神剣闘技 U] Y


宴もたけなわ、と言う言葉があるが。

フェリアにはその言葉は存在しないのでは、と最近は思い始めている。
いや、眼前に広がる光景を見れば彼女で無くとも思ったことだろう。
無礼講にも程がある、と言うべきか。身分などあってなきように、国家主君臣下入り乱れての大宴会と化している。
やれやれ、と溜息を吐いたの傍らで、す、と気配が動く。見れば苦笑を隠さないクロムが、カクテルグラスを差し出しているところだった。

「大丈夫か?」
「平気ですよ。お酒を飲んでるわけでもありませんし。」
ありがとうございます、と受け取ったこれも果汁か何かだろう。
この宴会開始直後から、何故かに渡されるのは果汁類のみ。それもクロムからだけだ。酒類が渡されようものなら、クロムに奪われるかはたまた傍らにたまたま居た誰かに押し付ける形で消えてしまっている。まぁそこまで飲みたい気分でも無いので、特に何も言わなかったが。

「それより、どうかされたんですかクロムさん?さっきからここにずっといらっしゃいますけど。」
「何か問題でもあるか?」
「いえ。そういう訳では……でも、折角の宴席なんです。どなたか……そうですね、例えば別の女性とお話しされてみてはいかがかと思いまして。」
「……いや、いい。特に話すことも無いしな。」
はぁ、と気の抜けた返事をするに、傍を離れられるかとクロムが胸中で悪態を零す。調印式を終えたまでは良い。フラヴィアとバジーリオに先導される形で皆の待つこの広間に彼女と二人足を踏み入れた途端、巻き起こったざわめきを忘れたわけでは無いだろうに。
ましてやその大半の視線が自分に集中していたことにが気付かぬはずが無い。(クロムの言う通り、気付いてはいたが別に大したことでは無いと思っているからスルーしただけだ)

先の武闘大会でその実力とカリスマ性を見せつけた女軍師、その彼女が装いも新たに王族もかくやと言った美しい出で立ちで現れたのだ。国内外問わず独身の男達が色めき立たない方がおかしい。実際クロムが傍らに居るにも関わらず、フェリアの男達が入れ替わり立ち替わりに近づこうとしその度に鋭い視線に射抜かれてすごすごと退散していた。
これでクロムが傍を離れてみろ、途端に砂糖に群がる蟻の如く独身男が大挙して押し寄せるに違いないのだ。

(誰がそんなことを許すか。)
自覚した途端にと言われようが、自覚したからこそかっ浚われるような真似を容認出来るわけがない。

今ここに、こうしてが自分の傍らに在るように。
クロムにとって、それが当たり前で自然なことなのだ。――何故それをみず知らずの、昨日今日彼女を知ったような輩に渡さねばならない。最も逆の立場である彼らから言わせれば、彼女という女性を知りながら今日の今日まで何の行動も起こさなかった男に言われたく無いと返ってきそうなものだったが。だがそこはそれ、都合よく綺麗にスルーである。
自分の意思を自覚した以上、クロムは自分以外の男に彼女を渡すつもりは無いし――何より。当のの様子が少し、ほんの少し。傍らにいるクロムにしか分からない程度に、様子がおかしいのだ。
まるで心ここに在らずのような。
そう、あの森の中での時のように、身体はここに在るのに心だけを風の精霊に委ねてしまったかのような――

「クロムさん?」
「ん?あ、あぁ。どうした、。」
くいくいと服の端を引かれて気付いたクロムが傍らを振り返れば、ヴェイクさんが呼んでますよと促された。確かに部屋の中央でフェリアの両王を交えた呑み比べに興じていた自警団ベスト3に入る酒豪が手招きしている。ちなみに上機嫌なヴェイクとその横に撃沈したソール、顔色一つ変えずグラスを傾けているミリエルの姿が確認できる。
相変わらずの光景に苦笑を零しの腰に腕を回して捕らえると、驚く気配に動じもせずに彼女を伴って足を進める。たちまち周囲から冷やかす声が飛ぶが、顔を赤くしたと違いクロムはふふんと余裕を見せつけるだけだった。

「おー!ウチの軍師も一緒かー!」
「おい、ヴェイク。どれだけ飲んだんだ。凄い酒の匂いだぞ。」
「あー?知るかよ、ンなモン。とにかくお前も飲め!クロム、!」
「フラヴィア様、バジーリオ様……お二人も少々御酒がお過ぎになるのでは?」
「なぁに言ってんだい、あんたともあろう女が!」
「おぉ!?なんでぇ、。お前さんも行けるクチか?」
兄姉弟だ。似た者兄姉弟がここにいる。したたかに酔った三者がほぼ素面のクロムとに絡みだし、絡まれた当人達は顔を見合わせて示したようなタイミングで溜息を吐いた。

「……呑むんじゃないぞ、。」
「クロムさん?」
先日の恥態(ただし、当人に記憶は無い)がクロムの脳裏に鮮やかに甦り、グラスを押し付けようとするバジーリオから奪いヴェイクの口に押し流す。本人にそうと言えれば楽なのだが、それはつまり自分の首を締めることと同意義だ。
とにかく呑むな、の一点張り。そこまで言われると逆に気になるのが人間だ。特に理性の制限の無い酔っ払い相手だと。

