手を振ったりしてみたが、相変わらずスミアは無反応だ。ならばとリズが元凶である兄を目の前に引っ張り出せば、そこで漸く彼女の止まっていた時が動き始めて。
「クククロム様!?」
「うぉっ!?な、何だスミア?」
「あの、いえ、その……っ!とととってもっ……おに、お似合い、です……」
「そ、そうか。ありがとう。」
ただ礼を述べただけのクロムに何を思ったのか、スミアが更に顔を真っ赤にして小さくなった。バジーリオを筆頭に男性陣が可憐な少女の初々しさに顔をニヤニヤさせていれば、女性陣から気持ち悪いとの辛辣かつ的確な感想が。
「おやおや。化けたねぇ。」
同じように着替えの為に席を外していた女傑の声が。その方向を見やれば、予想通りと言うべきか男装の麗人と化したフラヴィアがエリダを従えて立っている。
「フラヴィア。」
「よぅ、相変わらずその格好かよ。」
「うるさいね、バジーリオ。あんな着てるんだか着てないんだか分からない薄物、頼り無くって着てられるかっての。剣も携帯できないなんて、万一何かあった時どうするのさ。」
「まぁ、フラヴィア様。そんなことを仰って……また母に泣かれましてよ?それに万一の時は、バジーリオ様を盾になさればよろしいではありませんか。バジーリオ様に限らず殿方は、そうして女性を守るものでしてよ?」
「……エリダ、俺ぁ今、お前の旦那に心底同情したぞ……」
ほほほと笑う姿に彼女の本気を見、全員が全員一斉に引いた。
「ま、まぁ。盾の件は置いといて……フラヴィア様、さんは……」
「今はつい先程まで聞こえていた悲鳴と呻き声が止んでおりますから、後少々だと思われます。リズ王女殿下。」
「そ、そうですか……」
にこやかな笑顔と共に告げられた殺伐とした状況に、フラヴィアとバジーリオが揃って十字を切った。
何故着替え程度で悲鳴や呻き声が上がるのか、人生経験の少ない若い世代は揃って首を傾げる。
ただ人生、知らない方が幸せなことも多い。思いっきり心当たりのある面々は、賢明にもそれ以上の言及を避けた。が知れば、裏切り者ーっ!と絶叫したことは間違い無いであろうが。
「さて、じゃあ。主賓を迎えに行くか。リズ王女、一緒に来るかい?」
「あ、は、はい!」
呼ばれたリズがフラヴィアに駆け寄り、彼女の護衛にとフレデリクがその背後に添う。無論、クロムも彼女と合流する為に足を進めた。
「エリダ、他の連中を先に宴会場に連れて行っておいとくれ。調印だけ済ませて追っ付け、そちらに行く。」
「承りました。」
「後を頼むぞ。」
フレデリクの言葉にソールとソワレが頷く。宴席とは言え、気を抜かないのに越したことは無い。
「え……クロム様、行かれてしまうんですか……?」
相変わらずクロムの姿に見惚れていたスミアが漸く現実に戻れば、フラヴィアが苦笑する。
「何も取って食うつもりはないよ。調印が終わりゃ、クロム王子にも宴には出席してもらうさ。」
「スミア。」
フレデリクの短い叱責に、スミアが押し黙る。ここから先は、個人的な感情を見せていい場面では無い。個人的と言えばリズとてそうだろうが、彼女についてはフラヴィアが最初から許可を出している。
立場故に贔屓されていると言う負い目はあるのだろう、リズが小さくごめんねと呟き頷いた。
「調印が済んじまえば、委細は後から決めるにしても同盟と派兵についての大まかな条約は交わせると思うよ。」
「本当か!それは助か……!?」
「フラヴィア様、両国の進退に関わることです。落ち着いた席で話し合われるのが、お互いの為だと思うのですが。」
喜色の声を上げかけたクロムに肘鉄を送ったリズが、フラヴィアに笑顔を向ける。思わぬ横槍にフラヴィアは一瞬呆気に取られ、それから吹き出した。
「くっ……くくっ!い、いや。確かに王女殿下の仰る通りだ。迂闊なやりとりは互いの為にならないからねぇ。」
身体を折って唸っているクロムには悪いが、中々どうして。の教育の徹底ぶりには目を見張るものがある。
今のリズの姿にここには居ない件の人物の姿が重なって見えたのは、フラヴィアだけではあるまい。
だが、例え軽い前哨線であっても機先を制されたままなのは自分の矜持に反する。それがまだまだ未熟な相手であったとしても、だ。
「若い者の成長は早くて驚かされるねぇ。この分なら、あいつも安心して嫁に行けるってモンだ。」
「そうですね。早くイーリス内で身を固めるよう、私からも勧めてみます。」
全く笑っていない微笑みを交わし合う女性二人に、男性陣がこぞって引いたのは言うまでもない事実であった。