神剣闘技 U] [

 
「わ、私だって……!クロム様が好きだって気持ちは、誰にも負けません!さんは、美人だし強いし頭だって良くて……!他の男の人だって、さんのことお好きな方はいらっしゃるのに……!何で、何でクロム様なんですか!?」
「…………」
何だその支離滅裂な理由は、と胸中で呟く。スミアが自身に酷く劣等感を持っているのは知っていたが、それを他者の恋愛に絡める理由が見当たらない。
にとって大事なことは、クロムが自身の思い人であると言うことだけ。本来ならこんな感情を抱く前に――自覚する前に。
もっと別の、遠い空の下にいるはずだったのだ。それを一体どこで間違えた等と後悔してももう遅い。

自分達は出会ってしまった。それが、互いの不幸を招くなど全く知りもしないで。


「……先程も言いましたが、思いを告げる相手を間違えていらっしゃいます。貴女がどれだけクロムさんを思っているか、それを告げるのは私では無く彼にでしょう。誰に何と言われようが、私は貴女の恋を取り持つつもりはありませんので。」
「……それは、そうですけど……」
逆の立場からすればスミアとてそう言うだろうから、納得しないわけでもない。それでも、全てに恵まれた彼女なら他人の恋路を応援するだけのことくらい何てことは無いだろうとも思ってしまう。

「……それに、私からすれば。貴女の方が遥かに羨ましい。ただ好きだと言う感情だけで、思いを告げることの許されている貴女の方が。」
思ってもみなかったことを言われ、スミアは対峙していり女性をまじまじと凝視してしまった。彼女は――は。何故と思う程に静かで穏やかな――凪いだ風のような表情で立っている。

「……そうでしょう?貴女は生粋のイーリス人。確かに市井の出ではあるでしょうけれど、私のように何処の誰とも知れぬと言うわけでもない。どんな結果になるかは知りませんが、思いを告げるだけならできるでしょうに。」
「か……簡単に言わないで下さい!そんな、簡単に言えるわけ無いじゃないですか!そんな、そんな簡単に言えたら……!」
「何故?告げることができないのは、ただ貴女が結果を知ることを怖れているからでしょう?そんなもの――己の覚悟一つでどうともなるでしょうに。」
らしきもなく声を荒げたスミアに、はどこまでも冷静に告げる。スミアに告げたことは無論、にも当て嵌まる。だが、そうと知りながら。彼女はそれを他ならぬ自身の意志で許さない。

何故ならあの日――出逢ったあの日に見た夢を。夢と呼ぶには、あまりにも現実感のある夢を。
この身は一瞬たりとも忘れたことが無いからだ。思いを自覚する以前も――自覚したのなら、尚の事。
あんなことが現実に起こるようなことは、絶対に許さない。例えクロムに二度と会えずとも、あの光景が現実になるくらいなら自ら命を断った方が遥かにましだ。

「でも、私には。いいえ、私自身が。そんなことは絶対に許しません。万分の一でも、クロムさんに危害が及ぶ可能性があるのなら。それこそ記憶が戻り、自分が何者なのか――少なくともそれが知れるまで。私は――他ならぬ私自身が。それを、私に許すつもりはありません。」
絶対の意志を以てそう宣言するに、気圧されたようにスミアが一歩後退する。

「とは言え。私は遠からずイーリスを出ますから。――私からクロムさんに思いを告げることなど、ありませんが。」
「え?」
だから告白なり玉砕なり好きにしろ、と言ったつもりだったのだが当のスミアはイーリスを出る、の言葉に動揺を見せた。怪訝そうに眉を潜めるに、慌てた様子でスミアが続ける。彼女の言うことが本当なら、イーリスはとても優秀な軍師を失うことになる。如何に頭の良くない自分でも、それがどんな損失か想像はついた。

「ど、どうして……?」
「どうして、と言われましても。私は元々イーリスの人間ではありませんし、記憶の手懸かりを探しに行くつもりでもありましたから。」
「そんな……!これから戦争が始まるって、他ならぬさんが仰られたじゃないですか!それ、それなのに、さんはそんなクロム様を見捨てて行かれるんですか!?」
憤慨しながら言えば、は解せぬとでも言わんばかりに眉を潜めた。

「変なことを仰いますね。私がいない方が貴女にとっては都合が良いのでは?」
「そ、それは……それは、そうですけど!でも!」
ここで否定しないあたりが、恋する乙女の残酷さでありしたたかさであろう。僅かに口の端を歪めたはそれにと続けてその先の言葉を奪う。