「なになに〜?お兄ひゃん、なにやったの〜?」
「俺じゃない、が……っておい、リズ!」
「なぁに〜?」
「何じゃない!馬鹿かお前!弱いくせに呑むなと何度言われりゃ分かる!?」
今度クロムに絡みだしたのは、彼の実妹たるリズだ。普段は滅多に飲まないものの、一度飲むと小トラと化す。その為の守役であり、目附でもあるフレデリクなのだが――

「……手に余ってるようですね。」
「ったく、馬鹿妹が……!!」
辺りを上機嫌で走り回るリズに、完璧に振り回されている。彼女の場合、その記憶はほぼ完全に飛んでいるため自制を促すにも一苦労。ましてや今日は祝勝会で、ずっと塞ぎ混んでいたことか解決した解放感も手伝っているのだろう。

「リズさん。」
仕方ない、とが彼女を呼び呼ばれたリズは満面の笑みを浮かべて駆け寄ってくる。

「なにー?さん!」
「夜もふけてきましたし、そろそろ部屋に戻りませんか?明日から、出兵の具体案の協議に入ります。早めに休むにこしたことはありませんから。」
「ん〜?えー?だってまだ、しゃん全然飲んでない〜?」
「はいはい。十分頂いてますよ。」
「そなの〜?さんきれー!」
あ、だめだこりゃとクロムと視線を交わし、互いに頷き合う。褒めてくれたリズには悪いが、イーリス王女の風評が落ちる前に落とさせてもらおう。
抱き付いてきた華奢な身体は、酒精のせいでかなり体温が高い。遠からず落ちるだろうが、正直それを待っている時間が惜しかった。

「リズさん?」
「なぁにぃ〜?」
とろん、とした目付きのリズの前に掌を差し出し瞬間的に炎を生み出す。一瞬驚いたその隙をつき、適度に火力を調節し明滅させた。

「…………」
程無くしてリズの瞼が完全に落ち、身体が大きく傾ぐ。無論がしっかり抱き止めたので、床に倒れこむことは無い。聞こえてきた穏やかな寝息にもクロムも苦笑を禁じ得なかったのだが。

「お見事。」
「恐れ入ります。」
クロムの賛辞に軽く首肯し、軽い身体を抱え上げる。フレデリクに私が、と申し出られるがは首を横に振り視線を彼の背後へ流す。

「ボクが行くよ、同室だしね。」
「ありがとうございます、ソワレさん。」
リズを抱えたままのに、ソワレが申し出る。出城だけあってやはり部屋数は少なく、部屋割りは長城の時と同じである。流石にあの時のように天幕とはいかず、も一人部屋を割り当てられていたが。
良い具合に空気が途切れた。カラムが撃沈しているソールの首根っこを掴み部屋に連れ戻そうとしているし、お開きにするには良い頃合いだろう。
は無論、そう思っていたのだが。

「それじゃあ飲み直すよ野郎共ーっ!!」
突撃ー!とばかりにかけられたフラヴィアの号令とそれに応える野太い声には、溜息を吐くことしかできなかったのである。



完全に寝入ってしまったリズを運び、ソワレと二人がかりで着替えさせたが一人割り当てられていた部屋へと戻る途中。

(……にしても、まだ続いてるのか……)
壁一面を覆う玻漓――と言うよりは玻漓製の壁の一角――に気付き、彼女は思わず足を止めた。
全てを覆い隠す暗闇と、その闇を跳ね退けるかのように掲げられた松明や光。深夜も近いと言うのに、ここから見える街はまだまだ宵の口とばかりに活気に溢れているようだ。聞いた話によれば、ほぼ夜通しこのお祭り騒ぎは続くとのことなのだから恐れ入る。
最も、それは城下に限ったことでは無いのだが。
風の精霊に助力を請うまでも無い。階下からはまだ音楽と人の笑い声、暖かな光が漏れているのが見える。
フラヴィアが仕切り直しと叫んでいた通り、未だ酒宴は続いているのだろう。

(やれやれ……)
玻漓越しに苦笑を漏らしていれば、ふとあの場に残してきた人物の姿が頭を過った。腹心が傍らに控えているだろうから、心配をしているわけでは無いのだが。

(こうして……居られるのも。もう、後、少しか……)
感傷的になっているのはそのせいか、と玻漓に写る自らの顔を見て溜息を吐く。常に公平冷静を求められる軍師の顔では無い。叶わぬ想いに身を灼いた――ただの女がそこに居た。

(調整を終えたら……なるべく早くイーリスを出よう。ここは……クロムさんの隣は、居心地が良過ぎる。)
それでは駄目なのだ、と身の内から沸き上がる声。そして後もう少しだけ、とギリギリまでそれを拒もうとする声。
理性と感情――相反する二つの思惑に胸が押し潰されるように苦しい。いつの間にか凭れ掛かっていた玻漓に額を押し付け、付いた手と結んだ唇をキュッと噛み締めた。
と。次の瞬間、の表情がただの女のものから軍師のそれへと変化した。風の精霊の声が聞こえた訳では無い。例えあったとしても、この距離で気付かぬ筈も分からぬ筈も無く。

「――私に何かご用ですか。」
つい常らしからぬ堅い声になってしまったのは、相手の胸中が容易に想像できてしまったからなのかも、しれない。

 NEXT TOP BACK