遭遇戦 U
「……フラヴィア。」
「なんだい、バジーリオ。」
たった一言でクロムの威勢を殺したを見ていたフェリアの西王は、上司にあたる女傑に向き直った。
「……確か、イーリスとの間には親征の前例があったよな。先々代くらいに。」
「……あったね。確か。」
「情けねぇ話だが、フェリアには小回りの利く部隊が少ねぇ。どうだクロム王子、ここは一つ親征っつー形で村の救出に当たっちゃくれねぇか?」
「バジーリオ様っ!?」
折角クロムを説き伏せたと言うのに、と視線に非難を混ぜれば珍しく渋面を作ったバジーリオが真正面からそれを受け止めた。
「お前の言い分も分かるがな。男にゃ理屈じゃあ通らねぇ道理があるんだ。それが分からねぇお前だとは言わせねぇぜ。」
「そんなものが政治に通用しますか!村の救出は少数で当たる分、危険も増すんですよ!?」
何かあったらどうするつもりだ、と言外に告げれば後頭部を掻きながら、だからとバジーリオは続けた。
「フラヴィアが言った師団とは別に、俺直属の親衛隊を追加戦力で投入すりゃいい。実力は戦ったお前達が一番知ってるだろ?村の救出に向かうクロム達に間違っても援軍がこねぇよう、挟撃すりゃあいい。」
「初期配置戦力が予想よりも増えたら……!」
「それこそ、そいつらを援軍として送りゃあいい。日頃からみっちり鍛えてあるからな、臨機応変な対応はお手のものだ。」
そしてその状況把握、判断はお前自身がすればいい、とバジーリオの顔に書いてある。確かにその能力を買われた又は確かめる為にが派兵されることになったのだが。
「男って……!」
どうしてこう、下らないことに拘って結託するのだと凶暴に唸る。合理的にことを進めることだけが大切だとは言わない。だが、掛かっているものの大きさによってより確実な堅実な手法を取るのは当たり前だろう。
自分の愛する者の命が掛かっているのなら、尚のこと――
「。お前が行くと言うなら例え折衷案が無くとも、俺は行くぞ。」
「クロムさん、貴方まで……」
フェリア城で大人しくしている、と言う選択肢など自分の中には無いと主張して憚らないクロムの表情には溜息を吐くしか無い。
最後の頼みとばかりに彼の腹心を見やるが、首を横に振られただけで終わってしまった。
「――出撃準備を。距離がある分、迅速に動く必要があります。」
自身も力無く首を振り、これ以上の問答を打ち切る。言わばこれはフェリアへの仕官試験も兼ねているのだ(今のところその気は無いとは言え)、巻き込むつもりなど毛頭無かったのに。
分かった、と侍従を促して部屋を出て行くフラヴィアとバジーリオの背中を見送って、再び溜息を吐く。
クロムが何か言いたげにこちらを見ていたが、その視線に応えることの無いままも席を立ったのだった。
そして、その深夜。
「じゃあ、頼んだよ。」
「ああ。任せてくれ。」
急遽とは言え、出撃態勢がすぐさま調うのが軍事大国フェリアの常だ。
今回遊撃となるクロム達は、バジーリオ直下の精鋭部隊と北上し寒村の救出とそれに伴う山賊の討伐を第一目的としている。フェリアの地理に明るくないクロム達の為、フェリアの精鋭が途中まで同行するのだが、そのどちらにも女軍師の姿は無い。見送りとしてこの場に佇んでいるだけだった。
「クロム様、リズ様。くれぐれもお気を付けて……」
「分かっている、フレデリク。」
そのな隣で心配の余り、五歳は老け込んだように見えるフレデリクが何度も念を押す。その彼の出で立ちも、平素の物と同様だ。防寒の為、厚手の外套を羽織ってはいたが。――その彼もまた、と共に彼女の補佐として迎撃部隊に編成されていた。
は当初、それについても難色を示していたのだが最終的には首を縦に振った。代わりにフェリア側からロンクーを借り受け、リズの護衛として付けることで妥協したのだ。
そのクロム達は距離が距離であるので、先行して出撃する。とフレデリクはその見送りとしてここにいる訳だ。いつぞやの街道の時のように、底抜けに悪いかと思われていた機嫌はそうと分かるまでには悪く無い。
「だいじょーぶ、任せて!お兄ちゃんが暴走しないように、私がちゃんと見張ってるから!」
少々不思議に思いながらも、機嫌が悪く無いことに越したことはない。ろくに会話を持てぬままだったクロムは、多少の居心地の悪さを感じながらも見送りに立つと相対していた。
「ありがとうございます、リズさん。ですが、貴女も十分に気を付けて下さい。」
「ん。分かった!」
「……と。そうでした。」
どん、と胸を張るリズに何かを思い出したのか、が小首を傾げる仕草をした。つられて小首を傾げたリズに、手が差し出される。
「リズさん、これを。」
「ん?」
言われるままそれを受け取ったリズが、手の中を覗き込んだ。
白い掌の中、一点だけ浮かぶ深紅の輝き。
「さん、これ……!?」