「このままイーリスに残りクロムさんの隣に自分で無い他の誰かが立つのを。自分では無い誰かと幸せになるのを見ながら、彼の為に戦えとそう仰るのですか?」
「……それがっ!クロム様が本当に好きなら、当たり前じゃないですか!!」
身勝手だと顔に書きながら声を荒げるスミアに、身勝手はどっちだとは胸中で呟く。彼女の中では自分がクロムの隣にいることを願って、疑って止まないからこそ言えるのだろうけれど。
――疑うことを知らない、自分の望みしか想像しない。何と愚かで羨ましい生き方か。

「随分残酷な事を仰るんですね、スミアさん。同時にそれが可能(でき)る貴女が羨ましく……尊敬しますよ。私は……自分でない誰かを隣に置いて笑うあの人を平静に見ていられる程――強くは、ありませんから。」
独りぼっちで空っぽだった自分に、居場所とかけがえの無い絆をくれたひと。心から感謝している、その幸せを誰よりも強く願う男性(ヒト)
だから、傍を離れるのだ。自分でない誰かの隣で微笑む姿を、その相手を憎みたくないから。まだその幸せを願えるうちに。
自身の幸せよりも、この世でたった一人誰よりも強く幸せを願えたその幸福な傷みのみを抱えて。


「私は、貴女や皆が思っているほど強くはありません。だから愛すのなら、愛してくれる人がいい。想うのなら、想いを返してくれる人がいい。不毛でしかない――無償の愛なんて、そんな空しい虚飾(もの)に陶酔するほど私は夢想家(ロマンチスト)ではありませんしね。」
「そ……そんなのっ!!そんなの、本当の恋じゃ無いです!相手に想ってもらうことを望んで、求めるなんて!そんなのっ、そんなの!!本当に相手が好きだなんて、どうして言えるんですか!?」
片思いでもいいと淡い想いを抱き続けて、今日まで厳しい訓練や過酷な環境に耐えてきた一切の努力を――否定されたような気がして。気が付いたら、スミアは大声で叫んでいた。

肩で息をするスミアの様子に、だがは特に一瞥を返すことも無く無表情かつ淡々と続ける。

「……幸せに色々な形があるように。想いの形も様々です。貴女と私の考えが違うのも、また必然。算術じゃないんです、どちらが絶対的に正しくどちらかが絶対的に間違いだと言う事はありえません。」

それでも。

「今はただ。あの人の幸せを――その幸せだけを。私は――願って、あの人の元を去ります。」


いつか――いつかは。
未だ知らぬ空の下、ただ一人空にこの記憶を還しに行くその時までに。
抱えたこの傷みは思い出に変わってくれているだろうか。



「そんな、の……勝手、です!だって、戦争に負けてしまったら……!戦いの最中に、お怪我でもされたら!」
「そうならないようにするのが、本職の軍師であり――隣にいる誰かの役目でしょう。スミアさん、前者はともかく貴女は後者の地位を望んでいるからこそ、私にこうして釘を刺しに来たのではないのですか?」
「それは……」
言い淀むスミアとて、自分の実力がクロムの隣に居ることを許されるようなレベルでないことは重々承知している。彼の助けになるどころか、今の自分では足を引っ張るのが関の山だということも。
だからこそ、それこそ恥を偲んで。には今後もイーリスに留まって――クロムの力になって欲しいと思っているのに。

「……勝手と言われようが、今更私は考えを変えるつもりはありません。いいえ、変えられない。それともう一つ。これだけは言っておきます。例えどこに居ようと、この身がどうなろうとも。私は――私の、魂は。」

否――それしか、できないから。

「あの人の人生に幸多からんことを――願って、います。」


「……お話はそれだけですか?」
売られた喧嘩は相手が誰であれ何であれ、即日高価買取返品不可(けんかじょうとうささもってこい)が身上のである。

言葉を失ったスミアを一瞥し、しばし反応を待った。

彼女には悪いが、恋に恋するお子様の――自分の理想のみを投影した虚像への恋着など、はっきり言ってものの敵では無い。自分にとって都合の良い部分しか見ていない――見ようとしていない一過性の熱病的な想いなど、児戯と呼ぶのも烏滸がましい。

共に願い、共に歩き、共に迷う。
それができるような、したいと思えるような。

にとってクロムは、そんな唯一無二の存在。
そんな相手に出逢えるのは、後にも先にもこれっきりだろう。

だから――きっと。この思いは、最早恋と呼ぶには生臭過ぎるのだ。


軽く息を吐き、真っ直ぐ正面を見据える。視線の圧力に気付いたのか、それまで俯き加減だったスミアが顔を上げ怯えた
ような表情を作った。
だがは全く頓着せず、急ぐでも無く前に向かって歩き出す。
真正面にいるせいでどうしたって彼女の傍らを通り過ぎねばならず、その際一際大きな震えと共に彼女の纏う香水の香りが微かにを刺激した。
だがしかし、不思議といつかのような感情は沸き上がっては来くることは無く。

結局一度も振り返ることの無いまま、はその場を後にしたのだった。

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