大きさからすれば小指の爪の半分程度しか無い、小さなカケラ。
だがそのカケラがの耳を彩っていた炎華石の
「え?え?」
「ええ――私が記憶を失う前から身に付けていた、数少ない手掛かりです。」
「ももも貰えないよ、そんな大事なもの!!」
「あげません。貸すだけです。」
「あ、やっぱり?」
頷くはふぅ、と息を一つ吐きリズの手に耳飾りを握らせる。
「ご存知の通り、炎華石に限らず真石と呼ばれる石達にはそれぞれ特性があり……炎華石は、何かを留めたりする能力に長けているのですが。」
「そうなのか?」
「お兄ちゃん、これ常識。それから少し黙ってて。」
魔法に関わることになるとからきしなクロムが妹にすまんとばっさり切って落とされ、特にそれに対してコメントの無いが更に続ける。
「この石は常から私の力の余波を受けていて、自然と魔力を溜め込んでいます。」
「……うん。ほんとだ。さんの魔力を感じる。星、浮かんでるね。」
星、と呼ばれるのは貴石にたまに発生するスター効果と呼ばれる筋のことである。真石と呼ばれる石にも現れることがあるが、先天的なものと後天的なものがある。魔力を受けた真石はその力を星として抱き、その
「蝶……かな。凄い、真石にここまではっきり浮かんでるのは初めて見た。」
「そうですか?まぁ、大事なのはそこじゃなくて。」
「あ、うん。大事なのは?」
「私の魔力が籠っている分、精霊達の声を聞き取りやすくなると思います。気休め程度にしかならないとも思いますが、無いよりマシでしょう。首にでも掛けといてください。」
預ける、と言外に告げられ目を見開いたリズがと耳飾りとを交互に見、漸くその言葉を理解したのか、ん。と一つ大きく頷いた。
「良いのか、。」
「ええ。貸すだけですから、絶対後で返してくださいねリズさん。」
「うん、分かった。」
失われた記憶を探し出すための、大切な手掛かりだ。それを例え一時であっても預けられたということは、つまり彼女からの信頼の証でもある。
鼻息も荒くしっかりと頷いたリズの頭を二、三度軽く叩き今度はクロムに向き直る。
「絶対に無理はなさらないで下さいね。貴方やリズさんに何かあったら、同盟どころの騒ぎじゃないんです。危険を感じたら、とにかく退いて下さい。」
「……分かっている。お前こそ無理をしないでくれ。」
「はい。」
本来であれば自分と共に来て貰いたかったクロムも、ここまで来たらそうと言うこともできなかった。
「あの、クロム様……」
そんなクロムの背後から遠慮がちなか細い声がかかる。振り向けば、やはり戦装束を纏ったスミアが頼りなげに佇んでいて。
「ああ、スミア。」
「皆さん、準備が整ったようです。クロム様とリズさんを呼んできて欲しいと……」
「分かった。今、行く。リズ。」
「ん。りょーかい。じゃあ、行ってくるね。さん、フレデリク!」
「はい、行ってらっしゃい。リズさん。」
「クロム様、リズ様。どうか、くれぐれもご無理はなさいませんよう……ロンクーさん、よろしくお願いします。」
「……ああ。」
心配は尽きないが、いつまでもこうしているわけにもいかない。クロムはとフレデリクに一つ頷きを残すと、リズ達を促して他の仲間達の元へと踵を返した。
リズの傍らにロンクーが立ち、クロムの一歩後ろにスミアが続く。僅かに彼女が背後を振り返る気配がしたが、視線を送られたはずの軍師は全く動じた様子は無い。
迷いの無い真っ直ぐな眼差しで、遠ざかって行く背中を見据えているだけだ。
「……それほどまでにご心配でしたら、同行なさればよかったのでは?」
その視線の意味するところをフレデリクが控えめに尋ねた。だが彼女は視線をそのままに、揺るぎ無い意志を込めて口を開いた。
「――貴方のすべきことは。」
この瞬巡が未練でしか無いことは分かりきっているから。
「彼の人の願いを叶えることではなく、その身を守ること。……それを、他ならぬ彼女に誓ったのではなかったのですか?」
断ち切ると決めたのだ。
どんなにこの胸が痛んでも。――その身を守る為に。
「……さしで口、お許し下さい。」
腹心がその様でどうすると言う言外の叱責に、フレデリクは素直に頭を下げる。
確かに彼女の言う通りだ。
間違いを犯さぬ人間はおらず、だが決して間違いを犯してはならない人だからこそ。道を違える、違えようとするのを諌めるのが、臣下たる自分の努めなのだ。――それがどんなに厭われる結果に繋がろうとも。
「…………」
フレデリクの謝罪に応えることはせず、は遠ざかっていく後姿を視線のみで追いかける。
漸くその姿が見えなくなるころ、彼女は一度目を伏せた。そして暫くの後、僅かな懸念と瞬巡を振り払うかのように目を開く。
凛と立つその姿に、迷いの影は微塵も無く。
外套を大きく翻し、自身も出撃の準備を整える為その場から踵を返したのだった。